私釈三国志 90 三国無双
F「さて、先に申告していた通り、三国志世界最強の武将とは誰か、を検証したい」
A「だからいいのか、このタイトル」
F「ゲームのタイトルとしては『三國無双』なんだから、直接使ってるワケじゃない。文句云われる筋合はないと思うぞ」
Y「その理屈は通じるのかね? 『恋姫』でも遠慮したのに」
F「正史が怖くてゲームができるかと云ったのはコーエーだぞ(三國志W辞典の帯)。まぁ、誰を最強と位置付けても、確実に説得力のある異論が寄せられるのがこの話題だ。むしろ気負わず、気楽に行こう」
A「気楽過ぎるのもどうかと思う」
F「とりあえず叩き台がほしい。お前ら、呂布以外で最強と呼んでいい武将を挙げていけ」
A「関羽、張飛、趙雲、馬超、張遼、典韋、許褚……んー、顔良・文醜じゃちょっと見劣りするか」
Y「さりげなく黄忠はいないのか?」
A「年齢的な衰えってあるじゃろ」
F「パウンドフォーパウンド。とりあえず挙げるだけ挙げろ」
A「じゃぁ黄忠さんも入れて、武功で云うなら夏侯淵も悪くないよねェ。残念だけど夏侯惇は落とすけど、徐晃辺りも捨てがたいかなぁ。あ、魏延に龐徳も忘れちゃいけない」
Y「今までに『私釈』に出た面子、でいいンだろ?」
F「出してないのが悔やまれるよ、文鴦……。つーか呉将は抜きか、お前ら」
A「この面子に太史慈や甘寧が太刀打ちできるとは思えんし」
Y「孫策がどうかってくらいだろうなぁ」
F「君主は避けたいなぁ。君主は勇猛であってもいいが好戦的であってはならない、というのが僕の持論だから」
A「……反論はしかねる」
F「僕の理想とする君主像については『私釈』じゃないところでまとめるから、ここでは流す。とりあえず泰永、武力平均値をもて」
Y「コーエーの三國志シリーズ11作でだな」
F「9作でいい。TとZは外して計算してくれ」
A「何で?」
F「まずT(正確には無印)だが、この頃は各勢力の戦力を均衡にして、どの君主でも天下統一できる(ただし、プレイできる君主が限られていた)ように能力値の調整がなされていた。ために、武力に限ってみても、孔融が夏侯惇と同じ(82)だったり、郭図(90)が顔良(89)より高かったり、袁術が文醜と同じ(95)だったりと、いささか承服しかねる数値になっている。これはさすがに除外せざるを得ない」
A「……無理もねーか」
F「一方Zでは、登場する全武将でのプレイを可能にするため、統率力と武力が一元管理されている。ために、戦闘力と指揮能力が武力という能力値に統一された結果、曹操の武力(92)が趙雲・馬超(いずれも91)より高くなるという、いささか問題のある事態が生じていてな」
A「そりゃいかんな……」
F「イメージ先行ということで、三國志11作中その2作は除外する。条件としては[(事実上Zの改訂版)も外すべきという気もするが……ともあれ、泰永」
Y「あいよ。えーっと、機種や登場シナリオによって数値が違う場合があるので、コーエーの『武将データ大全』と『11武将FAIL』から算出する」
F「えーっと、名前の挙がった面子以外では……この辺も参考とでもして加えておいてくれるか」
武力リスト
(平均値は少数2位で四捨五入し、平均値でソート。平均値が同じ場合は最大値で並べた)
武将 合計値 平均値 最大値 最小値 備考 没年 呂布 900 100.0 100 100 7では武力トップながらも98 198年 張飛 887 98.6 99 98 7では96 221年 関羽 880 97.8 99 97 7では95 219年 趙雲 875 97.2 99 96 7では91 229年(演義では228年) 馬超 873 97.0 99 96 7では91 222年(演義では226年) 許褚 872 96.9 98 96 7では94 226年くらい? 典韋 859 95.4 98 93 197年 黄忠 853 94.8 97 93 7では90 220年(演義では222年) 文醜 848 94.2 97 91 200年 龐徳 844 93.8 97 90 1では44 219年 太史慈 843 93.7 97 90 206年(演義では209年) 甘寧 839 93.2 96 91 221年(演義では222年) 顔良 835 92.8 95 87 200年 孫策 834 92.7 96 90 1では98 200年 魏延 834 92.7 94 90 7では88 234年 夏侯惇 833 92.5 96 89 220年 張遼 824 91.6 95 90 223年(演義では224年) 孫堅 821 91.2 95 89 1では96 192年(191年?) 華雄 819 91.0 93 88 7では84 190年(191年?) 夏侯淵 819 91.0 92 90 7では88 219年 曹彰 816 90.7 94 88 7では86、1に出演せず 223年 徐晃 816 90.7 93 89 227年(演義では228年) 張郃 814 90.4 93 88 1では86 231年 周泰 800 88.9 94 84 223年くらい? 参考 董卓 790 87.8 95 83 192年 張任 779 86.6 89 82 1では92、7では74 214年(213年?) 厳顔 760 84.4 88 82 7では78 不明 淩統 753 83.7 89 78 1では68 237年 李厳 744 82.7 87 75 1では40 234年 紀霊 702 78.0 83 62 1では57 不明(演義では199年) 09/02/14 以下を追加 曹操 718 79.8 91 68 1では94 220年 孫権 683 75.9 87 67 1では93 252年 劉備 653 72.6 79 68 7では82、1では63 223年 武将 合計値 平均値 最大値 最小値 備考 没年 姜維 812 90.2 93 89 1では80 264年 王双 798 88.7 90 87 1では95、7では84 228年 張苞 793 88.1 93 84 1では97、7では82 不明(演義では229年) 孟獲 784 87.1 92 76 1では93、7では72 不明 馬騰 781 86.8 95 80 1では97 211年 関興 777 86.3 90 83 1では77 不明(演義では234年) 沙摩柯 768 85.3 92 77 7では70 222年 関索 764 84.9 91 71 7では76 不明 曹仁 760 84.4 88 79 1では56 223年 周倉 749 83.2 87 79 219年 馬岱 746 82.9 85 79 1では87、7では76 不明 文聘 745 82.8 84 77 不明 公孫瓚 736 81.8 87 71 1では70 199年 呂蒙 733 81.4 85 76 1では47 219年 関平 732 81.3 82 80 7では74 219年 呉蘭 731 81.2 88 75 7では74 218年(演義では219年) 郝昭 731 81.2 85 77 1では88 229年 雷銅 721 80.1 87 75 1では90、7では73 218年(演義では219年) 徐盛 701 77.9 89 64 225年くらい? 曹洪 693 77.0 82 69 1では48 232年 王平 682 75.8 79 72 7では82、1では68 248年 高順 681 75.7 86 51 1に出演せず 198年 楽進 681 75.7 85 44 218年 程普 673 74.8 86 60 1では41 不明 黄蓋 761 74.6 88 80 不明 韓当 666 74.0 86 58 1では54 226年 周瑜 665 73.9 78 69 7では89、1では56 210年 張繍 665 73.9 76 72 207年 全j 664 73.8 85 52 249年 曹休 661 73.4 75 71 1では60 228年 呉懿 656 72.9 79 70 237年 陸遜 655 72.8 81 66 7では89 245年 李典 654 72.7 78 56 1では49 216年くらい? 于禁 653 72.6 80 55 221年 孟達 649 72.1 74 66 228年 郭淮 648 72.0 79 54 7では80、1では50 255年(演義では253年) 夏侯尚 613 68.1 72 62 7では78 225年
Y「9作での武力合計値・平均値・最大値・最小値を出してみた」
A「……意外と高いのいるな、呉将」
F「上の方はだいたい予想通りだったが、周泰や華雄がこれほどのものだったとはなぁ。えーっと、24人。とりあえず『コーエーの三國志で』最強ランクの面子はおおむね挙がったと思う」
A「異議なーし」
Y「真っ先に落選していいのが太史慈だな。確かに孫策と正史にも残る一騎討ちを演じたとはいえ、正史でも演義でもそれほど活躍しているとは思えん。何でこんなに高いンだ、コイツ?」
F「同様の理由で黄忠さんも落選。対夏侯淵戦の他にはそれほどの働きが見えないからねぇ。……ただし、黄忠の武力がこんなに高いのには『五虎将だから』という、納得できるかは別にして理由づけができるが」
A「その前に顔良・文醜落とせよ、お前ら! コーソンさん相手に武功を挙げても、関羽に手も足も出なかったじゃねーかっ! 華雄は云うに及ばず、夏侯惇に至ってはこの数字な理由が想像もつかんぞ!」
Y「積極的な武勇伝に欠ける面子は、とりあえず落とすか? 周泰・張郃・徐晃に曹彰」
A「甘寧もだ。確かに呉将としてはある程度の武勇はあるけど、あの程度なら魏延でもできる」
Y「つまり、魏延も落とすと?」
A「……それなら張遼も落選しよう。漢中を守った武功が合肥を守り抜いた武功に劣るとは思えん」
F「じゃぁ夏侯淵も落とさねばならんか。この男に至っては守れなかったンだから。……誰が残ってる?」
A「典韋」
F「論外。……とは云えん事情があるンだよなぁ……」
A「典韋! ……って、なに? そーいえば88回で何か云ってたけど」
F「……典韋について、いささか評価を見直さざるを得ない事実を、先日指摘されました」
Y「お前がか?」
F「いや、綺麗に忘れてたンだが、典韋って許褚と互角にタイマン張ってるンだよ。さすがの僕でも、許褚の武勇は認めている」
2人『早めに思い出せ!』
F「というか、僕に怒るな! むしろ、それを指摘しなかったお前らの責任だろうが。僕は典韋をそれほど評価していないンだから、典韋の戦功を挙げるのはお前らの役目だぞ」
A「しまった……」
F「かつて28回で書いたこと全てを覆すわけにはいかんが、許褚と渡りあってるからには、ある程度……数値的には80台後半の武力だと認めざるを得ない。さすがに80割っていては、互角とは云えんだろうね。もっとも、許褚の武力が関羽・張飛に匹敵するかというと、ちょっと異論を述べたいところだが」
A「張飛に負けてるモンね」
Y「酔ってなかったか?」
F「酔っ払った張飛と素面の張飛、どっちが強いと思う」
Y「……むぅ」
F「まぁ、孔明をして『黄忠と互角』と云わしめた李厳や、関羽と『互角に渡りあった』紀霊の武力を考えると、あながち外れてないようにも思えるが」
A「まだ云うか!?」
Y「李厳はともかく紀霊だな。平均値が19高い関羽とどうやって互角の勝負をしたのか、想像もつかん」
F「それについては締めで見る。さて、いつぞや云った通り、負け戦でこそ武功を挙げる趙雲も落としたいところなんだが」
A「死に様がみっともない孫パパ」
Y「もっとみっともない孫策。……の死に様については、謀殺の疑いありだったか」
F「あぁ、孫策は外してくれ。えーっと……片っ端から落としてきたが、残りは?」
A「関羽・張飛・馬超・許褚・龐徳。で、呂布」
Y「龐徳は強いが関羽に劣る、許褚は強いが張飛に劣る。となると馬超も張飛に劣る計算になるか?」
F「計算では測れんが、許褚と龐徳は落としていいな。このふたりの武力は最強ランクではあろうが、武将としてはどうかと思う。……さて、ちょっと語りに入ろうと思うが」
Y「逃げるな!」
A「だってぇ〜……」
F「流して始める。戦力と兵力の違い、と云ってすぐにそれが理解できるか?」
A「戦力……と、兵力? それほど違うものには思えんが」
F「目も耳も効かない水俣病患者、はっきり云うなら僕の父親が100人と、完全武装した僕。どっちに賭ける」
Y「借金してでもお前に張る」
F「僕が戦力で、父親が兵力だ。つまり、人数とは必ずしも戦闘力足りえないワケだ。僕の父親が千人くらいいたところで、僕を殺すのは不可能だから。中世以前の軍隊というものは、基本的に兵力で戦争していた。多数の兵力を集めた者が(基本的には)勝利する戦争を、だな」
A「えーっと……?」
F「押し寄せたモンゴル軍に向かって『やーやー我こそはお侍なるぞー』と名乗りを上げて一騎討ちを挑むのが兵力の軍隊で、そのバカに集団で矢を射かけるのが戦力の軍隊だ。ロシアがモンゴルに負けて『タタールの軛』に支配されたのは、ほぼ同じ事情による」
Y「……集団戦闘と個人プレイの違いか」
F「そゆこと。個人同士で殺しあうのと、集団行動で敵を殺すのの違いだな。前者なら人数がものを云い、後者では装備や戦法が勝敗を左右する。ランチェスター法則と云えば判りやすいか」
A「(判んねェ)じゃぁ、三国時代の軍隊は?」
F「基本的には兵力戦争だ。武将は兵を率いて戦場に出るけど、兵士は敵将には向かわない。兵は兵同士で殺しあい、武将は武将同士で殺しあう。たまに武将が『乱戦の中で死んだ』という記述は見えるけど、これは、兵が敵将を逃がすまいとして勢い余ったものと思われる」
Y「だから、関羽は顔良を斬り殺せた、と」
A「武将が死んで軍が崩壊したってのはよくあるからなぁ」
F「龍造寺隆信みたいな、自分で先頭に立つ君主が失格なのはその辺だな。……ここで注目すべきは、中国北方の騎馬民族は、早い段階、ぶっちゃけ劉邦の時代に、すでに集団戦闘を体験的に身につけていた事実だ。白登で劉邦を打ち破った匈奴は、隊長が矢を射かけた先に全員で矢を射かける、初歩的ではあるが効果的な集団戦法を、紀元前のその時代にすでに考案していた」
A「……韓信が健在だったら、と思わずにはおれんな」
F「当時まだ死んでなかったはずだが。その流れを汲んでいた呂布が、中原で無類の強さを誇ったのは必然に思える。正史を読み返すと、呂布個人の武勇に関するエピソードが意外と少ないのに気づくンだ。確かに『人中の呂布、馬中の赤兎』云々の記述や戟の小枝を射る弓勢は書かれているが、武勇よりは将として評価されていてな」
A「じゃぁ、呂布の強さの本質は、武人としてではなく将としてのものか?」
F「僕はそう見ている。兵力戦争がはびこっていた中原に戦力での戦争をもたらした、最強の武人ではなく最強の武将こそが、呂布の真実だと」
Y「結局、呂布が最強かよ」
F「次点は馬超だろうな。当時最高の用兵能力を誇った曹操を、直接の戦闘で追い詰めたのは、呂布と馬超だけだ(賈詡や周瑜は謀略的な面が強い)。その意味では張遼も評価できるが、アレは相手(孫権)が弱かったとも云えるし」
A「意外な順位だ!?」
F「まぁ、この辺はいつも通り、僕の『私釈』だ。誰が三国志最強か、読み手それぞれの結論があっていいと思うンだよね」
Y「煮え切らない発言はお前らしくないと思うぞ、幸市」
F「たはは……。ところで」
A「はわわーっ!?」
Y(←無言で遁走)
F「お前ら、いい加減にしろよ……。さっき見たように、コーエーの三國志シリーズで、呂布の武力は常にトップに設定されている。Zを数から外したのは、100でない呂布の武力なんぞ認めたくないというのが本音なんだが、それはともかく。武力100と武力99の差とはどんなものだろう」
A「1だろ?」
F「具体的には?」
A「……呂布と、張飛の差?」
Y(←戻ってきた)「評価基準が判らんからなぁ。具体的にどう、という違いが判るのか?」
F「コーエーがその昔出して失敗した角色扮演遊技・三國志演技というものがあってな。そこに興味深いシステムが組まれていた」
Y「読めない」
F「ロールプレイングゲーム・三國志演技だ。それでは、能力値は最大100で、10のケタの数値が判定の際の修正値になっている。たとえば、武力60の登場人物(キャラクター)は武器を使う時に+6の修正が得られて、知力55の登場人物は計略をめぐらせる時に+5の修正が得られる、という具合だ」
A「えーっと、50と59のキャラクターでは差がないってことか?」
F「一見するとそうなるが、注目すべきは端数の使用について。知力55だと、1シナリオで5回、知力を60として扱えるンだ。武力59なら9回修正値を+6にできるが、武力50だと1回もできないワケだ。たとえば、戦場で夏侯淵と黄忠があいまみえた場合、夏侯淵の武力修正値は+9だが、その戦争を通じて1回だけ+10にでき、対して黄忠は、4回だけ+10にできる、という具合だ。この差が勝敗……生死を分けたとも云える」
Y「……ふむ。確かに、興味深いな」
F「ちょっと専門的な話をするが、三國志演技の判定は2D6で行われ、それに武力をはじめとする各修正値を加えた対抗判定で戦闘を行う。この時、ダイスの出目はダメージに影響せず、判定で負けた回数で勝敗が決まる(負け方にもよるが)」
A「何云ってるのか判らん」
F「19までの武力差なら一騎討ちで覆せる、と云っているンだ」
A「は……!?」
F「さすがに差が20だと難しいが、19までならどうにでもできる。端数を使うタイミングと勝負所を逃さない勇気があれば、紀霊で関羽と互角の勝負を演じることは不可能事ではない」
A「いや、タイミングと勇気って、宮田君じゃねンだから……。じゃぁ、相手が張飛だと?」
F「相手が関羽の時は、紀霊は一騎討ちに武力の端数をつぎ込んだ。だが、袁術の逃避行で紀霊は迎撃の指揮を執る立場にあった。当然端数は指揮に回さざるをえず、張飛との一騎討ちに回すのが残っていなかった……というのはどうだろう」
A「……なんだろう、このムダな説得力は」
F「まぁ、このシステムだと表記上はともかく実数が100超えてる呂布に、誰も敵わないことになるンだけど……ね」
A「そーいう公然の秘密を口にすんなっ!」
F「続きは次回の講釈で」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。