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はじめ通信・子どもと教育のはた4−731
教育を誰のためにやっているかを象徴する学校IT化
小学校低学年まで広げる意味はあるのか


●最近、文部科学省が全国の公立小・中・高校の校内LAN整備率と、授業で使える教員の割合などを発表しました。
 「情報技術(IT)国家をめざす「e−JAPAN」戦略で、来年度までに100%をめざしているので、6月の長崎の事件を契機に、金のかかるLANの普及にブレーキがかかることを恐れてはっぱをかけようというのが狙いのようです。わざわざこの調査報告の10日ほど前に政府のIT戦略本部が、「e−JAPAN重点計画2004」で、新たにインターネットなどの情報モラルやルール指導の必要性を明記した上での報告だからです。

●校内LAN整備率で、低いのは東京の8・9%を筆頭に、奈良、大阪、京都、神奈川など、大都市圏が多いのに比べて、ベスト5は、岐阜84・7%、富山76・5%、新潟64・3%、長野63・9%、石川63・1%と、過疎の県が多いようです。
 学校教育の活性化で特徴を出そうとしているんだと思いますが、気になるのはベスト5のうち長野、新潟以外は子どもたちや保護者の願いである少人数学級の取り組みが遅れている県だということです。

●普及率の低い東京都は、「IT教育普及支援校」制度を作り、都立高校の教員が出前研修を行なうなど、何とか普及させようと懸命ですが、区市町村が財政難を理由になかなか取り組めないことと、情報が過剰に溢れている大都市で無限定に学校でパソコン教育を行なうことに、父母の中に疑問や不安があるということも、事実ではないでしょうか。
 今回、都が「インターネット親子セーフティ講座」を、「支援校」で行なうとして、参加者を募集したことは、それ自体は必要なパソコン利用の注意点を普及する点では評価できますが、あくまでパソコン普及を最優先で進めていくことが大前提であり、本来的にパソコン利用が学校教育にどの程度適しているものかという評価は二の次になっているのではないでしょうか。

●私は、パソコンやインターネットが、家庭や職場で必要不可欠になっている以上、それをコントロールできる能力を教える教育は避けて通れないものだと思います。しかし学校教育での利用は、かなりの限定条件が必要のはずです。
 第1には何のためにパソコンを使うのか理解できる年齢であること、第2に、パソコンに時間を費やして、一般の教科学習や生活リズムに支障を起こさないこと、第3に、他人との交信や消費行動に利用するときは大人の指導者や保護者がついた上で、なおかつ極めて慎重さが必要であることなどです。
 これらの条件がクラス全体で保障されるには、少なくとも中学生以上でないと無理ではないかというのが実感です。小学校の低学年に対するパソコン教育の弊害や危険性は、素人の私でもいろいろ考えられますが、逆に納得できる推進の立場の説明や評価を私は聞いたことがありません。それでもとにかく全教室にパソコンとLANを設置させようとする文科省のやり方は、やはり性急過ぎるのではないでしょうか。

●政府は韓国やインドなどでの急速なパソコン普及を見てあせっているのでしょうが、それは子どもの将来のためというより、IT分野の国際競争を勝ち抜くために、全国の公立学校にITを買わせ、収益を確保させるとともに子どもを通じて家庭への普及を徹底する狙いと、子どもたちを小さいうちからパソコンに慣らしておこうという、経済界の論理が透けて見えてしまいます。
 興味深いのは、ヨーロッパ諸国でのパソコン教育はさほどでもないことです。イギリスの有名な児童文学「ハリーポッター」の第2作には、最強の悪魔が過去に残した日記の本を通じて、相手が誰かわからぬまま悪魔と交信を交わしているうちに魂を吸い取られる子どもの話が出てきて、主人公は魔法の先生から「脳みそを持たないものが話しかけてくるときは、誰かの脳みそで動かされていることに注意せよ」と、教えられるのです。私は、インターネットのように誰かわからぬ相手と言葉を交わしのめりこんでいく、現代の世界を象徴しているように感じました。

●安易な制限や禁止は良くないのは当然ですが、長崎の事件を機に、改めてパソコンやインターネットを活用した教育のあり方について、それぞれの学校現場を中心に見直していくことが大切ではないでしょうか。

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