<STAGE7>「サードパーティ」事始


過去の「画面の告白」は↓からどうぞ
<STAGE1>「まだ『画面』が無かった頃」
<STAGE2>「ゲームウォッチ」との遭遇
<STAGE3>「テレビゲーム」登場

<STAGE4>「カセットビジョン」への複雑な愛情
<STAGE5>憧れのマシン、その名は、「ぴゅう太」
<STAGE6>「ファミリーコンピューター」の衝撃

まず、最初に参入してきたのは、ハドソンでした。

しかし、マイコン時代のハドソンを知る僕としては(そして、多くのマイコンゲーマーたちは)、「ハドソン?大丈夫なのか…?」と危惧していたのも事実です。

なにしろ、当時のマイコンゲーム界のハドソンといえば、「粗製濫造メーカー」の代表格で、僕もX1ユーザーとして、何度も泣かされたものでした。当時僕が住んでいた田舎では、マイコンゲームそのものを入手するのが難しく、そんななかで「ハドソン」のゲームだけは比較的充実していたのです。でも、その中でまあ優良と言えたのは、あの「ボンバーマン」の前身となった「爆弾男」くらいで、あの「デゼニランド」が1983年に発売されたときも「面白そう…でも、ハドソンだし……」と、「マイコンBASICマガジン」の「チャレンジAVG」で紹介されるまでは、かなり「危険視」されていたくらいです。もっとも、「デゼニランド」のおかげで、ハドソンのイメージもかなり改善されつつあったのですけど。

ちなみに、ハドソンの第1作は、『ロードランナー』だと僕は長年思い込んでいたのですが、ハドソンの第1作は『ナッツ&ミルク』。お椀をひっくり返したようなキャラクターがちょこまかと動く、ポップな音楽が印象的な佳作でした(僕はこのゲームけっこう好きでした)。

そして、ハドソンの第2作が、あの『ロードランナー』です。

ファミコンの処理能力とか、グラフィックの兼ね合いで、画面がスクロールして全体を一度に見渡せなくなり、アクションパズルとしての戦略性が失われたとマイコンゲームマニアの間では非常に物議を醸した移植だったのですが、結局このゲームは「マイコンの超人気ゲームが家庭用ゲーム機で!」というようなアオリ文句や雑誌媒体を積極的に活用した「ハドソン商法」が見事に実を結び、100万本を超える大ヒットを記録したのです。

そして、ハドソンは、「高橋名人」や「ゲームキャラバン」などで、「ファミコンブームの立役者」となっていくのです。

そして、一方の雄(というより、当時は任天堂を超えるカリスマゲームメーカーだった)ナムコも、ついにファミコンに参入を発表します。1984年9月7日に発売された、第1作の「ギャラクシアン」に関しては、当時の僕ですら、「いや、せめて『ギャラガ』くらいにしてくれないかな…」と思ったのは事実ですし、第2作の「パックマン」についても、「いまさら『パックマン』ってのもなあ」とか感じてはいたのですが、第3作『ゼビウス』で、ついに、ナムコはファミコンゲーマーたちの期待に応えたのです。

当時『ゼビウス』といえば、一時の大ブームは去っていたとはいえ、ゲームセンターでも現役の人気ゲームで、数々の隠れキャラや「1000万点伝説」で、カリスマ的なゲームとして語られていたのです。「ゲームミュージックがレコードに!」なんていう偉業もなしとげていましたし。

そして、当時『ゼビウス』を家で遊ぶには、筐体そのものを購入するか(実際に買った人もけっこういたと記憶しています)、マニアもある程度納得できる「移植」としては、電波新聞社がシャープX1に移植したものしかなかったのです。これも、「テープ版は、4面以降は1エリアごとにロードする」なんていう仕様だったのですが、それでもマニアたちは『ゼビウス』のために、30万くらいするX1を買っていました。

いや、『ギャラクシアン』や『パックマン』はともかく、『ゼビウス』はファミコンじゃあ、ムリだろ……正直、僕もそう思っていたんですけどね。というか、ファミコンによって、マイコンゲームの「幻想」が打ち砕かれるのが怖かった、という気持ちもあったので。

しかしながら、1984年の11月に発売された、ファミコン版『ゼビウス』は、まぎれもない『ゼビウス』でした。

「アンドアジェネシスが動かないなんて!」とか、「画面が横に潰れている!」というようなあらさがしをしてはみたものの、逆に、「そういういくつかの点はあるものの、全体としては、これは、まぎれもない『ゼビウス』だ…」と、人々は驚きました。

そして、『ゼビウス』のファミコン移植は、マイコンゲームが「先進」であった時代の終焉を、明らかに示していたのです。それでもしばらくは、表示能力の問題などで、アドベンチャー、ロールプレイング、シミュレーションゲームなどでは、マイコンの優位は保たれてはいくのですけど。

ところで、この『ゼビウス』に関しては、当時のゲーム雑誌「コンプティーク」で無敵コマンドが公開されて、大きな話題になりました。あの号の「コンプティーク」は、まさに飛ぶように売れたし、おかげで、自力では見ることができないような後半ステージにも到達することはできたのですが、正直、あの無敵コマンドがこのゲームをつまらなくしてしまったような気もします。

この頃のファミコンは、新しいサードパーティが発表されるたびに、「あのメーカーが参入してくるということは、あの人気ゲームがファミコンでも!」とワクワクしていたような時代で、まさに「発展期」だったような記憶があります。

まあ、中には、「なんなんだこのゲームは!」と言いたくなるようなものを濫発していた、けっこうろくでもないサードパーティもいたわけで、次回はそんな話をしてみたいと思います。


<STAGE8>「裏サードパーティ黙示録」に続きます。