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≪飲酒の害、その2≫
 (掲示板への返信をほぼ転載)

 個人的には、早急に改善すべき身近で分かりやすい非常識として、タバコ、飲酒、交通の3つが特に重要だと考えています。このうちタバコだけを特別扱いしているのは、個人的に恨みがあるからです(笑)。3つともきちんとしたことを書いてみたいとは思っているんですが、余力的にも教養的にも、今のところは厳しい状態です。
 ただ過去にこのサイトで、簡単にではありますが何度か飲酒の問題を扱ったことがあります。すぐに見つけられるのは、「読み物色々>コラム>飲酒の害(別窓)」なんですが、そのコラムに書いたこと以外では、こんな考えを持っています。

 酔うことを楽しむ人は多いが、酔うということは「普通に動けず、普通に頭が働かない状態」であり、それを自ら望むのはおかしなことである。そんなに普通が嫌なのか? だからと言って異常を好むのはおかしいのでは?
 酔っている間は理性が働きにくいし、記憶をなくすような人もいる。これは酔っている間に何をするか分からない(極端にいえば人を殺めるかもしれない)という無責任な状態であり、つまり酔っ払いは犯罪者予備軍である。
 飲酒にはメリットもある。・・・が、それはデメリットとは比較にならないほど小さなものであり、ちょっとしたメリットが見つかっただけですぐに飲酒擁護派(?)の学者やマスコミが騒ぐのはやめてほしい。
 大豆やウナギ、生肉など、きちんとした調理をしなければ害がある食材は少なくない。酒もその1つであり、アルコールをとばさずに摂取する方法(通常の飲酒など)は思いつきもしない、というのが本来身につけておくべき感覚である。
 アルコールを受け付けない体質の人や、酒が嫌いな人も多い。だから酒は決して人に勧めてはいけない。
 例え飲み会の乾杯であっても、各自が好きなものを飲み、それをだれもが当たり前だと思うのが理想。
 酔えば人が変わる人をどう評価するべきか。それは飲まなければいいだけのことを実行できないのだから、普段から問題があると考えるべきではないか。
 酒関連で収入を得ている人の生活? 仕事なんて贅沢しなければいくらでも見つかる。つまり転職すればいいだけの話。
 酒は文化? それは科学や倫理が未発達だった時代に生まれたゆがんだものであり、否定すべきことは否定するのが良識ある現代人のすることである。

 飲酒の問題が難しいのは、実際の害と一般常識とのズレがタバコ以上に大きいことだと思います。なにせタバコは百害あって一利なしと言われているのに、飲酒は百薬の長なんて言われているくらいですから。酒好きな人に飲酒の問題を理解してもらい、行動に移してもらうのは、現状では不可能に近いのではないかと思います。
 となれば法規制ですが、法に携わっているのも普通の人。飲酒に関する理解が十分にあるとは思えません。初めに書いた身近で分かりやすい非常識3つのなかで、もっとも改善が困難なのが、もしかしたら飲酒なのかもしれません。

 結局普通の人が個人的にできるのは、飲酒のような問題に無頓着な人を正しく評価すること(酒癖の悪い人との恋愛や結婚は、自ら被害者になることを望むようなもの)。飲酒という行為がどんなものであるのかを、飲酒に興味を持つ前の子供に正しく教育すること。
 ・・・これくらいしか思いつかないんですよね。飲酒やタバコなどあらゆる問題を1度に解決できる手段として、優れた価値観を身に付けさせるというものがあり、「エセコラム>あなたがあなたになったわけ」「エセコラム>背中で語れぬ大人たち」でそれについて書いているんですが、これは現実的ではないわけで・・・。

【後日追記(書き下ろし)】
 よい機会だと思い、お酒のことについてちょっと考えてみました。それで思ったのは、飲酒の問題とは飲酒という行為そのものにはほとんどなく、飲酒マナーの乱れによるものが大半だということです。これが喫煙という行為そのものが主な問題であるタバコとの違いでしょう。
 問題なのはマナー。マナーというのは飲酒に限らず守られていない部分が多いのでそれを正すのは非常に難しいのですが、飲酒のマナー違反がゴミのポイ捨てなどと違うのは、飲酒に関する理解不足が大きな原因となっていること。つまり分かってやっているか、分からずやっているかの違いがあるということです。
 つまりまずは、一般市民の飲酒に関する知識と理解を増やすことが必要です。そうすれば、一部のまともな人だけでもマナーを守れるようになるはずですし、学生のうちから教育すれば、飲酒に興味を持つ人が少しは減るでしょう。
 ・・・が、飲酒は大人になったら当たり前という誤った常識が広まっている以上、これすらも困難と言えます。なにせ自分の常識を変えられるのは、自分を磨こうという意識を強く持っている人だけなのですから。

 マナーが守れないならば法による完全禁止がベストというように感じますが、これには大きな無理があります。なぜなら飲酒という行為そのものにはほとんど問題がないからです(厳密にはアルコール飲料を食品として扱うことには無理があるが、自分の限度を超えて飲まなければ問題はおこらない)。また料理用に使う(アルコールを完全にとばす)のであればメリットしかないという理由もあります。そもそも正しい調理をしなければ危険な食材など、酒以外にもいくらでも売っています。酒だけを例外扱いするのはおかしな話です。
 なお酒類に関する理想の取り扱いは、通常の食品として扱って構わないがそのまま飲むのは禁止かつ非常識という、誰も守りそうにないものではないかと私は考えています。

 ・・・こう考えていくと、飲酒の問題を改善するのがいかに難しいのかが良く分かります。タバコのように完全禁止が理想という単純な話ではないのです。結局は「自分だけは加害者にならず、出来るだけ被害者にもならない」という自己防衛に努め、「自分を磨いて魅力的な人になったうえで、マナーを守らない人を正しく評価する」ことにより、マナーを守らないことが少しでも人生の損失につながる社会を作っていくという、地道な努力が必要ではないかと思います。もっとも社会というのは多数決で動いているようなものなので、飲酒擁護派が多数を占める現状をひっくり返すのは、とてつもなく困難なことであるのは間違いないのですが。
 それでも行動すれば、その人に関わったまともな人の人生だけでも変えることができます。飲酒マナー改善のために少しでも活動すること、私は決して無駄なことだとは思いません。


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