.「おこっていること」と「あがってくること」との差 | 返信 |
疲れ気味の管理人S-1 11/05金00:18 #r100 神無月さんこんばんは。管理人S-1です。現場で「おこっていること」と現場から「あがってくること」の「差」が (数ばかりではなく)「大きい」ことは「現場」に住んでいるようなもの なのでよくわかります。 毎日現場で見ていて(僕がヒヤッとして、かつHFとしても意味がある)、 これは当然報告されるだろう、というような出来事が案外、上がってきません。 それはどうしてかな?と(あくまでも「数」ですが)考えた事があります。 こんな風にならないでしょうか? 1. まず「ヒヤリとするかどうか?」 2. そして「報告したほうがいい」と考えるか、「恥ずかしい」と考え たり「私がどじなだけで皆はこんな事しないだろう」と考えて報告を控えてし まう? 3. 現場の「RM」(安全管理者)の判断の影響、「あなたのせいじゃ ないから報告しなくともいいよ」「たいした事ないから・・」「被害者がいな いから・・」 (他にはレポ−トしてもフィードバックがない、などという理由はあるでしょ うがそういう問題は除くとして) この1.2.3.の各段階で「レポ−ト」がだんだん減っていく可能性があ ります。2.はレポ−トの意義を理解してもらえば済むのでしょうが。 1.何かが起こっても(正常な事がわからないので)「危険」がそばを通り抜 けていっても「ヒヤリ」としない。これは初心者の運転する車の助手席に乗せ てもらったような状態で、運転している本人は平気で、助手席は背中に冷や汗 がジットリ、です。一緒に「ヒヤリ」としてもらうためには、まず正しい仕事 を覚えてもらう事(仕事を正しく教えることがそれだけで安全教育になる、と あの海保先生もおっしゃってますし)、と仕事の中での「危ない」ポイントを 知り、同時に人間の心理や認知行動(つまりHF?)をちょっとだけ知る必要 があります。ですから「危険感受性」も「理屈」で教育することが良いように 思っています。 3.については現場の安全管理担当者に「HFの眼」を持ってもらうと、レポ −トの見方や「出させ」方なども含めた数も質も変わってくるように思います。 何かあった後のレポ−トだけでなく日常の業務を「HFの眼」で見てもらえる ようになると業務手順なども変わっていくでしょうし、組織全体が安全の側に シフトするような気がします。 ・・と感想を書いてきて「じゃあ、おまえのところはうまくいっているのか?!」 と訊かれると「(小さな声で)デジタルテキストなども作ってみて・・・です が・・」とまことに情けなくなる管理人なのですが・・・ |