2003.12.28-12.29

高山本線漫遊(富山−岐阜)   路線図を表示

 2003年の年末の帰省、綾小路さんは聞くも涙、語るも笑いの訳あって、高山本線の完乗を決意した。 昨日は羽越本線の完乗を果たし、今日はここまで北陸本線を漫遊して16時31分に富山駅に到着したところである。 そして今夜は富山駅前のビジネスホテルに宿泊予定であった。 少し早いがいよいよ明日に迫った高山本線の漫遊に備えて、早めにチェックインして、英気を養う・・・訳ないな!
 つい先週に冬至を迎えたばかり、周辺はすでに暗くなってきているもののまだ時間は早い! 一日かけても高山本線の全駅を探索するのは不可能。まして明日の宿泊地は松阪である。 時間は一日も取れないのである。 ここは少しでも探索駅を増やそうと、さっそく高山本線へと乗車する事にした。
 高山本線はどうやら3番線から発車するようだった。北陸本線は改札口前の1番線に到着した。 そこで、跨線橋を渡った島式ホームが2&3番線だと考えた。 しかしそのホームに行ったものの、3番線の表示はない。 実は2番線ホームの金沢駅寄りの最奥に3番線ホームが有ったのだ。
 いよいよ今回の漫遊の最大目的である高山本線に乗車である。 血湧き、肉踊る・・・、違うな。ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン・・・、もうええわ! 列車は16時52分に発車して、しばらくは北陸本線の線路の隣を走った。 神通川を渡河する鉄橋は別々に掛けられていて、このまま北陸本線から分岐していくものと思われた。 しかし渡河後に再度、最接近してしまう。あれっと思っているうちに、やっと高山本線は北陸本線から分岐していった。 まずは2駅乗車して速星駅で下車。駅舎は昭和2年9月の建築である。(左) ここからすぐ裏手の工場まで貨物専用線が延びていて、構内には無数の線路が敷き詰められていた。 撮影したものの、やはり暗くてピンボケ。構内の様子が分かるのは跨線橋の写真ぐらいか。(右)



 速星駅にやってきた列車は、おそらく先ほど乗車した列車の折返しだろう。 ここから2つ先の越中八尾駅行きだったからだ。 この列車に乗車して一旦逆戻りして、富山駅との中間の西富山駅で下車した。 速星駅と同じく昭和2年9月の駅舎である。 うーん、暗いな。うまく撮れない。


 速星駅に西富山駅。撮影したが出来は散々。この辺がプロとシロウトとの違いだと痛感する。 計画ではさらに笹津駅、楡原駅まで足を伸ばして探索する予定だったが断念、富山駅に戻った。 ここで夕食を何にするかは大いに悩んだ綾小路さんであった。 富山駅弁を購入して夕食に当てようと決めていたが、ここの駅弁は豊富である。 ”越前たらばの蟹飯”や”柿の葉すし”(鯖ずし)、名物”ますのすし”の豪華版である”特選ますのすし”などがあった。 結局はますのすしをコンパクト化した”ますのすし弁当”(上段)と、同じく”ぶりのすし弁当”(下段)である。 これらは簡易な包装と適度な大きさで召し上がりやすくしてあると謳っているが、やはり駅弁としては食べづらいものであった。 しかし今日はホテルに持ち込んだので事なきを得た。 いやそれにしても鱈に鮭、鱒に鰤。 今日は一日魚浸けで健康によさそうなのはよかったが、そろそろ肉が欲しくなってきた。 そういう訳でもないが、明日の夜は松阪。あの有名な牛肉の駅弁を予約済みである。 うまくいけば昼には高山駅の肉料理の駅弁も購入出来る。 さあどうなるか、期待に胸ふくらませながら、今日のところは寝る事にした。


 5時45分の目覚しで起床した綾小路さんは手早く支度。 それにしても眠い、やっぱおとなしくチェックインして英気を養っておくべきだったか。 まあ寝過ごさなかったのでよしとするか。
 おお、ホテルの窓から富山駅が見える。(左) ここは昨日に宿泊した柏崎駅前のホテル同様に、徒歩で1分もかからない、撮影には持ってこいのポイントである。 駅自体が大きすぎて地上からは撮影し辛いので、尚更貴重なポイントであろう。 しかし夜はチェックインが遅く、朝はチェックアウトが早い綾小路さんはなかなか日が登っている時に撮影出来ない。 そしてチェックアウトして地上から見ると、おおでかい。(右)
 駅に入るとすでに駅弁や駅そばが営業していた。 そうだ駅弁などは高岡駅と同じ駅弁屋だし、富山駅のほうがお膝下だし当然か。 しかし昨日の酒が残っていて、とても駅弁を買おうという気が起きなかったのである。


 そして改札を抜け、跨線橋を渡り、高山本線の発着ホームである3番線に向かった。 しかしどうもおかしい。2番線から3番線に向かっても暗くて人の気配がない。 これは違うな、急いで戻って確認すると改札を抜けたところ、1番線からの発車であった。 朝早く、本来の高山本線発着ホームからの発車でなかったのである。
 6時41分に発車した越中八尾行き列車は北陸本線から分岐して、昨日探索した西富山駅、次いで速星駅に停車して終点を目指した。 ここからがいよいよ未体験ゾーンである。ひと駅過ぎて終点の越中八尾駅に到着した。 古そうな駅舎があったが、建物財産標は見つからず建設年度は分からなかった。


 ここから先ほど通過した千里駅へ戻る。昨日も乗車したが富山−越中八尾間は区間列車が多く発着していて便利だ。 ここには昭和2年9月の建物財産標があった。おそらく先ほどの越中八尾駅も同時期であろう。 高山本線の開業年度を綾小路さんは知らなかったが、富山からここまでの4駅は間違いなく開業年度に建築されたものであろう。


 そして7時52分に猪谷駅行き列車に乗車して、越中八尾駅を通過した。 暖冬で平野部にはあまり積雪はなかったが、さすがに山間部が迫ってくると多くなってきた。 東八尾駅はホームに待合室の駅だった。(左) 昨日、行き損ねた笹津駅はなかなかよさそう。(右) 逃した魚は大きかったか。 そしてここから列車は神通川添いに登り勾配を進んでいった。


  列車は楡原駅に停車した後に終点の猪谷駅に到着した。(上左) 駅舎は昭和5年2月建築だった。(上右) おや、ここは開業した後に建替えたのか。 しかしこの当たりは古い駅舎の宝庫だ。綾小路さんは非常にうれしい。 ここからは神岡鉄道が分岐していておよそ20キロ先の奥飛騨温泉口まで1日7往復の列車が発着している。(下左:他に区間運転が何本かあり) ちなみに高山本線の列車は(下右)である。


 高山地方には明治20年代から鉄道建設の請願が出されていたが、飛騨高地の深い山中を通さなければならず、 なかなか建設にかかることができなかったという。 工事は大正時代に岐阜県側から始まり、高山線として1920(大正9)年11月に岐阜−各務ヶ原間が開業した。 美濃太田、下麻生、白川口までと順次漸進して1928(昭和3)年3月には飛騨金山駅までが開業した。 一方、富山県側は飛越線として、まず1927(昭和2)年9月に富山−越中八尾間が開業した。 笹津まで開業した後、猪谷駅まで開業したのは1930(昭和5)年11月の事である。 何だ、猪谷駅は開業年度に建築された駅舎だったのだ。 その後、杉原駅まで開業した後、1932(昭和7)年11月に坂上駅までが開業した。 この頃、岐阜県側の高山線は焼石、下呂、飛騨萩原と順次開業していて、飛騨小坂まで開業したのが1933(昭和8)年8月。 1934(昭和9)年10月25日に、最後の飛騨小坂−坂上間が開業して全通、高山本線と改名した。

 ここから先、高山駅までの途中にある飛騨古川駅はまた名の知れた駅舎だった。 しかし次の普通列車の利用で下車すれば、もうひとつの名駅舎である下呂駅での探索が困難になる。 そこでここは別料金を支払い、特急に乗車する事にした。 果たして乗車券&特急券の1370円に見合った駅舎かどうか。 8時47分発のワイドビューひだ6号はさすがに快適。 神通川の上流である宮川を眺めながら山中を進んでいった。 30数分の後に飛騨古川駅に到着、特急は快適だがやはり忙しない。 綾小路さんにはローカル線の旅があっている。 そして肝心の飛騨古川駅舎、袴腰の屋根を持った洋館駅舎である。 追加料金の元を採ったかというと・・・うーん、微妙。 しかしやがては通る道、駅舎の本に載っていたこの駅を探索できた事には満足している。 もし建替えともなると一生後悔する事になったはずである。 玄関の上側には昭和9年10月の建物資産標が貼ってあった。 これは高山本線の全通時であり、飛騨古川駅はその時に開業したらしい。


 ここで特急に乗車しなければ猪谷駅から乗車していたであろう各駅停車がナイスタイミングでやってきた。 綾小路さんはこの列車に乗車して高山駅を目指した。 やはり各駅停車はいい。車内からとはいえ、駅舎のようすが分かる。 飛騨国府駅(左)に上枝駅(右)、次に高山本線に乗車した際にはぜひ下車してみたいものである。


 列車は終点の高山駅に到着した。 ここで乗換えとなるが時間は30分あった。 高山駅のコンクリート駅舎も堂々としたもので、駅舎の本にも良く登場していた。(左) さすがに沿線では最大の駅らしく、車両基地ともなっていて、富山駅寄りの端には古い木造の車庫があった。(右) かつては転車台に給水塔もあったのだろう。


 さて、ここで美濃太田駅行き列車に乗車して昼食を取る。 高山駅にも有名な駅弁が多く、何にするかは迷った。 ”飛騨路わっぱ”に”牛しぐれ弁当”、予約が必要だが、日本酒付きの”飛騨の地酒弁当酒蔵”などなど。 その中で綾小路さんが選んだのは”あつあつ朴葉(ほうば)みそ”弁当1050円であった。 これは聞くところによると朴葉の上に高山名物の朴葉みそが乗っているらしかった。 加熱式のもので、紐を引いてから約8分かかるとの事であった。 ではいざ、しゅっ(紐を引いた音です、念のため)・・・、・・・。長い。 まだかー、ここで時計を見たらまだ3分も経っていない。うーん、いらいらいら・・・・・。 確かに紐を引いてから8分しか経っていないのであろう。 しかし綾小路さんにとっては永遠とも思える時間が過ぎた。(大げさな) よーし、もういいでしょう。お待たせー! 味噌がメインの駅弁も珍しいがこれがまたうまい。 御飯に付けて食べるもよし、おかずに付けて食べるもよしである。 本場の高山ラーメンも食べてみたかったが、そのための時間は割けないよなあ。 高山本線のほとんどの駅を探索してからか、高山駅周辺に宿泊する時にしかチャンスは巡ってこないだろう。 さていつになる事やら。 10時31分、駅弁を半分ほど食べたところで美濃太田駅行き列車は発車した。


 次の飛騨一ノ宮駅では交換列車待ちで5分ほど停車する予定だった。 そこでダッシュして駅正面から撮影に成功。(左) しかし列車はさらに5分程停車する事になった。交換列車が遅れているらしい。 それならゆっくり撮影できたのだが・・・。
 渚駅は小さなプレハブの待合室の駅だった。 飛騨小坂駅は古い駅舎が建っていて、次回高山本線に乗車した際にはまっさきに下車する計画を立てるだろう。 気が付けば雪はほとんどない。山も白く見える部分は少ない。 暖冬だからだとは思うが意外に雪は積もらない地域なのだろう。 飛騨宮田駅はホーム上に待合室の駅だった。 そしてありました、上呂駅が。(右) 下呂があれば上呂もあるのは当たり前か。


 飛騨萩原駅では交換列車待ちで8分ほど停車時間があるはずだった。 しかし飛騨一ノ宮駅での停車時間が延びたあおりなどを受け、駅に到着したときには発車時間は迫っていた。 こんどこそダッシュ!はひー、くるひいー。なんとか撮影に成功。(左) 続く禅昌寺駅は車内から撮影した。(右)


 そして列車は11時45分に下呂駅に到着した。 綾小路さんはここで下車したが、今度は2260円をかけてのものとなる。 ここで途中下車しなければ美濃太田駅まで乗車できたのである。 次の普通列車は2時間以上あとの発車で綾小路さんは待てなく、特急を利用するしかない。 しかし下呂駅は外せないだろう。 ホームでさっそく温泉を発見。(左) 石板には”天下の三名泉”との文字が刻まれている。 では残りの2つはどこ? 答えは裏面にあった、草津温泉に有馬温泉と書いてあった。 徳川幕府の儒者として名高い林羅山の言葉だとか。 温泉からは湯気が出ているが、分かり辛いのが残念。 しかしこれは飲用するものか手洗い用のものか説明がないので分からない。 柄杓があったので手洗い用であろうとは思うが。
 それにしても暖かい。周辺に雪もなくここでマフラーはお役ごめん。 再び忘れてしまわぬように荷物の奥にしまい込んだ。
 温泉街は駅の裏手、ホームから一望出来た。 次ぎに来るときは宿泊する余裕があってほしいものだ。 ホームの探索後には改札を出て、いざ駅舎を撮影。温泉街だからしかたないがタクシーが邪魔だ。 しかもでっかい門松までも。(右) 足湯でもあるかとも思ったが見当たらない、残念。


 そして恐れていた事が現実になった。 駅舎内が次ぎの特急に乗車する人でごった返してきた。 列車の発車15分以上も前なのに改札口には20人ほどの行列が出来ている。 先ほどの各駅停車はまだ空いていたので綾小路さんはちょっぴり後悔! しかしこの下呂駅はぜひカメラに収めておきたかったのである。

 列車に乗車してなんとか座る事が出来た綾小路さんであるが、ある心配事が大きくなってきた。 下呂駅の発車時刻はすでに4分遅れていた。 これでは各駅停車に乗換え予定の美濃太田駅での7分間の探索時間が無くなってしまう可能性が高い。 しかも美濃太田駅で各駅停車に乗換えても、その後に列車交換もなく、どこかの駅舎をカメラに収める確率もかなり低かった。 何よりもともと岐阜駅で東海道線に乗換えの時間が3分しかなかったのである。 いくらなんでも東海道線との接続は取ってくれないだろう。 10分置きに発車しているから。しかし次ぎに綾小路さんが行こうとしている駅はその内の半数の列車は通過してしまうのである。 その後の乗り継ぎもあるのでぜひとも計画通りの列車に乗車したかったのである。 乗換え列車は定刻に到着するかもしれない。しかしここは安全策を選択した。 幸にも下呂駅で購入した特急券は岐阜駅まで乗車しても不足はなかった。 乗車券のみ510円を足せば、岐阜駅まで乗車可能となったのである。

 しかしやはり特急は味気ない。満員列車なので尚更である。 車内放送で”もうすぐ木曽川の支流である飛騨川の景色がよいところを通過します”と言っていたが、反対側の車窓で見えない。 こうして結局、下呂駅以降はただのひとつの駅も撮影できずに岐阜駅に到着した。 しかしこれで高山本線に完乗するという最大の目的は達成したのである。
 そして転んでもただでは起きない綾小路さんであった。 3分の乗換え時間では撮影不可能だった岐阜駅の撮影が可能となったのである。 現在は新幹線の駅として高架化され、駅ビルとなったが(左)、ここにはそれまで使用していた駅舎も残されている。(右) 実はこれも撮影したいとは思っていたが、今回は諦めていた。
 新旧の岐阜駅を撮影してホームに戻ると結局、美濃太田駅で乗換予定だった各駅停車は東海道線発車時刻には間に合わなかったようだ。 しかし乗継ぎはちゃんと取ってくれているようだった。 まあ旧岐阜駅を撮影出来たからよしとしよう。


 岐阜駅を14時12分発の列車で、おっと高山本線の接続を取ったので2分ほど遅れたか・・・ 東海道本線を東京方面にひと駅、目的の駅は木曾川駅という。 ここでの探索時間は13分しかない。駅舎を扱った本によく登場する名駅舎である。 まずホームを少し撮影した後に改札を出て、駅舎を撮影しようとするが、悪い位置に車が駐車している。 いちおう撮影したがやっぱり邪魔すぎだった。運転手は乗っているので少し待ってみるか。 しかしタイムリミットは迫る。そのうちに反対方向の列車が到着した。 これから下車する人を待っているのもしれない。いやそうであってほしい。 そうでなければアウトだ。あと7分。果たして降りてきた乗客を乗せてその車は走り去った。 いまだ、待ったかいがありました。 財産標では明治19年6月建築となっていたが、これは駅の開業年であり、この駅舎は昭和初期の建築との事である。


 木曽川駅からさらに東海道本線に乗車、5つ目で名古屋駅に着いたぎゃあ。 名古屋に来たからにゃあ、んみゃーもん食いたいぎゃあ。 味噌カツに味噌煮込みうどん、きしめんに海老ふりゃー、あっ、よだれが。 ほだけど時間がにゃあから、しかたんにゃあ。 すぐに関西本線に乗換えなければどえりゃーことになる。
 おっと、失礼!しかし本当にどえりゃー事になっていた。 関西本線のホームに行くと、すでに列車待ちの行列が出来ていた。 しかしここでも悪運が強いのか綾小路さんは座席の確保に成功、ここからは1時間以上の乗車なので助かった。 (注:決して割込みや人を押しのけて乗車している訳ではありません、念のため)
 名古屋駅を15時08分に発車した列車は次の八田駅への途中に名古屋南運転所を通過。 奥には近鉄線の線路もあるのか、凄い数の線路が横たわっている。 列車はしばらくして木曾川にかかる鉄橋を渡った。 そこに位置する長島は木曾川と長良川に挟まれた三角州のようだ。 しかし多くの三角州とは違いその名の通り長い島となっている。 だいたい巾1キロに対して長さが20キロぐらいある。 帰って調べるとこれは輪中と言うらしい。そう言えば小学校か中学校の時に習ったような・・・。 とにかく河川改修などで三角州や島どうしを堤防で繋いで出来たらしく、海抜0m地帯との事である。 その長島の上に長島駅が開業しているが、これは日本で一番小さな島にある駅であろう。
 その次ぎが桑名駅。ここか、焼き蛤の名所は。そういえば蛤はしばらく食べてないなあ。 北海道ではホタテ、ホッキ、ツブが主流だ。(ツブは高いので食べた事はないが) 東京にいた時に、アメ横での叩き売りを思い出すなあ。(これも叩き売りで買った事はない)
 列車は16時22分に亀山駅に到着した。 ここから今回の漫遊の2つ目の大目標、紀勢本線の完乗を目指す。しかしこれには致命的な問題もあった。

綾小路さんの漫遊は紀勢本線漫遊に続く!

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