旧制第一高等学校寮歌解説

滄溟の深き

昭和13年第48回紀念祭寮歌 

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1、蒼溟(わだつみ)の深き静謐(しじま)に       仄々と狭霧流るゝ
  限りなき潮路の底ゆ      生出(あれい)づる時代(とき)の命に
  (かそか)なる漣波(なみ)の息吹きは    荒狂ふ怒濤と湧きて
  新なる世界を叫び        永劫(とこしへ)(あした)を告げむ

3、追憶(おもひで)の彌生が岡は       三年(みつとせ)の彼方に去れど
  新しき岡の基礎(もとゐ)を        建つること我等が使命(つとめ)
  先人の思想(おもひ)を傳へ       社會(ひとのよ)現實(うつゝ)()きて
  瞬間(たまゆら)もなどか忘れん      國を護る眞摯(まこと)の道を
  
5、朔北砲(きたのかたつゝ)音響き          波騒ぐ黄河の(ほとり)
  荒鷲は疾風(はやて)(かけ)り        長江に血潮(いろど)
  禍神(まがつみ)の赤き呪詛(のろひ)は        數知れぬ犠牲(にへ)を貪り
  戰雲低き東亞の空に      安き太陽()を仰ぐ術なし

6、王師(みいくさ)を遙に偲び         將來(ゆくすゑ)困難(かたき)を思ひ
  只管(ひたすら)情熱(こころ)抱きつ        いざ行かん荊棘(いばら)の旅路
  諸共に若き生命を        蒼穹(おほぞら)に高歌ひつゝ
  (よみがへ)る春の和樂(くわらく)に       幸福(さち)多き首途(かどで)祝はん
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じ演奏である。
 昭和13年寮歌2曲共に長調(変ホ長調)の寮歌。小楽節別に全く同じリズム、その中に主メロディーのドーミーラーソーーミー レーレドーを巧みに配す。最後の「永劫の朝を告げむ」も主メロディーで終わる。歌詞は五・七調の8行、それに合わせ曲の方も8小楽節と長い。単調さは否めない。


語句の説明・解釈

作詞者は、同年寮歌「怪鳥焦土に」を作曲した服部達也である。作曲者が同じ年の寮歌に、作詞者として登場するのも珍しい。

語句 箇所 説明・解釈
蒼溟(わだつみ)の深き静謐(しじま)に 仄々と狭霧流るゝ 限りなき潮路の底ゆ 生出(あれい)づる時代(とき)の命に (かそか)なる漣波(なみ)の息吹きは 荒狂ふ怒濤と湧きて 新なる世界を叫び 永劫(とこしへ)(あした)を告げむ 1番歌詞 静まり返った海に霧が流れて夜がほのぼのと明けてゆく。深い深い海の底から、時代の思潮が生れる。最初は、小さな波であったものが、荒れ狂う怒濤の波に成長して、新しい世界秩序の形成を叫んで、恒久平和を告げようとしている。

「蒼溟の深き静謐に 仄々と狭霧流るゝ」
 「滄溟」は、海。「ほのぼの」は、あけぼののうす明るいさま。夜がほのぼのと明ける頃。

「限りなき潮路の底ゆ 生出づる時代の命に 微なる漣波の息吹きは 荒狂ふ怒濤となりて」
 「潮路」は、海流の流れていくみちすじ。「ゆ」は、・・・より。・・・から。「時代の命」は、時代を決定づける思潮。「漣波」は、細かに立つ波。「荒狂ふ怒濤」は、軍国主義を喩えるか。
 
「新たなる世界を叫び 永劫の朝を告げん」
 「新たなる世界」は、日本を中心とする新しい国際秩序。「叫び」は、支那事変を踏まえる。「永劫の朝」は、恒久平和。
 「日支事変(北支事変)に伴う新世界情勢(第一・第ニ節)。これが一種コスミック(宇宙的)なイメージで詠みこまれている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「荘重繊麗で且つ表面の静寂の底に、荒れ狂う時代の動きを予言する第一節、二節」(井上司朗「一高寮歌私観」)
 
黎明(しののめ)の天津日影は 霜白き天地にさして 春近き武藏の野邊に 若草の夢ぞ破るる 乾坤(あめつち)は茲に(めぐ)りて 向岡(をか)の上に霞(たなび)き 森羅萬象(ものすべて)力に滾ぎて 建設の業を営む  2番歌詞 朝日が白い霜の降りた野辺に射すと、春近い武蔵野の若草は、冬の眠りから醒めて芽を吹きだした。向ヶ丘にも、まさに春が来て、丘の上に霞が棚引き、草も木も全てのものが春甦る力に漲っている。一高生も、力強く新向陵・駒場の自治の建設に励んでいる。

「黎明の天津日影は 霜白き天地にさして 春近き武蔵の野邊に 若草の夢ぞ破るる」
 「黎明の天津日影」は、朝日。「天津日影」は、天の日影。太陽の光。「若草の夢ぞ破るる」は、若草が冬の眠りから醒めて芽を吹くこと。

「乾坤は茲に循りて 向岡の上に霞靉き 森羅万象力に滾ぎて 建設の業を営む」
 「乾坤」は、天地。「乾坤は茲に循りて」は、ここにも春が来て。「向岡」は、向ヶ丘。「力に滾ぎて」の「力」は、春甦る力。「建設の業」は、新向陵・駒場の自治の建設。本郷の自治を駒場に甦らせようと力強く必死に取り組んでいる。
追憶(おもひで)の彌生が岡は 三年(みつとせ)の彼方に去れど 新しき岡の基礎(もとゐ)を 建つること我等が使命(つとめ) 先人の思想(おもひ)を傳へ 社會(ひとのよ)現實(うつゝ)()きて 瞬間(たまゆら)もなどか忘れん 國を護る眞摯(まこと)の道を 3番歌詞 入学した本郷の彌生が岡の思い出は、三年の彼方に去ったが、新向陵・駒場の自治の基礎を固め、後輩に伝えるのが我等の務めであった。古き伝統を現実の社会に合わせて後輩に伝えた。その間、ほんの一瞬たりとも、国を守る誠実(まこと)の心を忘れたことなどあろうか。

「追憶の彌生が岡は 三年の彼方に去れど 新しき岡の基礎を 建つること我等が使命」
 一高は昭和10年9月に本郷から駒場に移った。昭和13年卒業の三年生は、本郷に入学した。「新しき岡の基礎」は、新向陵・駒場の自治の礎。
 
「先人の思想を傳え 社會の現實に卽きて 瞬間もなどか忘れん 國を護る真摯の道を」
 「先人の思想」は、一高の伝統精神。「社會の現實に卽きて」は、時代の現実に合せ。たんに形骸化した伝統を今の時代に合せていう他に、軍国主義の世に自治が抹殺されないように守るとの意も含むものであろう。
「國を護る真摯の道」は、護国の心。一高の校旗は護國旗で、国を護ることが一高の建学精神である。本郷から駒場への移転の際には、全寮生が護國旗を先頭に、銃を担いで武装行進したのも、護國の精神をはじめとする一高の伝統精神を本郷から駒場に引き継ぐための儀式、デモンストレイションであった。
塵深き有漏路(うろじ)辿りて 悲惨(かなしみ)に喘ぐ人聲 射干玉(うばたま)の闇に彷徨(さまよ)ひ 苦惱(くるしみ)疲勞(つか)れし精神(こころ) 今し見よ荒廢(やぶれ)(うち)に 光り出づ救世(ぐせ)の燈火 永遠(とことは)理想(のぞみ)に映えて 大いなる秘義(ひごと)示さん 4番歌詞 人々は、塵深き煩悩の世界にあって、悲しみに喘ぎ、光りを求めて闇の中を苦しみ疲れ切ってさ迷っている。今、荒廃した世を救うために闇の中に自治の光が輝き出したのを見よ。一高生は、自治の光をかざし、闇にさ迷い苦しんでいる人々に行く手を照らし、救わなくてはならない。それが一高生の重大な使命である。

「塵深き有漏路辿りて 悲慘に喘ぐ人聲 射干玉の闇に彷徨ひ 苦惱に疲れし精神」
 「有漏」は、煩悩の意。煩悩の有る状態。「有漏路」は、濁世。「射干玉」は、枕詞の「ぬばたまの」の転で、「黒」[夢」「夜」にかかる。
 「あゝ有漏の世のあはれにも 聖き心のふるさとは」(昭和2年「散り行く花の」4番)

「今し見よ荒廢の中に 光り出づ救世の燈火 永遠の理想に映えて 大いなる秘義示さん」
 「永遠の理想」は、何時の世でも変わらない一高生の理想。「大いなる秘義」は、済世救民の重大な使命。
 「自治の光は常暗の 國をも照す北斗星」(明治34年「春爛漫」6番)
 「国家の大事業遂行が必然的に国民生活にもたらす、彷徨と苦悩と悲惨と荒廃という現実の確たる認識に立脚した、『救世』という『永遠の理想』追求の使命の自覚(第三・第四節)」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
朔北砲(きたのかたつゝ)音響き 波騒ぐ黄河の(ほとり) 荒鷲は疾風(はやて)(かけ)り 長江に血潮(いろど)る 禍神(まがつみ)の赤き呪詛(のろひ)は 數知れぬ犠牲(にへ)を貪り 戰雲低き東亞の空に 安き太陽()を仰ぐ術なし 5番歌詞 盧溝橋での日中両軍の衝突で始まった支那事変の戦線は、たちまちにして拡がり、日本軍は華北から長江へと進軍し、日中両軍は、上海で南京で激しい戦闘を繰り返した。人の血を貪る禍の神のなせる業か、数知れない将兵が、この戦争で犠牲となった。東亜の空は、戦雲が低く覆って、容易に太陽を仰ぐ方法がない。

「朔北砲音響き 波騒ぐ黄河の邊」
 盧溝橋で日中両軍が衝突して、支那事変が始まったことを踏まえる。「朔北」は、北方の地。特に中国の北方にある辺土をいう。「黄河の邊」は、華北の戦場。盧溝橋は、北京市南西約15kmにある。
 昭和12年 7月  7日 盧溝橋で日中両軍衝突、支那事変始まる。
                (「北支事変」を9月2日に「支那事変」と命名)
            28日 日本軍、華北で総攻撃。
         8月13日 上海で日中両軍交戦開始。
            15日 政府、中華民国政府断乎膺懲を声明、全面
                 戦争に突入。
        10月 6日 国際連盟総会、日本の行動非難の決議を採択。
        11月 5日 第10軍、杭州湾上陸。
        12月12日 南京総攻撃戦で米艦パネー号を撃沈、英艦
                レディバード号を砲撃(14日、英米に陳謝)
            13日 日本軍、南京を占領。
     13年 1月11日 御前会議、「支那事変処理根本方針」を決定。
            16日 政府、中国に和平交渉打切りを通告。「国民政府
                を対手にせず」と声明(第1次近衛声明)

「荒鷲は疾風に翔り 長江に血潮彩る」
 「荒鷲」は、日本軍。空軍機を喩える(同年寮歌「怪鳥焦土に」では「怪鳥」と表現)。「長江」は、揚子江のことで、「長江に血潮彩る」は、上海での交戦、杭州湾上陸、南京占領等をいう。
 昭和12年8月13日、上海で日中両軍交戦開始。11月5日、第10軍杭州湾上陸、12月13日、南京占領。「長江に血潮彩る」とは、上海での戦闘や南京占領など戦線が揚子江辺りにまで拡がったことをいう。中国人民軍や婦女子を暴行虐殺したという所謂「南京事件」をいうのではない。南京を占領しても中国軍は屈服せず、戦線はさらに徐州・武漢三鎮・広州へと拡がった。日本は傀儡政権を作って占領地の経済開発を進めつつ、移転した首都重慶に大規模爆撃を加えたが、中国の抗戦は止まらなかった。

「禍神の赤き呪詛は 數知れぬ犠牲を貪り」
 「禍神」は、禍つひ。ツは連体助詞。ヒは神霊の意。人間に不幸・災難をもたらす靈力。「赤き呪詛」は、人の血を犠牲に求める呪。「數知れぬ犠牲を貪り」は、人の血を貪る禍の神のせいで、数知れないほど多くの将兵が犠牲になって死んでいった。

「戰雲低き東亜の空に 安き太陽を仰ぐ術なし」
 「戰雲」は、戦争で砲弾が飛びかい黒煙の上るさまを雲が低く立ち込めたさまに喩える。

 「第五節で、益々拡大してゆく日中戦争を『戦雲低き東亜の空に 安き太陽を仰ぐ術なし』と嘆いている。」(井上司朗「一高寮歌私観」)
王師(みいくさ)を遙に偲び 將來(ゆくすゑ)困難(かたき)を思ひ 只管(ひたすら)情熱(こころ)抱きつ いざ行かん荊棘(いばら)の旅路 諸共に若き生命を  蒼穹(おほぞら)に高歌ひつゝ (よみがへ)る春の和樂(くわらく)に 幸福(さち)多き首途(かどで)祝はん 6番歌詞 遠く離れた地で戦っている将兵を偲び、将来遭遇するであろう困難に思いを致しながら、ただひたすら熱く国を思って、この困難な時代を生きて行こうと思う。さあ一緒に、大空に向って、元気よく大きな声で寮歌を歌って、今年も巡って来た春の紀念祭を祝い、新たな人生の旅立ちに幸多かれと祈ろう。

「王師を遙かに偲び 將来の困難を思ひ」
 「王師」は、皇軍、日本帝國陸海軍。
 「王師の金鼓地を搖れば」(明治38年「王師の金鼓」1番)
 「王師百萬偲びつゝ」(明治38年「香雲深く」1番)
 「其みいくさを忍びなば 其のますらをを思ひなば 熱血男兒いかにして 都の春にあくがれん」(明治37年「都の空に」5番)

「只管の情熱抱きつ いざ行かん荊棘の旅路」
 「只管の情熱」は、真理追究というより、国を思う心。 
「荊棘」は、いばらのこと。「荊棘の旅路」とは、困難の多い人生。
 「この国の前途を、非常に困難なものと見透しつつ、国民の一人として、敢えてその運命の道をゆかねばならぬ覚悟をうたっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「諸共に若き生命を 蒼穹に高歌ひつゝ 甦る春の和樂に 幸福多き首途祝はん」
 「若き生命を」は、悲しまないで元気を出しての意であろう。 「和楽」は、やわらぎ楽しむこと。「甦る春の和楽に」は、今年も巡ってきた紀念祭に。「幸福多き首途を祝はん」は、幸多かれと人生の門出を祝おう。「首途」は、卒業後の新たな人生への旅立ち
                        

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