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哥哥窯 着色貫入磁器のまとめ 

2014/01/10,13  2015/09/17


清朝、雍正帝も乾隆帝もどうやら一目も見られなかった幻の焼き物。

残念ながら両皇帝は、汝さえも買い戻せなかったと聞きます。

これらは、当時、売りには、出なかったのでしょう。

黒に金線の2色   黒に赤の2色、
地色米色のピンク
 黒1色 黒と薄茶の2色 
 華夏鈞窯
金糸鉄線
 華夏鈞窯
米色
 北宋 
徽宗官窯
北宋 
徽宗官窯
 
       

歴史に名を残す銘磁。周の終り 華夏鈞窯。 金糸鉄線は後世の皇帝達に愛でられました。


今回はまとめとして、着色貫入磁器、哥窯タイプを列挙、分類します。

トピックとして黄ゆうのものも挙げます。

哥哥窯または哥窯と現在呼ばれる中国磁器は着色の仕方で大きく2種あります。

1つ目は白、グレー地などに作られた貫入を黒1色に着色した徽宗官窯タイプ。


1色タイプ 徽宗官窯 のち白哥窯


   1色 1色  1色   清朝復古 清朝復古 
徽宗官窯     

北宋を倒した金では、これらの復古がなぜか盛ん。窯人が同じですから、あたりまえでしょうか。

元、明になると、景徳鎮の土で焼かれる。土色で見ます。硬い、白い色になります。

清朝では白哥窯の名で復古されました。なぜか2色ものを見ません。


2色タイプ 金糸鉄線と米色


左から金糸鉄線(黒線と金)、米色と黄ゆう、右端、徽宗復古の米色

2つ目は、2色もの。

大きな黒色の割れは同じですが小さく赤、ピンク、茶、ベージュなど更に着色するものになります。

この2色目を、長い使用の間の汚れによるものという話は、まあ、日本の青磁の話でしょう。

日本の陶磁器の常識と知識でもって、中国磁器を論評することは、危険なことに思われる。

きぬた青磁のルーツをご参照ください。(トップページに戻る



この2色ものは地色を含めると3色になり、更に被葬者(墓に入った者)に対する思い、愛情も伝わる。

金糸鉄線は大きな黒線のほか、茶色く小さな割れがあります。そのうち2割から3割くらい、金色に見えます。

小さな泡を押し出して、その泡のところが、見事に金色に光輝きます。現在まで再現不能。


米色は地色がピンク。大きな黒線に赤く小さな線が入ります。

しかし残念なことに、このタイプの優品は、なかなか両故宮に伝わらない。

去年の人気テレビ番組では、日本の鑑定家から、哥窯は俗に白い磁器などと言われる始末。

まあ、日本でもこんな具合ですから、よその国のことは、悪くいえない。

下は2011年、事故によって学芸員によって破損。立て続けに2枚!割れた。

この事実を中国の良心と考える。

北京故宮
伝世品
1級文物
破損 
     


着色貫入磁器のはじまり 時代ごとに見ましょう 唐磁史参照

 唐 華寶鈞窯  

はじめは自然ユウ だからおもしろい。 高宗武后期と思われる(ただし無銘)


   原始貫入  原始貫入   原始水割り 元明復古
高宗武后期         
高宗武后期        



唐  華夏鈞窯  周 則天武后没後

 

(かかの華は武后文字 化に十 現中国の新体字!) 

明以降 華夏は哥哥の文字が当てられ南宋期 龍泉窯起源ともいわれた。

 

米色と見事な黄ゆう磁器 右 徽宗官窯の米色


   金糸鉄線  金糸鉄線  米色  部分割り  部分割り 現代復古 
 706年改葬
威徳太子墓
 
 706年改葬
永泰公主墓


唐 華藝鈞窯 (芸は旧字に代わる) 玄宗期

       北宋復古  現代復古
 756年
安禄山
楊貴妃
合葬墓
     
 伝世品
玄宗墓
     
         


北宋 貫入磁器

2013/08/04  旧稿 哥窯はなかった? ご参考

しかし正直なところ、一番良く分からない

北宋の黄ゆう 右端は分類不能


宋 徽宗官窯と思われる 貫入磁器


ご参考

左 銅器 と中 唐 永泰公主墓の華夏きん窯 部分割り貫入


汝に見る北宋 皇室の暗殺と動乱 ご参考

汝窯  女帝の汝  徽宗の汝  


右 北宋 汝窯での写し (兄鉄宗墓 暗殺を法により伝える)

 左 徽宗復古 右はコピー品。2003年頃、日本のヤフーに出ていたもの。

真品 倣品の差はわずかと言えばわずか。観察すべき点、形(全体と各部分)、貫入の具合など。

トータルで真品はきりっとして、力強い。コピーは姿がだらしなく、貫入に厳しさがない。


 

北宋のものが良く分からない理由として3つの言い訳 

北宋がまず南宋に比し王朝の体を長くなさないこと(磁器に関しての話。官窯は五代周王に遠慮した)

神宗、哲宗の暗殺も続いた模様で、安定した帝政が短かいこと(徽宗期はまさに宋の末期、衰退期)

最後はそんな訳で市場に優品が少ない(?)ことです(当方の収蔵もデータ自体も不足です)



なぜか多い復古品

宋五名窯の名のみ、後世、喧伝される。私も当然としてまず集め始めました。

下は現代復古品 N.Y.から1つ10ドルで30個ほど買いました。船便のため半分割れて届きました。

このうち1つだけ、汝の真品(?)を見つける参考品が結果としてありました。

ゆうはまったく参考になりません。台湾の切手みたいです。

官窯としても、南宋 龍泉窯の悪い見本です。


徽宗官窯は底銘が入るものが多く、また独特の製法と貫入に、こだわりが認められ、なんとかくくれる。

いずれにせよ、徽宗帝は磁器にもこだわる芸術家皇帝ではあったでしょうが、

磁器が伝える、親の神宗、兄の哲宗暗殺など、王室のいざこざの中、

現在、私たちが知るものとは、大きくことなる。

まずは磁器ウイキリークスの世界です。

2014/01/14 現在

 黄ゆうの謎        
         
  耳は子が多い 耳に注目 耳に注目 耳に注目 耳に注目
太后の汝か
貫入磁器
神宗を失う
 
 哲宗 
汝ほか
    下は復古
 徽宗 
汝末期
 
     
           清朝復古
徽宗官窯   
 金元
復古
         
金元
復古
 
         現代もの
北京故宮
伝世品
1級文物 
         
 2011年
割れた
1級文物
上も割れた     


南宋 修内司窯  一番多く残り素晴らしい


左 唐  中と右 南宋の黄ゆう やや遠慮ぎみ


徽宗官窯タイプ2種 
左 金 厳しい雰囲気  中と右 南宋 修内司窯 気候にも似てやわらかい貫入の色

左 北のきん  右 南の風土 やわらかい貫入と着色


修内司窯はいきどうりの磁器

北宋の定窯の如く服喪の磁器が多く焼かれた。

南宋の磁器は、上品な志野焼きの様な肌に、繊細な単貫入の磁器が、初め多く焼かれたもよう。

これらは先祖に対しての儀礼品。多くのとらわれの人々、上皇(徽宗)、兄、愛妻などに対する願いを込める。

後に、遺骸が多く戻り(16人)、彼らに対する服喪の気持ちの表れと思われるが、多くが墓に入る。

底銘は、その所属部署(飾り場所の指定)、官は役所の備品を意味し、又、下賜品ともなる。

銘のない物の多くは、出墓品に分類できる。

南宋の汝とも言うべき粉青青磁は、これにあたる。それらに貫入は、ない。


下はきさきへの愛情で焼かれた宋銘の磁器です(初公開)

愛と悲しみ。小説ではないが、名作の重要要件です。




1色 
旺のあかし
四耳
双耳
管耳
       
1色          
 1色         
1色 
2色
旺のあかし
黄ゆう
     
  2色        
 黒1色      
  2色        
 薄赤1色        


郊壇下官窯 これも良く分からない

   


龍泉窯

  1色          


2011年の事故雑感

せめて、下の磁器くらい、見せて欲しい。

 金元
復古
       
金元
復古
 
       




下は数少ない伝世品。

徽宗官窯タイプでしょうか。目跡は汝風。

鋳込み(官窯)でなく民窯のろくろ風。これは1947以降、官品がろくろ成型と信じられた20世紀的発想。


北京故宮
伝世品
1級文物 
     


最後は、貫入に独特の規則性と嗜好性がみられない。

出来がお世辞にもあまり良くないと思っていましたら、2点とも、事故で2011年に続けて割れたそうです。

世界に8点( 日本の人気鑑定士の弁、これも20世紀的常識で感心しない)のうち、2点が割れた。

更に壷はろくろ使用が察せられ、もっと感心しない。(ろくろだと貫入が右上に強くすり上がり、ねじり棒に見える)

こう書くと、次々と又、割れるものが出てきそうなので、止めます。

徽宗官窯とは、私見ながら、もうすこしまともなものです。

また、そのひながたの唐は、実に素晴らしい。


2つ目の、2色もの。


大きな黒色の割れは同じですが、小さく赤、ピンク、茶、ベージュなど、更に着色するものになります。

この2色目を、長い使用の間の汚れによるもの(先述 日本の鑑定家の弁)とは、まあ、日本の青磁の話でしょう。

日本の陶磁器の常識と知識でもって、中国磁器を論評することは、やはり危険なことに思われる。


ちなみに古物鑑定 雑感


中国の絵画の鑑定を3名で行うお話が興味深い。2名が本土中国の方。もう1名は台湾の方。合議制ですかね。

鑑定はどこまでいっても集合理論。真か倣の2択なのは、真が良く理解されている時代のみ。

残念ながら、95%、100%の理解は、現代物以外、むつかしい。

独断ですが

理解できるのは、唐、唐以前で10%位、五代宋代20%、金元代20%、明代50%、清代50%、それ以降70%位可能か。

残りが実は重要なことで、不明なほうが多い。

不明のところが実は宝ともいえる。


バチカンの鐘

上記はこうも書ける。不明なところ。

唐、唐以前で90%、五代宋代80%、金元代80%、明代50%、清代50%、それ以降30%位不能。

こうはっきり書くと、誰も鑑定、理解など正しくできない訳で、

それでは学芸員として恥ずかしく、世俗では鑑定士としてめしが食えない。

業としても、ピンは大手オークション会社から,キリは街の骨董屋さんまで、当然、めしが食えない。


皆、生活がかかっている

現在、大橋巨泉さんの芸能プロダクションに、石坂浩二さんと共に所属され、タレントとしてご活躍中とのこと。

鑑定士では、やはり食べていかれない。他人のなりわいにケチを付けたくは、ありません。

結果としては古物商、鑑定士は、バチカンの如く皆、権威におもねるのでしょう。

しかし考古、古美術の世界は、神の世界、研究とは、元来違うのに。

いや、待てよ。同じになんだか思えてきた。


悠々自適

先の3名の鑑定家の話はつづきがあります。一人、本土の方が、どうも偽物と鑑定したそうです。

もうすこし、鑑定したいと言い、しばらく預かりたいと、オーナーに言います。

その後、どうなったと、思います?

彼は、精巧に模写をさせ、その模写を、オーナーに返したそうです。悪い方ですね。

その後は長く、本土中国で、その博学を生かし大学の教授をつとめ、退官後、悠々自適の日々だったそうです。

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