小野路村(東京都町田市)で剣道場を開いていた、小島鹿之助の隣宅・橋本家のたくあんが大好きだったそうで、
いつも山盛りのたくあんを食べていた。あまりにも気に入ったためか、樽ごと担いで帰ったことも・・・。
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⇒「たくあん」ですよ。たくあん。あの、歳さんが・・・って言っちゃですが^^
すごい親近感湧くんですよね。わたしもたくあん大好きですから。
ちなみわたしの好きな「たくあん」は、【浜食】さんの、炉ばた漬け!
そしたらすごい偶然、なんと本社が東京都調布市多摩川だった!!
まさか歳さんが好きだったのを社長が知ってて?だって、歳さん、生まれは日野。近藤さんが調布♪
歳さんは日野にいるころからモテてたみたいですが、
京に行ってもそのモテぶりは見事だったそうで、
1863年(文久3年)に、友人・小島鹿之助に宛てた手紙には、
「いや~もてちゃてね~」と、
島原の遊女さんたちの名前を羅列しておられる有名な内容がありんす。
また、「不腆(ふてん)の物、謹んで贈り奉る(大切な貴いものを送ります」と
一言だけ添えられ届いた小包は、
京で頂いた、歳さん宛の恋文の束だったそうな・・・。
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⇒ねー。これ知ったときは、
「わたしも歳さんに恋文渡したい!羨ましい!」と思ったもので・・・。
でも、これを受け取った郷土の同胞たちは、
「また歳さんに一本取られた!」って大笑いしたそうなので、
それだけ歳さんは慕われてたんだな~って思います。
右の画像はデジタル処理のはめ込み写真らしいですが、
こんなひと巡察で歩いてたらやられますね。
でも、巡察中は「鬼の副長」だから、斬られちゃうかも・・・
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しかし、モテてたのは女性だけではありません。
歳さん死後、共に戦った、榎本武揚は実家土方家に
「入室伹清風」と読んだ書を送っていますが、
歳さんのことをこう伝えています。
「歳三は、まるで部屋に吹き込む清らかな風のように
高潔な男であった」 ・・・と。
中島登(なかじまのぼり)という、最後まで歳さんに従って戦った新撰組隊士がいます。
この方は、『戦友絵姿(せんゆうえすがた)』というものを、箱館での敗戦後、収容された弁天台場で書かれました。
これには、新撰組の隊士たちをひとりひとり、丁寧に描いた肖像画が残されており、
当時の新撰組を思い起こすための、貴重な資料になっています。
その中には歳さんの絵もありました。
中島登は、歳さんのことを一文でこう記しています。
頭がよく、気も強かったが、 年を経るごとに穏和になり、
赤ん坊が母親を慕うように人を惹きつけた
と。
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新撰組において、局注法度を重視し、局長の近藤さんを建てるべく
自らが「鬼の副長」となり厳しく取り締まってきた歳さん。
だが、近藤さんが流山で斬首された後、自らが指揮官となると、
次第に部下を気遣う優しさが浮かび上がってきて、
多くの部下から慕われる存在へと変わっていったそうです。
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歳さん、もともとの人柄がにじみ出たんでしょうね、最期は。
長い間歳さんと共にした中島さんだからこそ、書ける。
そんな言葉だと思います。
歳さんに関するリンク集
土方歳三資料館 | http://www.hijikata-toshizo.jp/ |
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土方歳三函館記念館 | http://www.romankan.com/hizikata/00index.html |
日野市観光協会 | http://makoto.shinsenhino.com/ |
井上源三郎資料館 | http://genzaburo.web.fc2.com/index.html |
佐藤彦五郎新選組資料館 | http://satoshinsen.himegimi.jp/index.html |
高幡不動尊 | http://www.takahatafudoson.or.jp/ |
石田寺(せきでんじ) |