2.「競技かるた」とは何か

競技かるたのルール

 「競技かるた」は、藤原定家(1162〜1241)によって選出された「小倉百人一首
の「歌かるた」札を使用して行なわれる競技である。現在競技かるたを行う団体としては社団法人「全日本かるた協会」があり、その傘下に全国約100の競技団体がある。競技人口は約10万人とも言われている。現行の競技規則である「競技規定」並びに「競技会規定」により、競技かるたとはどのようなものであるのかを、簡単に述べてみたい。
 かるたと聞くと、大勢で札を囲んで、読み手が読んだ和歌の下の句の書かれた取り札を探す場面を想像されるかもしれない。これはいわゆる「お座敷かるた」あるいは「散らし取り」と呼ばれるゲームである。競技かるたは、大まかなルールはお座敷かるたと同じであるが、それを1対1で行ない、取った枚数で勝敗を争うのではなく、先に手元の札を無くした者が勝ちとなる点で異なっている。また、競技かるたの試合において使用されるのは、小倉百人一首の札100枚のうち50枚のみで、残りの札50枚は読み手によって読まれるものの、その場には存在せず、取られることのない「空札(からふだ)」となる。この空札があるために、その場に無い札を触る 「お手つき」が発生し、競技の面白さが増すのである。

 実際の競技の進め方であるが、1対1の競技であるため、対戦者2人の他に、札の読み手(読手)が必要となってくる。名人戦等のタイトル戦であればこの他に審判・立会い・記録などが就くこともある。また、練習であれば、人数が足りない場合にテープ・CDを用いる場合もある。近年ではCD−ROMのソフトも販売されている。
 対戦相手が決まると、適当な間隔を取って向かいあって座る。箱から取り札100枚を出し裏返しにして混ぜ、各自がそれぞれ25枚ずつを手元に取り、残りの札を箱に戻す。次に各自が25枚の札を横87センチ以内に3段に並べる。その際自分が並べた札のある陣を「自陣」、相手の陣を「敵陣」と呼ぶ。「自陣」と「敵陣」を囲んだ部分を「競技線」と呼んでいる。自陣に関しては各自が自由に並べることが許されているが、たいていの選手はどの札をどこに置くかを予め決めた「定位置」を持っている。自陣の競技線内であればどこに札を置いても構わないため、札を払いやすいように左右の端に札を分けて置くのが一般的である。
 選手が25枚の札を並べ終わると、続いて15分間の暗記時間が与えられる。この間に選手は場にある50枚の札の位置を暗記する。暗記開始後13分(試合開始2分前)たつと、素振りをすることが認められている。
 試合開始に先立って百人一首には無い和歌が「序歌」として読まれ、序歌の下の句が2回繰り返して読まれる。2度目の下の句の後、間合いを1秒空けて、1枚目の札の上の句だけが読まれる。選手は、読まれた札(出札)に直接触るか、他の札を用いてその札を競技線の外に出すかによって、札を取ることができる。実際の競技では、たいていの選手は札を1枚だけではなく、複数枚払い飛ばしているが、それは今述べたように、「札押し」が認められているからなのである。こうして、札が取られると、その札の下の句が読まれ、再び1秒空けて、次の札の上の句が読まれる。このようにして試合は進行していく。自陣にある札を取った場合、当然持ち札が減ることになる。また、敵陣の札を取った場合は、自陣より好きな札を一枚敵陣に送ることができ、同様に自陣の札が減ることになる。もし相手が、読まれた札の無い陣に触れた場合は、「お手つき」と言い、やはり札を一枚敵陣に送ることが可能である。このようにして、先に持ち札を無くした者が勝ちとなる。
 

「決まり字」の変化

 かるた競技において札を早く取るためには、上の句の何文字目までを聞けばその札が取れるかを覚えること必要がある。これを「決まり字」という。例えば、最初の1文字が読まれただけで取る事ができる札は「一字決まり」と言い、「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」の7種類ある。以下「二字決まり」「三字決まり」と数えていって最も長いものは「六字決まり」札である。こうした「決まり字」は試合中常に一定と言うわけではない。札が読まれるに従って変化していく。例えば「い」で始まる札は、「いまはただ…」「いまこむと…」「いにしへの…」の3枚あるが、それぞれの決まり字は、「いまは」「いまこ」「いに」である。もし最初に「いまは」の札が読まれたとすると、「い」で始まる札は残り2枚になるわけであるから、「いまこ」の札は「いま」まで読まれれば取れるようになる。同様に「いに」が読まれると、「い」で始まる札は1枚だけとなるから、「いまは」は「い」まで読まれると取れるように変化する。この決まり字の変化に気をつけていなければ、札を早く取ることはできない。また、何が読まれたかを正確に記憶しておかなければ、思わぬお手つきをする恐れがある。
 

序歌について

 次に百人一首にない「序歌」について簡単に述べておきたい。現在全日本かるた協会では、序歌を、

 難波津に咲くやこの花冬籠り今を春辺と咲くやこの花

と定めている。これは「古今和歌集」の「仮名序」に王仁(生没年不明)の作として挙げられている古歌である。昭和29(1954)年頃、文学博士・佐佐木信綱 (1872〜1963)が当時の日本かるた協会の依頼によって選択したものである。佐佐木はこの和歌を序歌に選んだ理由として、小倉百人一首の第1首目の天智天皇以前の歌であるという時代的バランス、古代より和歌の手本となっていること、「我が敷島(日本)は咲く花の匂うが如く盛んな文化国家とならねばならぬ」と歌意が当時の日本の現状を示唆している点を挙げている
(*1)。この歌は「古今和歌集」の写本によっては下の句が「今は春辺…」となっているものと「今を春辺…」となっているものがある。現在、全日本かるた協会の詠みでは「今を春辺…」が採用されているが、その理由の一つには、序歌の下の句の繰り返しと、百人一首中の「今はただ…」の歌とを区別させるためであったからと考えられる。
 古くは、序歌は必ずしも一定ではなく、百人一首の中の一首を詠み人の名前から読み出したり、あるいは他の和歌を用いたりしている。明治37(1904)年の東京かるた会創立以来の名読手として知られる山田均は、国歌「君が代」を好んで用いていた
(*2)

 君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで

また、

 年をへて花の鏡となる水はちりかかるをや曇るといふらん
 みよしのの山の白雪積もるらじふる里寒くなりまさるなり
 先づ始め空一つよむ注意せよ人に取られず鮮やかに取れ

などの和歌も用いられていた
(*3)。現在でも、九州の太宰府天満宮で開催される大会においては、菅原道真にちなんだ

 東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

の歌が用いられている。

また、全日本かるた協会とは競技方法等において距離を置く日本かるた院(第4章参照)は序歌に藤原定家の「拾遺愚草」所収の、

 しのばれん物ともなしにをぐら山軒ばの松ぞなれて久しき

を用いる。毎年1月3日に京都の八坂神社で行なわれる「かるた始め」に際して詠まれるのは、神社に祀られた須佐之男命にちなみ、「古事記」によれば和歌の元祖である、

 八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を

である。
 



八坂神社のかるた始め
 


*1 佐々木信綱「序歌の選定について」(「かるた道 第1号」昭和29年6月)
    「かるた展望 第1号」昭和40年12月に再録されている。
    また、栗栖良紀「序歌『難波津に…』考」(「かるた展望 第30号」平成11年2月)も参照した。
*2 笹原史歌「標準かるた必勝法」大正8年11月東京京橋堂
*3 横井春野「百人一首の研究」大正元年10月寶永館書店
    石井茂二「小倉百人一首かるたの研究」大正6年8月富田文陽堂

競技かるたの読み方

 競技かるたの読唱は「文法を重視しながらも、競技者の取りやすいタイミングをはかるため、独特の読み方をする」
(*1)と定められている。読唱の基本パターンは昭和59(1984)年に定められた「4−3−1−5方式」である。つまり、前の歌の下の句を4秒台で読み、余韻を3秒、間合い1秒、次の歌の上の句を5秒台で読むと言うものである。下の句の終りは、選手のタイミングを合わすために、3秒間延ばすが、これを「余韻」と言う。決まり字までは、節をつけず、長短無く、同一の音程と間隔で読む必要がある。良い読手であるためには、これらの余韻、間合い、決まり字までの速度が一定であり、なおかつ発音が明確であることが必要とされる。
 現在、全日本かるた協会には次の読手が定められている。三大大会(「タイトル戦と団体戦」参照)で読手を努めることのできる専任読手。公認大会のうちA級選手の試合で読手を努めることのできるA級公認読手。B級以下の大会で読手を努めることのできるB級公認読手である。
 

*1 全日本かるた協会競技かるた部編「小倉百人一首 競技かるたの読み方」平成14年3月全日本かるた協会
   以下、この項は同書を参照とする

段位制度

 競技かるたには段位が制定されている。最初に段位が制定されたのは昭和9(1934)年のことであった。現在では、初段から10段までが定められ、有段者の数は約7000人である。また、北は岩手県から南は鹿児島県まで全国で年間約50開催されている競技大会は、通常A級からE級までの各階級別に分かれて行なわれる。階級と段位の関係は、4段以上がA級、2・3段がB級、初段がC級であり、その他に無段者の部であるD級と、初心者の部であるE級がある。競技を始めた選手は、通常大会のE級から出場することになるが、練習状況や実力によってはいきなりD級から出場する場合もある。大会は通常トーナメント形式で、4位(ベスト8)以上を入賞とする。D級で3位(ベスト4)以上となった場合は、初段の資格を得てC級に昇級することができる。同様にC級3位以上で2段の資格を得てB級に昇級できる。B級の場合は他の級と異なり、3位以上で3段の資格を得ることができるものの、4段を得てA級に昇級するためには優勝するか、準優勝を2回しなくてはならない。4段以上の選手はすべてA級で大会に出場することになる。A級選手は、各タイトル戦への出場の権利が与えられている。また、各大会のA級で入賞した選手にはポイント(優勝8点、準優勝4点、3位2点、4位1点)が与えられ、選抜大会、会対抗団体戦の参考となっている。



名人戦の開催される近江神宮
 


タイトル戦と団体戦

 現在競技かるたの大会は年間約50開催されている。そのうちタイトル戦は、名人位・クイーン位、選手権大会、選抜大会(以上三大大会)、女流選手権の4つである。
 中でも、かるた競技最大のタイトル戦とされるのが、名人位・クイーン位の争奪戦で、前年度の名人・クイーンに、その年の予選を勝ち抜いた挑戦者が対戦する。毎年1月の第2土曜日に滋賀県の近江神宮において開催されている。近江神宮には百人一首の第1首目、

 秋の田の刈り穂の庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつ

の作者である天智天皇が祀られている。名人位・クイーン位の詳細については後述したい。
 選手権大会は、昭和37(1962)年に熱田神宮で始められた。4段以上のA級選手がトーナメント形式でタイトルを競う。現在では毎年4月に愛知県豊田市において開催されている。
 選抜大会は、A級選手のうち、ポイントを持っている選手のみが出場できるという点で特色がある。昭和61(1986)年以降明治神宮において開催されている。
 女流選手のみが参加できる女流選手権は、昭和33(1958)年に始まった。当初は近江神宮で、その後は東京で開催されていたが、現在は年毎に異なった会場で開催されている。例えば、平成11(1999)年は福井、翌12(2000)年は丹波、13(2001)年は門司といった具合である。
 また、昭和46(1971)年には、新たなタイトル戦として第1回王位戦・女王位戦が開催され、山下義(大阪暁会)と岩間芳子(東会)がそれぞれ初代の王位と女王位に選出された。だが、名人位・クイーン位とどちらを第一の権威とするのか、開催時期等の問題によって第2回が開催されることはなかった。

 通常の大会は選手が個人で参加する個人戦形式の大会であるが、中にはチームとして参加する団体戦というものがある。団体戦とは、3組ないし5組の個人戦を同時に行い、チームとしての勝ち負けを競うものである。現在団体戦の大会としては学校単位で参加する5人制の高校選手権、3人制の大学選手権。職域および学校単位で参加する5人制の職域・学生大会。競技団体ごとに参加する3人制の会対抗などがある。
 


 本章は主に次の資料を参照した。

「競技かるた入門」平成7年東京都高等学校連盟
全日本かるた協会ホームページ (http://www.karuta.or.jp/


目次に戻る

「1.競技かるた前史」に戻る
「3.競技かるたの夜明け」に進む