旧制第一高等学校寮歌解説
雪鎖す |
昭和13年第48回紀念祭寄贈歌 東大
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1、雪鎖す 白き風 地を掠め荒れ 堅冰に 流れも熄みぬ 2、唯こゝに 孤り雄々しく 愈萠ゆる 汝こそは 若き柏樹 3、雪、冰 はたまた嵐 稔なき 鬨の 幾そ數 *「幾そ數」の「そ」は昭和18年寮歌集では空白であったが、昭和50年寮歌集で補充。 4、いざさらば 力に狂ふ 新芽吹く 春は來ずとも 汝こそは 若き柏樹 |
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譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。 短調でなければ寮歌ではないかの様相を呈した寮歌、その中にあって、この年昭和13年は全曲長調の寮歌である。 |
語句の説明・解釈
昭和12年寮歌「遐けくも」に續く、淺原英夫・遠藤湘吉コンビの作詞。前回同様に、支那事変を起し、これを拡大していく軍部・政府を鋭く批判するとともに、現在の苦境に屈することなく、「愈萠ゆる熱情に」をもって、一高生の生命輝く充実した生き方を求める。しかし、「新芽吹く 春は來ずとも」というのであるから、悲愴である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
雪鎖す 白き風 地を掠め荒れ 堅冰に 流れも熄みぬ |
1番歌詞 | 雪に鎖された、さい涯の荒野に、わずかに残っていた道も途絶えてしまった。風が地を掠めて白い吹雪となって荒れ、堅い氷に、自治の流れは止まった。 「雪鎖す 限涯の曠野に 仄かなる 道も絶えたり」 世は軍国主義一色に塗りつぶされて、学問・思想の自由はなくなった。 「昭和12年に至り、遂に日華事変が勃発し、世は軍国主義一色にぬりつぶされていった。言論の自由はすでに無かったに等しい、と言っても過言ではなく、・・・なかんづく、政治的主張に関しては無言であり、もっぱら自己に沈潜することに終始した。」(「向陵誌」弁論部昭和12年度) 「白き風 地を掠め荒れ 堅冰に 流れも熄みぬ」 「白き風」は、思想を取り締まる権力。「地を掠め荒れ」は、学問の自由が侵され、左翼思想が容赦なく弾圧されている状況をいう。「堅冰」は、堅い氷。「冰」は「氷」の正字。自治、自由が凍結され、統制は強まり自治の傳え(流れ)は止った。 昭和12年12月4日、東大経済学部教授矢内原忠雄が「中央公論」に発表した評論「国家の理想」が反戦思想として攻撃を受け辞職した。矢内原忠雄は一高先輩で、作詞者遠藤湘吉が学ぶ経済学部の教授であった。この事件が作詞者に大きな衝撃を与えたものと思料する。矢内原忠雄は、植民政策を担当し、現地調査により植民地での抑圧・収奪の実態を明らかにしていた。ついでながら、堅氷の樺太国境を越えて岡田嘉子・杉本良吉がソ連に亡命したのは、翌13年1月3日であった。 |
唯こゝに 孤り雄々しく 愈萠ゆる 汝こそは 若き柏樹 |
2番歌詞 | こんなに厳しい環境の下にも、ここに独り雄々しく、いよいよ燃える血潮を糧にして成長している者がいる。その者こそ、若き一高生だ。こんな暗い世でも、勢いよく育つように向ヶ丘の地にしっかりと根を張ってくれ。 「唯こゝに 孤り雄々しく 愈萠ゆる 熱情を汲みて」 「こゝに」は、向ヶ丘に。「愈萠ゆる 熱情を汲みて」は、いよいよ燃える血潮を汲み上げて。 「生命充つ 根をぞ展ぶ可し」 勢いよく育つように、地にしっかりと根を張るように。 「汝こそは 若き柏樹」 「柏樹」は、一高生を喩える。「柏葉」は、一高の武の象徴。 |
雪、冰 はたまた嵐 稔なき 鬨の 幾そ數 |
3番歌詞 | 学問・思想の自由は抑圧され、嵐のように弾圧が加えられているというのに、人々は、支那事変で南京を陥落させたからといって、何の益もない鬨の声を揚げて騒いでいる。学問や思想の自由を守る苦しい闘いを乗り越えて、厳しい取締りの冬雲の上に顔を出して、照り輝く太陽の光を吸って自由の世界に醉いたいと、何度も何度も思う。 「雪、冰 はたまた嵐 稔なき 鬨の最中に」 「雪」、「冰」、「嵐」は、1番歌詞を承けて、学問・思想の弾圧、自治の抑圧、嵐のように吹き荒れる権力の行使をいう。「稔なき」は、」泥沼に突入した。何の益もない。 「鬨」は、昭和12年13日、日本軍が南京を陥落させた勝鬨のことであろう。 昭和12年7月7日の盧溝橋事件により始まった支那事変は、華北から華南に戦線が拡がり、12月には南京を陥落、日本中はその祝賀行事に酔った。一高でも、12月16日、全教職員・生徒が護国旗を擁して二重橋まで武装行進、宮城を遥拝した。しかし、敵の首都を陥落させても、依然として、中国側の激しい抗戦は続き、支那事変は、政府の不拡大方針にも拘わらず、何時終わるとも無き消耗戦の様相を呈した。 「ここでは戦争を肯定し、勝利に酔って挙げる『とき』の声を、『稔』のないものとして批判的に提出している。氷、嵐のようにみのりのない、ときの声のあがっている最中に。」 「幾そ數 苦鬪超えて 冬雲凌ぎ 光榮によはん」 「幾そ數」は、幾そ度。度数の多いのにいう。「苦鬪」は、学問・思想の自由を守る戦い。「超えて」は、乗り越え。 「光榮」は、太陽の光。真理。勝利。「冬雲」は、学問・思想の取締り。「雪」「冰」「嵐」を起す。 |
いざさらば 力に狂ふ 新芽吹く 春は來ずとも 汝こそは 若き柏樹 |
4番歌詞 | 国家権力が力に狂って、厳しく自由、自治を取り締まるなら、新芽吹く春など来なくてもよい。永久に冬の厳しい取締りを続けよ。君こそは、若き一高生だ。いつかはきっと、この理不尽な世の中を正してくれることだろう。 「いざさらば 力に狂ふ 永劫の 冬こそ續け」 「力に狂ふ」は、狂ったように権力を行使するさま。「永劫の冬こそ續け」は、冬のままで、春が来なくてもよい。 「新芽吹く 春は來ずとも 汝こそは 若き柏樹」 「新芽吹く 春」は、自由な世。「若き柏樹」は、若い一高生。 「自由抑圧がたとえどんなに永く続き、そして『新芽吹く春は來ずとも』と歎きつつ、『汝こそは若き柏樹』と、第二節の末行を再び繰り返し、向陵の英知に、ふかい頼みをよせている」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | この当時の「向陵時報」を見ると枢軸接近に対し「独、伊は大嫌いなり」の題下に、M生なる投書が載せてあり、寮生の中に於ける軍部批判がいかに強く潜流していたかを示す。 | 「一高寮歌私観」から |