北山
鹿苑寺(金閣寺)
所在地:北区金閣寺町1(京都市バス101/205系統 金閣寺前停留所すぐ)
HP:http://www.shokoku-ji.or.jp/kinkakuji/
入場料:一般800円  65歳以上・中高生700円 小学生400円
開館:9:00〜:17:00 



鹿苑寺金閣
 


 今出川通りからバスに乗って、北山へ。
 目的地は世界遺産の金閣寺。もちろん、ここも修学旅行で一度来ているのだが、改めて行くことにした。

 金閣寺…正しくは「鹿苑寺(ろくおんじ)」である。臨済宗相国寺派の禅寺で、舎利殿「金閣」がとりわけ有名であるため、「金閣寺」という通称で通っている。金閣はその名の通り、金色に彩られている。

 この地にはもともと1224(元仁元)年に建立された藤原公経(西園寺公経/11721244)の山荘があった。室町幕府の3代将軍足利義満(13481408)は1397(応永4)年、それを「北山殿」として再建した。義満の死後、夢窓国師が開山となり、 義満の法号鹿苑院殿より名前を取り「鹿苑寺」と名づけられた。
 
   

 

金閣(裏側より)
  


 金閣は舎利殿。つまり仏舎利(お釈迦様の遺骨)が収められている。2層と3層は純金の箔が張ってあり、目が痛くなるほど眩しい。まさしく、この世の極楽浄土を思わせる光景である。日明貿易で栄えた義光の時代―北山文化を代表する建築である。義光と仲が険悪であった、息子の4代将軍・義持(1386〜1428)が、北山殿を取り壊した際も、金閣だけは残された。応仁の乱(1467〜1477)の戦火からも奇跡的に難を逃れ、国宝にも指定されていたが、1950(昭和25)年、学僧・林承賢(1929〜56)の放火によって焼失。三島由紀夫(1925〜70)の小説「金閣寺」のモデルとなったことで著名である。
 現在の金閣は1955(昭和30)年に再建。1994年には「古都京都の文化財」として世界文化に登録された。
 


銀河泉
 


龍門の滝
 

 
境内には、鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式庭園が広がっている。ここは国の特別史跡及び特別名勝にも指定されている。
 金閣の北側には「龍門滝」があり、その真ん中に「鯉魚石」がある。鯉が滝を登ると龍に言われる中国の故事「登竜門」にちなんだもの。そのすぐ左隣にあるのが「銀河泉」。義満が茶の湯の際にここの水を使ったと言われている。
  
 



夕佳亭
  

 
 金閣寺には、「夕佳亭(せっかてい)」という茶席があるが、これは義満が使ったものではなく、時代はうんと後、江戸時代になってからのものである。金森宗和(金森重近/15841656)による設計とのことで、三畳敷の母屋に二畳敷の「鳳棲楼」が連なっている。「夕佳亭」の名の由来は、「夕日に映える金閣寺が殊に佳い」ということからであるそうだ。建築時のものは1868(明治元)年に焼失。1874(明治7)年に再建された。
 



夕佳亭の南天床柱
 


 なお、母屋の床柱(とこばしら)は有名な「南天の床柱」。南天の木の自然な形を利用した趣のある柱だが、南天の木を茶室に用いることは珍しいとのことである。
  



不動堂
  

 
 夕佳亭から下って出口のすぐ手前に「不動堂」がある。弘法大師(空海/774835)の作と伝えられる石不動明王が岩窟の中に祀られているそうである。毎年節分と8月16日に開扉法要が営まれている。

 高校の修学旅行で京都を訪れた際、最も印象に残ったのがここ金閣寺であった。確かに京都を、いや日本を代表する寺院の一つであること紛れもない事実である。この日も数多くの観光客でごった返していた。しかしながら、見学していて僕はどことなく違和感のようなものを感じていた。果たして、金閣寺は寺院なのだろうか。あまりに荘厳すぎて、前日に銀閣寺を訪れたときに感じた趣を、ここではほとんど感じることができなかった からである。寺院というよりも観光スポットという感じがする。
 まるで、ネオンを見ているかの印象すらあった…。
   

(2006年5月21日)

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