今日は、ルースが車の修理、Shinyaさんがインターネットのためにリベリアまで行くとのことで同行。
リベリア(Liberia)は、グアナカステ地方の主要都市。古くから先住民文化が栄えた地方で、農作物がバナナやコーヒーではなく、米やトウモロコシが主産物になっている。
また、パンアメリカン・ハイウェイが通り、ニカラグア国境〜サン・ホセ、ニコヤ半島方面、周辺の国立公園などなどとの、北部の交通の要衝となっている。ちなみに離発着が少ないが国際空港もある。

 サンタ・ロサの宿舎からリベリアまでだいたい車で約45分ぐらい。Shinyaさんを中央公園近辺のインターネットショップあたりで降ろし、ルースと私は車修理工場へ。リベリアの車修理工場なんて普通、旅行先では行かないところなので、社会見学感覚。待っている間は、ルースと女同士、いろいろ話したなぁ。
車修理を終えて、ルースが用事があるとのことで、その間、私はカテドラルのある中央公園を一人散策。 白亜のカテドラル(屋根は赤)は近代的で、公園はキレイに掃除されていて、地元のおじさんたちがあちこちでくつろいでいた。 主要都市と言っても、のどかでのんびりした感じ。車や人が多いというごちゃごちゃした雰囲気ではなかったかな。
車修理工場 カテドラル 中央公園
車修理工場 カテドラル 中央公園

 再びルースと合流して、スーパーへ向かう。いろいろな野菜や果物、肉、魚、乳製品、生活用品などが並んでいて楽しい。 Shinyaさんから買いたい食糧などを聞いていたので、カゴに入れていると、ようやっとShinyaさんがインターネットを終えてやってきた。いろいろ手間取って、遅くなってしまったらしい。
食糧や飲み物を買い込み、一緒に買出しに来れなかったChihiroさんにもインスタントラーメンなどお土産に買った。 いちおうShinyaさんには、このとき滞在中の食費分として約5千円ぐらい払ったかな?

 そのあと昼食を取るため、ルースとShinyaさんがリベリアに来たときに行くというレストランへ行った。 7月25日通り(Av.25 DE JULIO)にあるレストラン、パン・イ・ミエル(PAN Y MIEL;パンと蜜)で日替わり定食C$1375(350円ぐらい)を頼んだ。内容は写真撮ってなかったのではっきり記憶にないけど、チキン料理で量は結構あったような? おいしかった記憶はある・・・。
お腹いっぱいのまま、サンタ・ロサへと帰った。
パンアメリカン・ハイウェイから パンアメリカン・ハイウェイから パンアメリカン・ハイウェイから
リベリアからの帰りのパンアメリカン・ハイウェイから。 左奥に見える森がサンタ・ロサの森。手前は大規模な放牧地帯。




 帰ってから、自炊場所のある宿舎のハンモックに腰掛け、本を読んだりしていると、今晩、皆でサンタ・エレーナへ遊びに行こうということに。サンタ・エレーナ?モンテベルデの街じゃなく、サンタ・ロサ国立公園内にある海の近くの地区のことらしいが、位置的にどこにあるのかサッパリわからない。そこには、アメリカ人研究者のJeffやSalvatorが共同で借りている家があるらしい。
ヨーロッパ女性陣と日本陣がパスタ料理やポテトサラダなどを作り、持っていくことにした。Shinyaさんも、Chihiroさんもイマイチ今晩の状況を把握してないのか?「帰ってくるの?何を持っていけばいいの?」の質問に「さぁ?」ってな感じ。 とりあえず、帰ってくるんじゃないかとのことでカメラとバックだけの軽装備での出発。

 Salvatorが運転する車の荷台に女性陣は乗り込み、薄暗くなった道を走り出す。 街灯もないジャングルの夜は、見上げれば空いっぱいの星々、見渡せば木々を灯すホタルの光。 ホタルの光も日本のホタルより2〜3倍の明るさというか大きさで、よく目立つ。
さらに、走る車の荷台に乗って空を見上げてると、ホタルの光が次から次へと流れていって、まるで流れ星のよう。これぞ夢見心地。ガタガタと揺られながらも、至福の時を味わっていた。

 どこをどう、どのくらいの時間走ったかわからないけど、小さな家の前で車は停まった。 家の中は、壁際にテーブルとパソコンが置いてあるだけのリビングルームみたいな部屋、すぐ横の小部屋には壁にダーツが掛けているだけの部屋、別の小部屋にはベッドが一つ(Salvatorの部屋らしい)、出入口が別なところにある部屋にはベッドが2つ(Jeff他の部屋らしい)、あと台所とトイレと質素。デッキには、ベンチが置いてあったような? サンタ・ロサの宿舎とは別に、研究没頭のためのアジトって感じなのかも?

 家にはすでにJeffと現地スタッフの男性一人(名前忘れた・・・)と彼の友達が来ていた。
と、夕食準備前になぜか皆ダーツで勝負し始めた。ダーツってただ真ん中に当たればいいと思ってたのに、いろいろな勝負の仕方があるんだと初めて知った。私も投げてみたけど、刺さればラッキーって感じで結構難しい。
下ごしらえする人 焼く人
チキンの下ごしらえをするシェフShinya。
さすが手際がいい。
チキンを焼くだけのJeff。写真撮れとポーズをとったので、仕方なく(?)撮った。
バーベキュー パスタとサラダ
こんがりおいしそうに焼けたチキン。 食べてみろと渡され食べると、まだ中は生じゃんか!お腹こわしたらどうすんの! 本場イタリア女性陣が作ったショートパスタと、Shinyaさん作ポテトサラダ。 しっかりビールも写ってる・・・。

 飲んだり食べたりしゃべったりしているうちに、音楽が流れてきて何人かが踊りだした。 そこでChihiroさんが、サルサのステップを教えてほしいとのことで、二人裏庭へ行ってこっそり練習。 皆と一緒に踊るのがまだ恥ずかしいみたいだった。
二人で踊ってると、Jeffがやってきて「一緒に踊ろう」と、渋るChihiroさんをズリズリと引っ張って、結局皆のところへ連れて行かれた。

 私は早速、現地スタッフの男性とサルサを踊りはじめたものの、彼のサルサのステップが全然違うので合わせるのが大変。でも動きもノリもいいので楽しい。彼は踊りながら「いいよ!」「上手いよ!」「プッタ・ビッダ!(プーラ・ビーダのヤロー言葉風?)」とか言ってる。壁際に座って見ていたShinyaさんに向かっても、「彼女はいいよ!」「プッタ・ビッダ!」とか言ってる。面白い。
今度はJeffと踊ると、いとも簡単に私がクルクル回ってくれるのが面白いと、回しまくる。目が回るほどじゃないけど、いくらなんでも回しすぎとちゃう?案の定、Jeffも欧米人らしくラテンのリズム感はないけど、ノリはいいので楽しい。
皆が踊り疲れだしても、さすが現地スタッフの男性はノリに乗って踊りまくる。私も休憩したいところだけど、私がサルサ、メレンゲが踊れることを知った彼は私の手を離さない。まだ踊り足りなさそうだったけど、帰らないといけないらしく「プッタ・ビッダ!」と言いながらやっと帰って行った。

 で、私達はというと、運転手のJeffもSalvatorも酔っ払いゆえ、宿舎に連れて帰れないとのこと。二人とも飲むつもりだったなら最初から帰れないってわかってたじゃん。唯一、お酒が飲めないShinyaさんは運転できないし・・・。 ということで、車の中で寝る人、寝袋で床に寝る人、ハンモックで寝る人、ベッドで寝る人とそれぞれ別れた。
Chihiroさんと私はJeffに連れられ、出入口が別な部屋に入る。 2つあるベッドにChihiroさんと私とそれぞれ寝ていいとのこと。Jeffはどこか適当に寝るらしい。 私達だけでベッドを占領するのはちょっと・・・と思い、ひとつのベッドに二人で寝ることにするからと、Jeffを自分のベッドで寝かせるようにした。Jeffは二人で寝たら狭いだろうと気を使ってくれたんだけど、Chihiroさんも私も寝相はいい方(?)なんで、狭くてもベッドから落ちることはないはず。 とにかく、Jeffは人がいい。 合宿家

 朝目覚めると、お隣に寝ているはずのChihiroさんがもういない。すでに散歩中? 私も起きて、まだ寝ているJeffを起こさないようこっそり部屋を出る。 外は夜中に雨が降ってたので、雨上がりの朝露がきれい。

 まずは、トイレ。用を足し、ふとおへその横に何やらついているのが目に入った。 よく見ると、3mm程度の大きさのダニ。足とかが標本のようにキレイに見える。で、手ではたくけど落ちない。よくよく見れば、皮膚内にもぐり込んでる?!げげっ!ここで卵でも生みつけられたら困る。 ツマミ出したものの、目に付くところでよかった。他にいないよね?

 それからカメラを持って外を散策。昨日は夜に着いたので、周りの景色は今日初めて見る。 彼らの家の外観も初めて(右写真)。
周辺風景 周辺風景
やって来た方向を撮った。木のアーチの向こうに別世界が広がっているような錯覚を起こしそうな風景。
周辺風景
左の木のアーチの外側から、家のある方(内側)を撮った写真。柵があるってことは、昔ここも放牧地だったのだろうか・・・。

周辺風景 周辺風景 周辺風景
家の周りは植林されたような木々が茂っている。 同じ敷地に数軒家があって、地元の人が住んでいる。 やって来た方向と逆の方向にも更に道が続いている。
思い思いに 思い思いに
朝起きて、皆思い思いに過ごす。Chihiroさんは隣の小屋のハンモックで、何やら英語の本を読んでいる。Shinyaさんもイスに座り本を読んでいる。ボーっと物思いにふけ、哀愁漂う(?)JeffのTシャツには「IS IT LIVE...OR IS IT DEAD?」・・・意味深な言葉。
私はとゆーと、小屋の柱上で子育てをしている鳥をボーっと見ていた(右写真;わかるかな?)。ちなみに紙袋の中はイモムシたちが育てられている。彼らの研究材料。
子育て中

帰路 Chihiroさん
カントリーミュージックでご機嫌な運転手Jeffと、カントリーミュージックで不機嫌なヨーロッパ女性陣。 「荷台に乗って帰る」と、一人たたずむように座っているChihiroさんの後姿。

 昨夜、Shinyaさんは最初、車の荷台に寝袋で寝ていたらしいが、雨が降り出してきて、車の中に避難して寝ていたらしい。が、雨音がひどくあまりよく眠れなかったとのこと。
そんなことはつゆ知らず、ベッドでぬくぬく寝ていた私・・・まぁ、ダニにやられたけどね・・・。
結局、急激に仲良くなったSalvatorとEugeniaを置いて、他はさっさと宿舎へと帰ったんだけど・・・その後Eugeniaがどうやって帰って来たかは?




 宿舎へ帰ってから、今度はShinyaさんとルースのお手伝い。 国立公園内を車で移動し、イモムシを採集するらしい。今回の旅はどうしてもイモムシを避けて通れない。
イモムシ採集中 イモムシ採集中 イモムシ採集中
ルースは、高枝バサミを取り出してバサバサと枝を切ったり、ハサミが届かない高いところはハシゴを登って手際よく枝を切って落とす。ゆらゆらと揺れる不安定なハシゴをいとも簡単に登って行くルース。私は少しでも安定するよう下でハシゴを必死に押さえてた。
ちなみに彼女は、むやみやたらと枝を切っているわけではなく、採集指定されたイモムシが棲む木の枝、それも、イモムシがたくさんいる枝を選んで切っている・・・って、この位置からイモムシがたくさんいると見えていることがスゴイ。
袋の中は・・・
ルースが切り落とした枝を袋に入れていくのが私の仕事。空からイモムシうじゃうじゃの枝がバサバサと落ちてくるって恐怖そのものだけど、落ちたそばからイモムシがいないところの枝を握って、袋へせっせと入れている自分・・・ありえない体験をしてしまっている。
これはイモムシたちと車に同乗している決定的瞬間!と思って撮った写真。・・・あまり深く考えたくない。

 《ガビランでの食事&ゴンゴラのグサネーロス他編》でも触れたけど、 グサネーロス(Gusaneros)とは、グサノ(Gusano;イモムシ)を扱う人たちの意味。 彼らはACGに生息する蝶、蛾の特定、調査など、ジャンセン教授を始め、その他の研究者たちの手足となって働いている。
彼らの仕事の流れを言うと、まず最初に、夜の間に羽化した虫をチェック。蝶などはそのまま冷凍庫へ、他ハエやハチなどはその場で標本にするらしい。

 それから、3日に一度の食事の準備。ただ、グサネーロスが働いている場所があちこちあるそうで(ジャンセン教授の場合は6ヶ所あり)、毎日どこかで食事の準備をしないといけないというので、これも毎日やる一番面倒で時間がかかる作業。
内容は、袋又はビンの中のイモムシ(幼虫)を探し出し、イモムシ(幼虫)だけを残して食べ残しの葉っぱを捨て、新しく採取した葉っぱを入れる。このとき、イモムシ(幼虫)がさなぎになってないか、死んでないかをチェックする。

 イモムシ(幼虫)はそれぞれ決まった葉っぱしか食べないため、それぞれを熟知してないと食糧調達も大変。だけど、車を走らせながら20種類ぐらいの植物を集めるそう。そのとき、教授や研究者指定のイモムシ(幼虫)の採集もする。
採集してきたイモムシ(幼虫)は全ての分類をし、管理番号を打ち込む。このとき、分類に該当しない場合は新種発見となるそう。ちなみにACGのシンボルマークの蛾(《ACGについて&サンタ・ロサ国立公園散策編》に写真あり)は数が少ないので繁殖のための採集となるそう。

 要はイモムシ(幼虫)たちの世話をする仕事だけど、あらゆる種類のイモムシや幼虫についてすべてを熟知しているうえ、遠くからでも見つける目のスゴさ。Shinyaさんが”グサネーロスは超一流の生物学者の集まり”と称するのもわかる。なにより皆仕事を楽しんでやっているのがいい。
ジャンセン教授はというと、サンタ・ロサ滞在中はひたすらこれらデータの確認だそう。羽化した虫、死んでしまった幼虫もすべてチェックし、使い終わったビニール袋は教授がチェックするまで捨てることがないそう。

 採集中、私がイモムシ苦手なのを知っているルースは、「どうして?こんなにカワイイのに」と私の目の前でイモムシを手のひらに乗せてなでなでしたり、わざとだけど、口の中まで入れようとしたり(日本では目の中に入れても・・・だけど)していた。
イモムシたちに愛着を持つルースを見ていると、私もイモムシがなんとなくかわいく見えてきたりする・・・が、まだ触るまでには至らない。まぁ当初に比べたらずいぶんと、イモムシに対しての苦手意識は薄れてきたかな? 分類中

 採集してきたイモムシたちをサンタ・ロサの仕事場へ持っていき、一つ一つをナイロン袋に入れて分類、管理番号とデータ入力をしていく。とても温厚でやさしい感じのフレディ(右写真)とルースが手際よくやっていく。
私はというと、イモムシと葉っぱが入ったナイロン袋に空気を入れて閉じたり、 管理番号が付いたナイロン袋を持って指定されたところにぶら下げたり、小屋の天井一杯に下がるナイロン袋を一つ一つ羽化していないかチェックしたりしてた。少しでも彼らのお手伝いが出来ればうれしい。

 彼らは翌日帰るという私に「コスタ・リカに住まないの?」と聞いてきたので、「住んでもいいけど、仕事がないとね・・・」と答えると、「仕事ならいくらでもあるよ」とニッコリ。・・・んー、でもグサネーロスの仕事は役立たずでムリかなぁ・・・。

 私にとってサンタ・ロサでの最後の晩餐は、やっぱりシェフShinya作。Chihiroさんと私はお手伝い。 流し台も、調理台も、冷蔵庫も、食卓もすべて外なんだけど、キャンプっぽくて楽しかった。多国籍というのもいい。
夕食準備中 夕食準備中 グリーンカレーとガジョピント 最後の晩餐
夕食準備中のChihiroさん。このテーブルがコンロやまな板がある調理台。 向こう側がトイレとシャワーの建物。 夕食準備中のShinyaさん。トイレとシャワーの建物と宿舎の間に流し場がある。 鍋、皿、コップすべてが共同使用。 最後の晩餐はシェフShinyaのグリーンカレー。テーブルのガジョピント(豆ごはん)はChihiroさんが先日作ったもの。 この日いっしょにテーブル囲んだのは、蟻の研究に来ていたアメリカ人女性二人。宿舎は別棟だけど、自炊しに来てた。

 宿舎代は1泊US$15で6泊なのでUS$90。Shinyaさんが払っておくとのことで預けた。 ちなみに長期滞在の研究者たちは、もっと安いとのこと。


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