2003.05.31

北東北漫遊(五能線)

昨夜はがっかりした。秋田駅だよ、新幹線も停まる。(ていうか終点だけど)
しかし駅前には居酒屋こそ何軒かあったがラーメン屋や食堂は一軒もなかった。
しかたなしにコンビニの弁当を購入してホテルにチェックインした。
ところがホテルのレストランが営業していて部屋にあったメニューを見ると安くて旨そうだった。
目の前がくらくらしてきた。


ホテルからは5分で秋田駅に到着した。
巨大な橋上駅である。
駅を線路上に配置しただけあって駅前は広く駐車場となっている。
しかし新幹線の駅や橋上駅は味気ない。
これも時代の流れ、しかたないか。

朝早かったがすでに駅そばが営業していた。しまった、
あと10分いや5分早くホテルを出ればよかった・・・。

秋田駅6時34分発の奥羽本線に乗車して東能代駅を目指した。
今日は五能線沿線を1日かけての漫遊である。
15分経過して追分駅を過ぎると左手に男鹿線が分岐していった。
そして大久保駅を過ぎると一面は水田となった。
もうすぐ八郎潟となる。このあたりは大穀倉地帯という事だ。
品種はもちろん”あきた小町”だろう。
東能代駅が近くなって通学の高校生が増えてきた。
間違いなくこいつらは東能代駅で乗り換えるな。そうなると五能線列車は満員となる。
しかし間違いなくその次の能代駅で降りるだろうからまあいいか。
東能代駅に到着して驚いた。なんと5両編成の列車が待っていた。
これだけあればかなりゆとりがある。しかし別の問題があった。
乗り換える際にそのまま同じ位置のドアから乗車したら5両編成の最後部であった。
これは後部の車両はどう見てもどこかで切り離されるなと思い車掌に聞いてみた。
すると案の定、次ぎの能代駅で最後部は切り離されるという。
しかたないので出発前に座席を移動した。


東能代駅
 (上、左)駅舎
 (上、右)五能線起点の標識
 (左)駅構内の福島側にある転車台

列車は7時58分に東能代駅を発車した。そして発車後すぐに車内放送が流れた。
すると東能代駅で4両編成となり次の向能代駅から4両編成の後ろ2両は回送扱いで乗車できないという。
このときは最前部の車両に移動済みだったので事なきをえた。
列車はこのあとすぐに東能代駅に到着して車両切り離し作業に入った。
予想通り高校生たちはここでどっと下車した。
さすがバスケ日本一の能代工高があるだけあってホームにはバスケットリングがあった。

能代駅 (左)駅舎 (右)ホームのバスケットリング

ここで高校生は全員下車するかと思ったらそうでもなかった。
次の向能代駅で残りの高校生は全て下車した。(左)
車内はすでに東能代駅から空いていたがここでかなり閑散とした。
2両でも多いぐらいである。
次の北能代駅は車両を改造した待合室である。(右)
JR北海道では車掌車”ヨ”を改造したものが多いがこれは貨物車の改造であろうか。

各駅停車の車内はほんとうにガラ空きである。
窓の開閉も可能な車両、しかも駅到着ごとに自動でドアが開閉する。
各駅では乗降する客もほとんどなく絶好の通過駅撮影条件が整った。
車内で移動して撮影ポイントを選べるばかりか、時にはドアからちょっと降りての撮影もできる。
そこでここは全駅撮影に挑戦してみた。
鳥形駅(左)、沢目駅(右)まではまだまだ田園地帯を走っていて日本海は見えない。

東八森駅(左)を過ぎていよいよ海岸線が見えてきた。しかしまだまだ遠目で断続的である。
八森駅には島式ホームがあったが反対側のホームの線路は分断されているのか車止めが見える。
向う側に見える短いホームは貨物用だったのだろう。(右)

八森駅から滝ノ間駅(左)までの距離は1.8キロ。
次のあきた白神駅(右)までは1.6キロと五能線で1、2位の短い区間が続く。
あきた白神駅には五能線クルージングトレインである快速”リゾート白神号”も停車する。
ここは八森いさりび温泉やはちもり観光市の最寄駅となっている。

岩館駅(左)を過ぎると今度は五能線の最長区間10.8キロに突入した。
この区間の路線は日本海沿いに敷設されていて岩場も見え壮観となった。(右)

秋田県から青森県に入り13分後には大間越駅に到着した。(左)
その次の停車駅は白神岳登山口駅である。(右)
あれっ、昨日まで綾小路さんとは違う行程の漫遊をしていた道路地図では陸奥黒崎駅となっている。
(1999年5月発行)

そして松神駅(左)に停車した列車は次に十二湖駅に到着した。(右)
サンタランド白神やエコ・ミュージアムセンター”湖郷館”の最寄駅でリゾート白神号も停車する。

陸奥岩崎駅(左)、陸奥沢辺駅(右)付近ではすでに日本海の景色は遠目になった。

ウェスパ椿山駅は2001年12月にできた新しい駅である。(左)
見えている施設は駅舎ではなく、物産館”コロボックル”。
リゾート白神号が停車するのはコテージや、温泉などの施設が集う”ウェスパ椿山”の最寄駅であるため。
それにしてもこの付近の景色はすごい。
木々に蔦がからまり天にも登ろうかという勢いである。(右)
世界遺産の白神山地、神々も宿ろうかという地の麓では生命の息吹が感じられた。

秘湯、黄金崎不老ふ死温泉は次の艫作駅(左)と横磯駅(右)の間にある。
日本海を眺める露天風呂はあまりにも有名だとか。

列車は9時49分に深浦駅に到着した。ここで運転系統が変わるため3分間の停車となった。
五能線は全線を走破する列車は1日3往復でここ深浦駅が始発、終点となる列車が多い。
深浦駅にはこのあと立寄る際に時間があるのでこの時はホームを少し探索した。
しかし川部側のホームの端に転車台を発見した。

深浦駅 (左)駅舎 午後に撮影 (右)転車台

五能線の歴史は比較的早い。
1908(明治41)年7月1日に奥羽本線支線として能代(現東能代)−能代町(現能代)間が開業した。
東北本線が能代市街部を通過しなかったため住民が請願したのが始まりである。
その後は大正末期に能代線として椿(現八森)、岩館、大間越、陸奥岩崎までと順次延伸していった。
路線はその名が示すように当初は能代−五所川原間だった。
五所川原方面からは1924(大正13)年10月21日に五所川原線五所川原−陸奥森田間が開業した。
その後に鯵ヶ沢、陸奥赤石、北金ヶ沢、大戸瀬、深浦までと、延伸した。
その間に1918(大正7)年9月25日に開業した陸奥鉄道川部−五所川原間を国有化した。
岩館から深浦にかけては地形が複雑で工事が難航していたがようやく開業する運びとなった。
1936(昭和11)年7月30日に陸奥岩崎−深浦間が開業して全線開通、五能線と改称した。

深浦駅を発車するとこの先は珍岩、奇岩が連なる海岸線を走るようになる。
ここから鯵ヶ沢までの区間は五能線のピース、もといハイライト区間であるとか。
広戸駅と追良瀬駅はこのあと下車する予定を組んでいた。
そして綾小路さんが五能線で最初に下車したのは驫木駅であった。
青春18きっぷのポスターにも使われた駅であるらしい。
どのアングルだったんだろうと思いながらの探索たなった。

(左)深浦−広戸間景観 (右)驫木駅

このあたりで空模様がおかしくなってきた。朝から曇っていたが予報でも午後からは雨だった。
次ぎは徒歩で風合瀬駅まで行く予定にしている。3キロの道のりであるがいつ雨が降り出すか心配である。
五能線と並走している国道101号線を北に向い風合瀬駅を目指した。
そして駅に辿り着く前にぽつりぽつり、とうとう雨が降り出した。
まだ霧雨状態の中で駅周辺を探索、この間に下りのリゾート白神号が通過していった。

(左)風合瀬駅 (右)風合瀬駅を通過するリゾート白神号


風合瀬駅からは上り列車で深浦方面に戻る事にした。
何しろ下り方面にはリゾート白神号が通過したばかり。
次の列車もリゾート白神号でこの駅は通過となる。
乗車可能な列車を待つとなんと17時09分発となる。

そこで11時36分発の上り列車に乗車して広戸駅で下車した。
ここはホームに待合室のみで探索は例によってあっという間に終了した。

さてこれからどうする?雨は小降りとはいえ道路はかなり濡れ、水しぶきが上がっていた。
しかしここで移動しないと次の深浦行き列車は3時間あとである。
本当はこの辺りで食事にしたいのだが先ほど歩いた区間には食堂はおろかコンビニもまったくなかった。
列車を降りる前に車掌に聞いたがこの付近にも食堂はないという。
ここでバス停で時間を確認すると深浦行きのバスが1時間30分後にあった。
よしやはり徒歩で追良瀬駅までいきそこからバスで深浦駅まで行こう。
深浦駅前には食堂ぐらいあるだろう。
このあと3時間後の列車で深浦駅まで行く事はできるががそれでは食事の時間が充分にとれないのであった。
そしてなぜ深浦駅に行く必要があるかというとこのあと次の下り列車はリゾート白神号であった。
先ほど風合瀬駅を通過していったようにこの辺りの駅はすべて通過するのである。

かくして雨の中、水しぶきを浴びながらも追良瀬駅に到着した。
しかし来てよかった。まず目に付いたのが建物の跡地だった。
うしろに階段があり線路の位置まで登っている。おそらく駅舎が建っていたのであろう。
階段の上にはコンクリートの通路が線路跡をまたぎ島式ホームに続いている。
しかし通路上にはすでに電柱も建ち1番線ホームは新しい待合室からの通路で塞がれている。
そしてホームから続く路線跡はホーム端から50mぐらい先で反対側の2番線ホームからの線路と繋がり
トンネルに向っている。
対辺が2m近い六角形の巨大な基礎はひょっとして給水塔の基礎?


追良瀬駅
 (上、左)待合室
 (上、右)階段上のホームまでの旧通路
 (左)コンクリート基礎と1番線ホーム

追良瀬駅からはバスで深浦駅まで戻った。ここで昼食をとらねば。
まず駅前に喫茶店があったが今日は休んでいるみたいだ。
続いて目に付いたのがラーメン屋、しかし味噌ラーメンの幟が立っていた。味噌ラーメンは好きじゃない。
おまけに”珍味の店”の文字が書いてある。酒を飲む訳でもないのでパス。
次ぎは焼肉、カラオケの店。”ラーメン”の文字にも誘われたがカラオケの店に入ろうとは思わなかった。
駅前から100m程歩いたところで一軒の店があった。
店のカラーは中華料理店の感じだったがそうではないみたいだ。どうする?
ここから先に店はなさそうでもありメニューもまともな感じなのでここで食事をする事にした。
中に入ると居酒屋みたいな造りで”しょうが焼丼定食”を食べたがなかなか美味であった。

さてようやく昼食もとれここで深浦駅に向った。
20分の待ち時間のあとに改札を入ると木の年輪に”北前船のふる里”と書いてあった。
しまった、そうだったのか。
江戸時代に関西方面と北海道との交易に使われた北前船。
酒田港を経由するのは知っていたがそれが深浦港にも立寄っていたのだ。これは知らなかった。
あとで待合室から持ってきた観光案内を見ると駅から400mの位置に資料館があった。
残念、もっと事前に調べておけばよかった。
深浦では他に聖徳太子作といわれる十一面観音を本尊とする春光山円覚寺が見もの。

深浦駅からは15時24分発のリゾート白神号に乗車した。
実はこの列車、秋田駅を11時04分に発車した五能線直通列車である。
能代駅を過ぎると、あきた白神駅、十二湖駅、ウェスパ椿山駅に停車して深浦駅には13時49分に到着する。
そしてその時間から今まで深浦駅に停車していた訳ではない。
いったん岩館駅までバックして十二湖駅、ウェスパ椿山駅に停車して再び深浦駅に到着した列車なのであった。
このバックするときからの時刻が時刻表には掲載されておらず”蜃気楼ダイヤ”と呼ばれているそうだ。
このダイヤを利用して温泉や観光名所見学のあとに再び同じ列車で次のポイントに移動できる事がウリらしい。

リゾート白神号は快速列車なので小さな駅には停車しない。
これでは列車内からの撮影は厳しそうだ。
広戸駅、追良瀬駅、驫木駅、風合瀬駅までは下車して探索済みなので撮影の必要はなかった。
次は大戸瀬駅だ。カメラを構え撮影の準備をして車窓を眺める。
しかしどこか分らない。線路から見て道路側に待合室やホームがあるはずだが。
かなりの時間が経過したので見落としたかと思ったその時、ホームが車窓に流れていった。
あー、しまった。やはり失敗。この時点で早くも全駅撮影の野望は打ち砕かれた。

次の千畳敷駅に列車は停車した。
ここで何と千畳敷観光のために10分間停車するという。
おおJRもなかなか粋な計らいをするものだと思った。
尚、発車3分前に警笛をならしてくれるので乗遅れの心配はほとんどない。
外は雨だというのにかなりの人が一時下車して見学に行っている。
せっかくなので綾小路さんも千畳敷を見に行った。

(左)千畳敷駅に停車中のリゾート白神号 (右)千畳敷

再び動き出したリゾート白神号は北金ヶ沢駅を通過した。
だめだ。やはり駅の場所が分ってないとサイドの窓からの撮影は厳しい。
ここから列車の前方、運転手の後ろから撮る事にした。
ところが次の陸奥柳田駅では列車交換で少しの間停車した。
停車したといっても正式の停車駅ではないので乗降はできずドアも開かない。
窓も開かない車両なので撮影したが出来はさんざんである。(左)
鯵ヶ沢駅の手前の陸奥赤石駅は遠めながら車内から撮影できた。(右)


鯵ヶ沢駅では運行系統が変わるのか5分間停車した。
ブナ天然林散策の”ミニ白神”や種里城址、相撲館
(舞の海は鯵ヶ沢出身)などが見所である。

下りのリゾート白神号の車内では鯵ヶ沢駅を発車後に
津軽三味線の生演奏が行われる。
ここで登場するのはなんと吉田兄弟!
のわけないか。
金木町では小学校の授業に津軽三味線を取り入れているところもあるという。
しかしこの演奏があって列車前方には居づらくなった。

津軽三味線の演奏を聴きながらも尚も駅舎の撮影を試みる綾小路さん。
鳴沢駅、失敗。越水駅、これも失敗。
そしてリゾート白神号を下車する時がやってきた。
津軽三味線は佳境だが止むを得ない。
綾小路さんは陸奥森田駅でひっそりと下車した。
ここで1時間滞在してまた深浦方面の列車に乗車した。
待っていても下り列車はまだ30分後である。
上り列車でひと駅探索後にその下り列車に乗車すればいい。
そこで鳴沢駅まで戻る事にした。そうすると鯵ヶ沢駅から撮りもらした駅の双方が撮影ができる。


(左)陸奥森田駅 (右)鳴沢駅

途中の越水駅も撮影できた。(左)
そして鳴沢駅に18時03分発の列車がやってきた。
ここからはもう終点の川部駅まで一気に走破する。
列車は越水駅、陸奥森田駅の次には中田駅に停車した。(右)

木造駅はしゃれにならないコンクリート製のりっぱな駅舎だった。(左)
しかし表側に回ると付近で発見された土偶の巨大なオブジェが組み込まれている。
ホームから見えないのは残念だがしかたない。
そしてストーブ列車で有名な津軽鉄道が分岐している五所川原駅に到着した。
ここでは列車交換のためホームの反対側には上り列車が待機していた。
そのためその向こう側の駅舎の撮影はできなかったのである。
市内10の銭湯がほとんど温泉という温泉の町である。
次に列車は陸奥鶴田駅に停車した。(右)

鶴泊駅(左)、板柳駅(右)に到着するころはもう夕闇が迫る。
もう少しだけ明るくあってくれ。

林崎駅(左)で気が付けば周辺は一面りんごの木ばかりである。
藤崎駅(右)までの区間は果樹園の中に鉄道が敷設されているみたいだった。

そして右手に奥羽本線の線路が見えてきて合流した。
そのあと跨線橋をアンダーパスすると五能線147.2キロの終点、川部駅が見えてきた。
綾小路さんは終点駅の撮影をするため下車したが列車は全て弘前駅まで運行している。

川部駅 (左)駅舎 (右)五能線終点の標識

すでに19時過ぎ、青森方面への列車は1時間後であった。
綾小路さんはその列車に乗車して新青森駅で下車した。
今日は健康ランドで仮眠する。ここも確か天然温泉だった。

さあ明日はいよいよ北東北漫遊の最終日である。
綾小路さんの漫遊は北東北漫遊(津軽線)に続く!


鯵ヶ沢 鳴沢 中田 木造
陸奥柳田 陸奥赤石 越水 陸奥森田 五所川原
北金ヶ沢 千畳敷 大戸瀬 風合瀬 陸奥鶴田
深浦 広戸 追良瀬 驫木 鶴泊
横磯 艫作 ウェスパ椿山 陸奥沢辺 板柳 青森
白神岳登山口 松神 十二湖 陸奥岩崎 林崎 新青森
大間越 岩館 あきた白神 滝ノ間 藤崎 川部
鳥形 沢目 東八森 八森 弘前
北能代 向能代 能代 東能代 鷹ノ巣 大館
新津 秋田 福島

トップ アイコン
トップ
アイコン
鉄道