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本文へジャンプ 2007年 3月28日 

 


 
    ◇ お彼岸 ◇

       春分の日・秋分の日、を【中日】とした前後3日の
         あわせて計7日間を『お彼岸』と言います。


      
第一話

        お彼岸は、『彼岸会』
といい、上記の7日の間に、
        先祖供養をしたり、お墓参りをしたりします。

        ただし、本来の『彼岸』の意味は、
        サンスクリット語の
『パーラミター(到彼岸)』という
        言葉を略したもので、

        【彼の岸(
向こう岸、という意味で、
              この世に対して
ほとけ様の世界を指す)
         に到るために修行しよう】

        ・・・という意味で使われていました。

        つまり、『先祖供養』としてではなく、
        
【自分自身の修行の場】として、
        彼岸があったのです。

        では、なぜ、春分・秋分の日が、
        この『彼岸』に選ばれたのでしょうか。

         ◎ 昼夜の長さが同じになるこの日が、
            仏教の
【中道】という考えに重なるから。
         ◎ この日に太陽が沈む方角(真西)に、
            阿弥陀様の
西方極楽浄土があるから。

        ・・・などと、法話では語られたりします。

        ただ、この『彼岸』の風習は、日本だけに見られる行事で、
        (インドにも中国にもないそうです)
        やはり日本独特の
【農耕文化】と関わりがあるようです。
        すなわち、季節の変わり目でもあるこの時期、
        農耕のひとつの区切りとして
【まつり】が行われており、
        それが仏教の思想に結びついて
        現在のように定着したのだ、と書物が述べたりします。

        まあ、『いわれ』はどうあれ、彼岸は
【彼岸】です。
        先祖に感謝し、その心を持って【一日】を送ることができ、
        その一日を
【幸せ】に過ごすことができれば、
        これにこしたことはありません。

        
【仏教とは、人間が幸せに生きるための方法論である。】

        僧侶としての義空の
持論です。
        これだけは変えないつもりです。
        何度も書きますので、是非、
覚えておいてください。


      第二話 【茗荷(ミョウガ)】

        独特の味わいのある、この
『茗荷』
        実は、仏教とても縁が深い言葉なのです。
        ま、ご存じの方も多いと思いますが・・・

        お釈迦様の弟子に、
        自分の名前すら覚えることが出来ない
        忘れっぽい男がいました。
        (周梨槃特=しゅりはんどく=という名前です。)

        この男、そのために自分の名前を書いた紙を
        いつも荷物のように背負っていたとのこと。
        つまり、
『名前(茗)の荷物=茗荷』ってわけですね。

        で、・・・
        この男が亡くなって、
        そのお墓の裏から生えてきたのが
        実は『茗荷』なのだと言われております。

        
【茗荷を食べると忘れっぽくなる。】
        ・・・のいわれ(?)は、ここにあったのですね。

        ただ、・・・

        
【命】には『名前』があります。
        『名前』があるってことをよ〜く考えてみると、
        誰かが名前を付けてくださったわけで、
        つまり、きっと、・・・

        【命】に名前がある以上、
        その【命】は、
『あなただけ』のものではないのです

        茗荷を食べても、
        これだけは忘れぬようにしてくださいね! 

      第三話 【六波羅蜜(ろくはらみつ)】

        彼岸(かのきし)に渡るよう、
        
【良いことをしよう週間】が、『お彼岸』でしたね。

        仏教には、その修行として
【六波羅蜜】があります。
        (向こう岸=真実・悟りの世界=極楽浄土、に渡るための
         六つの実践徳目)

        
@【布施(ふせ)】
          施しの心を持ち、人のために尽くすこと

        
A【持戒(じかい)】
          殺すな、憎むな、などの戒を保ち
          人間らしく正しく生きること

        
B【忍辱(にんにく)】
          耐え忍ぶこと

        
C【精進(しょうじん)】
          精一杯の努力をすること

        
D【禅定(ぜんじょう)】
          精神を集中すること、念仏を称えること

        
E【智慧(ちえ)】
          物事をありのままに見つめる智慧を身につけ
          仏の道に目覚めること

        【波羅蜜多(はらみた)】とは、
        梵語の『パーラミター』を意訳した言葉で
        【到彼岸】すなわち、
        
【虚飾と煩悩に満ちたこの世(此岸=しがん=)を離れて
         真実の悟りの世界(彼岸)に到ろう】

        ・・・と、説かれます。

        『お中日』を中心とした前後3日の計7日間。
        お墓参りをしたり、仏壇に手を合わせたり、
        その他にもたくさんの
『善き行い』をして
        人々がお互いに“イイ気分”で過ごせたら、
        ご先祖さま方もきっと喜んでくださいますよね!

      第四話 【おはぎとぼたもち】

        
“ぼたもち”“おはぎ”って、
        いったい、どこが違うのでしょうか?

        
『春の牡丹(ボタン)・秋の萩(ハギ)』
        ・・・に、ちなんで、

        『春のお彼岸』に供えるのが“ぼたもち”で
        『秋のお彼岸』に供えるのが“おはぎ”
        ・・・?

        ま、その区別を覚える(?)方法としては
        わかりやすいのでしょうけど、
        実際問題、いろんな書物を調べては見たのですが
        
“はっきりしない”のが実情のようです。

        ただ、・・・
        その過程で
“はっきり”したことが【ひとつ】あります。

        今と違って“お砂糖”がとても貴重だったころ、
        “ぼたもち”や“おはぎ”といったものは
        
【格別の御馳走】だったわけです。

        そして、そんな貴重なものを、昔の人たちは
        
【まず、第一】に、仏さまやご先祖さまに
        お供えしてきたのです。

        つい、自分(我が身)中心の考え方をしてしまいがちな
        最近の世の中ですが、、
        我が身をちょっと
“反省”してみる、ってことも、
        お墓参りとともに、お彼岸の大切な
【修行】のひとつ、
        ・・・かもしれませんね!

        いかがですか?

      第五話 【二河白道(にがびゃくどう)】
  
        耳にされることは少ないかもしれませんが
        お彼岸の法話としても使われる仏教用語で
        善導大師の「観経疏」(感無量寿経の注釈書)に
        【喩え話】として登場する言葉です。

         
西に向かう旅人の前に突如現れたのが
         燃え盛る“火の河”と
         急流押し寄せる“水の河”。
         後ろから来る盗賊や獣にも追い立てられ
         旅人が窮地に陥ったまさにその時、
         向こう岸より
         “恐れずに、真っ直ぐにこちらへ進んできなさい”
         ・・・との声が届いた。

         見ると、二つの河の真ん中には
         わずか四五寸幅の白く細い道が・・・

         東(後ろ)からの声にも励まされて
         旅人は盗賊や獣の甘言にも惑わされることなく
         火と水を越え、無事に西岸へと渡りきることが出来た。


        
煩悩(※盗賊や獣の甘言)に惑わされず
        
怒りやむさぼりの心(炎や水)にも負けず、
        東(此岸=この世・現世)の声援を受け、
        真っ直ぐに【西=極楽浄土=すなわち彼岸】へ到ることこそ
        【お彼岸】、すなわち【到彼岸】なのです

        ・・・と語られるお話です。

        ま、ちょっと難しめのお話になりましたが
        
【真っ直ぐに生きることの大切さ】って、
        昔も今も、変わっていないはずですし、ね!

      第六話 【倶会一処(くえ・いっしょ)】

        お墓の正面を見ていると
        『○○家之墓』や『南無阿弥陀仏』の他に
        
【倶会一処】という文字が彫られていることがあります。
      
        この言葉は、阿弥陀経というお経の中に出てくる
        経文の一節で、

         倶に(=ともに)
         ひとつの処(ところ)で
         また会いましょう


        ・・・と、亡くなってからも
“同じお墓”の中、
        つまり、同じ阿弥陀さまの極楽浄土で
        “一緒に暮らしましょうね”という願いをこめて
        この文字が刻まれているわけです。

        なかなか良い言葉だと思いませんか・・・?


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