旧制第一高等学校寮歌解説
遐けくも |
昭和12年第47回紀念祭寮歌
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1、 燃え熾る 我が胸は叫びと化しぬ 行くべきの處よいづこ 2、 泉あり生命の唄は しばし聞け流れの 「ものすべてあるがまゝみよ」 3、橄欖の葉蔭洩る 先人の 若き日の胸高鳴るに はや來ずや 5、爽かに流れ行け風 喜びの祭ぞ今宵 綠葉はさゆらぎ萌えて 幾數の 傳へてし焱は *「目治燈」は昭和50年寮歌集で「自治燈」に訂正。 *「靑春し我等に」は昭和50年寮歌集で「靑春も我等と」に変更。 *「傳へてし」は昭和50年寮歌集で「傳へこし」に変更。 |
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出だし音符下歌詞「はるけくも」は、1番歌詞のルビ「はろ」けくも、とは異なる。 譜に変更はない。MIDI演奏は左右全く同じ演奏である。 |
語句の説明・解釈
昭和12年の同年寮歌「新墾の」が向陵生活のみを歌った「純粋だがやや狭い視野」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)の寮歌であるのに対し、この寮歌は、2.26事件にみるように益々台頭する軍国主義や当時の頽廃的な世相といった社会情勢を鋭く認識し強い憂国の念を抱く。しかし、為すすべはなく、ただ絶叫し苦悩するしかない純真な青年の内面を吐露し、次に偽りの濁世にあって、ひとり志操堅固に真理を追求しながら、一高の伝統精神が先輩から後輩へと確実に引き継がれていくことを切に願う。秀歌ではあるが、内容が難解な箇所を含んでいたこと、メロディーが馴染めず(「新墾」と同じ作曲者服部正夫)、「新墾」と比べ、ほとんど歌われなかったのは残念という他ない。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
1番歌詞 | 厳しい現実から目をそむけ、逃避の生活を続けていると、真摯に生きていく意欲もなくなる。意志薄弱な者は、甘い誘惑に負け、快楽に溺れていった。常に火焔の中にあって一切の悪を焼きつくすという不動明王のように忿怒の心をもって、偉大なる太陽が没して暗黒の世が来たのを見ると、我が胸は張り裂けんばかりに怒りに震える。一体、この日本という国は何処へ向かおうとしているのか。 「遐けくも移ろひ行けば」 2番歌詞の「ものすべてあるがまゝにみよ」の逆の生活態度をいうと解す。「遐けくも」の「遐」は遠いの意。「移ろひ」は、人の心が他に動く。快楽に耽ったりして現実を直視しないで逃避すること。すなわち、真理追究を諦めること。 「第1句の主語が何か、明瞭でない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「生活の心も萎ぬに」 「しぬに」は「しのに」のノにあたる万葉仮名「努」などをヌとよみ誤って作られた語という。人の心が悲しみなどで、しっとり、しみじみした気分になって。ここでは、意欲がなくなって、向上心をなくしての意。 万葉266 「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに古へ思ほゆ」 「慰撫の優しきまゝを 軍国主義がますます台頭した暗い嶮しい世の中、捌け口をを求めるかのように、頽廃的な生活に溺れていった。「慰撫の優しきまゝを」は、甘い誘惑に誘われるままに。「 「第3・4句の『慰撫の優しきまゝを 「燃え熾る 「燃え熾る忿怒」は、常に火焔の中にあって、その燃え盛る炎であらゆる障害と一切の悪を焼き尽くす不動明王の忿怒の相。軍の跋扈と為すすべのない為政者に対する怒りと悲壮なる憂国の念をいう。「行くべきの處よいづこ」と純真な青年のやり場のない苦悩・挫折感を痛感する。軍靴の音が別天地向陵にも鳴り響く、物騒な世情となっていた。 昭和11年 2月26日 皇道派将校、下士官兵1400余名を率い、斎藤実内大臣・ 高橋蔵相らを殺害(2・26事件) 7月20日 防空演習のため燈下管制実施。 10月24日 近衛歩兵四連隊の小部隊、校内に進入、通過。配属将校を 通じ連隊に抗議。 11月25日 日独防共協定調印 12月31日 ワシントン海軍軍縮条約失効。 「壯大いなる日の没つ見れば 我が胸は叫びと化しぬ」 「日」は正義、眞理。前の句の「燃え熾る忿怒」(不動明王の形相)と結びつければ、宇宙の真実を仏格化した大日如来を思わせる。「壯大いなる日の没つ見れば」は、正義を象徴する太陽が落ち、闇の世界、すなわち、軍が全てを支配する軍国主義国家の到来をいう。昭和11年、2・26事件が起き、斉藤内大臣、高橋蔵相等が皇道派将校に殺害された。先には昭和7年、5.15事件で犬養首相が射殺され、同内閣は総辞職、このとき政党内閣制は終焉した。2.26事件後の昭和11年5月18日、軍部大臣現役制が復活し、宇垣内閣の流産、米内内閣瓦解に威力を発揮し、軍部支配の武器となった。「我が胸は叫びと化しぬ」は、憂国の念で胸が張り裂けんばかりに怒りに震える。不動明王であれば、大日如来(宇宙の眞理の化現)を守って、その火焔でもって焼き払い、あるいは、不動明王が右手に持つ降魔の剣でもって降伏させることができるのにという無念を秘める。明治の寮歌であれば、もっとストレートに、「劫火」や「降魔の剣」という言葉を使ったと思うが、それらの言葉さえ使えない時代となったのであろうか。 「かゞやきし日はしづみゆき 光なき夜は來りぬと」(昭和9年「綠なす」1番) 「昭和11年時代の波は駒場の上にもひしひしと押し寄せ、2.26事件、日独防共協定等々、軍国主義に連なるただならぬ雰囲気が、学問の自由、籠城主義を守る一高をも包まずにはおかなかった。すでに昭和初期、左翼系学生の跳梁に驚いた文部省・学校当局は、全力を以て左翼思想の弾圧に乗りだし、その一つの手段として、生徒に極力体育活動を勧めていたのであるが、その傾向がますます強まってきていた。」(「向陵誌」弁論部昭和11年度) 「行くべきの處よいづこ」 我々は一体、どこに向ったらいいのか。あるいは日本は一体、どこに向っているというのか。いずれともとれる。 「比較的無風状態であったとはいえ、前年度の2・26事件を駒場寮で経験し、やがて襲いかかる戦争を控えて、嵐の前の静けさというべきであった。入学した4月には退学処分の掲示が掲示板にまだ残っており、それは思想関係によるものだと後に知った、そういう時代であった。」(「向陵誌」文芸部昭和11年度) 「『遐けくも移ろひゆけば』と新古今的な高次な描写をもってし、そういう誘惑におちてゆく人達を『懦き子は漂ひ去れり』と形容しつつ、この国の百年の前途を思う英知なき軍と、為政者に対し、もえたぎる憂国の憤りを『わが胸は叫びと化しぬ、行くべきの処よいづこ』と投げつけている。悲壮であり、純真である。之は当時の青年層の最高の理智と情熱の表現であろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「本寮歌の作詞者が第一節の最初の四行で指摘しているのは、堅固な意志と自覚に欠けた人たちが、以上のような(当時の意。略)世相・風潮に流される姿であり、後半の四行は、そうした時勢に対する心からの忿怒であり叫びにほかならない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
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2番歌詞 | 一高生は、快楽の巷を離れ、真理を求めて向ヶ丘にやって来た。自由のない暗い時代となっても、向ヶ丘三年には、まだ真理を追究する伝統がある。反ファシズム運動をスイスから訴えているロマン・ロランの言葉に「ものすべてあるがまゝみよ」とあるように、ものの真実を追求する伝統が向ヶ丘にはあるのだ。一高生は、自由のない今の世に真理を追究することに疲れ切っているが、かって感激で溢れる涙を流しながら見た、偽りの世に正義を照らす太陽の光が、もう一度、天に輝くことを今でも熱望している。 「快樂の音呼べど空ろに 壹求め丘に登れば」 「丘に登れば」は、向ヶ丘に登ったのであるから。一高に入学したのであるから。 「眞理求め丘に上りて 眞理求め丘を下りぬ」(昭和9年「綠なす」5番) 「綠なす眞理欣求めつゝ」(昭和12年「新墾の」序」 「泉あり生命の唄は しばし聞け流れの辭」 「泉」は、伝統。「生命の唄は」は、真理にあこがれる歌。真理を追究する伝統。「流れの辭」は、一高の伝統の言葉。次の「ものすべてあるがまゝみよ」をいう。 「知恵と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ 彌生が岡を慕ひつゝ」(大正15年「烟争ふ」1番) 「生命の泉綠の野 露けき丘の故郷に」(大正15年生命の泉」1番) 「 「あこがれの唄胸に秘め」(昭和3年「あこがれの唄」1番) 「『ものすべてあるがまゝみよ』」 ロマン・ロランの小説「ジャン・クリストフ』から引用した言葉である。先入観・価値観を排し、あるがままの姿を直視せよ。これが ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』 「真実だ!真実だ!目を大きくひらき、すべての毛孔から生の全能なる息吹を吸いこみ、事物をあるがままに見、不幸を真っ向から見すえ、そして笑うことだ!」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「漂泊の疲れはあれど」 「漂泊の疲れ」は、真理探究の疲れ。駒場にも軍靴の音が迫り來る厳しい社会情勢の中にあって、純粋に真理を追求する若き一高生の苦悩は相当なものであったろう。 「滾り落つ涙もて見し 力ある永遠の光よ」 「見し」の「し」は、回想の助動詞「き」の連体形。見た。「力ある」は、破邪の。偽りの世に正義を照らす意。「永遠の光」は、1番歌詞の「日の没つ見れば」の日の光。不滅の眞理。再び天に輝き正義を照らすことを熱望する。 「第二節は、そういう濁世から、 「そのような(第一節)快楽主義の空白に反撥して、真実を求めて向陵(一高)に学ぶ者の心情の表白であり」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
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橄欖の葉蔭洩る |
3番歌詞 | 向ヶ丘に降りそそぐ日の光を浴びて、空高く聳える一高のシンボル・時計台を仰げば、そこには学ぶべき一高の伝統精神が溢れていて、真理の黙示を聞くことができる。この偽りの濁世のいばらを苅り取り、清い花を咲かせようと真理の種を撒いてきた。その努力の芽が一日も早く出て花咲かせて欲しいと向ヶ丘の日々を思っては胸が高鳴る。 「橄欖の葉蔭洩る陽光に 蒼穹高き時計臺仰げば 先人の理想は滿ちて 永劫の啓示囁く」 「橄欖」は、一高の文の象徴。「橄欖の葉蔭」は、向ヶ丘、駒場。「啓示」は、人間力では知り得ないようなことをさとし示すこと。 「橄欖の葉をもるゝ陽に 頰をそめつゝひたすらに 眞理の像をきざむ子の 不滅の姿こゝに見き」(昭和4年「丘邊の春に」3番) 「僞世の荊棘蔪りつゝ 聖らなる孚撒きゆけど 若き日の胸高鳴るに はや來ずや創造の黎明」 「僞世の荊棘蔪りつゝ」は、この世のいばらを刈りながら、すなわち偽り・不義を正しながら。「聖らなる孚」は、真理の種。「若き日の胸」は、向ヶ丘の日々を思っては。「創造の黎明」は、種が芽を出し花咲かせる日。真理・正義が通る新た世。 「第三節は、向陵に立ち、時計台を仰ぐと、半世紀近い伝統を鏤めた数々の先輩達の偉大な思想がみちみちしていて、それから深い啓示を引き出しうるとうたい、自分達もここに、よき思想の種子を蒔いておきたいねがう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「第三節はその(第二節の)向陵に漲りあふれている伝統的な理想主義的精神の永遠の啓示であり、絶対に虚偽を嫌い清らかな精神に生きようとする者の胸の高鳴りである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
4番歌詞 | 思い出に浸っている時はいつしか過ぎ、はや別れの時が近づいた。我々が駒場を去っても、君たち後輩がもっと頑張って、この故郷向ヶ丘の自治の礎を守って欲しい。世に出ても、向ヶ丘三年で培った力でもって濁世の偽善や不正の誘惑に打ち勝ち、誠の道を貫くことを若い君らに誓って、新しい人生の戦いに旅立とう。 「追憶の波も何時しか 忍びよる別れの曲」 「追憶の波」は、思い出に浸っている時。「忍びよる別れの曲」は、向ヶ丘を去る日が間近に迫った。 「思出は盡ず湧きくれ 逼り來ぬ別離の刻は」(昭和12年「新墾の」結) 「この聲の丘を去るとも 彌優る聲の續きて 守るなり故郷の丘」 「この聲」は、卒業生。「彌優る聲の續きて」は、後輩がさらに頑張って。「故郷の丘」は、向ヶ丘。 「いざさらば若き友等に 濁世の勝鬨誓ひ 新しき闘に進かむ」 「濁世の勝鬨誓ひ」は、濁世の偽善や不正に染まらないで、清く過ごすと誓うこと。「新しき闘」は、卒業後の人生の荒波との闘い。 「第四節は、やがて卒業期が近づき、自分達の『この声の丘を去るとも、弥優る声の続きて、守るなり故郷の丘』と、向陵の後輩達に切々たる付託を示し、向陵の未来を信じている。この三行は特に感銘的である。続いて、丘を下り、現実の世界に分け入っても、向陵での真理への追尋によって得た信念で、その世俗の闘いにもうち勝とうと、自他を励ましている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「第四節では、卒業間近な自分たちはこの丘を去った後も、いや優る高邁な精神によってこの丘の伝統を守ってくれるであろう後輩たちに応えて、無自覚で軽佻浮薄な俗世間(=『濁世』)に対する戦いに進んで立ち向かうであろうことを誓っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
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爽かに流れ行け風 喜びの祭ぞ今宵 綠葉はさゆらぎ萌えて 幾數の |
5番歌詞 | 向ヶ丘に吹く風よ、さわやかに流れ行け。今宵は、喜びの紀念祭の日である。橄欖の葉は、芽吹いて揺れ、たくさんの祭りの灯が揺れている。紀念祭の今宵は、楽しかった昔にかえって、ともに、いつか自由の日が再び来ることを願って舞おう。燃え上る篝火を囲んで、自治を讃えて、みんなで高誦して寮歌を丘に響き渡らせよ。 「爽かに流れ行け風 喜びの祭ぞ今宵」 「風」は、自由を弾圧する権力を暗喩する。「喜びの祭」は、紀念祭。紀念祭の日ぐらいは、さわやかに心して吹いてくれの意。 後鳥羽院 「われこそは新島守よ 隠岐の海のあらき波かぜ心してふけ」 「白き風丘の上に荒る 消たんとてかゞりのあかり」(昭和4年「彼は誰れの」2番) 「白き風 地を掠め荒れ」(昭和13年「雪鎖す」1番) 「綠葉はさゆらぎ萌えて」 「綠葉」は、橄欖の常緑の葉か。柏葉は常緑ではない。「萌えて」は、芽吹いて。 「幾數の目治燈ゆららぐ」 「目治燈」は、自治燈の誤植か。昭和50年寮歌集で「自治燈」に訂正された。紀念祭の祭りの灯。 「過り行く青春し我等に あひともに希望に舞ひて」 「 「傳へてし焱は星空に 讃歌丘にあふれよ」 「傳へてし」は、昭和50年寮歌集で「傳へこし」に変更された。「傳へて(こ)し炎」は、自治燈の火。ここでは篝火。自治の教え。「讃歌」は、自治を讃える歌、寮歌。 「第五節は、さすがに紀念祭の宵らしく、すぎ去り行く青春を共にうたい、『伝えまし(そのまま)焱は星夜に、讃歌丘にあふれよ』と、詩情ふかく結んでいる。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 全篇詩作品としても秀れたもので、むずかしい語彙を適切につかいこなす力量は、大正前期に劣らない。思想のふかさに於て、「新墾」に充分拮抗するとこの寮歌が、前者ほどひろくうたわれなかったのは、作曲者が共通の服部氏で、同氏の力が、前者に傾注されたせいではないかと思う。それ故に、寮歌の普及の機縁は、全く作曲に80%依存するという森山庸躬氏の(「向陵」100年号。P.140)の一証左であろう。 | 「一高寮歌私観」から |