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  歴史

・桜の街、幸手市は埼玉県の北東部に位置し、1986年に市制が
施工された。鉄道は東武日光線が、また道路は国道4号線が貫通
している。この地の歴史は、奈良平安時代には、中央との交通が
開け、鎌倉時代から戦国時代には奥州路の拠点でもあった。室町
時代から、古河公方の家臣であった一色氏の領地となり、江戸時代
には、日光街道と御成り街道が合流し、さらに筑波街道が分岐する
宿場町として栄えた。また利根川の河川工事、新田開発も進み
権現堂川、江戸川を中心とした舟運が興隆し、その河岸には回船
問屋が建ち並び栄えていた。
幸手の地名はこの地に日本武尊が東征に際して「薩手が島」に
上陸、田宮の雷電神社に農神を祭ったという言い伝えが残って
おり、「幸手」の市名はその薩手(さって)に由来すると伝え
られている。近年は、東京のベットタウンとして、人口、住宅が
急激に増加して来ている。平成の大合併では、隣接する五霞町との
合併、久喜市・鷲宮町・栗橋町との合併などの案があったが、
いずれも成立せず単独で存続している。市内の権現堂の桜は
全国でも屈指の名所として、開花の時期は、大いに賑わっている。

 名所・旧跡

権現堂堤 3月末~4月の上旬、町のシンボルである、桜と菜の花が満開
  2月には水仙、6月には紫陽花、9月には彼岸花が咲き誇る
行幸湖 行幸(みゆき)湖は県営公園として整備され、大噴水、周りに遊歩道がある
市営釣場神扇池  水面積が38,000㎡の釣り場で、ヘラブナ釣りが楽しめる
銀杏地蔵 樹齢500年といわれる大銀杏(いちょう)に地像が彫られ
  子育ての地蔵として崇められている
将門首塚 淨誓寺に高さ3mの首塚がある、天慶の乱(940年)に敗れた将門の
  首が埋められていると言われている
マリア像 1820年頃に建てられ権現堂集落農業センターの敷地内にある
巡礼の脾 1802年、利根川の洪水の時、巡礼の母子が自ら人柱となり
  身を投じたとされ、権現堂に石碑としてある
聖福寺勅使門 日光社参の折に、将軍や勅使がこのお寺に立ち寄り休憩したと言われる
街道の道しるべ 日光街道と御成り街道が合流、宿場町として栄えたが
今も多くの道しるべが残されている
義賑窮餓之碑 1783年の浅間山大噴火の折、義人21名が金やお米を提供し
幸手の民を救ったその善行を讃え、正福寺の境内に建てられた
外野橋 権現堂堤と行幸湖を結ぶ外野橋(そとのばし)は、歩行者・自転車専用の
釣り橋で、行幸湖を周遊できる