<STAGE4>「カセットビジョン」への複雑な愛情


過去の「画面の告白」は↓からどうぞ
<STAGE1>「まだ『画面』が無かった頃」
<STAGE2>「ゲームウォッチ」との遭遇
<STAGE3>「テレビゲーム」登場



 僕達は、とにかく「テレビゲームを家で遊ぶ」ということを熱望していたわけなのですが、実際に発売された「家庭用テレビゲーム」というのは、正直、小学生に手が出るようなシロモノではありませんでした。

 できるゲームは、画面の両端に小さな棒が出てきて、画面の中を壁を反射しながらやってくる玉を打ち合い、ミスしたほうが負け、という、いわゆる「エアホッケー」のテレビゲーム版のようなものだったのですが、いくらなんでも、このゲームをやるためだけに、何万円もする「テレビゲーム機」を買うことは、現実的ではなかったのです。「テレビでゲームができる!」とはいえ、うーん、これはちょっとショボイんじゃないかな…と子供心に思っていたものです。まあ、何万円なんて金額そのものが、子供にとっては「非現実的な金額」であったわけで。そういう意味では、ファミコンというのは、子供の金銭感覚を大幅に変えてしまったのかもしれないなあ、という気もします。

 まあ、アーケードゲームを知る人間にとっては、「インベーダーゲームみたいなのを、家でやりたい!」というのが、ひとつの夢だったんですよね。インベーダーブームの当時は、本当にあの筐体を買ってしまった人もけっこういたらしいのですが。

 というわけで、「1ゲーム機1ゲーム」の時代にも、「インベーダーゲーム」は沢山発売されはしたのですが、いわゆる「電子ゲーム」はもとより、家庭用テレビゲームでも、「合格点」のインベーダーゲームは、なかなか出てきませんでした。当時の画面表示能力では、1画面にあれだけたくさんのインベーダーを表示するなんてことは、到底できなかったのです。ゲーム機の大部分は、「最前列のインベーダーしか表示しない」というような、ちょっと興ざめな手法を駆使して、なんとかそれらしく作ろうとしていました。「透明ランナー」かよ、とみんなその強引な設定に内心突っ込んでいたっけ。

 それにしても、今から考えると当時の「家庭用テレビゲーム」というのは、非効率の極みで、何万円もするのに、遊べるゲームは1台につき1種類。なかには、「6種類のゲームが遊べます!」なんてうたい文句のゲーム機もあったのですけど、その「6種類」は、例の「エアホッケー」の壁の跳ね返り方が違うだけとか、棒の長さが違うとか、そういえば、「テニス」の画面中央に、跳ね返る角度が変わる「ネット」が張ってあるだけで「バレーボール」なんていうのもあったなあ…

 要するに、「テレビゲーム」というのは「お大臣か好事家の娯楽」だったのですよね、初期の頃は。家でやるのは、電子ゲームかゲームウォッチが関の山。

 しかしながら、おもちゃ業界は、この「家庭用テレビゲーム」というものに、大きな可能性を感じていたようです。そして、アタリVCSという大ヒットマシンの影響もあり、日本国内にも「何種類ものゲームをカセットを入れ替えるだけで遊べるテレビゲーム機」が出現してきます。インテレビジョン(確か、ビートたけしがCMに出てました)、アルカディア光速船ぴゅう太etc

 しかしながら、これらのゲーム機は(「ぴゅう太」は、正確には「ゲーム機」ではないのかもしれないけど)、「値段が高い」という問題点を抱えていたのです。後期にはだいぶ値崩れしましたが、最初の頃は4〜5万くらいしていたような記憶があります。そりゃあもう、子供にとっては、「デパートのおもちゃ売り場で並んで遊ぶくらい」の、手に届かない存在だったのです。

 しかしながら、その中で、「カセットビジョン」(エポック社)は、比較的先発だったこともあり、けっこうヒットしていたんですよね。というわけで、僕はある年のクリスマスの朝、枕元に置かれていた「カセットビジョン」とゲームのカセットを発見することになります。そのときの素直な感想は「サンタさんありがとう」と同時に、「やはり、『ぴゅう太』は、サンタクロース的にも無謀な依頼だったか…」というものでもありました。いや、「当時はカセットビジョンでも凄かったんだ」と言いたいところだけど、当時のことを思い出してみると、「うーん、やっぱりカクカクだよなあ、これ…」と贅沢な不満を感じていたんだよなあ。そりゃあ、ぴゅう太の「スクランブル」とか見せられるとねえ…

 それでも、やっぱり「カセットビジョン」は、「デジコムベーダー」(電子ゲーム)や「ゲームウォッチ」よりは、はるかに面白かったのですけどね。


 STAGE5>憧れのマシン、その名は「ぴゅう太」!に続きます。