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私釈三国志 129 誰敢殺我

F「お前らがキャッチコピーに非道い反応するので、今回はちょっと念入りに見よう」
病気が治りつつある演義信奉者「なに!?」
Y「のっけから反応するな」
F「孫権・張昭・公孫淵の笑えないどつき漫才のせいで、この魏延の乱についてが1回ずれただろう。そのせいで、123回ラストの伏線も1回分ずれることになった」
Y「思わぬ事態と云っていたが、何なんだ?」
F「ちょっと、90回の武力リストを確認してくれ。先日、泰永に頼んで大量に追加したが」
A「おー、ムダに大量」
Y「参考にしたコーエーの『武将データ大全』で、曹真のXでの武力が間違っているみたいだからアイツはカットしたが、『私釈』に出てきた他の主だった武将はひと通りさらったつもりだ。苦労したぞ」
A「没年の太字はナニ?」
F「魏延の乱の時点で生きているかどうか。ために、同じ234年没でも、演義ではすでに死んでいる関興は対象外」
A「今回の時点で生きているかどうか……ねェ。思えばほとんど生き残ってないンだ」
F「確認したね? 229年以降、三国志世界最強の称号は魏延の頭上にあった事実を」
2人『待てやオラっ!?』
F「最近のシリーズでは見直されつつあるが、楽進や于禁への評価を考えると、コーエーの評価を全面的に信じるつもりはない。だが、魏延についてはほぼまっとうな評価だと考えている。確かに戦上手という点なら陸遜のがいくらでも上だろうけど、純粋な武勇で云うなら、許褚(226年没?)・趙雲(229年没)らが死んでからは、魏延に勝てる者はいなくなった。在りし日の張郃でも及ばないくらいだ」
A「ああぁっ、いない、いない!? 魏延より強い奴がひとりたりとも生き残ってないー!?」
Y「張郃・姜維でも一歩……いや、二歩は譲るか。郭淮程度では到底太刀打ちできんな」
F「云われれば納得するだろうけど、誰かに云われるまでは気づきにくいネタを集めているのが『私釈』だ、というのを再確認できた瞬間だな。だが、お前らでも魏延最強伝説に気づいていなかったのはむしろ悲しい」
A「蜀のファンとしては、呂布・関羽が背負った最強の称号をアイツが負うのはどうにも納得できないンですが……」
F「実際のところ、魏延という男はずいぶんな戦上手だ。演義での最期のせいでどうにも評価は手厳しくなりがちだが、五虎将亡きあとの蜀軍を支えていたのは歴然たる事実。北伐期の三国志世界では、まさに『俺に勝てる奴がいるか!』状態と化していたようでな」
Y「だから今回のタイトルはこっちになったのか。しかし、どんだけこの男を高く評価してるンだ、お前は?」
F「募集したワケじゃないが投票があったンでな。というか、客観的な事実だ。触れたときはさらっと流したが、230年に魏延を将とする北伐が行われ、魏に侵攻した蜀軍は郭淮・費曜(字が違うがたぶん本人)らの迎撃を突破している」
A「演義では触れられていない……か?」
F「そりゃそうだろう。123回で云ったが、この出兵では孔明が動かなかった。ために、後主伝(劉禅伝)には書いてあるが、魏書どころか諸葛亮伝にも記されていないンだから」
Y「第三次北伐並の扱いか」
F「例によって異民族居住区だ。魏から見れば小さいだろうけど、蜀から見ればこの一戦は大きい。何しろ、第三次北伐では孔明が動いて陳式を援護しているが、今回は孔明の本隊ナシで魏軍を打ち破っているンだ。第三次は『勝利を得た(後主伝)』で『郭淮は退却した(諸葛亮伝)』となっているのに対し、この戦闘は『郭淮を破った(後主伝)』『郭淮らを大いに破った(魏延伝)』となっている」
A「……勝ったのは事実か」
F「さらに云えば、陳式がどういう処遇をされたのか不明だというのに、魏延は鎮北将軍・都亭侯から前軍師・征西大将軍・南鄭侯に昇進している。従軍していた(曰く『費瑶を破った』)呉懿もおこぼれに預かったくらい、蜀ではこの勝利を高く評価したようでな」
Y「孔明が丞相に復帰できたようなモンか」
F「もちろん、孔明も魏延らに何かあったら動く準備はしていただろうけど、何しろ魏延は劉備が認めたほどの猛者だ。第三次北伐で見たように、郭淮は守る意思がないととっとと引き揚げる。その郭淮と戦って破っている辺りは、当代最強武将の面目躍如と云うべきだろう。その武勇は呉まで鳴り響き、直接戦ったことがないはずの孫権でも、魏延の名を知っていた」
A「何だかなぁ……。五虎将亡きあとの蜀軍でエース格だったのは認めるけど、そんなに強いとは思えない、つーか思いたくないンだけど」
F「まだ云うか? では、例の長安襲撃についてだ。僕の見立てでは、この作戦が採用されていたら、あんがい上手く行っていたように思えるンだ」
2人『何で』
F「まず、この時点では魏の側に満足な防御態勢はなかった事実。実史通り趙雲を陽動に出していれば軍はそちらに向かうから、『臆病で兵法にも暗い』夏侯楙が守る『文官ばかりが残った』長安を攻略するのは、魏延なら兵五千あれば充分だ」
A「囮の部隊を出して魏軍を誘導し、その隙に奇襲で叩く?」
F「もともと国力に差があるンだから、正面作戦では蜀に勝ちはない。でも、陽動と奇襲を駆使すれば長安攻略は充分可能だ。現に馬超はいち時期長安を占拠している。魏延の策にはかなり高い成算があった、と僕は見ている」
Y「あれは馬超だからできたと見るべきだろう。魏延にそこまでの真似ができるとは思えん」
F「果たしてそうかな。この作戦で魏延が借りたいと申し出たのは、兵五千と輜重五千だ。兵一万との説もあるが、いつぞや云った通り、全軍の半数(少なくとも40パーセント)が後方支援部隊でなければ戦争は立ち行かん。この現代的な部隊編成にこそ、魏延が並の武将ではないことが現れているように思える」
A「……確かにどこかで聞いた記憶はあるが、ここでそれが出るのか」
F「ただし、さっき云った通り囮の一軍を出すことと、長安を守りぬけるかを考慮していないのは減点だが」
A「待て、2番はどういう意味だ?」
F「そのままだよ。必ず来る魏の援軍には、籠城して孔明本隊の到着まで持ちこたえる……みたいな発言はしているけど、かつて馬超の攻撃さえ耐えられなかった長安にたかだか五千か一万の兵でこもって、防げるとは思えない。何しろ、この援軍は曹叡自ら率いる親征軍だ。兵数・練度・士気・武装、いずれにおいても蜀軍を大きく上回っていることは想像に難くない」
A「……孔明の本隊が到着しても?」
F「この時点では隴右も降伏していないから、長安は東西に魏軍を迎えることになる。さらに、趙雲隊が敗れるか無視されたら、状況はもっと悪化するぞ」
A「うーん……」
F「だが、魏延には守り抜く自信があったはずだ。何しろアイツは『曹操が来るなら防ぐ自信はありませんが、副将程度なら守り抜いてみせましょう』と豪語した男だ。……だからこそ、劉備は魏延を信じ、孔明は信じられなかった」
Y「上位者が積極的なら魏延のような武将は信頼されるが、消極的だと煙たがられる?」
F「使いづらいンだよ。孔明は原則的に負けない戦闘を心がけていたから、魏延の博打に近い作戦案の欠点が目について、それを実行できなかった。でも魏延には、劉備から対北最前線を委ねられた恩に報いたい覚悟と自負がある。武官と文官とか、積極的と消極的とか、そういう単純な問題が積み重なって、結局意見対立が起こったようでな」
A「でも、孔明は丞相だぞ? 命には従わないと」
F「だから、魏延は出陣するたびに兵一万を借りて別動隊として動きたいと申し出ては、孔明に却下されているンだ。ために、魏延は孔明を臆病だと思い、能力を発揮できないのを悔しく思い恨んでいた……とある」
A「やらせてみればよかったのに。失敗して、泣いて帰ってきたかもしれんぞ」
F「うまくいったみたいだよ」
A「……雍州侵攻って、そーいうことなの?」
F「曹真を退けた例の長雨のあとだから、そう大規模な兵力を動かせる地勢状況はなかったと思う。孔明が自分で動かなかったのもそういう事情。そこで、前々からやりたがっていた魏延にやらせてみた……ら、うまくやりやがった、ンではなかろうか。確証はないンだが、北伐にも従軍した費禕と姜維の、あとあとのやり取りを思うと、与えた兵は多くても一万程度と推察できる」
Y「先代から認められた、大言は吐くが相応のことはやってのける武将と、政治畑から総帥に成り上がった宰相では、意見対立も起こるか。正史では、孔明に作戦を退けられ続けて恨みに思ったようだが、演義では出会い頭に『反骨の相があります、斬るべきです』とかブっこいてるし」
F「それを根に持っていたのか、延命の祈祷をしている孔明の幕舎に乗り込んで灯篭を蹴り倒し、曹操でも仲達でも、周瑜ででさえもできなかった孔明殺害を、間接的ながら成し遂げているンだな、コレが」
Y「魏延すげー」
A「呆れてるのか感心してるのか、どっちだ!?」
F「さて、そんな孔明さんの悪あがきが失敗に終わって、死んだのは8月23日」
A「悪あがきゆーな!」
F「ここで発生したのが、魏延の叛乱事件だ。もともと魏延と仲が悪かった楊儀が、孔明が死んだので退却の指揮を執ると云いだしたところ、殿軍を命じられた魏延は『お前たちだけで撤退すればよかろう、俺は残って戦うぞ!』と反発。ところが、楊儀は魏延を見捨て、マジで退却しやがった」
A「で、魏延は漢中への道を先回りして、楊儀から孔明の棺を奪い、自分が正しいと主張しようとしたンだけど、迎撃に出た王平に『丞相の遺志に背くつもりか!』と怒鳴られて、兵は散り散りになってしまう」
F「お互いに『アイツが叛逆した!』と劉禅に上奏したモンだから、成都の宮中は対応に苦慮。結局魏延は馬岱に斬られた……のは、正史でも演義でも同じだが、演義では例によって凄まじい。王平のせいで兵の大部分が逃げたので、魏延は魏に降ろうかと考える。それを思いとどまらせたのは、魏延を焼き殺そうとして失敗した孔明のしっぽ切りに遭い、魏延の部下になっていた馬岱」
A「だったら漢中を攻め落とせばいいでしょう、と勧めたンだったな。魏延に勝てる者が蜀にいないのは事実だ」
F「ために、漢中の城は魏延の軍に囲まれた……そんなに多くはないが。それでも慌てふためいた楊儀は、生前に孔明から預かっていた錦嚢を開いた。魏延が叛逆したときに開け、と云われていたものだが、そこには『わしを殺せる者があるか』と三度叫ばせろ、と書いてある」

 ――ひとまず姜維を出したのだが、魏延は「楊儀を出せ!」と相手にしない。そこで楊儀が城から進み出た。
「丞相は在りし日、必ず貴様が叛逆すると見越しておられた。果たせるかな、この有様だ。おぅチンピラ、この場で『わしを殺せる者があるか』と三度叫んでみろ。叫べたのならこの城を挙げて降伏してやるわ!」
 これを聞いた魏延は大いに笑って、
「アホか、お前は? 丞相が健在ならば俺も恐れはするが、俺がもはや天下の誰を恐れるというのだ? そンな台詞、三度どころか三万回でも叫んでやるわ!」
 かくて馬上にて、魏延は声を張り上げる。
「わしを殺せる者があるか(誰敢殺我)!」
「ここにいるぞ(吾敢殺汝)!」
 ひと声めが収まらぬうちに、背後から駆け寄った馬岱が魏延を斬り捨てる。兵たちはあまりのことに声もなく、その骸を囲んで震え上がった。

A「孔明は馬岱に『魏延が叛意を明らかにしたときは斬り捨てろ』との策を授けていた。確かな叛逆の意志を見てとった馬岱は、その場で魏延を斬り捨てたのだった♪」
F「突然ですが、ここで問題です」
A「何じゃ!?」
F「曹丕の命により孫権討伐のため侵攻した洞口軍団でしたが、総司令の曹休が病に倒れました。すると王淩が『総司令閣下は、自分に何かあったら張遼を殿軍に引き揚げろと命じていた』と云いだして、張遼にその旨伝えますが、本人は『曹休閣下が亡くなったからといって兵を退いてどうする、この俺が健在なのだぞ!』と反発。呉軍への対決姿勢を剥きだします。これを見た王淩は、あろうことか張遼を置き去りにして撤退し、曹丕に『張遼が叛逆しました!』と上奏したのです。……さて、どう思う」
A「……何が云いたいのかよく判らんが、どっからどーみても王淩が悪いだろう。長いこと対呉前線張ってた張遼がいるンだから、軍全体を退却させる必要はない。遺体の護衛の兵だけ戻して、あとは進軍を続けても問題あるまい」
F「それが判るのに、どうしてこのときの魏延が悪く思えるのかな、お前は……」
A「……は?」
F「今のは、さっき見た魏延の乱を、人名と地名を変えただけのものだ。長いこと魏への前線を張っていた魏延がいるのに、ぽっと出の部下が『丞相が死んだから俺が指揮を執る! お前、従え!』と云いだし、魏延がそれに反発したらおいてけぼりにした挙げ句『叛逆しました!』と上奏した……ンだ」
A「……え?」
F「魏延の乱を、魏延の側から、かつ魏延に好意的に見るとそうなる」
Y「あぁ、やっぱりそうだったか。楊儀が今までに出てきたかと首をひねっていたが、出してないな?」
F「積極的に出した記憶はない。調べれば出ているかもしれんが、少なくともこの時点の楊儀には、魏延に代わって指揮を執る権限はない。いくら総司令官が死んだからといって、事実上の副司令官をさしおいていち幕僚が軍の指揮権を掌握するのは考えられないし、あってはならない」
A「待て待て、魏延が副司令ってのは無理がないか? そりゃ武功はあるだろうけど……」
F「ここで注目したいのは、3年前の第四次北伐後に上奏された李厳弾劾の連名書だ。魏延・楊儀の両者も名を連ねているが、北伐に参加していた上級将官リストとして見るとその序列に差があるのが判る。当然将軍位・官位の順になっているが、孔明を除く(本人の名は連署にはない)と魏延の上にはひとりしかいないのに対し、楊儀の上には魏延を含む7人がいる」
Y「あの状況で孔明が命じたなら、北伐の主幹クラスで名を連ねないというのは考えにくいな」
F「そゆこと。そして、そのひとりが232年に解任・234年2月前後に処刑されているので、楊儀の上もひとり減ったが、第五次北伐において魏延の上位者は孔明ただひとりだったと見ていい。残る全員(ただし、大半がこの弾劾書にしか出ない武将)を確認したが、3年前からこの時点で昇進しているのが確認できたのは費禕くらいだ」
A「……生存している中で最上位にいるから、事実上の副司令とみてもおかしくないのか」
F「前軍師・征西大将軍・涼州刺史・南鄭侯の魏延がいるのに、どうして丞相府長史・雑号将軍の楊儀が指揮を執れる? 軍・政権の序列から考えて執れないし、執らせるべきではないし、また、執らせないだろう」
A「えーっと……長史っていうのは?」
F「軍政秘書官だ。簡単に云うと文官のトップ」
A「……待って、待って。じゃぁ、何があったの?」
F「魏延は、普段から兵を養成し、人並み外れた武勇を誇ったので、将軍たちは魏延を畏れながらもへりくだって接していた。見てきたように傲慢なところはあるが、劉備や孔明に表だって反発したり、期待に背いたことはなかった」
A「孔明を臆病だと罵っていたのは?」
F「おや……? 僕はそう云っていたか? ならば訂正しよう。正史には『臆病だと(心中で)思った』との記述はあるが、口に出したとは書かれていない。"人の和"の国でいち武将から叩き上げられた魏延が、ひと前で孔明を罵るような真似をするはずがないだろう」
Y「ンな真似をするとしたら、むしろ楊儀だな。この男、魏から関羽の下に寝返り、劉備の部下になったはいいが劉巴とトラブル起こして左遷され、結局孔明に拾われたンだから。張飛を突っぱねたことを『世俗に流され不適当な野郎と交際したら、高尚な人物と思われないことを知っていた』と評された劉巴ともめたなら、性格に問題があったかもしれん」
F「性格よりは人格だ。さっき云った通り、はばかられていた魏延に、唯一噛みついていたのが楊儀だ。軍政面での有能さを孔明に評価されていた楊儀だから、その辺りを鼻にかけた発言があったンだろう。だから、劉巴や魏延とはそりが合わずにトラブルを起こしていた。口論になり、魏延が剣を抜くと楊儀は泣きだし、間に立っていた費禕がいさめた……という記述さえある」
Y「個人的な恨みがあったのは確実だな」
A「……楊儀に、はめられたンですか?」
F「前後関係を見るとどちらが正しいのか判ったモンじゃないンだ。孔明の死を聞いた魏延は、楊儀の撤退命令には従わず、(費禕にだまされて)将兵を、留まって魏と対陣する者と退く者とに分けている。軍の司令官が死んだからには副司令官が指揮を引き継ぐのは当然のことだが、楊儀が軍権を握るならこのタイミングを逃す手はない。『丞相の遺命である!』と称してしまえば、諸将の支持を得られるだろう。事実、姜維・費禕の協力で、魏延を置き去りにするのは成功している」
A「……それに怒った魏延は、漢中への道を先回りして『楊儀が叛逆した』と上奏した?」
Y「長年の漢中守備は伊達じゃないな。後発しておいてきちんと追い抜いたンだから」
F「だが、ここで悲劇が起こる。日頃の傲慢な態度のせいで、魏延は政権中枢をも敵に回していたモンだから、劉禅に侍っていた蒋琬・董允は『魏延が悪いでしょうな』と見捨てているのね。演義でもあった、王平の一喝で兵士たちも四散したモンだから、魏延は息子ら数人と逃げるものの、結局馬岱に斬られた。楊儀は届いた魏延の首級を踏みつけ『このバカ野郎! もう悪事はできんだろう』と罵っている」
A「……確かに、楊儀には人格面での問題があったみたいですね」
F「羅貫中は魏延を嫌っていて、演義でさんざんにこきおろし、結局叛逆させているンだけど、陳寿は割と同情的なんだ。魏延の最期について『魏に降らず漢中へ向かったのは、ただ楊儀を除きたかったから。常日頃から(  は)諸将の支持を得られなかったから、世論は孔明の後継者として自分を望むと期待していたのであって、叛逆したワケではない』とフォローしている」
A「……あの空欄は何だ?」
F「原文にはないが、ここに"楊儀"が入っていないと文脈が通らない。……のだが、実際には"魏延"が入らねばならないのが悲劇なんだ。魏延は勇猛かつ有能だった。孔明も『魏延の勇を頼みとした』とある。作戦立案から決行まで実施できる才もあったのは、ここまでで見てきたな」
A「……でも、周囲には認められていなかった」
F「劉備・孔明には評価されていても他の武将との兼ね合いが悪かったモンだから、ヒトの和の国では長生きできなかったようでな。結局、全ての罪を背負ったようなかたちで三族皆殺しになっている。いちおう、蒋琬が兵を出してことを治めようとしたンだけど、魏延がすでに斬られたと聞いて引き揚げたともある」
Y「成都からも兵を出されただけじゃないのか?」
F「蒋琬・魏延は荊州人だ。費禕は益州人で、姜維・馬岱は涼州人。そして楊儀・王平は(厳密には姜維も)魏からの投降組。この魏延の乱に、孔明亡きあとの政権をめぐる派閥争いを見るのは考えすぎだろうか」
Y「……ふむ」
A「いや、でも、蒋琬が間に合わなかったのはともかく、フォローもしなかったンだろ?」
F「魏延を助ければ恩を売れるけど、魏延をそのまま帰ってこさせたら蒋琬でも下につかねばならんだろう? 後のことを考えると、すぐには助けられんよ。ピンチに陥っているところを助けてこそ感謝されるンだ」
A「どうしても……利益関係で動いていそうに見えてくるのは、どうなんだろうな」
F「社会人としては正しい。組織そのものをまっとうするのも大事だが、その中で自分(たち)が利益を得られなければ、その組織にいる意味がないンだ。コキ使われるのに評価されないなら、ひとはその組織を捨てて別の組織に移るか、組織の上位者を追い出して新しい主を迎えようとするだろう。……それが大陸規模で行われていたのが、三国時代だ」
Y「離合集散を繰り返したのは、ひとの欲望が原因か」
A「何だか、最終回を前に凄まじく見事なオチがついたンですけど……」
F「悪いがまだ終わらんよ。泰永、魏延・楊儀に関する孫権のエピソードを」
Y「ん? えーっと、費禕が呉にやってきた時、孫権は魏延・楊儀をして『役に立ったことはあるだろうが、いちど使ってしまったら切り捨てることもできまい。孔明がいなくなったら災いが起こるだろうが、どうするンだ?』と尋ねている。費禕は即答しなかったが、随員が『あのふたりは仲は悪いですが、叛逆の意思があるワケではありません。逆賊を討つのに必要な人材を、後の災いを理由に排除はできません』と応え、孫権は大笑いした……と」
F「割といい加減なものを書いている、と裴松之は評したが、外部から見ても『魏延・楊儀は仲が悪い』『孔明がいなければこのふたりは暴走する』のが見えていた。確かに悲劇は起こったが、本当に悪かったのは誰なのか。正史にはこうも記されている。書き下して引用しよう」

 楊儀は心が狭く、多くのひとに異を唱えた。平静なときは論理的だが追いつめられるとひとを傷つけ、おとしめる。道理を捨てれば凶事に遭うのが当然ではないか。

F「楊儀は、魏延を討ち軍をまっとうした功績で、自分が丞相になれると思っていたのに、孔明は後輩の蒋琬を後継者に指名していた。それが容れられた(実際に丞相に任じられたのは4年後)のが不満で、費禕に『あのとき魏に降っていれば、こんな落ち目にはならずに済んだ』とブチまけている」
A「ねぇ、コイツ頭おかしいよ!? 魏延をとことん嫌っていたくせに魏延と同じことをしていればって口に出せるなんて、本格的にどーかしてる!」
F「だから、魏延にはその気はなかったって云ってンだろ。露骨に放っておけない発言だったので、費禕はそれを劉禅に上奏し、楊儀は平民に落とされ、地方に追放された」
Y「李厳並の扱いか」
F「ところが、平民に落とされてなお苛烈な上奏をしたモンだから、劉禅でも許せなかったようで逮捕された。自殺したとあるけど、実際には穏便に処刑されたンじゃないだろうか。魏延の死の翌年のことだった」
A「魏延を討った功績が生きたのかね……?」
F「どちらが悪いかと云えば両方悪い、というのが『私釈』では何度もあったが、この一件に関して魏延が悪いと思えるのは、何らかの理由でどうしても魏延を受け入れられない、病的なまでの演義信奉者くらいだと思う。正史の魏延伝のどこを見ても、魏延が悪いとは思えないンだ。事態の責任がまったくないワケではないが、大筋において彼は被害者だ。ところが、楊儀ははっきり悪い」
A「……それが、今回の結論か」
F「ところで、『漢楚演義』13回のことを思い出してもらおう」
Y「三国志の時系列で云うなら最後に当たる今回が、長すぎても問題ないと云いたいのか?」
F「いや、正史の注にも記されている(つまり、そこから流用した)演義での孔明の死に様だ。駆けつけた李厳の息子の『もし丞相に万が一のことがあった場合は、誰を後継とするべきでありましょう』との問いに蒋琬・費禕の名を告げて、費禕の次を問われても応えずに息絶えている」
Y「劉邦の最期を意識しているのかね」
A「……そんなこと、ないよな?」
F「功臣・呂一族を粛清した背後には、最後まで生き残った元勲・陳平の影がちらついていたのは、当時指摘した通りだ。では、魏延・楊儀の最期は、誰かが糸を引いていたのか。いるのならそれは誰か」
2人『……費禕だな』
F「えくせれんと。魏延の乱・楊儀の最期について確認したら、費禕が事態を操っているのがはっきり見てとれる。正史のところどころに記されている費禕の、暗躍どころではない堂々たる関与は『丞相亡きあとにこんな連中が生きていたら大変じゃね?』と考えての行動だと思われる」
A「何でそんな奴後継者にしたンだ、孔明は……」
F「蒋琬挟んだから。ともあれ魏延は死に、楊儀も死んだ。これ以後蜀は滅亡への坂道を、ゆっくりと、だが確実に転げ落ちていく。それを見ることがなかった孔明の人生は、果たして、幸せだったと云うべきだろうか」
A「……次回、『私釈三国志』第130回『諸葛孔明』」
F「続きは次回の講釈で」

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