旅のこと 前編

 子供の時から何処かに行くのが好きだった。友達と「旅」という遊びをよくやっていた。その頃一番仲がよかった友達が自転車に乗れなかったので、「旅」の手段はもっぱら「歩き」だった。その仲のよかった友達はSくんといったが、だいたい彼と2人でぶらっと出かけていた。

 目的地が決まっていることはほとんどなく、行動のルールだけ決めて何処に着くかということを楽しみにしていた。例えば今日は交差点では必ず右折すると決めて歩いて、出発地点に戻ってしまうこともあった。家の近くにN川という川が流れていて、この川はS池という池から流れているという噂があったので、川を遡って上流に向った歩いたこともあった。噂は嘘だった…

 ただ、目的地が決まっていないため、「旅」が続いてしまって家族を心配させたこともあった。家の近くをI線という電車が走っていたが、ある日この線路沿いをずっと歩いて行こうということになった。この時は始め4人で出発したが1人減り、2人減り、最後はSくんとぼくだけになってしまった。それでも、ぼくらは歩き続けた。そして終点のGまで行ってみようということになってしまった。しかし、Sという駅についた時点で時計は4時を回っていた。電車賃を持っていなかったぼく達は帰りも歩いて帰らなければならなかったのだ。そのことを全く考えていなかった。家路につく頃には陽は大きく西に傾き暗くなり始めていた。帰路はあまり話しをしなかったように思う。やがて太陽は完全に沈み、夜の闇がまわりを包んだ。Sくんはどうだか分からないが、ぼくは何故か楽しかった。恐らく独りだったら心細く不安な気持になっていただろう。ぼくは今日中に家に着くのは無理のような気がして、この辺りの家に一晩理由を話して泊めてもらおうと、Sくんに提案したが断られた。頭に思い浮かぶのは夕飯のことばっかりだった。カレーライス、ハンバーグなどが頭に次々と浮かび、消えた。家に着いた時は8時を回っていた。当時8時過ぎまで外で遊んでいるということは小学生だったぼくには異常な事態であった。しかし、家ではあまり何も言われなかった。ただ、Sくんの両親は今回のことを重大に受け止めていたようだった。

 小学校時代ただ1回、予定を立てて「旅」したことがあった。それは多摩川の最初を見に行くというものだった。友達4人とひたすら多摩川を上流に向った。ただ、前のことがあったのでSくんの両親と、お昼になったらそこから先には進まず引き返すという約束をさせられていた。この「旅」は楽しかった。友達がかぶっていた帽子に鳥のフンがかかったりした。ぼくは「旅」の前に足に怪我をしていてまだ糸が抜けていなかったが、影響はみんなのように川にバシャバシャ入れないといったくらいのものだった。これから10数年後本当に多摩川の最初の1滴を見ることになるなんて、この時は想像できなかった。

 中学生になると友達が変わってきた。Sくんとは違うクラスになったせいもあるだろうが、面白いと思う基準が違ってきてしまったようでだんだんと遊ばなくなっていった。そのため小学校の時あまり活躍しなかった自転車が主役になった。ただ、今度は目的地も決めずブラブラするといったものではなく、きっちり行く場所は決まっていた。それが何か物足りないような気がしていた。だが、ぼくはだんだんと道が続く限りどこまででも行けるという感覚を持つようになった。そして母の実家の群馬まで自転車で行く計画を経てた。計画といっても実際は何キロあって、どのくらいの時間がかかるのか調べなかった。道は繋がっているのだから、いつか着くだろうという感覚だった。そんないい加減な計画だったため、この旅行は家族と親戚からの大反対にあってしまった。予定を聞かれても全く答えられなかったのだ。ぼくは1日で着かなかったら何処か適当な場所で泊まればいいと思っていたのだが、そんな考えは家族・親戚から受け入れられなかった。結局この旅は中止せざるをえなくなってしまった。そして高校受験が近づくとだんだんと「旅」から離れてしまった。
つづく…(2004.10.23)


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