<STAGE2>「ゲームウォッチ」との遭遇



<STAGE1> 「まだ『画面』が無かった頃」はこちらから

参考リンク:「ゲーム&ウォッチ」「任天堂のフィロソフィー」より)


 任天堂「ゲーム&ウォッチ」が発売されたのは、1980年のことでした。僕がまだ9歳のころ。テレビでも「ゲームウォッチ、ゲームウォッチ、いつでもゲームウォッチ、だれでもゲームウォッチ」というCMがしきりに流れていた時代。

 当時は、時計が今みたいに100円ショップで売られている時代ではありませんし、小学生にとっては「時計を買う」というのは、ひとつのステータスだったのです。

 僕がはじめて、この「ゲームウォッチ」(実際に「&」を発音していた人は、ほとんどいなかった)を見たのは、友達の家でした。確か「ボール」というロボットの手を動かして、落ちてくる玉で、お手玉をやるゲームです。そのときは、「電子ゲーム」という存在そのものがまだ珍しい時代でしたし、しかもそれが「持ち運べる小ささ」ということで、当時の僕たちにはまさに夢のオモチャだったのです。それが、5000円程度という、あの頃の小学生にはお手上げの値段だったとしても。そのファースト・コンタクトのときは、友達失くしてもいいから、もって帰りたいなあ、なんて思ったり。とにかく、すごい衝撃でした。あの日にごちそうになった、「サッポロ一番」の味さえ覚えているくらいに。

 そこで、なんとか憧れのゲームウォッチを手に入れようと、僕はひたすら親に対して工作を続けました。「このテストでいい点とったらゲームウォッチ買って〜」というシンプルな作戦は「高い!」という一言で灰燼に帰したため、次に考え出した作戦は、「これは時計だ」作戦。

 「これは、5000円もするけど、時計だから。時計にゲームがついているだけだから!」「時計にゲームがついているなんて、すごくお得!どうせ時計買ってくれるんだったら、そっちのほうがいいよ!」

…今考えると、親からすれば、噴飯モノだったかも。

 しかし、この「役に立つよ作戦」は、「パソコンは勉強に使えるから!」というように、後世まで応用され続けたのです。

 買ってしまえば、電池が勿体ないから(あのボタン型電池は、カッコよかったんだけど高かった!)、ゲームやるとき以外は電池を抜いていたりしたので、時計として使った記憶はまったくないんだけど。

 努力が実って、ついにウチにやってきたのは「オクトパス」という、ダイバーが伸縮するタコの足をよけながら、宝物を取っていく、というゲームでした。
 それはもう、面白くてずっとやり続けたのですが…
 しかし、残念なことに「ずっとやり続ける」と、単純なゲームのため、ゲームウォッチって、けっこうすぐ上手くなって飽きてしまうのです。
 でも、子供というのは、こういうときに貪欲なもので「どれを買ってもすぐ飽きる」と考えるのではなく、「じゃあ、新しいのが欲しい!」というふうになってしまうもの。
 当時は、ゲームウォッチの数が、子供のステータスみたいな感さえありましたし。
 「パラシュート」「マンホール」そして、画面が2つある「マルチスクリーン」の「ドンキーコング」なんてのが、当時最も人気があったゲームウォッチ。

 しかし、ゲームウォッチそのものは、数年間で廃れてしまいました。やっぱり、この形式では、できるゲームの種類に限りがありましたし、買うほうのお金も続きませんし。そして、「パックマン」「クレイジークライマー」などのゲームセンターのゲームが一種類だけできる「エレクトロニクスゲーム」や「ブロック崩し」などの、文字通りの「テレビゲーム」が、次第に主流になっていくのです。


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