カップの中の一滴

〜多摩川の最初の1滴を求めて〜

 もう10年以上前になってしまうが、友人と多摩川の最初の一滴を見に行った。小学生の頃、友人3人といっしょにその場所を目指して以来、心の片隅にいつか見てみたいという気持ちが残っていたように思う。当時はもう社会人になっていたが、職場にわたしと趣味が合う友人T君がいて彼を誘って計画を立てた。

 地図やガイドで何処が多摩川の源流であるかを調べてみると、山梨県丹波山村のさらに山奥にある一ノ瀬高原の奥にある笠取山だということがわかった。わたし達は25000分の1の地図を数枚買い、計画を立てた。一ノ瀬高原からだと1日あれば余裕で行って帰って来られる距離だった。登山部に所属していたというT君に教わりその地図を丹念に2人で折った。

 一ノ瀬高原から丸1日の距離なのだから、わたしが小学生の時に住んでいた東京都大田区からはとても歩いていける距離ではなかった。小学生の時の自分が思い出され、可笑しくなった。

 まず、わたし達は一ノ瀬高原にある民宿に予約を入れ、そこまで車で行きよく朝からアッタクすることにした。T君の車に乗って出発して、都内の雑踏を抜け、立川を過ぎた辺りから道は徐々に空いてきた。青梅から青梅街道に入ると周囲はだんだんと山村の風景へと変わっていく。

 奥多摩糊を過ぎ丹波山村に入るとさらに山深くなった。しばらく走ると一ノ瀬高原に向かう林道があった。そこはやっと車1台が通れるいう幅しかなく、さらに道の両側には背の高い草が茂っていて、見える風景といったらフロントガラスから見える一筋の道とその道から上に伸びている山々とその上に狭く広がっている空だけであった。左右の窓ガラスには秋になり、やや褐色に近くなった草が映っている。こんなところで反対方向から車でも来たら、どうなるのだろうとわたしは自分でハンドルを握っているわけでもないのに不安で仕方なかった。運転している友人T君は楽しそうに「すごい道ですね」などとのんきなことをいっていたのだが、一ノ瀬高原の民宿に着くまで結局、1台の対向車も来ず、わたしの心配は杞憂に終わった。

 民宿には元気のいい小学校3年生と1年生の男の子がいた。ふたりは始めちょっとはずかしそうにしていたが、わたし達が山村の素朴な夕食を終える頃には慣れて来て、夕食後4人で部屋の中で相撲や追いかけっこをやって遊んだ。山奥でわたし達のように若い人間はあまり来ないような場所だから、うれしかったのかもしれない。ただ、ふたりに‘おじちゃん’と呼ばれたことはちょっとショックだった。

 子供達とひとしきり遊んだ後、わたし達は部屋に戻り、明日の準備を始めた。この日のために買ったきれいに折りたたんである25000分の1の地図数枚と水筒、カメラ、調理用の水、携帯コンロ、コッヘル、携帯用のヤカン、箸、スプーン、カップ数種類、レトルトのカレーとご飯、永谷園のさけ茶漬け、煎茶、コーヒーなどをアタック用のリックに詰めこんだ。

 多摩川の最初の1滴を見るだけではなく、わたし達はその水を使ってお湯を沸かしてお茶を入れ、お茶漬けを食べようと計画していたのだ。ただ、水量がどのくらい出ているかわからないため、あまりに少ない場合は持っていった水でレトルトのカレーを温めて、源泉の水でコーヒーを入れればいいと思っていた。

 翌朝、わたし達は早めに用意してもらった朝食を腹いっぱいとり、嬉々として出発した。さいわい天気にも恵まれ、最高の登山日和だった。山道もそれ程きつくなく、登山はほとんど素人のわたしでも何とかこなせそうだった。T君は高校時代に登山部に所属していたらしく、いろいろなことに詳しかった。歩くときも歩幅を狭くして一定のペースで歩くと疲労が少ないとか、水筒はできるだけ体にフィットさせて揺らさない方がいいとか、教えてくれた。

 しばらく歩いていると山小屋のようなものがあったので寄ってみる事にした。中に入るとそこには民宿のおやじさんがいて、わたし達を待ってくれていたようだ。時間的にもかなり余裕があるのでそこで一休みすることにした。おやじさんはコーヒーを入れてくれて、もうしばらくするとかーちゃんが握り飯を持って登ってくるから待ってなせいと言われた。

 どのくらい待っていればいいのかわからずちょっと不安だったが、待つことにした。かーちゃんは比較的早く現われた。わたし達が出発した後、家の用事をいろいろとすまして、さらに握り飯まで作って…その健脚にわたしは内心驚いていた。さらにかーちゃんは背中に背の子と呼ばれている木で作られた荷物運搬用の枠を背負っており、それにはにいろいろな生活必需品が乗せられており、この山小屋に運んでいるようで、わたしは畏敬の念を持った。

 わたし達はかーちゃんの作った握り飯をそれぞれ2つづつ食し、出発した。もっと食べていきなせいと言われたが、あまり食べ過ぎてしまうと源流の水で作ろうとしているお茶漬けを食べられなくなってしまう恐れもあり、食料を持っているのでと固辞した。

 山小屋を出てしばらく歩いて行くと、だんだんと本格的な山道になり、非常にきつい斜面が出現した。わたしはもう息も絶え絶えになり、何度も休憩してやっと踏破することができたが、山岳部出身のT君のよるとそんなにたいした登りではないということだった。この斜面を過ぎるとまた平坦な道に戻り、またしばらく歩くと急な斜面が出現すといったことを繰り返した。この急な斜面という表現はあくまでもわたしの主観による。わたしはもうリタイヤしたい気分になっていたのだが、自分で今回のことを言い出した手前そんなことを言えるはずもなく、T君の後にしたがった。

 そしてやっとという感じでわたし達は多摩川の源流、その最初の1滴が落ちる場所に着いたのだった。まず、そこが多摩川の最初の1滴であることを示す看板の前で記念撮影をした。時刻はちょうどお昼時だ、わたし達はリックから携帯用のやかんを取り出し、多摩川の最初の1滴を集めようとした。

 しかし、その1滴がなかなか落ちてこない。十数分かかってようやくポトリと水滴が1つ落ちるといった感じだった。わたしは焦り困惑したが、どうしようもないことだった。多摩川を創る最初の1滴が次々と落ちているといったイメージは幻想だったのだ。

 お茶漬けは諦め、カレーとコーヒーの昼食に切替えることにした。T君はリックから携帯コンロとコッフェルを出し、それに持ってきたペットボトルに入った水を入れて沸かし始めた。わたしは源流の水をやかんに入れるため水滴が落ちて来るのを辛抱強く待っていたが、やかんの中には1滴分の水滴しか入っていなかった。それがやっと2滴分になったとき、後は持ってきた水を加えてコーヒーを入れることした。ひとり1滴分でいいような気がしたのだ。やかんをいっぱいにするためには楽に6〜7日はかかってしまいそうだった。それならひとり1滴で十分想いでになるような気がした。

 わたし達はそこでカレーライスと多摩川の源流の水がひとりにつき1滴分だけ入ったコーヒーという簡素だけど、考えてみればぜいたくかもしれない昼食をとった。わたしもT君もはじめはがっかりして拍子抜けという雰囲気だったが、何故か不思議な清涼感があった。それは結果はどうであれ、まあやるだけはやったという気持ちがあったからかもしれない。

 その場所をきれいに片付けわたし達は下山を開始した。午前中はあれだけ晴れていたのに山を下り始めると霧が出てきて、辺りは幻想的な雰囲気になっていた。同じところを歩いているのに全く違う風景だった。山小屋まで降りてくると、霧も晴れた。山小屋はすでに閉まっていて、おやじさんもかーちゃんも下山したようだ。わたし達も民宿に向かった。

 民宿に着くとすでにかーちゃんは夕飯の準備をしているところだった。風呂が沸いているから入りなせいと言われたのですぐに入った。山歩きでヘロヘロになっていたわたしは生き返る気分だった。T君にそのことをいうと、「このくらいは登山というよりもハイキングですよ」と言われてしまった。

 風呂からでると子供達が飛びついてきた。「よーし」という感じで外はもう暗くなりかけていたが、4人で鬼ごっこをした。(2003.5.29)


TOP INDEX