1.競技かるた前史
    
「カルタ」の伝来

 そもそも「かるた」とはいつ頃日本で生まれたのであろうか。優雅な遊びのイメージから、日本古来のものであると考えられがちであるが、16世紀半ば頃にポルトガル人によって日本にもたらされたと考えられている。 それは現在のトランプに近いものであったと考えられるが、ポルトガル語でカードを意味する「CARTA」がそのまま日本語に充てられた。今日でも時折「歌留多」という表記が用いられているが、古くは「嘉留太」あるいは「骨牌」とも記述された。すぐに日本語として定着してしまったため、外来語であると気づかれないことも多く、土肥経平は安永4(1775)年の『春湊浪話』の中で「かるたとは軽板といふ言葉の略なるにや」と書いている
(*1)。それ以外にも賽賭博の一種である「樗蒲(かりうち)」から出た言葉であるという説も見られる(*2)。 
 慶長2(1597)年に土佐の長曽我部元親によって出された掟書には「博奕カルタ諸勝負令停止」とあるが、この時点で禁止令が出されるまでに武士の間で流行していたことから考えるに、おそらく鉄砲伝来と時をほぼ同じくして日本に入って来たのであろう。

 ポルトガルより伝来したカルタは、現在のトランプとは少々異なり、ハウ(棍棒)、イス(刀剣)、オウル(貨幣)、コップ(聖杯)の4種類の図柄の紋標に、1〜12までの数字が振られた計48枚から成っていた。やがて、天正年間(1572〜1592)には九州の三池において国産品が作られるようになり、それらは「天正かるた」と呼ばれるようになる。最初は貴族および武士の間で流行していたが、江戸時代に入ってからは次第に庶民の間に広まっていった。
 その後「天正かるた」を改良し、新たにクル(巴紋)という紋標を加えた「うんすんかるた」が生まれた。
UNは1、SUMは最高という意味を示すポルトガル語であるが、1〜9までの数字および、ロハイ(竜)、ソータ(女従者)、ウマ(騎士)、コシもしくはキリ(王)、ウン(福の神や達磨)、スン(唐人の絵の各15種類計75枚の札からなる。現在熊本県人吉市の無形文化財に指定され、遊び方が継承されている。
 また、うんすんかるたをモデルに、現在の花札に良く似た「めくり札」という遊び方が生まれている。これは札を積んでおいて、一枚ずつめくり、役点の高い方が勝ちとする遊びであるが、次第に賭博性を強めていった。江戸幕府は度々禁止令を出すが、効き目は無かったようである。
 



「うんすんかるた」
 


*1 村井省三「日本のかるたの歴史」(「歌留多」昭和59年11月平凡社)
*2 石井茂二「小倉百人一首かるたの研究」大正6年8月富田文陽堂

「貝覆い」と歌かるた

 さて、日本には平安時代から「貝覆い」という遊びがあった。一対のハマグリの貝殻は、その一対のみがぴったりとはまるという性質を利用した遊びで、貝殻の上下を分け、対になる貝殻を探して集めていくという遊びである。後にはその貝殻の内側に一対で完成する絵を書いた物が装飾品として現れた。一般的には「貝合せ」の名で知られているが、「貝合せ」とは本来、様々な貝に和歌を添えて優劣を競い合うと別の遊びである。この「貝合せ」の様子は、「堤中納言物語」の中の「貝あはせ」に描かれている。
 やがて貝殻の上下に和歌の上の句と下の句とを書き、貝覆いの要領で合わせていく遊びが生まれ、その後天正かるたの流行と共に、カード形式を取り入れて、「歌かるた」が生まれたと考えられている。それらは最初「天正かるた」と区別するために「続松(ついまつ)」もしくは「歌貝」とも呼ばれたようであるが、やがて「歌かるた」の名で広まっていく。また、その遊び方も初めは「貝覆い」と同様に、上の句の書かれた札を取り出し、場に並べてある下の句の書かれた札と合わせて一首を作って取る遊びであった。今日のかるたと同様の遊び方をするようになったのは、元禄(1688〜1704)頃からである。現在のように上の句を読んで下の句の書かれた札を取るという遊び方が当時から盛んに行なわれたが、一部では下の句を読んで下の句の札を取るという遊び方も行なわれていたようである。下の句を読むかるたは現在北海道で行なわれているが、板の上に描かれた札を用いるのが特徴である。明治初期に北海道開拓に派遣された屯田兵によって広められた
(*1)
 歌かるたは和歌を覚えるための教育的な遊びとして流行し、そこに用いられる題材も、「古今和歌集」や「伊勢物語」「源氏物語」等の様々な歌集や物語から採られたが、中でも最も普及したものが「小倉百人一首」を用いたかるたであった。江戸時代中期以降はお正月の遊びとして定着していった。
*1 「OLD JAPAN/板かるた―北海道函館市」(「週刊新潮」昭和58年1月)

 本章は次の資料を参照した。

石井茂二「小倉百人一首かるたの研究」大正6年8月富田文陽堂
横井春野「百人一首の研究」大正10年寶永館書店
村井省三「日本のかるたの歴史」(「歌留多」昭和59年11月平凡社)
澤井敏郎「遊びの文化と百人一首」(糸井通浩編「小倉百人一首を 学ぶ人のために」平成10年10月世界思想社所収)
吉海直人「百人一首への招待」平成10年12月ちくま新書

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