旧制第一高等学校寮歌解説
夕霧は |
昭和13年第48回紀念祭寄贈歌 千葉醫大
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1、夕霧は港閉せり 漁火の 今宵また出洲の汀に 三つ年の夢路辿りて 高誦さむ故郷の歌 2、葛城の丘の 3、旅ゆけば 4、青駒の嘶く里は 綠なす杜の樹蔭に 謳はなむ紀念の祭 |
各段ごとに歌詞の各句が、一括して曲付けされ、それぞれ弱起のメロディーであることを強調する意図であろうが、各段の最初と最後の小節を、不完全小節とするのは、記譜上からは、あり得ない誤りであろう。 |
語句の説明・解釈
作曲の内海 淳は、明治42年のかの名歌「仇浪騒ぐ」の作曲者内海磐夫の令息、親子二代、一高寮歌にその名を残す。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
夕霧は港閉せり 漁火の |
1番歌詞 | 夕霧は港に立ち込め、漁火の灯に映えて赤く燃えている。今宵も、また出洲の海辺を逍遥し、向ヶ丘三年の懐かしい思い出を辿りながら、寮歌を高誦さむのである。 「夕霧は港閉せり 漁火の緋に燃えぬる」 「港」は、千葉港。「漁火」は、魚を漁船の方へ誘い寄せるために焚く火。今はランプの灯であるが、昔は篝火を焚いていたのであろう。「緋に燃えぬる」は、夕霧に漁火の灯が映えて、幻想的な情景が浮ぶ。「漁火の」は、音符下歌詞では「いさりびは」となっている。「漁火は」と歌う人が多い。 「 「今宵また出洲の汀に 三つ年の夢路辿りて」 「出洲」は、洲の突きでたところ。 「夢なりし丘の三年」(昭和13年「春こそは」4番) 「嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番) 「高誦さむ故郷の歌」 「故郷の歌」は、故郷の向ヶ丘の一高寮歌。 |
葛城の丘の |
2番歌詞 | 葛城の丘は、ひっそりと静まり返って、星屑が梢をこぼれて瞬いている。夜のしじまをぬって聞こえる偲び泣くような潮の音はものさびしく、向ヶ丘への郷愁をそそるので、旅人の胸がジーンと熱くなった。 「葛城の丘の静寂に 星屑は木梢に搖れぬ」 「葛城の丘」は、千葉医大のキャンパス(亥鼻町)を「葛城の丘」と呼んだか。医大の西(県庁方向)は旧千葉城址であり、葛城の地名は、医大から千葉港の方向、南側一帯、旧制千葉中学(現県立千葉高)辺りに名を残す。近くには蘇我の地名もあり、房総の地名に大和地方との関連を詮索する地方歴史家が多い。私は奈良の葛城と間違え、古道「葛城の道」を散策した時、彼岸花咲く畦道をこの寮歌を大声で歌ってきたが、それはそれで違和感はなかった。 「黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ」(明治36年「綠もぞ濃き」1番) 「秘音の潮のしらべに 密かなる郷愁こもりて 遊子の魂に通ひぬ」 「秘音」は、忍び音。忍び泣くこと。また、その声。前述のとおり葛城の丘を下れば、当時は海(出洲の港)であった。「密か」は、静かにもの悲しく。「郷愁」は、心の故郷向ヶ丘を思う旅愁。「遊子」は旅人。人生を旅とみて、今は家を離れ、他郷の千葉医大に旅寝している遊子である。「魂に通ひぬ」は、心の琴線に触れた。胸がジーンと熱くなった。 |
旅ゆけば |
3番歌詞 | 千葉から外海に出ると黒潮の荒波が巖に激しく打ち寄せく白波を立て砕け散っていた。その荒浪は、怒濤の勢いで進軍する日本軍の戦果を髣髴させたので、わが胸は昂ぶり、波しぶきに合わせ寮歌を歌った。雄々しく勇ましい心は、一高生として、一生、失うことはないだろう。 「旅ゆけば房総の荒磯 黒潮は岩頭に猛けぬ」 千葉は東京湾に面する内海であるが、館山、九十九里方面に出れば、太平洋の荒波が洗う外海である。「房総」のルビは「かずさ」(上総)であるが、意味は房総半島、特に外海(安房)と解すべきであろう。 「『かずさ』は上総であるが、『房総』は、『安房』も含めた上で、語呂の関係上、『かずさ』といっているのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「皇軍の勇圖語れば みづたまに嘯く胸ぞ 雄心を永遠に宿すか」 「皇軍」は、日本帝国陸海軍、「雄圖」は雄大な計画のことであるが、ルビに「いさを」とあるので、支那事変の「戦果」と解した。「みづたま」は、水玉=波しぶき。瑞魂=一高生と解することも出来る。「嘯く」は、吼える。詩歌を口誦する。ここは寮歌を高唱する。 昭和12年 7月 7日 盧溝橋で日中両軍衝突、支那事変始まる。 (「北支事変」を9月2日に「支那事変」と命名) 28日 日本軍、華北で総攻撃。 8月13日 上海で日中両軍交戦開始。 15日 政府、中華民国政府断乎膺懲を声明、全面 戦争に突入。 10月 6日 国際連盟総会、日本の行動非難の決議を採択。 11月 5日 第10軍、杭州湾上陸。 12月12日 南京総攻撃戦で米艦パネー号を撃沈、英艦 レディバード号を砲撃(14日、英米に陳謝) 13日 日本軍、南京を占領。 13年 1月11日 御前会議、「支那事変処理根本方針」を決定。 16日 政府、中国に和平交渉打切りを通告。「国民政府 を対手にせず」と声明(第1次近衛声明) 「『 |
青駒の嘶く里は 綠なす杜の樹蔭に |
4番歌詞 | 若き一高生が集う駒場の野は、青々と茂った森の木蔭にある。新向陵を建設し次代に引継ぐ栄誉を担った一高生よ、大きな理想を掲げて紀念祭で寮歌を歌おうではないか。 「青駒の嘶く里は、綠なす杜の樹蔭に」 「青駒の里」は駒場。「青駒」は、青毛の馬。白馬。葦毛が年をとると次第に白馬になってゆく。 「若駒の嘶く里に 大いなる朝は來れり」(昭和11年寮歌「若駒の」序) 「綠なす眞理欣求めつゝ」(昭和12年「新墾の」序) 「建設時代の光榮ぞ擔へる 若人よ理想に燃えて 謳はなむ紀念の祭」 「 「このころには嚶鳴堂のみならず、正門や同窓会館も完成、新向陵の主要な施設はほぼ整った。ただ第四棟(明寮)の工事だけが停滞していた。」(「向陵誌」昭和12年度) |
新草の萠えなむ野邊に |
5番歌詞 | もう若草が芽吹き綠一色となった駒場の野に、青い空を茶色に染めてそそり立つ時計台を仰いで、唐紅に燃える護国旗の下に、一高生よ誇りを持って、寮歌を歌って紀念祭を祝おう。 「新草の萠えなむ野邊に 天そめる時計臺仰ぎて」 「野邊」は、駒場の野。「天そめる」は、空の色を煉瓦色(茶)に染めての意か。「そめる」は、色をつける。若草の綠、時計台の茶、空の青を対比して駒場の野の情景を描いたか(さらに次の句の護國旗の紅が加わる)。古語であれば「そむる」とあるべきところ、現代語で「そめる」と言ったものであろう。 「『天そそる』(天に向かってそびえたつ)の誤植ではないか(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説の落穂拾い」) 「紅の護國旗の下に 若人よ矜りに充ちて 歌はなむ紀念の祭」 「護國旗」は、一高の校旗。唐紅色に燃える。「若人」は、一高生。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 第一節は千葉港、第二節は葛城の丘、第三節は房総半島の黒潮と、千葉大らしい地方色をとり入れ、旅愁のうちによく母校を偲んでいる。 | 「一高寮歌私観」から |