新撰組 誠

沖田総司

わたしの好きな沖田さん。

漫画『風光る』 渡辺多恵子さん著 現在も連載中

沖田さんネタは、ほとんど私は知りません。
史実ラブなのは、歳さんと斉藤さんなのですよ^^
でも、私が「沖田総司」というひとを好きになったのは
【風光る】という漫画がきっかけです。
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作者の渡辺多恵子さんによる歴史解釈がとても好きで
沖田さんの「労咳(今でいう結核)」に時期についても
渡辺多恵子さんの研究に基づく描きかたがされていて
私は深く読み進めることができたひとつの理由だと思っています。

史実の沖田総司

★沖田総司のイメージ。

「沖田総司」というひとは、新撰組のなかでもとっても有名ですよね。
沖田総司というと・・・美男子、薄命、剣の達人・・・といった儚いイメージが多いように感じます。

でも、土方さんのように「これ!」っていう写真が残っておらず


沖田総司の肖像画として有名なのがこれです。

沖田の姉のミツが孫、要氏を「総司にどこか似ている」と
称したことから、
昭和4年(1929年)に書かれたものだそうです。
八木家の者や新選組に関わった人物の証言では、
「美青年であった」とは書かれていないそうです。
容姿に関する記述としては、
「ヒラメ顔で笑うと愛嬌があり色黒」
「肩の張り上がった」「猫背」「長身」

と書かれたものだけが残っているとのこと。


こちらもイラストの合成だそうです
これだったらカッコいい?と思わず思っちゃったんですけど・・・(失礼;)
要するのに、全く残っていないんですね。
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そもそもイケメンと言われるようになったのは
司馬遼太郎「新選組血風録」「燃えよ剣」によって
評価や人気を飛躍的に高めることとなりました。。
「薄幸の天才美剣士」という〈沖田像〉は
司馬遼太郎によって創造されたといわれています。
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逆にいうと、それほどまで資料がないからこそ、
いま現在において、
こんなにも愛されているんじゃないかな・・・
とも思います。


沖田総司が眠る場所

★麻布 専称寺
沖田さんのお墓は麻布にあります。
現在一般の方は参拝できませんが、1年に1回だけ、参拝可能な日があるそうです。
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沖田さんの父、沖田勝次郎は奥州白河(福島県)藩主の阿部正僅(まさたか)の家臣で
江戸の麻布の下屋敷に詰めていました。
沖田さんは、その麻布の下屋敷で生まれたと言われています。
なので、専称寺は白河藩下屋敷の藩士たちの檀家寺だったわけです
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沖田さんの誕生日は、土方さんなど他の隊士と違って諸説あり、
生まれたのは1842年あるいは1844年と言われています。しかし、確実なのは暑い「夏生まれ」ということです。
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沖田さんは、1868年5月30日に27歳もしくは25歳の若さで亡くなっています。
それは、流山でとらえられ斬首された、局長近藤さんの2か月後のこと。(斬首されたのは1868年4月25日)
沖田さんは近藤さんが斬首されたとか、亡くなった・・・という事実を知らぬまま
ひとり病床で亡くなったと言われいてます。
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戒名「賢光院仁誉明道居士」
賢く光のように短く世を過ぎ、情深く明るくまっすぐに人生の道を進んでいった誉れ高き人。
沖田さんそのままの戒名だなと思います。

   
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