『即身仏・ミイラとは?』
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ミイラについては世界的にも有名なエジプトの
ミイラを始めとして世界各地に現存しており、
その存在も広く知られています。
しかしながら、我が国に十数体現存している
即身仏については、その存在はおろか、即身仏
という言葉すらほとんど知られていません。
では、そもそも即身仏とは何なのか?
即身仏とミイラは一体何が違うのか?
ここではそうした疑問点を考察し、
併せてこのサイトにおける即身仏・ミイラの
定義についても定めています。

佐竹

ちゃ

「即身仏って何?」と聞かれると、根がいい加減な私は


「簡単にいえばミイラのことだよ」 と答えることが多いのですが、


本質的には「即身仏もミイラも元は生きていた人間だった」


というその一点を除けば、実はまったく別なものであると


いえます。もう少し詳しく説明をすると自力でその姿に


なったものが即身仏であり、その反対に他力(人工的)または


偶然(自然)にその姿になったものがミイラであると分類


することができます。つまり厳しい修行の末に悟りを開き、


衆生救済のために即身成仏して今の姿になったものが


即身仏であり、他力(人工的)あるいは偶然(自然)に今の姿に


なったミイラと即身仏を同列にして取り扱ったり、即身仏を


ミイラと呼ぶ行為は即身仏に対して大変失礼なことであると


いうわけである。実際に即身仏が祀られているお寺では、


ミイラといった言葉やミイラを見にきたなどとオカルト的な


怖いものみたさや、好奇心で見にきたなどといってしまうと


気分を害され、門前払いをされることもあるという。つまり


即身仏はそれだけ特別な存在であるということだ。


しかし、実際にはいくら本人が即身仏になることを志願


したとしても信者や弟子達が即身仏として祀って


くれなければ、即身仏になることができないわけであり、


それには人手も金も掛かる。また遺体の腐敗防止作業を


したことが伝承されているケースも多い。そういう


意味では他人の力を借りずに即身仏になるということは


本来あり得ない。しかしながら、このサイトではあまり難しく


考えず、厳しい修行の末に今の姿になったものを即身仏、


それ以外のケースをミイラと呼ぶこととします。