高尾山から奥多摩周遊道路
2009年12月26日


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もくじ                          
 高尾山の山頂をめざす
 ●瓜生卓造(うりゅうたくぞう)さんのこと
 ●秋川渓谷「瀬音の湯」
 ●檜原村「数馬の湯」
 ●奥多摩周遊道路

 高尾山に登ってから檜原街道の温泉2つに立ち寄り、奥多摩周遊道路を回ってきました。

高尾山の山頂をめざす  9:15〜12:00

みやま橋
尾根に出てから
山頂から富士山が見えない
高雄山頂には山小屋が多数ある
ケーブル山上駅付近からの中央道

今年は二度高尾山へ出向いたが山頂まで登っていないのが気になって山頂をめざした。ケーブルカーは空席も目立った。
 清滝駅から高尾山頂へ向かう自然研究路は1号路(表参道コース)・3号路(カツラ林コース)・4号路(吊り橋コース)・6号路(びわ滝コース)・稲荷山コース(尾根コース)に限られる。
 そこで最短コースの4号路を選んだ。ケーブルの山上駅(高尾山駅)から約45分で済み、吊り橋があるのにひかれた。それに他のコースはすでに歩いたがこのコースを歩いたことがないし、裏高尾町に面しているのも気になった。
 1・3・4号路は淨心門まで同じだがそこから3方向に分散する。4号路の入口は工事中で今回は山門の下に臨時の入口が設けられていた。少し歩くと1号路へ向かう急傾斜の仮設階段があったがきつそうなので無視した。
 せっかく上ったのに下りはじめるのも意外だ。沢の上を巻いて歩く狭い道だから妻は「やけに淋しい道ね」とこぼす。このコースは上りより下りに使われているようで行き交う人も少ない。期待した蛇滝や中央道が見えずあて外れだ。なだらかな道を10分も歩くと吊り橋(みやま橋)に至る。鉄骨作りだからゆれも少なく、最短コースにしてはいささか拍子抜けだ。
 ところが落とし穴があった。吊り橋から先は急な上りになり、暗い林の中の歩きを強いられた。「なによこれ、詐欺じゃない。このあいだの小仏峠みたいね」と妻が避難を並べる。他のコースの半分で済むにはそれなりの理由があるがそれは黙っていた(それを言えば妻はけっして歩かないだろう)。
 林の中にある休憩所で一休み。まわりにいる中高年は山歩きの服装でショートコート姿の我々は異端である。水を飲んだ妻は一休みすると元気を回復した。ここで日影沢からの「いろはの森コース」と合流したので4号路から外れ、きつい坂を上って浄水施設の横に着いた(ちなみに4号路は山頂下の公衆便所横に出る)。
 山頂には10時20分に到着した。40分かかったが妻は元気を取り戻した。山頂はすでに紅葉が終わり殺風景だった。日影に入るとひんやりする。期待した富士山は空が霞んでいっこうに見えないのが残念だ。「おととしの秋にはよく見えたのに」と妻がつぶやくのもおかしい。それでも登山客が多いのはやっぱり高尾山だろう。冬だというのに家族連れで上がってくるのも高尾山だ。山頂まで歩かされた子どもがぐずるのもほほえましい。
 下りは1号路を使い、弁財天から薬王院の階段を下ると「上りに使わなくてよかった」と妻が話しかけた。先月末に紅葉見物で薬王院まで出向いたが階段におびえてすごすご引き返したのも最適な選択だったようだ。クルマの運転と温泉めぐりが加わる我が家の山歩きは軟弱である。  
 中央道は山の上部よりケーブルの山上駅の近くの方がよく見える。上部は木がさえぎるが山上駅付近は遮蔽物が少ないからだろう。圏央道はケーブルやリフトの下を通過するようだ。中央道を走っていても高尾山の施設が見えないのも尾根の裏になるからだろう。

瓜生卓造(うりゅうたくぞう)さんのこと
 時間が余ったので奥多摩に足を延ばした。山歩きをしている時に読んだ瓜生卓造さんの『檜原村紀聞』(東京書籍1978年、平凡社ライブラリー1996年)がきっかけで何度か出向いた場所だ。瓜生さんは1920年に生まれ、1982年に亡くなった作家だ。『谷川岳』(中公新書)や『銀嶺にに死す』(新潮社)などのほかに小林一茶や良寛も論じ、『横浜物語』(東京書籍1979年)など幅広い活動をした。奥多摩については『檜原村紀聞』、『多摩源流を行く』、『奥多摩町異聞』(いずれも東京書籍)のルポルタージュがある。どちらかと言えば細密画に近い筆致と朴訥な語り口にひかれたものだ。奥多摩三部作がなかったらわたしには奥多摩が近いところにある山にすぎなかっただろう。ロッククライミングにのめる登山家を扱いながらも山でなりわいを営む人々の生活もあわせてとらえる視点に共感を覚えた。

秋川渓谷「瀬音の湯」 13:00〜13:40瀬音の湯
 五日市街道はJR武蔵五日市駅で桧原街道に変わる。あきる野市は1995年に秋川市と五日市町が合併した市なので今もぴんとこない。それは妻も同様でサマーランドしか思い出さないようだ。今回訪れた瀬音の湯は檜原街道にあるが、十里木交差点の先の荷田子交差点で右折して河原に下るの気付かず思わず通り過ぎるところだった。
 瀬音の湯は国内屈指の天然アルカリ泉だそうだ。約25度の源泉を加温する無色透明な温泉だ。内湯や露天風呂から河原を眺められる。ぬめりは少ないがさっぱりした湯である。駐車場は135台で広い。圏央道あきる野インターから約12km(約30分)である。宿泊施設も整っているがやや割高である。禁煙が徹底していて浴室や待合所に喫煙室はないから長風呂の人を待つのはやや辛い。入浴は3時間の制限がある。営業時間は10:00〜22:00である。
 ここは入浴だけでなく広い敷地を散策したり、河原まで歩いて楽しむ総合施設である。大多摩湯めぐりスタンプラリーの6湯になっている。

檜原村「数馬の湯」 14:30〜15:30数馬の湯から三頭山を見る
 数馬は檜原村の南秋川渓谷にある。檜原村は山梨県と接しているが数馬はそのまた奥の三頭山の直下だ。「まだ着かないの」とあきれるほど長い道のりである。クルマから降りると何となく冷えこむのも日影だからだろう。注意したいのは途中の分岐点だ。檜原村の「橘橋」交差点では左折して数馬に向かう。ずっと先の「上川乗」交差点(熊野神社前)は右側の「都民の森」を選ぶことだ。左折すると上野原市へ向かってしまう。上記の二つの交差点で間違えると奥多摩周遊道路へ行けない。
 泉質はアルカリ性で無色透明だ。営業時間は10:00〜20:00である。今回は妻だけ入浴したが瀬音の湯と泉質は変わらないようだ。内湯と露天風呂がある。ここも施設は地味な作りだが広い待合所があってゆったりくつろげる。大多摩湯めぐりスタンプラリーの6湯になっている。
 なお、このほかは2007/7/1の記事を合わせてごらんください。

奥多摩周遊道路  15:35〜16:10下が奥多摩湖
 奥多摩周遊道路は檜原村と奥多摩町を結ぶ19.7kmの都道だ。1973年4月から1990年4月までは「奥多摩有料道路」と呼ばれる自動車専用道路だった。
 有料道路だった奥多摩周遊道路は
夜間走行禁止でゲートが閉鎖される(4月〜9月:19時〜8時、10月〜3月:18時〜9時)。カーブの多い道のため事故が絶えないそうで、2009年12月15日から二輪車および原動機付き自転車は終日通行禁止になった(詳しくは警視庁のお知らせを確かめてください)。一昨年訪れた時はそれであきらめた。
 この道路には開通時から何度か出向いた。青梅市から奥多摩町と檜原村を経て武蔵五日市へ抜ける唯一の道路だった。そこに囲まれた山々、大岳山・御岳山・日の出山・馬頭刈山は北アルプスや八ヶ岳へ向かう前に何度も歩いた。奥多摩湖を上から眺める景色が月夜野第1駐車場気に入っていた。というわけで数馬の湯の入浴はパスして出向いた。
 数馬から入ると料金所がそのまま残っている。都民の森の駐車場にはわずかながらクルマがあったが無視して先に進む。檜原村側の景色は山に囲まれて単調だが、小刻みにカーブが続いて気が抜けない。最高地点(1,146m)の風張駐車場をあっけなく通り過ぎるとカーブもなだらかになった。月夜野第1駐車場にクルマを止めれば眼下に奥多摩湖が眺望できる。山道に脅えていた妻もほっとして饒舌になった。妻には初めての場所で思いがけない眺望に驚いたようだ。なだらかなカーブを下り、奥多摩側の料金所跡を抜けて深山橋に抜けた。この先は何度も出向いている青梅街道だから妻がほっとため息をつくのもおかしい。

●蛇足 
 この後は吉野街道と滝山街道を使いましたが渋滞に巻き込まれたので圏央道の日の出インターから八王子料金所へ抜けて一般道で帰宅しました。20:30帰宅、300km    


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