第2章−サイレント黄金時代(17) | ||||
恐るべき詩人 〜ジャン・コクトー「詩人の血」〜 |
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*1 ジャン・コクトー/堀口大學訳「コクトー詩集」169ページ
お次はフランスの詩人ジャン・コクトー(1889〜1963)の映画である。ところが、この章の題名は「サイレント黄金時代(1913〜1927)」。コクトーが最初の映画「詩人の血」を製作した1930年、時代はすでにトーキー(発声映画)となっていた。当然「詩人の血」も、トーキーとして製作されている。コクトーはその後も1本もサイレント映画を撮ってはいない。にも関わらず、なぜここでコクトーを取り上げるのか。それは、彼が1920年代にフランスで数多く製作されたアヴァン=ギャルド映画の系譜を受け継いでいるからに他ならない。「???」「超現実世界への招待」と併せることで、1930年までのアヴァン=ギャルド映画の歴史を通観することが出来るはずである。 1920年代に前衛映画の傑作を発表していたレジェやデュシャン、マン・レイといった芸術家たちは、トーキーの訪れとともに映画製作を止めてしまう。だが、彼らより少し遅れて映画デビューしたコクトーは、その後も映画を積極的に発表していった。 コクトーは1930年の「詩人の血」で映画人としてのキャリアをスタートさせている。その後「美女と野獣」(1946年)、「双頭の鷲」(1947年)、「恐るべき親たち」(1948年)、「オルフェ」(1950年)を発表。1960年の「オルフェの遺言」が遺作となった。彼は30年の間にわずか6本の映画しか製作していない(*2)。もちろん、それ以外にも原作や脚本、出演といった形で多くの映画に関わっているのだが、それにしても少ない。特にデビュー作「詩人の血」から第2作目の「美女と野獣」(1946年)の間には実に16年もの歳月が隔たっている。 コクトーは、実に多才な芸術家である。詩や映画に留まらず、小説や演劇、舞踏、評論、デッサンと、多岐に渡って活躍を続けた。だが、彼にとってそれらの活動の根底にはすべて“詩”があった。映画もまた、彼にとっては「映画による詩」にすぎない。コクトー自身も「映画(シネマトグラフ)は、僕にとっては他の分野と同様に表現の一手段に他ならない」(*3)と語っているように、映画だけが必ずしも重視されるものではないのだ。 *2 この他に「サント・ソスピール山荘」(1952年)という中編ドキュメンタリーを発表。また、自主制作映画として「ジャン・コクトーが映画を作る」(1925年)、「コリオラン」(1950年)を製作しているが未発表に終わっている。 *3 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 8ページ |
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面白いことにコクトーは、映画に対して通常用いられる「シネマ(Cinema)」という語を否定している。一貫して「シネマトグラフ(Cinematograph)」と称するのである。言うまでもなく「シネマトグラフ」とは、リュミエール兄弟によって1895年に初公開された映画の元祖のこと(第1章(1)「二人の映画の父」参照)。その理由としてコクトー自身は次のように述べている。 |
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僕が殊更にシネマトグラフなる用語を使うのも、かなり疑わしい類の美の女神(ミューズ)で、慣用的にシネマと呼ばれているもので代表される媒介物と混同しないためです。(略)一般にシネマと名付けられているものは、今日に至るまで、それについて熟考するという口実の形式をとっては出現しなかった。人々はシネマを観て(ほとんど観ない)、耳傾け(ほとんど聴かない)、去って、忘れてしまったのだ。けれど、僕の考えでは、シネマトグラフは、それを拒絶する大衆にさえも思想を投影させるほどの力を持っている武器なのです。(*4) |
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*4 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 8〜10ページ 少々分かりにくいが、要するに彼が作るものは大衆娯楽としての「映画」ではない。あくまで思想の伝達手段であると言うことなのだ。コクトーはそれまで用いてきた紙 と鉛筆をカメラとフィルムに持ち替えた。そして、映画という媒体を用いて“詩”を描いたのである。 ところで、「詩」という言葉を英訳すると、「Poem」と「Poetry」という二つの言葉が出てくる。我々が通常「詩」というのは、前者「Poem」のことで、文学としての「詩作品」のことである。後者の「Poetry」は通常「詩趣」とか「詩情」と訳され、要するに詩的要素のこと。つまり、「Poem」とは、「Poetry」を持った文学であると言い換えることもできる。コクトーの「映画による詩」というのは、映画である以上「Poem」ではあり得ず、「『Poetry』を持った映画」であるということになる。 さらに「Poem」というのも、内容や形式によっていくつかの種類に分類することができる。個人を主体に感情を詠んだ「抒情詩」と、事件を述べることに主眼を置いた「叙事詩」である(*5)。我々が通常イメージする詩は当然前者のことである。後者の作品として著名なものにホメロス(生没年不詳)の「イリアス」「オデュッセイア」、ダンテ(1265〜1321)の「神曲」(1307〜21年)などがある。もちろん、この両者は必ずしも完全に対立するカテゴリーというわけではなく、例えば土井晩翠(1871〜1952)の作品のように叙事的な抒情詩というものも存在する。コクトーの詩には感情を重視した、極めて抒情的な作品が多い。 こうした抒情詩人のコクトーが映画を撮る場合、どうしても詩情を重視しがちになる。彼の映画では時に叙事よりも抒情に重きを置くあまり、ストーリー展開や話の辻褄が無視されがちである。ここで思い出すのが、マン・レイ(1890〜1976)の映画(「???」参照)。「エマク・バキア」(1927年)の冒頭には「映画による詩」という字幕が掲げられている。この作品、終始イメージの羅列で、ストーリーはまったくと言っていいほど無い。同じくレイの「ひとで」(1928年)はシュルレアリスムの詩人ロバート・デスノス(1900〜45)の詩を映像化したもので、一応ストーリー仕立てにはなっているものの、通常の劇映画に比べた場合やはり難解だと言える。 コクトーのデビュー作「詩人の血」(*6)は、彼が唯一製作した純然たるアヴァン=ギャルド映画である。彼自身はこの映画で試みたことは「詩を検討すること」(*7)と述べているが、ストーリーの整合性を度外視しているからこそ、抒情詩人としての彼の特色が最も強く出た映画と言えるのではないだろうか。 *5 この他に詩の形式で書かれた戯曲、「劇詩」というものがある。ゲーテの「ファウスト」、シェークスピアの「ハムレット」などがそう。 *6 それ以前にも、コクトーは16ミリで「ジャン・コクトーが映画を作る」(1925年)を自主製作している。だが、これは未公開に終わり、フィルム自体も現存していない。 *7 ジャン・コクトー/岩崎力訳「詩人の血」(「ジャン・コクトー全集[」所収)あとがき 51ページ |
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「詩人の血」はアヴァン=ギャルド芸術の保護者であったシャルル・ド・ノアイユ子爵(1891〜1981)から提供を受けた100万フランを資本に製作された。この時、ノアイユ子爵はブニュエルとダリにも同じく100万フランを提供し、そうして出来上がった作品が「黄金時代」(1930年)であった(「超現実世界への招待」参照)。だが、「黄金時代」が大きなスキャンダルを巻き起こしたため、すでに完成していた「詩人の血」の公開は1931年まで先送りにされてしまう。 サルバドール・ダリの伝記映画「ダリ天才日記」(1990年西/伊)には、パーティでコクトーに会ったダリが、「私の映画(「アンダルシアの犬」)を真似したな」と詰め寄るシーンがあった。そうした事件が実際にあったかどうかはともかくとして、コクトー自身は後になって「アンダルシアの犬」から影響を受けたということを「馬鹿げたことだ」と否定している(*8)。ところが、コクトーが阿片の解毒治療のために入院していた際に書いた日記「阿片」(1930年刊行)には、彼がそれまでに観た偉大な映画4本として、チャップリンの「黄金狂時代」(1925年米)、キートンの「探偵学入門」(1924年米)、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」(1925年ソ)と共に「アンダルシアの犬」(1928年)をあげている(*9)。本人が否定しようとも、「詩人の血」が「アンダルシアの犬」から影響を受けているのはほぼ間違いないようだ。 *8 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 35ページ *9 ジャン・コクトー/堀口大學訳「阿片」(「ジャン・コクトー全集W」所収) 402〜403ページ |
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さて、「詩人の血」は全部で4話で構成される。 冒頭に現れるのは仮面をつけたコクトー自身。「詩はすべて紋章。故に詩人の血と涙の解読が必要である。」という字幕。巨大な工場の煙突が倒れてくる。 第1話「傷ついた手、あるいは詩人の傷跡」。主人公は若い男(エンリケ・リベロ)。絵を描いているところを見ると画家であろうか。いや、タイトルにある「詩人」というのが彼のことである。そこで詩人でもあれば絵も描くコクトー自身が彷彿される。詩人は上半身裸でキャンパスに一つの顔を描いている。すると、描かれた口が動き出す。詩人はそれを手でこすって消すが、その口は彼の手のひらに移っている。詩人は自らの口を手で覆い、体中を撫で回す。彼の手には例の口がついているわけであるから、何ともエロティック。口は女の声で「空気を!」と喋るから、当然女のものだと考えられるのだが、コクトー自身はホモセクシャルであったことを思うに、案外男の口なのかもしれない。そう言えば、キャンバスに描かれた顔は詩人にそっくりである。翌朝、詩人は彫像の口を手で拭う。すると、手のひらの口は彫像の口となる。 第2話「壁に耳あり」。目を覚ました彫像(リー・ミラー)は、詩人に鏡の中に入るよう促す。彼は意を決して鏡の中に飛び込む。鏡は水を張ったプールと化している。鏡の向こうはホテルの廊下。詩人は並ぶドアの鍵穴から次々と中を覗き込む。ある部屋ではメキシコ人が射殺され、またある部屋では幼い少女が空中浮揚の訓練をしている。廊下の端から女が手だけを出して彼にピストルを渡す。彼が自分のこめかみを撃つと、彼の頭の上にはヒイラギの冠が現れ、流れ出た血は古代ギリシアの衣服となる。「ウンザリだ。」怒った詩人は部屋に戻ると、ハンマーで彫像を粉々に壊す。詩人は彫像と化す。 第3話「雪合戦」。階段前の広場で子供たちが雪合戦をしている。少年ダルジュロスの投げた雪球が、一人の少年に命中。少年はそのまま倒れてしまう。 第4話「聖体のパンを汚す」。倒れた少年の横にテーブルが置かれ、男女がトランプに興じている。二人は先程の詩人と彫像である。さらにそんな二人のことをバルコニーから紳士淑女が眺めている。詩人はハートのエースが無いと勝負に勝てない。そこで、倒れた少年の懐からハートのエースを取り出す。少年のハート(心臓)を掠め取ったということなのだろう。だが、そこに現れた黒人の守護天使(フェラル・ベンガ)が、少年のハートを奪ってしまう。勝負に負けた詩人はピストルで自殺。女は再び彫像の姿に戻り、牡牛を連れて去っていく。牡牛はいつしか竪琴に変わっている。死んだように横たわる彫像。 最初に出てきた煙突が完全に崩れ落ちて映画は終わる。 |
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上映時間は50分弱という中篇ではあるが、そこにはコクトーのこれまでの、そしてこれからのモチーフがいろいろと詰まっている。例えば、第2話と第4話で詩人がピストルで自殺するのは、コクトーの父がコクトー8歳の時にピストル自殺したことに由来しているそうだ。コクトーの場合、先にも述べた通り、すべてのジャンルは同一のものであるから、本来ならば業績のすべてを通して見ていかなくてはならないのだが、なかなか困難なので、ここでは主に映画に限定して考えることにしたい。 コクトーが製作した映画は大きく二つの系統に分類することが可能である。一つは通俗的で大衆的なもの。その一方に難解で観念的な作品がある。前者は「美女と野獣」「双頭の鷲」「恐るべき親たち」。後者には「詩人の血」を始めとして、「オルフェ」およびその続編「オルフェの遺言」が分類される。「詩人の血」はその中でもとりわけ「オルフェ」と極めて共通する要素を持っている。実際、コクトー自身も後に「オルフェ」は「指一本で下手くそに演奏された『詩人の血』の主題を20年後に編曲し直している」(*10)ものだと語っているぐらいであるから、似ているのは当たり前なのだが。 *10 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 36ページ |
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コクトーはギリシア神話をしばしばモチーフとして用いている。「オルフェ」(1925年)を始め、「アンティゴネー」(1927年)、「オイディプス王」(1928年)など、ギリシア神話に素材を求めた戯曲を数多く執筆しているが、映画「オルフェ」及び「オルフェの遺言」もやはりギリシア神話の英雄オルペウスがモチーフとなっている。一方、「詩人の血」にもやはり、ギリシア神話の要素が随所に現れる。例えば、第2話に登場する生きた彫像。両腕の無いところはどうしてもミロのビーナスを連想させる。第4話に再び現れる際には、両腕があるものの、先ほどまで欠けていた部分に長く黒い手袋をはめている(写真)。その彫像は第4話のラスト近くで牡牛を連れているが、牡牛の体にはヨーロッパの地図が貼り付けてある所をみると、彫像は女神エウロペだと思われる。エウロペ(Europe)は地中海東岸のフェニキア(現在のレバノン)の王女で、牛に化けて近づいたゼウスによって、クレタ島へ誘拐されてしまう。後にこの神話をもとに、歴史家ヘロドトス(前485頃〜前420頃)が、クレタ・ギリシア一体を「エウローペ」と名付けた。もちろん「ヨーロッパ」のことである。また、「詩人の血」ではその牡牛が竪琴へと変化するが、竪琴はオルペウスの持ち物である。 「詩人の血」に用いられたイメージは、映画「オルフェ」の随所において繰り返し用いられている。「オルフェ」の主人公オルフェ(ジャン・マレー)は、「詩人の血」の主人公と同様、詩人である。「詩人の血」第1話で眠る詩人、第4話ラストで歩く彫像は、いずれも閉じたまぶたの上に目が描かれているが、「オルフェ」においてもオルフェの枕もとに現れた死神の女王(マリア・カザレス)に同様の手法が用いられている。コクトーはこの手法がお気に入りだったようで、遺作「オルフェの遺言」においても、ラスト近くでジャン・コクトー自身と、彼とすれ違うオイディプス王(ジャン・マレー/写真下)に対して用いている。実はこのイメージ、必ずしもコクトーのオリジナルというわけではなく、彼以前にもマン・レイによってすでに用いられている。「エマク・バキア」(1927年仏)のラストで、眠るキキの 瞼の上にやはり目が描かれているのだ。 「詩人の血」第2話で、詩人は彫像に言われるがままに鏡の中に入っていくが、「オルフェ」でも、オルフェは死神の助手ウルトビーズ(フランソワ・ペリエ)の導きで鏡の中に入っていく。「詩人の血」では、鏡に見立てたプールの中に詩人は飛び込むが、「オルフェ」においては水ではなく水銀が用いられている(*11)。だから、オルフェの手の、鏡の中に没した部分は鏡に映らず、それ以外の部分だけが映る。さらに鏡の面には波紋が生じ、幻想的な映像となっている。 *11 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 132ページ |
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また、第3話「雪合戦」には少年たちの雪合戦の風景が描かれている。第2話ラストで彫像と化した詩人が、雪合戦の最中に少年たちによって粉々に壊されてしまったり、雪だまを胸に食らった少年が大量の血を吐いて倒れるなど、多少の誇張された描写はあるものの、この「雪合戦」は「詩人の血」全体ではほぼ唯一リアルなエピソードである。 「雪合戦」の挿話、この映画の直前にコクトーが書いた小説「恐るべき子供たち」(1929年)の冒頭部分と極めてよく似ている。共に主人公の少年(小説ではポール)は、ダルジェロス少年の投げた雪だまを胸に2発食らい倒れる。このダルジェロスという名前は、11歳の頃のコクトーが、パリの中学校で出会い魅了された実在の少年の名前から取られているそうだ(*12)。 「恐るべき子供たち」はジャン=ピエール・メルヴィル(1917〜73)の監督によって1950年に映画化された。コクトーは原作の他、脚本、美術、ナレーションとして映画製作に参加している。小説版のポールは、もちろん主人公であるから冒頭で死ぬということはない。だが、「詩人の血」の少年は、そのまま黒い天使にハートを奪われてしまう。ポールも小説の最後で黒い丸薬によって命を失うことを考えると、この「雪合戦」は「恐るべき子供たち」のダイジェスト的な趣きがある。「恐るべき子供たち」の映画化の際、コクトーは自身で監督をすることを強く望み、メルヴィルが病気の時には喜んで監督代行を努めたというが、「詩人の血」第3話は、「恐るべき子供たち」の試作的な意味合いがあったのかもしれない。 *12 ジャン=ジャック・キム、エリザベス・スプリッジ、アンリ・C・ベアール/秋山和夫訳「評伝ジャン・コクトー」 15ページ |
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「詩人の血」には様々な特殊効果が用いられている。第2話で、鏡にみたてたプールに飛び込むと言うのはすでに述べた通り。同じく第2話では、ホテルの部屋の鍵穴を覗きながら、壁を這うようにぎこちなく詩人は歩く。時々、壁に張り付いてよじ登ってさえしまうのである。これは、床に壁と同じ装飾を施し、それを上から撮影することで得られた効果であるのだが、結果としてコクトーによれば「歩く彼の足取りは夢のなかのそれ」(*13)となった。同様の手法は、ホテルの4番目の部屋の飛行実験中の少女にも用いられ、彼女は壁に背中をくっつけて宙を這いずり回る。 その他にも、銃殺されたメキシコ人が逆回転によって再び起き上がったり、黒人天使が倒れている少年をマントで覆うと、画面が一瞬だけ白黒反転する。コクトーはこうした「トリックを使うのも重要なこと」(*14)と述べる。トリックの結果、「直接的な脅威」(*15)を生み出す事に成功しているのである。もちろん、現在のSFXに比べれば、まったくチャチで子供だましとも思えるようなものだ。だが、その手作り感覚はかえって新鮮で、微笑ましくさえ思えてくる。こうした映画的技巧(メチエ)を、映画素人のコクトーは手探りで生み出したのだから、まったく驚かされる。まさに「恐るべき詩人」である。もっとも、オーソン・ウェルス(1915〜85)の「市民ケーン」(1941年米)のように、素人がいきなり傑作を作り上げてしまったという例は映画界に皆無というわけではないのだが…。 *13 ジャン・コクトー/岩崎力訳「詩人の血」あとがき 51ページ *14*15 ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」 119ページ |
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話は変わるが、「詩人の血」という名前のロックバンドがあった。リーダーの渡辺善太郎(ギター/1963〜)を中心に、辻睦詞(ボーカル/1967〜)、中武敬文(キーボード/1963〜)の男性3人からなる。1989年にデビューし、1993年までに5枚のアルバムを発表している。バンド名が、コクトーの映画から来ていることは間違いない。1986年の結成当初はフランス語の「Le Sang D'un Poete」というのがバンド名であった(翌年改名)が、これはまさしく映画「詩人の血」の原題である。詞を読む限りにおいて、コクトーとは直接関係ないようであるが、「詩人」という言葉をバンド名に用いているだけに、辻の手による詞は日本語の語感を重視しているようだ。その詞はシュールで、どことなくファンタジック。非日常的な、まるでおとぎ話や伝説の世界を思わせる。また、打ち込みを多用したサウンドは、独自の世界観を持っており、聞いていてどことなく懐かくなってくる。残念なことに1994年に解散してしまった。 |
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僕は現在高校で国語を教えている。今年度(2003年度)の2学期の後半、高校3年生の現代文の授業で「詩」を取り上げた。先に「詩とは何か」ということについて述べたが、それはその際の授業用ノートをもとにしている。近代以降の詩の流れを大雑把に追い、時々立ち止まって少し詳しく読んでみた。島崎藤村(1872〜1943)の「初恋」(1897年)や高村光太郎(1883〜1956)の「道程」(1914年)、中原中也(1907〜37)「汚れっちまった悲しみに…」(1934年)といった詩を取り上げたが、僕としても初めての試みでもあったので、うまくいったかどうかは少々不安なところではある。 先にも述べた通り、「詩」には「Poetry(詩情・詩趣)」といった意味も込められているのだが、そのわかり易い例としてPoetryを持った映画である「詩人の血」を生徒に見せることにした。50分と短い作品ではあるが、授業時間で全部を見せるわけにはいかない。そこで、取りあえず第1話だけを見せることにした。生徒はそれなりに面白がって観てくれたようではあるが、どこまでPoetryを感じてくれただろうか。後になって思えば、「アンダルシアの犬」を見せたほうが食いつきは良かったのだろう。来年やるなら、そうしようか。だけど、それでは「詩」の授業じゃなくなっちゃうな…。 |
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(参考資料) ジャン・コクトー/高橋洋一訳「シネマトグラフをめぐる対話」1982年6月 村松書館 ジャン・コクトー/堀口大學、佐藤朔監修「ジャン・コクトー全集W 評論1」1980年9月 東京創元社 ジャン・コクトー/堀口大學、佐藤朔監修「ジャン・コクトー全集Z 戯曲」1983年7月 東京創元社 ジャン・コクトー/堀口大學、佐藤朔監修「ジャン・コクトー全集[ 映画その他」1987年8月 東京創元社 青木研二「ジャン・コクトーの映画『オルフェ』」1994年3月「茨城大学教養部紀要26」 村山匡一郎「映画100年STORYまるかじり/フランス篇」1994年11月 朝日新聞社 青木研二「コクトーの『詩人の血』」1995年3月「茨城大学教養部紀要28」 ジャン=ジャック・キム、エリザベス・スプリッジ、アンリ・C・ベアール/秋山和夫訳「評伝ジャン・コクトー」1995年5月 筑摩書房 高橋洋一「ジャン・コクトー/幻視芸術の魔術師」1995年10月 講談社現代新書 渡辺淳「パリ・1920年代/シュルレアリスムからアール・デコまで」1997年5月 丸善ライブラリー ジャン・コクトー/堀口大學訳「コクトー詩集」1954年10月 新潮文庫 ジャン・コクトー/鈴木力衛訳「恐るべき子供たち」1957年8月 岩波文庫 宝島編集部編「日本ロックバンド大事典」1991年4月 JICC出版局 |
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