旧制第一高等学校寮歌解説

春こそは

昭和13年第48回紀念祭寄贈歌 東大

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1、春こそは新にあれど   現實(うつしよ)運命(さだめ)は暗し
  寂しくも想はみだれ    今日も亦空しく暮れぬ

2、狂ほしき眼あぐれば   見よかなた篝火(かがりび)燃えたり
  故郷(ふるさと)の祭なりけり     (あくが)れの涙あふるる
*「篝火」のルビは昭和50年寮歌集で「かがり」と変更。

3、友よいざ丘に登らん   たまゆらのやすらひあれど
  懐しき我が故郷は    あたゝかき息吹によべり

4、夢なりし丘の三年     柏蔭の子等に幸あれ
  我もまたかくてありしを  想出はつねにうるはし

5、今宵こそ友が手をとり  相抱き共に歌はん
  「我等こそげに我等こそ 人の世の苦惱に生きん」
平成16年寮歌集で、1・2段を次のように変更した。

1、「はるこそ」(1段1小節)         
  3度上げて、ミーミレードー
2、「あらたに あれど うつしよ の さだめは くらし」(1段3小節から2段4小節)
  逆に各2度下げ、ソーソラーシー ドーレドー ミーミレードー レーーー ドードシーラー シーシドー

 各段のリズムは、各2小節に付点2分音符を置くなどまったく同じ。メロディーは3段「寂しくも想はみだれ」のみ、他の段と異質、クライマックスとなっている。ミーミファーミー ラーーー ドードシーラー ソーファミーとちょっと哀調のメロディーが効いて、「今日も亦むなしく暮れぬ」のエンディングを低く導いています。平成16年の変更で、1・2・3段の出だしはミーミと同じになり、3段のメロディーの異質性は、少し弱まったようである。3段前半のメロディーが印象的であったので、歌い崩しの過程で3段のミーミに収束したのだろう。ただし、今でも低く出て歌う人も多い。私自身は「春こそは」の出だしは低く出たほうがよいと思うのだが、寮歌は好き好き、みんなと歌う時以外は好きに歌えばよい。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春こそは新にあれど 現實(うつしよ)運命(さだめ)は暗し 寂しくも想はみだれ 今日も亦空しく暮れぬ 1番歌詞 春は今年も巡ってきて、爽やかな春の陽射しが明るく降り注いでいるが、世の現実は、逆にだんだん暗くなっている。心が千々に乱れ淋しくなって、今日も亦何もすることなく空しく過ぎた。

「春こそは新にあれど 現實の運命は暗し」
 世は支那事変で益々国家の統制が厳しくなり、学問の自由もない、暗い世の中となった。昭和12年12月4日、東大経済学部で植民政策を担当する矢内原忠雄教授は、反戦的であるとして非難され、辞職に追い込まれた。 

「寂しくも想は乱れ 今日も亦空しく暮れぬ」
 「想は乱れ」は、あれこれと思いわずらい、冷静さが保てない。
狂ほしき眼あぐれば 見よかなた篝火(かがりび)燃えたり 故郷(ふるさと)の祭なりけり (あくが)れの涙あふるる 2番歌詞 余りに気持ちが高ぶり心が乱れて目を上げれば、遠くに篝火が燃えている。ああ、わが故郷の向ヶ丘の紀念祭の篝火だ。早く行ってみたいと懐かしさで涙が溢れてきた。

「狂ほしき眼あぐれば 見よかなた篝火燃えたり」
 「狂ほしき」は、狂気じみている。「篝火」のルビ「かがりび」は、昭和50年寮歌集で「かがり」に変更された。

「故郷の祭なりけり 憬れの涙あふるる」
 「故郷」は、向ヶ丘。「祭」は、紀念祭。
友よいざ丘に登らん たまゆらのやすらひあれど 懐しき我が故郷は あたゝかき息吹によべり 3番歌詞 少しためらったけれども、友よさあ、駒場に行こう。懐かしい我が故郷駒場は、昔のようにあたたかく我等を呼んでいる。

「友よいざ丘に登らん たまゆらのやすらひあれど」
 「たまゆら」は、ひとときの。「やすらひ」は、とかく思案して、どうしようかと迷うこと。

「懷しき我が故郷は あたゝき息吹によべり」
 「我が故郷」は、向ヶ丘。「よべり」は、呼んでいる。「り」は、完了存続の助動詞。命令形を承ける。
「凡そ東大に這入り、世間の実相にふれると、今更に向陵三年が、いかに清らかな魂のいこひの場であったかが判る。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「わがたましひの故郷は いまも緑のわか草に」(大正5年「わがたましひの」1番)
夢なりし丘の三年 柏蔭の子等に幸あれ 我もまたかくてありしを 想出はつねにうるはし 4番歌詞 今は過ぎ去った向ヶ丘三年であるが、かって自分がそうであったように、一高に学ぶ後輩も、幸せであってほしい。我もまた、あの頃は、目の前にいる一高生のように若く溌剌としていた。向ヶ丘の思い出は、何時思い出してもつねに美しい。

「夢なりし丘の三年 柏蔭の子等に幸あれ」
 「夢なりし」は、今は過ぎ去った。「丘の三年」は、向ヶ丘三年。 
「柏蔭の子」は、一高生。人生の旅の途中、三年を柏蔭で旅寝する。
 「語ろふ春は盡きんとす 嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番)
 「過ぎし三年は夢にして」(昭和13年「怪鳥焦土に」5番)
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年寮歌「新墾の」3番)

「我もまたかくてありしを 想出はつねにうるはし」
 「かくて」は、眼前の一高生のように。 
今宵こそ友が手をとり 相抱き共に歌はん 「我等こそげに我等こそ 人の世の苦惱に生きん」 5番歌詞 紀念祭の今宵こそ、友の手をとって、相抱き、共に寮歌を歌おう。「我等こそ、我等一高生こそが、この暗い世に真理を求めて、解き得ぬ謎の苦惱を味わおう。」

「『「我等こそげに我等こそ 人の世の苦惱に生きん』」
 この文句の出典は不明。ゲーテの「ファウスト」か(森下達朗東大先輩、井下登喜男一高先輩)。
 
「時局の暗さに堪えて、人生観、世界観の本質を求める苦惱を、光栄ある責任としようと主張する」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        

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