むかしむかし、マイケルソンとモーリーという人がいました
 むかしむかしあるところに、マイケルソンとモーリーという二人の人がいました。あるとき二人は、宇宙に満ちているといわれているエーテルというものが本当にあるのだろうかと、確かめたくなりました。
1 エーテルとは
 エーテルというのは、宇宙に満ち満ちている不思議なもののことです。誰も、まだ見たことも触ったこともない、それが何でできているのか、どんなものなのか色も、形も、においも、何も分からないなぞの物質でした。空気のように常に体を包んで流れているはずなのに、空気のように風として感じることもできないし、採取して分析しようとしても採取の仕様もない本当に不思議なものでした。。
 なぜそんなものがあるかというと、音が、空気や、水の振動であるように、光も振動なのだから、何かの振動だというわけです。音は、空気や水がないと伝わらないように、光も、それを伝えるものがないと伝わらないはずだというのです。光は地上ばかりではなく、宇宙空間も伝わってきているので、地上ばかりではなく宇宙空間全てに何かが満ちているはずだというわけです。
 これがその当時の考え方でした。そこで、宇宙に隙間なく満ちているその得体の知れないなにかをエーテルと名づけたのです。なければ困るというのでダークマターというなぞの物質が現在も宇宙に出没しているのとよく似ています。(ダークマターの謎解きは「ダークマターに光を」以下4つほどを参照してね)
エーテルを探す
 そこで、二人はこんなふうに考えました。地球は自転しているので、静止しているエーテルに対して動いていることになる。すると地球上にはエーテルの風が吹いていることになるというわけです。自転車で走ると、顔に空気が当たって、前から風が吹いているのと同じことになるのとよく似ています。
 ちなみに、赤道上の自転速度は、秒速467メートルで、音速を軽く突破しているということです。では、赤道上にはそんなにすごい風が吹いているかというとそんなことはありません。空気もいっしょに自転しているので、相対運動としての風は吹いてはいないのです。これは、エーテルが宇宙全体を満たしているのに対して、空気は地球の表面に薄く張り付いているだけだからです。空気も地球の一部だからです。
 そこで二人は、東西方向の、エーテルに対して動いている方向と、南北方向の、エーテルに対して動いていない方向に同時に光を走らせて、光の速度の違いを見つける装置を作って実験しました。ところが、計算では東西方向が、南北方向より、時間がかかるはずなのに、予想に反してどちらも同じ時間だという結果が出ました。
実験に対するいろいろな考え
 そのころは、エーテルが宇宙に満ちていることが定説だったので、多くの科学者は、この実験を否定したりしました。でも、中にはこの実験を肯定する人たちもいました。ローレンツと、フィッツゼラルドと、有名なアインシュタインです。
 前の二人は、エーテルがあってもかかる時間は同じであるということを計算で示しました。考え方は、装置がエーテルの風で縮むということです。これが科学者の間では有名なローレンツ変換といわれる計算です。フィッツゼラルドのほうも同じことを考えたのですが、名前がしちめんどくさいのでしょうか、かわいそうに、フィッツゼラルド変換とは言われません。たまにローレンツ・フィッツゼラルド変換といわれることもあるにはありますが。
 ところが、もうひとりの、アインシュタインのほうは、あっさり、エーテルはない、とエーテルを否定してしまったんです。科学者みんなが信じていることを否定するのはとても大変なことです。よく無視されなかったことと思います。
ローレンツ変換
 ところが不思議なことが起こります。このあと、アインシュタインの提案した「エーテルは存在しない」ということが定説になっていくのですが、エーテルが存在するという仮定で出てきた、ローレンツ・フィッツゼラルド変換の式は生き残るのです。それどころか、なくてはならない式として脚光を浴びるのです。エーテルがないのなら、この式も無意味なはずなんですけどね。とくに、エーテルを否定したアインシュタインがこの式を使うことになるのは奇妙なことです。なぜそんなことになったかというと、相対論も、行きがかり上、物を進行方向に縮めなければ成り立たなくなったからです。なんとなく経緯までそっくりです。 
アインシュタインの光の速度
A  光速普遍の原理
 光速普遍の原理というのは、光は真空中で約秒速30万キロメートルで進むということです。どこの真空でも同じです。どちらかというと絶対速度のようなものです。もしこれが、絶対スピードなら、この光のスピードを基準にして全ての速度が測れます。絶対静止というのも測れます。すると、絶対静止点はなく全ては相対的であるという相対論はその基盤を失ってしまいます。ちなみに、光は、空気中ではスピードは落ちます、水の中ではもっと落ちます。ダイヤモンドの中では、約12万キロメートルにと5分の2近くまで落ちます。だからといって、絶対速度がなくなったわけではありません。この速度も決まっているからです。
 だから、これだけだとなんということはなかったのです。相対論も生まれなかったのです。ところが、アインシュタインは、光のスピードも絶対的ではないとしたのです。光はどの慣性系で測っても普遍であるとしたのです。光速普遍の原理から、光速度普遍の原理に移ったのです。
B  光速普遍の原理
 一言で言えば、光はどの慣性系においてもそのスピードは一定であるということです。
 どういうことかというと、細長いロケットがあるとします。このロケットの真ん中に光源があります。これを光らせます。ロケットが止まっているときは、光は前の壁と、後ろの壁に同時に到達します。普通のことです。ところが、このロケットが光速の2分の1で飛んでいるときも、光はやはり、前の壁と後ろの壁に同時に到達するというのです。もちろんこのロケットが光のスピードで飛んでいても、同じことが起こります。前の壁が、光のスピードで、前方へ移動しているのだから、真ん中から出た光は永久に前の壁に追いつかないように思えるのですが、そこが違うのです。追いついてしまうのです。しかも、光速で。その秘密は、このロケットに乗っている観測者が握っているというのです。
C  光速度普遍の原理の不思議な振る舞いを考える
 野球のピッチャーがボールを投げます。これを観測者がスピードガンで測ります。スピードガンを地面に固定しているとき、ボールのスピードが100kmとします。同時に同じボールをボールと逆に100キロメートルで走っている台車に固定したスピードガンで測ると、ボールは200キロメートルと測定されます。同時に、ボールと同じ向きに100キロメートルで走っている台車に取り付けたスピードガンで測ると、ボールは0キロメートルに測定されます。ボールのスピードは計測器のスピードにも影響されるわけです。ところが、光はこうはならないのです。
 たとえば、A,B,C、Dの人がいます。Aは地球上で立って測っています。Bは秒速10万キロメートルで飛びながら測っています。Cは秒速20万キロメートルで飛びながら測っています。Dは秒速30万キロメートルで飛びながら測っています。みんな同じ光を測っています。その結果は、誰もが、光は自分に対して30万キロメートルで飛んでいるというのです。
 これが、普通の物体なら、Aに対しては、30万キロ、Bに対しては20万キロ、Cに対しては10万キロ、Dに対しては0キロメートルとなるところです。もし、Dが測った結果が、30万キロメートルなら、Aが測ると、60万キロメートルになります。
 光はどうしてこうならないのでしょう。
 同じような例をあげます。
 秒速300メートルで飛んでいるジェット旅客機があります。この一番後ろに銃を持った悪漢が乗っています。この銃は秒速300メートルで弾を発射することができます。悪漢は、一番前の座席にいる刑事をこの銃で撃ちました。さて、弾は当たるでしょうか。
 答え1 当たらない。なぜなら、刑事は秒速300メートルで前方にとんでいるし、弾も秒速300メートルだから弾は刑事に追いつくことはできない。
 答え2 当たる。 なぜなら、刑事は秒速300メートルで飛んでいるが、弾も、発射される前に秒速300メートルで飛んでいる。これに、発射のスピードが足し算されて、秒速600メートルになる。したがって、弾は刑事に当たる。
 正解はもちろん答え2です。だれもが子供のときに習ったことのある慣性の法則といわれているものです。
 では、光ではどうなるでしょう。
 光速ロケットです。悪漢はレーザー銃を持っています。同じように打ちました。さてどうなるでしょう。
 答え1 当たらない。刑事は、光速で飛んでいる。レーザー光線も光速で飛んでいる。同じ速度なのでレーザー光線は追いつかない。なぜなら、ロケットの運動エネルギーは、レーザー光線の周波数を上げるけれど、光線のスピードを上げることはできない。光速普遍というわけです。
 答え2 当たる。 光にはニュートンの慣性の法則は当てはまらないが。光はどの慣性系でも光速度であるので、光速ロケット内でも、光速で進む。したがって、レーザー光線は光速で前の刑事に当たる。光速度普遍ということです。
 正解はなぜか答え2です。なぜなら、相対論で、光速度は普遍であるといっているからです。なぜ光速度は普遍であるといえるのか。それは、いろいろな実験が証明している。ということだそうです。
 ただ、マイケルソン・モーリーの実験はこの証明にはなりません。この実験装置も地球といっしょに動いているので、もちろん慣性系です。だからといって、この実験からは慣性系の中では光速度は普遍であるとはいえないのです。
 光は光源のスピードに影響されないのですから、エーテルがなければどの方向に光が進もうがスピードは変わらないわけです。実験装置だって、慣性系ならば、どのように動こうが、エーテルがなければ長さが変わったりしないのですから、実験装置の中をどのように光が進もうが、同じところから出て、同じ距離を進んで、同じところに戻るなら時間に差は出てきません。実験結果は当然の帰結です。計算式は何一ついりません。いわゆる光速普遍の原理です。
 ロケットとの違いは、光の進路です。ロケットの場合は光の出発点は同じなんだけど、到達点が別です。マイケルソン・モーリーの実験は、光は、同じところから出て同じところで分かれて、同じ分かれ目に戻ってきて、同じ到達点にいきます。光は出発点に戻るわけです。
 ロケットの中で、中央から光を出して、前後の壁で反射させて中央に戻せば、光速普遍の原理だけなら、光は同時に戻ってきます。このときロケットのスピードが等速で光速以下なら同じ結果になります。
 光速のときは、光は中央に帰ってきません。前方に飛んだ光は、前の壁に到達できないし、後方に飛んだ光は、後ろの壁で反射した後、戻ってくることができません。そのはずです。
 アインシュタイン氏は前後の壁に同時にあたるというけれど、決してそんなことは起こりません。
D アインシュタインが天才であるゆえん
  光が出発点(分岐点)に戻る、このマイケルソン・モーリーの実験では、光速普遍はいえても、光速度普遍はいうことはできません。
  光速普遍なら答え1になります。ニュートンの物理学でも、答え1になります。常識的に考えるとやはり答え1になります。常識も、ニュートンも打ち破ったところに相対論のすごさがあり、アインシュタインの天才たるゆえんがあるということです。
 光速で逃げてる刑事に光速で当たるのですから、レーザー光線は2倍光速で飛んでいるように思えるのですが、相対論からいくとレーザー光線のスピードは1倍光速なんです。光は常に、秒速30万キロで飛んでいて、それ以上にもそれ以下にもなれないのですから。そのくせ、ちゃんと光速で刑事に当たるというのですから、まるで手品です。
E ローレンツ変換の復活
 これが光速度普遍の原理といわれるものです。絶対静止点に対する30万キロ、いわゆる光速普遍の原理との大きな違いです。対スピードガンに対するスピードが常に一定なのです。ボールなら、並んで同じスピードなら、0メートルと記録されるはずです。それが光だと30万キロメートルになるのです。常識では考えられない現象です。
 この常識では考えられない現象を説明するために、ローレンツ・フィッツゼラルド変換が生き返ってきます。先ほども書いたように、もともと、ローレンツ・フィッツゼラルド変換は、エーテルというありもしないものをあるとするために編み出された式です。
 相対論もまた常識では考えられない現象が現れてきます。それをを説明するためにもう一度この式に行き着くのです。これは、どの観測者に対しても光を同じスピードにするためには、距離を縮める必要があることから出てきたのです。やがて、時間さえ延ばしたり縮めたりするのです。
 個人的疑問
 光速普遍の原理は、それほど難しいことはありません。光は真空中なら、どこでも30万キロメートルということです。これは、多分絶対速度といってもいいものです。ということは、絶対速度が0キロメートルというスピードが存在するという事でもあるので、相対論の対極にあるものです。
 音速で飛ぶ飛行機から出た音も、止まっている人の吹くラッパの音も、同じマッハ1のスピードで伝わっていくのと同じに、光速で飛ぶ物体から出る光も、街の街灯から出た光も同じ30万キロメートルで真空中を伝わっていきます。何度も書いたようにこれは、音や、光が、質量を持たないことから来る当然の結果です。
光が、どの慣性系でも同じスピードになる原因は何でしょう。いろいろな実験結果がこれを証明している。理屈ではない。などといわずに、教えてほしいものです。
 ♪苦しまぎれの、ローレンツ・フィッツゼラルド変換♪だったりして。 ぽんととんだ
04年1月27日 並刻記

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