綾小路さんは時刻表の巻頭に載っている路線図のコピーを撮って、乗車した路線を競馬用の赤鉛筆、もとい赤の水性ペンで塗り潰している。
(注:競馬にも赤鉛筆は使っていません)そうすると乗車済みの路線と未乗の路線が一目瞭然となる。
これを日々眺めて、次ぎはどの路線を漫遊しようかと思いに耽っている。
話しは2003年の4月に北陸の漫遊を終えて帰った時の事である。
初めて乗車した氷見線と城端線を路線地図にマーキングしていた。
まずは北陸本線から北側の氷見線をマーク。おーけー。
そして南側の城端線、起点の高山駅から南側に塗りつぶして行く。うん、なんか変だ。あれっ違う。
そこまで氷見線と思っていたのは富山港線で、途中まで塗りつぶした城端線は何と高山本線だった。
しまった、高岡駅を起点とする氷見線と城端線、富山駅を起点とする富山港線と高山本線。
この二つの組み合せはよく似ているのだった。その時に富山港線は乗車したので問題無かった。
しかし高山本線はまだ乗車していなかったのである。
コピーを取り直してまたマーキングしなおせばいいか。
しかし乗車の記録である。序々に塗り潰してきたその地図を綾小路さんは捨てられなかった。
よーし次ぎは高山本線だ。完乗して全部塗り潰すぞ・・・。
そして高山本線に完乗する計画を実行する時がやって来た。
綾小路さんは2003年の暮れに帰省する計画にまず高山本線を組み入れた。
札幌から丸亀に向かい、なおかつ高山本線に乗車するとなれば必然的に富山駅から岐阜駅に向かう事になる。
そして札幌駅から富山駅までは夜行のはまなす号利用が便利であった。
問題は青森駅に到着してからだった。
特急を利用して富山駅まで行き周辺に宿泊、翌日に高山本線の漫遊。
いくらなんでも忙しない。やはりどうせなら羽越本線や北陸本線も楽しみたく、まず柏崎駅で1泊追加を決定。
次ぎは岐阜駅から丸亀駅までだった。
岐阜駅から隣の木曾川駅の探索や東海道本線の支線である大垣−美濃赤坂間を乗車してもその日の内に丸亀駅に到着は可能だった。
しかしその時ふと目に付いたのが、地図の同じページに載っている紀勢本線だった。
まだ未乗のその長大路線、この際に乗車しておくか。
12月26日、出発のこの日は仕事収めの日であった。
綾小路さんの会社は大通りの北、札幌駅までは徒歩20分である。そこでこの日は旅行支度で出社した。
急行はまなすの発車時間は22時00分、納会が終わってからでも余裕で間に合うはずである。
少し早いが午後8時過ぎぐらいに札幌駅に行けば駅弁を入手出来るだろうと思っていた。
しかし納会は思いのほか盛り上がり、綾小路さんが気付けばなんと午後9時30分を過ぎていた。
げっ、まずい、しかし間に合う。落ち着け、ここで慌てて忘れ物をしてはまずい。
そうでなくても今年はかなりの忘れ物をしている綾小路さんであった。
しかしここで気が付いたのは不幸中の幸、地獄に仏、綾小路さんに小判・・・おっと失礼、つい願望が。
急いで、かつ慎重に支度をして会社の同僚に別れを告げる。
あと20分。急いで歩けば15分もかからないだろうと思いビルを出たが、タイミング良くタクシーが通り掛かった。
もったいないがここはあせって転んでもばからしいので素直に乗車した。
そしてそのかいあって発車10分前にはめでたく札幌駅に到着した。(左)
間に合ったのは良かったが駅弁売りはもちろん終了済み。
新作駅弁なども発売されているようで楽しみにしていたがお預けとなった。
でもすでに酔っ払っていて買ってもきつかったか。
ホームに出るとすでに青森行きの急行”はまなす号”がすでに入線していた。(右)
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