トップページへ  水害シリーズNO.15に戻る  水害シリーズNO.17へ  はじめ通信目次へ   

はじめ通信10−1221
堀船水害シリーズNO.16

●桟橋による水位上昇の予測は何故どのように隠されたのか

(1)都の水位上昇予測「52センチ」は正確か?

●前回の水害レポートNO.15で、昨年9月には、少なくとも東京都内部で、都の護岸工事用桟橋によって、直近の石神井川の水位が時間50ミリ豪雨時に52センチ上昇するという予測が報告されていたことを明らかにしました。

●これがなぜ首都高の水理実験に反映されなかったのかが最大の問題ですが、その前にこの52センチの数値の評価に触れておきたいと思います。私の水害レポートNO.9で、同じ桟橋の水位への影響の試算で1・97mの水位上昇を予測しており、差がありすぎるからです。

●二つの試算に3倍以上の開きがある原因は、主に次の3点と思われます。

@川の断面積のデータについて、都の試算の方が私の計算よりかなり大きくなっています。断面積が大きいほど水位はマイナスになりますが、この点では設計図を基に厳密に計算された都の面積データのほうが私のより正確だと思います。

A桟橋の左右の柱(右図の矢印部分)による水流への抵抗が主な水位上昇の要因ですが、右図のように柱の間隔が狭いため、私のように柱の間隔が十分ひらいていると想定した試算より、水位上昇は少し減殺される可能性があります。

 ◆鋼管円柱を柱と見るか壁と見るか
B両側の柱が、右岸に近い側はH型鋼、左岸に近い柱が鋼管矢板で円柱型。しかも鋼管矢板は、よく見ると根元の方では円柱が壁状に並んでいますが、桟橋を支えている円柱の間は明らかに空いています。
 この複雑な形を計算式の上で正確に再現するのはきわめて困難ですが、都の試算はおそらくこの部分を円柱が連なった一種の壁として計算していると思います。その方が抵抗値も水位上昇も小さく計算されます。
 私はH型鋼と同じように一本一本の柱として計算したので、水流への抵抗と水位上昇の予測値は大きくなり、これだけの違いが出たのだと思います。

 以上の3点から推測して、正確な50ミリ豪雨時の桟橋付近の水位上昇は、52センチよりは大きいが私の推測1・9mよりは低く、両者の中間値前後かと推測しています。

 ◆52センチでも「50ミリ安全神話」は崩せる

 いずれにしても今回は、都の試算の「52センチ」を前提として議論を進めたいと思います。
 この試算の条件とされている50ミリ豪雨時の水害防止というのは、かなり以前に国と都が「数十年に一度」の集中豪雨の安全対策として策定したもので、今日の都市型豪雨の実態からみれば、時代遅れの基準に過ぎません。

 しかし、今回の水害箇所で「50ミリ豪雨への安全対策はできていた」との都の主張が、下流の桟橋工事による水位上昇についての都自身の「52センチ」という”控えめな”シミュレーションによってさえ、くつがえる可能性があるのです。
 だからこそ、この値の持つ意味は重大だと思います。


(2)「水位上昇」データはなぜ首都高の実験に反映されなかったのか

●さて本レポートの本題である、水位上昇データの扱いについての不可解な経過を振り返ってみたいと思います。
 時系列でいえば、まず昨年3月から、首都高による水理模型実験の追加実験が始まったとされています。わざわざ「追加実験」を行うことになった理由について、水理実験報告書には「実験の目的」として次の短い文章があるだけです。

「各施工段階で石神井川において工事の安全が確保されることを平成8〜10年に水理実験・水理検討によって確認してきた。しかし当時より10年が経過し、今後の各施工ステップでの工事の安全性が確保されているか、降雨と隅田川水位の経年変化により石神井川の出発水位の変化があるか検証することが必要となっている。
 本実験は、今後の施工ステップにおいて、工事の安全性が確保できるか水理実験・水理検討により検証することを目的とする。」


●これを読むと、@今後の工事ステップでの安全性が確保されているか、A10年間で出発水位に変化はあるかの2点が主な理由だとされています。
 確かにその後の実験報告を見ると10年前には行っていなかった「ステップ6´」や「ステップ8」、「ステップ8´」、「ステップ9」などの実験を行っていますが、報告書のなかのページ数を見ると「ステップ6´」の分析が半分の30ページ近くを占め、実験の中心対象が「ステップ6´」、即ち、たまたま今回水害が起こった河川工事の状態であったことは、明らかです。

●一方、2番目の理由の、隅田川への合流水位の検討についても、報告書では20ページ近く、10年間の隅田川の水位や雨量の変化を分析していますが、結論は10年前と同じく合流地点でAP3・11mとするというものでした。

 当然これは模型を造る前の事前検討ですから、10年間のさまざまな変化を検討しながらも10年前と同じ合流水位を設定したということは、結果的に合流水位の点では、わざわざ模型実験をやり直す必要はなかったことになります。
 すると結局この追加実験は、首都高が「ステップ6´」の安全性の証明にこだわったことが大きな動機になっていると考えるのが自然ではないでしょうか。

 ◆模型実験はどうしても必要だったのか

●首都高がなぜ模型実験をしてまで「ステップ6´」の安全証明にこだわったのか、報告書の文章だけではなかなか分かりません。
 私は今回の模型造りで、10年前の実験から大きく変更した部分に着目すべきと考えます。
 それは2点あって、第1に、模型に「あすか緑地」を加えたことです。これは川の直立護岸を一部削って、川沿いをえぐるように水を溜めるくぼ地を造成したもので、濁流の勢いをゆるめ、そこに水が溜まるまでの間は下流の水位上昇を遅らせることができます。
 しかも首都高は、このあすか緑地が水害現場と新柳橋の間に存在しているのを理由に、都の工事桟橋の上流への水位の影響を緩和したと主張しています。

●もうひとつの変更点は、10年前の模型に比べ上流下流ともに模型の長さを切り縮めたことです。
 特に下流側を縮めたことによって、せっかく20ページも使って隅田川への合流水位を「AP3・11m」と決めながら、それを直接模型に再現せず、そこからだいぶ上流に当たる模型の下流端(bP8)の水位を、計算で割り出した「AP4・4m」と設定することになり、”模型実験”の価値を大きく損なうことになったのではないでしょうか。

●さらに、模型の終点としたbP8のポイントも、まるで測ったように、都の70メートルの桟橋工事の最上流端のほんのわずか手前でした。
 もし実験を始めた昨年3月ごろに、隅田川の合流点まで模型を造ろうとしていたとすれば、まだ計画段階で姿を現していなかった都の工事桟橋を、後でどのように模型に反映させるか、場合によっては実験をやり直すことまで考えなければならなかったでしょう。
 実験模型は、なぜ最初から桟橋工事の場所までくいこまないように、その手前で終わるように造られたのか、その真相は是非とも知りたいところです。「コスト軽減のため」とか「偶然にすぎない」とかでは、私は説明がつかないと思うのです。

●こうして首都高が「補完実験」として行ったという水理模型実験は、みごとに桟橋工事部分を避けて行われました。
 しかし実験を行っているうちに、新柳橋のそばでは、都の桟橋が設計を終えて組み立てられ、今年1月ごろからクレーンを置いての護岸工事が始まっていったはずです。今年5月に水理実験の報告書を提出する段階では、もはや無視できない巨大な構造物として存在していました。

●これに対し首都高の報告書では、前回のレポートNO.15で述べたように、
 「再現範囲上流は、改変の規模が小さいため(一部東京都により工事中)一次元不等流計算を用いて模型下流端水位設定」
として、4・4mの出発水位を決めてしまっています。(右の図を見てください)

 隅田川合流水位3・11mを設定するのに、20ページも使いながら、都の工事桟橋を「改変の規模が小さい」と判断する根拠は、ここに何も書かれていません。
 (しかも「再現範囲上流」という記述は、「再現範囲下流」の間違いではないでしょうか)

 ◆都は二度資料を提供していたが・・

●都に情報開示を請求したところ、実は首都高は都から2度にわたって資料の提供を受けていました。
 一度目は、昨年の4月16日で、平成20年3月に都が行った石神井川の隅田川への出口から王子駅までの、20メートルごとの川の断面図と堆積土の測量調査結果の図面です。
 おそらく水理実験の模型を造るために必要だったと思われます。

●二度目の資料提供は、昨年11月18日で、8枚ほどの桟橋の設計図(10月に設計会社が都に出したもの)が提供されています。
 ところがこの中には、設計会社が都の委託で行った桟橋による水位への影響のシミュレーション計算結果(下の表はその一部)については、ただの1枚も入っていません。
 ここにこそ肝心な「52センチ」の水位上昇予測が書き込まれていたにもかかわらず・・。


●私が12月6日に、この情報開示を受けた際、都建設局の担当者は、「これらの資料を提供するときは、どの資料を提供するかを首都高と何度も打ち合わせを行い、相談した上で提供しました」と、話していました。

 この職員の話が事実だとすれば、特に二度目の資料提供の際、首都高と東京都は、よく相談した上で、わざわざ設計書類中の、水位計算の資料をはずして、提供を受けたことになります。
 このことに極めて大きな疑問を抱くのは、私だけではないと思います。
 首都高は、その半年後に出した報告書の中で、模型の最下流端であるbP8のポイントの水位を、AP4・4mとしていますが、右図のように、このときには既に、bP8のポイントは、仮設桟橋の影響で、AP4・896mに上昇するという試算が出ていたのですから。


●このような経過で、52センチの水位上昇は、首都高の実験報告で無視されていきました。
 少なくとも今後、模型の出発水位を4・4mから4・9mに切り換えた模型実験をやり直すこと、都の桟橋についても改めて模型を造っての水理実験が必要なことは明らかです。
 そうすれば、相対的に低い5・6mの今回の溢水護岸付近では、おそらく50ミリ降雨でも水位が護岸を超える事態が起きる可能性が高いのではないでしょうか。

 ◆常識外の予測が働いた?

 ここであらためて疑問なのは、昨年の春以来、1年以上の時間と、おそらく億単位の費用をかけて「ステップ6´」の模型実験までやりながら、なぜ今回の水害を防ぐことができなかったのかということです。

●「50ミリの想定をはるかに越える豪雨があったから」といえばそれまでかもしれませんが、たとえば都の桟橋を模型に取り入れて実験するか、せめて都のシミュレーションを参考にするだけでも、5・6mの護岸のかさ上げぐらいは、水害の前に取り組めたかもしれません。

●いったい何故に桟橋工事の影響を消し去っての水理実験が必要だったのでしょうか。
 それを説明するには、昨年首都高のなかで、「ステップ6´」の工事について、二つの予測が働いていたと想像するしかありません。
 第一に「ステップ6´」の工事段階が「50ミリ豪雨までなら安全」だということを、費用と時間をかけてでも「検証」しなければならないような、何らかのリスク(それが今回の水害ということになります)が予測されたこと。
 第二に、そのリスクには都の桟橋工事がからんでいるので、安全の検証には桟橋の影響を除外する必要を感じていたこと。

●常識では考えにくいこうした仮定をしなくても、今回の水理模型実験を簡単に説明できる方法があります。
 それは模型実験が水害の後に行われたという仮説をたてることです。
 率直に言えば私は、この水理実験が、今年7月の水害直後に秘密裏に行われ、報告書では昨年から始まり今年水害直前の5月までに終了したと偽装された可能性が、いまだにゼロではないと考えています。
 そう考えると、まるでアリバイ証明のような「ステップ6´」模型による実験や、隅田川との合流水位を変えなかったことや、模型をうまく桟橋の手前で完結させたこと、1年以上もかかった割には報告書に掲載されたデータが少ないこと、首都高が未だに実験場所を明らかにしないことなど全てが符合するからです。

(3)第三者機関が不可欠

●しかしそんなことは絶対ありえないことを大前提に、分析を続けなければなりません。
 だとすれば逆に、首都高が「ステップ6´」での水害の危険性を非常に気にしていたからこそ、そこを中心に実験したということになるでしょう。そしてその危険の予感はズバリ的中したことになります。
 その危険性のリスクというのは、どういう点なのか。
 模型実験でもうひとつ細かく実験している「ステップ8´」に注目すると、「ステップ6´」と共通しているのは、いずれも二つの水路が開いている状態であり、二つの水流の合流点での水位の変化に注目しているようです。

●さらにその後、一方の水路を締め切っていくときに、どのような締め切り方をするかで、特に右岸の水位がかなり変化することが指摘されています。
 こうした報告内容は、まだごく一部の住民にしか知られていない点ですが、今後も50ミリを超える豪雨が降れば水害の危険があることを考えれば、いかに多くの居住者に、この危険性を分かりやすく知らせるかは、重要な課題ではないでしょうか。

●私は、この点だけをとっても、第三者の専門家による、都の桟橋工事のシミュレーションや、首都高の水理実験をはじめ、今回の水害にかかわる資料を徹底的に分析し、今水害の真の原因と再発防止、今後に行われる「ステップ8´」工事のリスクと対策などを検証する機関が、今こそ必要だということを、声を大にして訴えたいと思います。

トップページへ  水害シリーズNO.15に戻る  水害シリーズNO.17へ  はじめ通信目次へ