2003.12.26-12.27

羽越本線漫遊(秋田−新津)   路線図を表示

 綾小路さんは時刻表の巻頭に載っている路線図のコピーを撮って、乗車した路線を競馬用の赤鉛筆、もとい赤の水性ペンで塗り潰している。 (注:競馬にも赤鉛筆は使っていません)そうすると乗車済みの路線と未乗の路線が一目瞭然となる。 これを日々眺めて、次ぎはどの路線を漫遊しようかと思いに耽っている。
 話しは2003年の4月に北陸の漫遊を終えて帰った時の事である。 初めて乗車した氷見線と城端線を路線地図にマーキングしていた。 まずは北陸本線から北側の氷見線をマーク。おーけー。 そして南側の城端線、起点の高山駅から南側に塗りつぶして行く。うん、なんか変だ。あれっ違う。 そこまで氷見線と思っていたのは富山港線で、途中まで塗りつぶした城端線は何と高山本線だった。 しまった、高岡駅を起点とする氷見線と城端線、富山駅を起点とする富山港線と高山本線。 この二つの組み合せはよく似ているのだった。その時に富山港線は乗車したので問題無かった。 しかし高山本線はまだ乗車していなかったのである。
 コピーを取り直してまたマーキングしなおせばいいか。 しかし乗車の記録である。序々に塗り潰してきたその地図を綾小路さんは捨てられなかった。 よーし次ぎは高山本線だ。完乗して全部塗り潰すぞ・・・。

 そして高山本線に完乗する計画を実行する時がやって来た。 綾小路さんは2003年の暮れに帰省する計画にまず高山本線を組み入れた。 札幌から丸亀に向かい、なおかつ高山本線に乗車するとなれば必然的に富山駅から岐阜駅に向かう事になる。 そして札幌駅から富山駅までは夜行のはまなす号利用が便利であった。 問題は青森駅に到着してからだった。 特急を利用して富山駅まで行き周辺に宿泊、翌日に高山本線の漫遊。 いくらなんでも忙しない。やはりどうせなら羽越本線や北陸本線も楽しみたく、まず柏崎駅で1泊追加を決定。 次ぎは岐阜駅から丸亀駅までだった。 岐阜駅から隣の木曾川駅の探索や東海道本線の支線である大垣−美濃赤坂間を乗車してもその日の内に丸亀駅に到着は可能だった。 しかしその時ふと目に付いたのが、地図の同じページに載っている紀勢本線だった。 まだ未乗のその長大路線、この際に乗車しておくか。

 12月26日、出発のこの日は仕事収めの日であった。 綾小路さんの会社は大通りの北、札幌駅までは徒歩20分である。そこでこの日は旅行支度で出社した。 急行はまなすの発車時間は22時00分、納会が終わってからでも余裕で間に合うはずである。 少し早いが午後8時過ぎぐらいに札幌駅に行けば駅弁を入手出来るだろうと思っていた。
 しかし納会は思いのほか盛り上がり、綾小路さんが気付けばなんと午後9時30分を過ぎていた。 げっ、まずい、しかし間に合う。落ち着け、ここで慌てて忘れ物をしてはまずい。 そうでなくても今年はかなりの忘れ物をしている綾小路さんであった。 しかしここで気が付いたのは不幸中の幸、地獄に仏、綾小路さんに小判・・・おっと失礼、つい願望が。 急いで、かつ慎重に支度をして会社の同僚に別れを告げる。 あと20分。急いで歩けば15分もかからないだろうと思いビルを出たが、タイミング良くタクシーが通り掛かった。 もったいないがここはあせって転んでもばからしいので素直に乗車した。 そしてそのかいあって発車10分前にはめでたく札幌駅に到着した。(左)
 間に合ったのは良かったが駅弁売りはもちろん終了済み。 新作駅弁なども発売されているようで楽しみにしていたがお預けとなった。 でもすでに酔っ払っていて買ってもきつかったか。 ホームに出るとすでに青森行きの急行”はまなす号”がすでに入線していた。(右)


 ここからの切符は何を利用するかで二転三転した。 当初は特急利用の計画だったので富山駅までは通常の乗車券と特急券を利用、そこからは青春18切符と考えた。 次ぎに思い付いたのは”北海道&東日本パス”である。 これはJR北海道と東日本、さらに青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道に北越急行の普通車自由席に連続した5日間に乗車出来る切符である。 しかも急行はまなすの普通車自由席も利用出来るのである。 値段は10000円、1日あたりの値段は青春18切符の2300円よりさらにお得な2000円となる。 北海道&東日本地域にて5日間連続で使用する限りはこちらの切符のほうが安いのである。 ただし石勝線と津軽海峡線の特急のみの運行区間の利用は出来ない。 その代わり、急行はまなすに東日本の3セク3社の利用が出来る。 この切符を柏崎駅まで利用し、以後を青春18切符の利用とする案である。 富山駅までの概算費用はこれで12300円。当初の案では15000円であった。
 しかし綾小路さんが選んだ切符は両者の中間のものだった。 それは青森駅まで乗車券と急行券、以後を青春18切符利用とするものだった。これで14500円である。 全線通常の乗車券利用では365歩のマーチ作戦で戻った際の往復費用が余分にかかる。 北海道&東日本パス利用と比較するとこちらがやや高いが、これはこの時期に降雪や暴風で列車が遅延する事への保険だったのである。 はまなすで青森に到着した時点で天候や列車の遅れをチェック。 そのまま普通列車に乗車していて当日に柏崎駅への到着が困難と判断した場合はただちに乗車券の区間変更、柏崎駅まで特急で行こうという作戦であった。
 ぜーぜー、ここまでの説明が長かった。さあ出発・・・。

 出発したが酔っ払っている綾小路さんは寝るだけ。次ぎに目が覚めたのは函館駅到着時であった。 ここで今までのディーゼル機関車を電気機関車に接続し直すため19分間の停車となる。 青函トンネル内をディーゼル機関車では排煙でトンネル内の空気が汚れるためである。 SLだったらとうてい通れなかっただろう。 この時間を利用して綾小路さんは改札を出て今年の6月に新装なった函館駅を探索した。 駅前のだだっ広いスペースは旧函館駅舎が建っていた場所である。(左) 健在な時の駅舎は江差線漫遊(江差−木古内)にて紹介したが7月に立ち寄った時にはまさに解体が進んでいた。(右) 青函航路等で幾多の人々を見送ってきた駅舎は約60年の歴史に幕を降ろしていたのである。 車内に戻ると”はまなす号”は方向転換して青森駅に向けて発車。綾小路さんは再び浅い眠りについた。


 急行はまなす号は5時39分に4分遅れで青森駅に到着した。 列車は遅れたものの天気は悪くなさそうだった。そこでここから青春18切符に切り換え、漫遊を続ける事にした。 さあ乗り換え、忘れ物はないな。よーし、いざホームへ。 そこから奥羽本線に乗り換えるため長いホームを階段へ向かう。それにしても寒い。 暖冬とはいえ早朝6時前である。手袋をはめるか。しかし首はスースーするなあ。 あれっ、マフラーを忘れていた。綾小路さんはあわてて列車にもどった。 ふー、あった。やれやれ。マフラーとジャンバーは札幌駅で乗車時に列車の窓の脇にかけたのだった。 函館駅でジャンバーだけを羽織り一時下車、そのままマフラーは残されたのである。


 さて奥羽本線のホームに到着してまずは駅の立ち食いそばである。 こんな朝早くから営業するとは本当に頭が下がる。立ち食いの鑑。 その上ここの蕎麦の出汁はうまい。讃岐うどんの本場出身の綾小路さんをうならせる味である。(少し褒めすぎかも:しかし今日のはすごくおいしかった) それにしてもすごい込みぐあいである。(写真) 天ぷらそばで370円、お勧めです。 あれー、写真を撮ったつもりだったが写ってなかった。


 青森駅では6時12分発の弘前駅行きの列車に乗換え。 列車はまだまだ暗い東北路を進んで弘前駅に到着した。到着前の車内放送では現在弘前駅は改築中だとか。 いや改築前の駅舎はすでに撮影していてよかった。
 弘前駅では7時00分発の鷹ノ巣駅行き列車に乗り換え発車した。 碇ヶ関駅、津軽湯の沢駅と過ぎていくが1年前に来た時に比べて雪はかなり少ない。 東北地方も暖冬のようだ。
 陣場駅を過ぎると右手に大きく分岐していく線路が見えた。 こんなところから(失礼)私鉄か貨物線でも分岐しているのかと時刻表を見ても載っていない。 列車は進んで、やがてまた右手から線路が見えてきて合流した。おそらく複線化したときに上下線が別れてしまったのだろう。
 大館駅の手前でようやく朝日が上ってきた。なんとか天気はよさそうである。綾小路さんもひと安心。 ここで青森駅で入手していた駅弁をいただく。むつ湾産帆立釜めし900円である。(写真) 実は”ほたて黄金めし”という帆立といくらの炊き込み御飯の駅弁を食べて見たかったが、さすがに朝早くまだ販売していなかったのである。 しかしこの帆立釜めしも豪華。帆立の煮汁の炊き込みめしの上に帆立がなんと10・・・。 ああ、この時確かに数えたのに忘れてしまった。 だがしかし綾小路さんが両手の指で数えて足りなかった事は間違いない。 帆立が推定12個、他にも魚卵(とびっこ?)に姫竹煮と期待を裏切らない駅弁である。


 駅弁を食べていると列車は下川沿駅に停車、なんでも小林たきじ生誕の地らしく看板が立っていた。 綾小路さんは次の早口駅で下車して探索を行った。どうせこの列車は鷹ノ巣駅止まりだった。 この後に花輪線直通の秋田駅行き快速列車が早口駅に停車する事になっていた。 そのためここに途中下車しても秋田駅の到着時刻は変わらないのである。


  早口駅から秋田駅行き列車に乗っていると車内の暖房が心地好く、うとうとしてしまった。 気が付けばすでに八郎潟駅。周囲は一面田園となっていた。 ただし秋田こまちであろうその苗は当然刈り取られた後でうっすらと雪が積もり、荒涼とした風景と化していた。 ほどなくして列車は秋田駅に到着した。 この頃には天気は悪化。その後も晴れたり吹雪いたりの繰り返しとなった。 しょうがない、この時期は。列車が大幅に遅れなければよしとしよう。
 ここから綾小路さんは羽越本線に乗車して、新津駅までの完乗を目指す事となる。 羽越本線は部分的に乗車している区間も多く、秋田−余目間は既乗区間であった。 秋田駅からまずは10時15分発の区間列車、荒屋駅行きに乗車した。 東北の大河、雄物川を渡るとすぐに2つ目の終点、荒屋駅に到着した。


 荒屋駅からは折返しの秋田駅行きに乗車、再び雄物川を渡り中間の羽後牛島駅で下車した。 ここは何本もの線路の下に地下道が通っていて線路の両側から地下道にアクセス可能となっている。 そして中間にある階段を上るとなんとホーム上の駅舎に行き着くのである。(上左) 線路の東側の入口は単なる地下道の入口であり、右奥にはホーム上の駅舎が見えている。(上右) そしてホームから西側の線路の奥にはなにやら駅舎らしきものが見えている。(下左) 実はこれがかつての駅舎で、現在は事務所として利用されている様だ。 駅西側から地下道への入口部ともなっている。(下右)



 なかなか興味深い羽後牛島駅を後にして11時08分発の羽後本庄駅行きの列車に乗車した。 先ほど下車した新屋駅の次の桂根駅を過ぎると日本海が見えてきた。 しかし曇っていて絶景とは言いがたい。 そしてこの区間の駅はほとんど撮影出来てなく、紹介できないのが残念。 唯一、羽後亀田駅の写真が残されているだけだった。(H15-1-23撮影)


 列車は正午前に終点の羽後本庄駅に到着した。(左) ここは由利高原鉄道の分岐駅となっている。 もともとは国鉄の矢島線として敷設された路線であり、いつかは綾小路さんも乗車してみたいと思っている。 ホームにはその由利高原鉄道の車両が止まっていて、ホームを探索しているうちに矢島に向けて発車していった。(右)


 羽後本庄駅では列車の接続がうまくいかず、1時間以上の足止めとなった。このロスは痛い。 この足止めの煽りなどを受け、本日の宿泊地である柏崎駅への到着は午後9時を過ぎてしまうのである。
 この時間を利用してという訳でもないが、ちょうど昼過ぎ。 秋田駅で入手したわっぱ舞茸弁当820円を待合室でいただいた。 綾小路さんの好物、舞茸の駅弁である。 舞茸がうまいのは期待通りであったが、鶏肉も使っているのがポイント。 ご飯は”あきたこまち”使用と書いてある。



 ようやくやってきた12時55分発の酒田駅行き列車に乗車して発車。 ここからは高校生たちが大挙して乗車して結構な賑わいとなった。 写真もあまりない区間ではあるが車窓から駅舎を撮る雰囲気ではなかった。 その中で残されていた写真は上浜駅のものである。(H15-1-23撮影)


 綾小路さんは途中、吹浦駅で下車した。 ここから酒田駅までは区間列車が発着していて1本列車を遅らせても酒田駅からの乗継は同じ列車となる。 これでまたひとつ綾小路さんのコレクションが増えた。 駅前には日本初の鉄道建設に貢献したという佐藤政養の銅像が建っていた。


 酒田駅行きの区間列車に乗車して車窓を眺めた。周りは相変わらず荒涼とした田園風景である。 いや、もうすでに山形県に入っている。米の品種は”あきたこまち”から”ササニシキ”へと変わっているに違いない。 おっ、あれはひょっとして鳥海山か?山頂が見えないのは残念。(左)
 そして南鳥海駅を車内から撮影。(右)


 吹浦駅からはちょうど20分の乗車で酒田駅に到着した。 酒田市は江戸時代に北前船の寄港地として栄え、市内には数多くの古い建築物が残されている。 しかし1年前に市内の健康ランドに宿泊した時の事。 通りすがりに偶然、文化財のひとつを発見したが、撮影しなかったのでる。ああ、後悔。
 酒田駅の探索時間は吹浦駅に途中下車したためわずか12分。 その時間で結局、駅舎(左)と酒田駅発の上り線ホーム(右)を撮影した。


 酒田駅からは約4時間、今日1番のロングランとなる。腹も減るだろう。 酒田駅弁の”鳥海釜めし”でも買うか?いや待て!駅そばも入れて今日はすでに3食とっている。 その上終点の新津駅で実は駅弁を2個予約してあったのだ。 いくらなんでもこれ以上は食いすぎだ。(これでも食いすぎです。) ここは綾小路さん、泣く泣く?諦めた。
 14時26分発の新津駅行き列車に乗車、長い旅が始まった。 何しろ東京駅から”のぞみ”に乗ると広島駅まで行く時間である。 よーく考えると我ながら物好きとも思う綾小路さんであった。
 幸い列車は空いていた。車内からでも出来るだけ写真を撮ろう。 まず1つ目は東酒田駅(左)、その次が砂越駅(右)だ。 うーん砂越駅はよさそうだ。次回はぜひ下車して探索してみたいものだ。


 続く北余目駅(左)はホームに待合室か。
 その次が余目駅。陸羽西線の接続駅である。 この陸羽西線は2度ほど乗車したがどちらも夜間の移動に終始した。 いずれは昼間に探索しなくては。おっと、その夜間の移動時に列車待ちした時の写真があった。(右:H15-1-22撮影)



 余目駅から村上駅までは綾小路さんにとって未乗区間である。 ここから綾小路さんの乗車路線図もマーキングされるというものだ。 余目駅では停車時間は1分。これでは列車を降りて写真は撮れない。 すぐに発車した列車は隣駅の西袋駅に停車した。ユニークな形とカラーリングをした待合室であった。


 ここからは少し休憩?庄内藩14万石を誇った鶴岡(鶴岡駅)にもシャッターチャンスはなかった。 羽前大山駅を過ぎるとトンネルが多くなってきた。ここからが羽越本線のハイライトだ。 列車は日本海沿いを走るがこれが面白い。 下り線と、後になって建設された上り線が所々で離ればなれになり、再び合流することを繰り返すという。 そして上り線は山側を走っており、長大なトンネルもあるので ”羽越本線を楽しもうと思ったら、下り列車のほうがいいですね。”と旅行作家の故宮脇俊三さんが言っていたとか。 えっ、と言う事は現在上り列車に乗車している綾小路さんは羽越本線のハイライトを楽しめないと言うことか。 はーっ、そうか・・・。
 気を取り直して撮影続行。三瀬駅(左)に小波渡駅も車内から撮れたが、もっといい写真があった。(右:H14-11-19撮影)


 何?未乗区間なのに写真がある。WHY? 実はこの小波渡駅の写真は昨年東北をドライブした時に撮ったものである。 東北地方の廃線跡めぐりを中心にドライブを敢行。 最後に足を伸ばしたのが小波渡−五十川間で、羽越本線の複線化および電化に伴う路線変更がなされた区間だったのである。
 その五十川駅のホームには駅出口である地下道への入口が見える。(上左) 地下道からの出口である駅ホームへの入口はまるで待合室のようである。(上右:H14-11-19撮影) 繰り返すがこれは待合室ではなくホームへの地下道の入口である。 この入口の左手(秋田方面)に電化、複線化前に使用されていた旧線のホームが残されている。(下左:H14-11-19撮影) 中央の道路はかつて線路が敷かれていたスペースでその右に見えているのは現在の下り線ホーム。 上り線ホームはさらに右側の山裾を走っている。 そしておもしろいのが奥に見えている上り線のトンネルである。 なんと真ん中をフェンスで仕切って線路と道路に共用されたトンネルとなっている。(下右:H14-11-19撮影) こんなトンネル、他に見た事ない!


 この後、小岩川駅(左)と勝木駅(右)の駅舎を車内から撮影。おお、いいじゃない。


 酒田駅から約2時間経過、越後寒川駅ではおよそ8分間停車の予定だった。 しかし列車が遅れぎみで発車時間が読めない。 そこで跨線橋を渡ってまで駅待合室の正面まで行って、撮影する勇気が綾小路さんにはなかった。 乗り遅れたら大変な事になる。


 この時点で16時15分。札幌に比べれば明るいのだろう。 しかしもう少し日の暮れるのが遅いかと期待していたが、どうもあてがはずれたようだ。 暗くなればいい写真が撮れなくなる。よーし、こうなれば最後の手段だ。列車の中で走って早く進み、日が暮れるまでどんどん写真を撮ろう!!
 やめた、そんな事を考えてもむなしいだけか。暮れかかった中で今川駅(左)と越後早川駅(右)の写真を撮影。 やっぱ、ぼちぼち限界か?この両駅の間には道の駅”笹川流れ夕日会館”を併設した桑川駅があり、 写真こそ撮れなかったが車窓から確認できた。その”笹川流れ”とは断崖絶壁と奇岩が連なる海岸線で景勝地となっているらしい。 しかし夕暮れもあってか、あまりピンとこなかった。


 列車は16時45分に村上駅に到着。村上市は塩引鮭や鮭の酒びたしなど、鮭の町として知られている。 綾小路さんも鮭が大好きで北海道では道東、別海町の西別鮭や標津町の鮭などを堪能したが、 ぜひここで1泊してこれまた酒処、日本酒で1杯、もとい10杯やりたいものである。 村上駅では列車交換のため6分間の停車。しかしすでにあたりは真っ暗で撮影しようという気も起きない。 まっ、それもすでに探索済みであるからであろう。(左:H15-1-22撮影) しかしここからまだ新津駅まで1時間30分もあった。
 村上駅から新発田駅までは乗車した事があり、明るければ岩船町駅はこの様な駅のはずである。(右:H15-1-22撮影)


 そうそう、あの時は新潟方面から坂町駅(左:H15-1-22撮影)へ行き、米坂線に乗車したっけ。 坂町駅で1時間以上の列車待ちがあったが、運良く村上駅までの往復列車があったので足を伸ばしたものだった。
列車は17時34分に新発田駅に到着。(右:H15-1-22撮影) いよいよここから新津駅までの未乗区間の乗車で羽越本線の完乗となる。


 もうすでに日が暮れて車窓には所々に街明かりが見えるばかり。 思えば”あきたこまち”から”ササニシキ”ときて、明るければ”コシヒカリ”の刈り取られた風景が見えていることだろう。 列車は18時15分に酒田駅から約4時間をかけ新津駅に到着した。綾小路さんはこれで羽越本線の完乗を果たした。

 羽越本線はまず新発田線として新津−新発田間が1912(大正元)年9月に開通した。 続いて村上線として新発田−村上間が1914(大正3)年11月に開通。 そして羽越中線として鼠ヶ関−象潟間が1923(大正12)年11月に、 さらに羽越北線として象潟−秋田間が1924(大正13)年4月に開通。 最後に羽越南線の村上−鼠ヶ関間が1924(大正13)年7月に開通して全通した。 同時に新津−秋田間が羽越線となり、翌年には羽越本線と改称された。

 新津駅は三角屋根のファサード(正面)を持った名駅舎だったが、この度橋上駅として生まれ変わっていた。(左) 1年前に立ち寄った時でさえ旧駅舎は取り壊されて仮駅舎での営業、すでに遅かったのだ。(右:H15-1-22撮影)



 ここで予約していた駅弁を駅から1分の三新軒の事務所まで出向き購入した。 宿に到着してからのお楽しみとしよう。
 新津駅からは18時43分発の長岡駅行き列車に乗車、途中三条駅で下車した。 宿泊地の柏崎駅への列車は1本後の列車で間に合うからである。


 この後、三条駅から長岡駅まで乗車して、4分の乗り換え時間で柏崎駅行きの列車に乗換え。 20時56分には柏崎駅に到着した。 ここからはまさに駅前、駅から1分もかからないビジネスホテルにチェクインした。 さあシャワーを浴び新津駅の駅弁を楽しもう。ここのお勧めが鮭の焼漬弁当840円。 とある旅行雑誌のコラムで紹介されていたのを見て購入したのが約1年前。 その時に鮭好きの綾小路さんは虜になり、以来この駅弁は欠かせない。 鮭の焼漬とは焼いた鮭を酒・醤油・味醂で漬けたものである。 これはうまい!綾小路さんいちおしである。ご飯はもちろんコシヒカリ。 しかしそのご飯の味も霞む鮭の焼漬です。 これがなんと村上名産との事であった。 これまた先ほど通過してきた処ではないか。


  そして今回はさらに新津駅名物の雪だるま弁当920円も購入していた。 雪だるまの容器は貯金箱として利用出来ると有名だが白の他にも赤と青があるとか。 綾小路さんは雪と言えば白なのでここはやはり白を選択。 中身は鳥そぼろに、鶏肉の照り焼き等、これも中々の味でした。 この他にもビールに酒は言うまでもなく、食いすぎ、飲みすぎ、しかも就寝前。体に良くない綾小路さんであった。


綾小路さんの漫遊は北陸本線アゲイン(直江津−富山)に続く!


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