北山 |
等持院 |
所在地:京都市北区等持院北町63(京福北野線
等持院駅徒歩10分) |
入場料:大人500円
小・中学生300円 |
開館:8:00〜17:00 |
等持院
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金閣寺から西にしばらく歩くと、立命館大学のキャンパスに出る。そこを突っ切って、南に出ると等持院
がある。室町幕府(1338〜1573)を開いた足利尊氏(1305〜58)の菩提寺である。「映画史探訪」の「京都旅情」にも書いた通り、2006年1月に僕はこの等持院を訪ねている。それは、日本映画の父・牧野省三(1878〜1929)の銅像を見るためであり、墓地に日本映画最初のスーパースター尾上松之助(1875〜1926)の墓を訪ねるためであった。しかし、等持院の中を見学するのは今回が初めてになる。
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マキノ省三先生像
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ここは足利氏ゆかりの物がいろいろあり、見ごたえがある。尾上松之助の墓所は等持院の旧墓地だが、これは立命館大学の中にある。キャンパスはちょうど等持院の裏側に位置している。等持院の正面入口に回ると、そこには牧野省三の銅像が待ち受けている。日本映画最初の映画監督であり、映画史上に様々な功績を残したこの人物については、「映画史探訪」の「大君降臨」を見てもらいたい。彼がこの地に「牧野教育映画製作所」の撮影所を建設したのは1921(大正10)年のこと。以来、撮影所は名前を変えながらも1933(昭和8)年までこの地にあった。1957(昭和32)年に牧野の功績を祝して太秦に牧野省三像が建立され、1970(昭和45)年にこの地に移された。
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等持院方丈
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さて、等持院中にもいろいろ見るべきものがある。入り口で料金を払って中に入るとテープが案内してくれるから、それに従って歩いて行こう。まず、福島正則(1561〜1624)によって1616(元和2)年に建立された方丈に出る。そもそもは、妙心寺搭頭海福院の方丈として建立されたのだが、1818(文政元)年に等持院に移築された。建立当初の狩野典以の襖絵がそのまま残っている。
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等持院霊光殿
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次いで、霊光殿へ。尊氏が日頃信仰した弘法大師(空海/774〜835)作と伝えられる地蔵尊を本尊としているが。見所は歴代の足利将軍の木像群。足利将軍は初代尊氏から、最後の義昭(1537〜97)まで、16代。義稙(1466〜1523)が10代と12代重任なので、全員で15人いるはずである。ところが木像は13体しか無い。説明書きによると、5代と11代が欠けていることなのだが、丹念に見ていくと、実際にいないのは5代義量(1407〜25)と15代義栄(1538〜68)である。なにか理由があるのかとも思ったが、応仁の乱を始め、等持院は度々災害に見舞われているから、おそらくそれが原因なのだろう。現存する木像の大半も江戸時代の作だという。
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歴代足利将軍木像
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徳川家康木像
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また、足利将軍以外にも、禅宗の祖師達磨大師(?〜532)と、等持院の開山夢窓国師(夢窓疎石/1275〜1351)の像。さらには石清水八幡宮豊蔵坊から遷した徳川家康(1543〜1616)の42歳当時の木像が安置されている。16体もの木像が並んでいる様子は圧巻である。
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等持院庭園
正面奥が清漣亭
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庭に出てみる。この庭園は夢窓国師の作と伝えられる三大名園の一つというだけあって眺めはすばらしい。心字池を中心に、方丈の西側には茶室・清漣亭がある。この清漣亭は8代将軍足利義政(1436〜90)が、1457(長禄元)年の尊氏公百年忌の際に建設し、村田珠光(1423〜1502)や相阿弥らと茶会を催したもので、「義政好み」と言われている。
そして、庭園の一隅には、石塔が建っている。これは「宝筐印塔」と呼ばれており、尊氏公の墓と伝えられている。
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足利尊氏墓所
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この日は日曜日で、すぐ近くの金閣寺は観光客や修学旅行の生徒たちで相当混雑していた。だから、ここもきっと同じであろうと覚悟して行ったのだが、意外にも客はまばらで拍子抜けしてしまった。意外と人に知られていない、穴場スポットなかもしれない。しかし、これまで述べてきたように、いろいろと見所満載の寺であるので、ぜひとも多くの人に足を運んでもらいたいものである。
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(2006年5月21日) |