知らぬは亭主ばかりなり

落下するエレベーターの怪 (重力は見てくれで決まる)
 アインシュタインが考えた実験だそうです。(伝聞「重力と一般相対性理論」二間瀬敏史著黙って借りてごめんなさい。)
@ 問題
ロープが切れて落下するエレベーターの中で手に持ったりんごを落とすとどうなるか。
答え
エレベーターも、中の人も、りんごも同じ加速度で落下する。
個人的感想
そのとおり。
 本の中に条件設定しているとおり、エレベーターと空気や他の接触しているものとの抵抗がなければ、おそらくこうなるでしょう。ここまでは多分ニュートンの落ちるりんごも同じでしょう。
アインシュタイン氏は、その後の考え方が少し(本当はまるで)違う見たいです。
A  アインシュタイン氏の考え方(これも同じ解説書による伝聞ですあしからず)
 エレベーターの中にいるあなたがこのりんごを見ると宙に浮いているように見える。 
 あなたがエレベーターが落下していることを知らなければ、自分や、りんごに働いていた地球の重力が消えたように感じる。 

 この実験から、重力が消えて見えるような観測者が必ず存在することを示している。 
 このような観測者のことを、加速度系、あるいは自由落下系、と呼ぶ。(系という言葉は、観測者がそこにいるというだけではなく、その観測者が、時計と物差しを持っていて、時間や長さを測ることを意味する。) 
 つまり、加速度運動(自由落下運動)により、重力を消してしまうことが可能なのである。  

B 個人的意見
 「重力が消えて見える=重力が消えた」という等式は成り立たちません。なぜなら、左辺は人間の感覚です。右辺は人間とは関係ない物理量です。両辺の基準が違います。もしこれが正しければ、「太陽が東から上がり西に沈むように見える=太陽が地球を回っている」も正しいことになります。
 上記のエレベーターで、地球の重力が消えると、エレベーターも、人もりんごも、その瞬間から、等速直線運動になります。地球の重力で加速されていたのだから、それがなくなれば、その瞬間から加速されなくなるからです。
 しかし、現実は、地球上のエレベーターなら、下に衝突するまで、加速され続けます。
 「私は浮いている。重力が消えた!これで、地面に激突しなくてすむ。助かった。」と思うのは、観測者の錯覚に過ぎません。残念ながら、この観測者は地面に激突してしまいます。
 観測者はものさしと、時計を持っているのだからちゃんと測ればいいのです。持っている道具をひとつも使わずに、ただ見た目だけでいったい何が分かるというのでしょう。そういう人が正しい判断を下せるとはとても思えません。せめて、エレベーターには窓をつけて、外が見えるようにして、スピードを測る道具くらい(地球に対しての速度計と、宇宙背景放射に対する速度計の2種類は最低ほしいですね)は持っていてほしいものです。観測者が窓から外を観測したって、物理法則にはひとつも影響しないでしょう。もし影響するなら、その影響によって変化した割合を、得意の時空間座標に表して美しい計算式で計算して実際の現象から取り去ればいいのですから。窓をつけたり、他の観測機器を積み込んだりしても、観測が不正確になるということはないはずです。どちらかというと、正確では困るとでも言いたそうです。
  この場合など、「エレベーターが落下していることを知らなければ」ということが前提条件です。「系というのは、時間や長さを測ることである」という「系」の定義からすると、一番肝心な、エレベーターが落下していることを知らないのだから、この観測者は、自由落下系とはいえないはずです。それ以上に、自分が落下していることすら分からないようでは、観測者とさえいえたものではないでしょう。どちらかというと、似非観測者(相対論に都合のいいことしか観測しないという意味で)でしょう。
 いや、それでは観測者があまりにもかわいそうですね。観測者の名誉のために弁護します。相対論の証明をするときに出てくる観測者は、必ず、手足を縛られ、目隠しをされ、耳まで栓をされているのです。持っているのは、物差しと、時計だけ。しかし、決してそれさえ自由には使わさしてはもらえません。相対論者の言うとおりに測って、言うとおりの答えを出すしかないのです。
 とにかく客観的に観測しようとしても、そのための手段は全て奪われているのだから、観測者にはどうしようもありません。これは観測者が悪いわけではないのです。似非観測者は撤回します。
 アインシュタイン氏の言う重力は消えても、ニュートン氏の言う万有引力は、落下中も、地面に激突した後でさえも常にエレベーターとその中の人やりんごに作用し続けています。
 観測者がどう考えようと、重力は消えても、万有引力は消えていません。そもそも自由落下運動は、引力のエネルギーで起こるのだから当然のことでしょう。都合でついたり消えたりする重力とはそもそも何者なのでしょう。引力と重力との違いは何なんでしょう。
C 「重力が消えて見える≠重力が消えた」
 りんごは落ちる。月は落ちてこない。これは、りんごまでは地球の重力が届いているが、月までは地球の重力が届いていないからである。
 あなたはこの意見をどう思いますか。見かけ上はそうともいえると思いませんか。
 月は自由落下系になっているから、重力が消えていると相対論者は言うかもしれません。しかし、月の等速直線運動のエネルギーと地球と月の間に働く引力がつりあっているので、月は地球の周りを回っているという考えもあります。
 月に地球の重力が働いてないように見えても、重力が働いていないと、月はまっすぐどこかに飛んでいってしまうことになります。ニュートンが発見した万有引力の法則です。
D 結論
観測者の条件は、正確な測定者であることではないのでしょうか。時計とものさしだけではなく、必要な観測器具のすべてを持って、必要な知識のすべてを持った超人でなければなりません。月の速度や、質量、地球の引力や何かを正確に測って正しく計算する者でなければなりません。だから、普通の人と違って、観測者には、月が重力の影響を受けて動いていると判断できるはずです。
 したがって、エレベーターの中の人は、自分が無重力状態(これは、言葉のあやです。事実を的確に表した言葉ではありません。ニュートンの発見した万有引力は、宇宙の果てまで届くことになっています。少なくとも、人間が観測できる範囲の宇宙には引力のないところはありません。では、人工衛星の中でふわふわ浮いているのはなぜという疑問がわきます。それを称して、無重力といいます。でも決して引力が消えたわけではありません。周りのものすべてが同じ速度で同じ方向に動いているからそうなっているだけです。高速道路で、同じ速度で同じ方向に走っている車が相対的な速度が0になるのと同じです。脇から見るとみんなが100キロのスピードですっ飛んでいます。あるいは、電車にしろ飛行機にしろ、みんな平気で一緒にいます。外を見なければ自分がすごい速度で走ったり飛んだりしているのがわからないのと同じです。これらが、2次元の移動であるのに対して、人工衛星は3次元の移動になっただけです。)にあっても、どんどん加速していることを観測できるはずです。そうして、なぜ、加速しているのかを考えることもできるはずです。
 何も、エレベーターなど持ち出さなくても、よくテレビなどでやっている、スカイダイビングを見れば同じ現象が見られます。いっしょに落ちている人が映したテレビ映像では、まるで空の中で浮いているように見えます。何人もの人が手をつないだり組み替えたりしているのさえあります。彼らは、無重力状態にあります。空気抵抗があるから、完全に無重力とはいえないという意見もあるかもしれませんが、実際一緒に落ちているビデオカメラを持った人の前で浮いているのだから、エレベーターのリンゴが浮いているから無重力状態といえるのと同じように、無重力状態と言えるわけです。服がばたばたなっていて、落ちているのがわかるというなら、ばたばたならない金属の服を着ればいいわけです。観察者に分からないことは相対論では存在しないことなのですから。
 そして、カメラマンがパラシュートを開いた瞬間に、相手に何もしないのに、急に相手が石つぶてのようにすごいスピードで落下していくのが写ります。それまで消えていた重力が、なぜ、なにもしないのに相手に突然現れたのでしょう。
 このことを相対論ではどう説明するのでしょう。
 大きな箱に入れて二人を落とせば、重力は消えるけれど、箱がなくてむき出しだと重力は消えないというのでしょうか。二人の持っている位置エネルギーや、落下による運動エネルギーは箱のあるなしにかかわらず同じです。観測者が知ろうと知るまいと同じです。
 エレベーターの話に戻ります。エレベーターは落下しているので、いずれ地上についてしまいます。もし、このエレベーターのロープが地上1メートルで切れた場合は、中の人の無重力状態は一瞬で終わります。中の人は、地上に着いたとき、よろめくけれど立っていられます。りんごも少し傷がつくだけでしょう。地上3メートルで切れたらどうでしょう。中の人は多分立っていられないでしょう。りんごも割れるでしょう。では地上20メートルではどうでしょう。りんごは粉々になり、人は99パーセント死んでしまいます。
 では、地上1000メートルではどうなるでしょう。相対論の観測者は、自分がどうしてぺったんっこになるのか分からないでしょう。無重力状態なのに、どうして自分や、りんごの運動エネルギーがそんなにも増加してしまったのか原因が分からないからです。でも、相対論のりっぱな観測者じゃなく、普通の人なら分かります。自分が落ちているのが理解できるからです。恐怖で、気が狂うでしょう。
 このことを、ニュートンの考えでは、地球の引力により、人や、りんごの持っていた位置エネルギーが運動エネルギーに変化したからと説明します。相対論では、無重力状態が長く続けば続くほど、運動エネルギーが増え、りんごも観測者もぺったんこになるというのをどのように説明するのでしょう。相対論にとって、エネルギー保存の法則も、慣性の法則も、無意味なのでしょうか。
 なぜそんなことが起こるのか。それは、一人っきりだからです。相対論はいつも一人っきりです。今回も、エレベーターの中で観測者とリンゴだけです。それが全ての宇宙です。地球も太陽も銀河もありません。比較できる全てのものが存在しないのです。だから、地球に向かって落下していようが、太陽に向かって落下していようが、あるいは、中性子星に向かって落下していようが、一向に構わないのです。中性子星の場合は、その強い潮汐力で、体はかなり引き伸ばされるでしょうけど、そんなことはこの際おかまいなしです。もちろん、銀河と銀河の間にぽつんと取り残されていて、どこに行くのかさえ分からなくても、関係ないのです。同じ無重力でも、星の大きさや、星との位置によって、観測者の単位時間当たりの運動エネルギーはまるで変わってしまいます。星の引力の大きさによって、星に対する加速度はまるで違うのですから。もちろん、宇宙背景放射に対する加速度も違ってきます。でも、あるのは密閉されたリンゴと観測者だけです。エレベーターが、どれだけの加速度で動いているかは、中の人にはわからないようになっているのですからそんなことは「存在しない」というわけです。相対論はとても便利です。ややこしいことは全部分からないことにして、ないことで済ませてしまえるんですから。周りの人全てがエレベーターが落ちていくのを知って叫んでいても、中の人が分からなければ、全てオオライです。
 天知り、地知り、我は知らず、ですか。それとも、知らぬは亭主ばかりなりですか。   ポロリットン
04年1月22日並刻記

悪魔の目玉はぎらりと光る     むかしむかしあるところに 
     王様は裸だ!目次