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私釈三国志 105 花関索伝

F「はいっ。正直、アキラがいないタイミングでやるのはちょっとアレなネタですが、この機を逃すと二度とできないのがこの話題です。ために、孔明の南征シリーズ第3回(最終回)は、関索について」
Y「アレがおらんから相手はするが、花って何だ?」
F「それはおいおい触れる。さて、関索は正史には登場しないが、演義では87回でひょっこり顔を出し(曰く『荊州の戦闘で負傷し、鮑家荘で養生していた』とのこと)、南征に加わって、そこで姿が見えなくなる(A)
Y「6年近く養生していたワケか?」
F「他のことでもしてたンじゃないかな。ちなみに、違う登場シーンの場合もある。孔明が益州入りする際に、荊州に残る関平に代わって従軍し、南中に派遣されて現地で病死するもの(B)だが、版によってはむしろ関索が登場しない演義も存在している(C)からややこしい」
Y「とりあえず、実在はしなかったと見ていいンだろう?」
F「ところが困ったことに、南征の舞台となった現在の雲南省・貴州省には、関索にちなんだ地名や、関索が馬に水を呑ませた泉なんかが現存している。実在していた形跡があるンだ」
Y「ただの民間信仰じゃないのか? 世界中の仏舎利を集めたら、大型ダンプ5台分はあるというぞ」
F「ここで注目すべきが三国志平話だ。平話において呂凱は、龐統同様に、孔明(蜀)の敵として登場するが、それを討ったのが関索。ところが、平話や他の柴堆ものをベースに正史を織り交ぜて編纂された演義では、その辺のエピソードが削られて……というか正史にのっとって、呂凱は孔明の側に立ち、南蛮に対抗する武将と描かれている。というわけで、成立当初の演義には、関索が出演していない」
Y「だが、現行の三国志演義には、関索が登場して退場するまでの記述のあるものが存在している」
F「羅貫中が著した演義は、その当時のままに伝わっているワケではないからね。ある程度、別の人物の手が加わっているンだ。その中には、関索をメインにしていた民間伝承(Z)の記述を容れたものや、南征での活躍を描いたものが、次第に流布されるようになった……という次第だ」
Y「関索に限定してみるなら、大きく3パターンになるのはその辺が原因か」
F「まとめるとこんな具合だ」

関索に関する記述
 関索がいた(三国時代)
  ↓
 三国志平話で、呂凱と関索が戦うエピソードが流布する(宋代〜元初)
  ↓
 関索の活躍がさらに取り上げられる民間伝承(Z)の成立(宋代〜元初)
  ↓
 三国志演義(C)成立(元末明初)
  ↓
 演義の異本として、Zの記述を流用したもの(B)が成立(明代)
  ↓
 別系統として、関索が南征で登場するもの(A)が成立(明代)

F「なお、羅貫中が編纂にかかわったとされている水滸伝にも、関索にちなんだ綽名の好漢が出演している。関羽の子孫だという関勝(関必勝?)とどーいう関係を構築していたのか、よりにもよって美髯公と綽名されていたもうひとりともども、興味深いものがあるな」
Y「いたな、病関索。それで?」
F「今回取り上げるのは、上の表で云うZ、タイトルはずばり『花関索伝』という異本だ。ばっちり関索――正確にはちょっと違う――が主人公のオハナシになる」
Y「……アキラがどういう反応を示したのか気になるところではあるな」
F「泰永だとあまり興味はないだろうけど、まぁ聞いてくれ。さっき見た通り、成立は平話にちょっと遅れるくらい。四分冊で、前集・後集・続集・別集となっている。順に見ていくと、まずは前集だ」
Y「どこから始まるンだ?」
F「意外にも、桃園結義のシーンからだ。劉備・関羽・張飛は義兄弟の契りを結ぶが、義勇軍を挙兵するにあたって、関羽と張飛は互いの家族を殺すことにした」
Y「……子供がいてもおかしくはない年代なのか」
F「関羽の家に押しかけた張飛だったけど、命乞いする幼い関平(確認するまでもないだろうが、正史では実子)を殺すのが忍びなかったので、殺さずにつれていくことにした。また、関羽の妾の胡夫人も見逃してやる」
Y「関羽は、張飛の家族をどうしたンだ?」
F「そっちは考えないことにしてやってくれ……。実家の胡家荘に帰された胡夫人は、間もなく関羽の子を産んだ。ところがその仔が7歳の折、迷子になって索家荘の索員外に拾われ、索童として育てられることになる」
Y「なんか御都合が過ぎる展開なんだが」
F「云うな。そんなある日、花岳道士が索員外を訪ねてきた。その昔、息子を花岳の弟子にする約束をしていたンだけど、その履行を迫ってきたのね。ところが員外には子がいなかったので、やむなく索童を花岳に渡すことに」
Y「何のために拾ったンだ」
F「索童は花岳道士から、兵書や武芸を学んで修業を積む。18になったある日、岩清水を汲みに行ったところ、墓参りをする人々の姿が眼についた。自分の親は何者なんだろう、と思いながら岩に手をつくと、その岩が割れて水が湧き出してくる。その水を汲んだら、どうしたことか9匹の蛇が見えてきた」
Y「捨てろ」
F「いや、とりあえず呑んでみた。すると、帰り道で襲ってきた強盗を相手に、立ち木を引き抜いて振り回し撃退する強力が備わっていた。花岳のところに返ってそのことを報告すると、索員外・胡夫人の話しあいの結果、索童に本当のことを教えることとなった」
Y「待て。員外と夫人の間に関係があったのか?」
F「この辺の記述を見ると、どーにも員外は、花岳に差し出す子供欲しさに、迷子の索童を拾ったと考えていいんだよ。で、その後胡夫人のことを調べて、関羽の子供らしいとつきとめていたようで」
Y「非道い奴もいたモンだな……」
F「というわけで、元服した索童は、恩人と父の姓をとって花関索と名乗るようになった」
Y「花が上かい」
F「花岳をこそ重視していたのが判るな。ちょうど胡家荘を襲ってきた山賊を生け捕りにして配下に加えた花関索は、父を訪ねて遠い旅に出るのだった」
Y「父を訪ねて……何里くらいになるのかね?」
F「道中、孫権が曹操に送った貢物を運んでいる一行に出会った花関索は、殺して奪った」
Y「どこの山賊だ」
F「荷物の中には南海の龍の鱗があって、喜んだ花関索はコレで鎧を作ろうと考えた。そこで鮑家荘を訪れたところ、ここの娘が書いた『ワタシに勝った男のヨメになる』という立て看板がある。花関索は挑むことに」
Y「単純な奴だな」
F「まず鮑家荘の主・鮑凱と戦って負傷させ、息子の鮑豊礼・鮑義を打ち負かす。3人に娘との結婚を仲介するよう約束させた花関索は、いよいよ肝心の娘・鮑三娘との対決に臨んだ」
Y「ここで負けたら笑い物だな」
F「かなり互角の勝負だったンだよ。長引いた勝負の末に鮑三娘は花関索に捕らえられ、結婚を承知した」
Y「意外と素直だな。まぁ、そんな看板立てるようなら、約束は守るタイプだろうけど」
F「いや、そもそも看板を立てたのは、そもそもの婚約者だった廉康を鮑三娘が嫌がったことが原因でな。父は心配するンだが、鮑三娘は『可愛い索っちがいいー』と花関索から離れない」
Y「年上なのか?」
F「記述はないが、どうやら。そこへ廉康からの使いが現れて……というところで前集は終わる」
Y「続きは次回の……じゃなくて、後集になる、と」
F「すぐに続けよう。現れた使者は廉康のために鮑三娘に求婚するけど、本人が花関索にべったりで話にならず。お父さんにも『諦めてやってください』と拒絶されて、廉康はキレた。兵を率いて鮑家荘に押し入ってきて、当然のように返り討ちにあう」
Y「顔じゃなくて、弱いからと嫌がっていたのか?」
F「かもしれん。先の使者たちも降伏して、兵を収容した花関索は、全軍で蜀へ向かった。鎧はどーなったのかは考えちゃいけない」
Y「誰にツッコめばいいんだ? お前か? それとも花関索か?」
F「途中、通りがかりの山寨を襲って、その山寨を張っていた王桃・王悦の姉妹を妾に迎え、兵を収容して増強し、蜀への道程を再開した」
Y「割と重要な話をするが、これじゃ羅貫中がカットしたのも無理はないぞ。ただの流浪の山賊集団じゃないか」
F「云うな……。さて、蜀。孫権の配下だった姚賓が関羽に投降してきた。喜んだ関羽は姚賓と義兄弟になるけど、これは策略で、関羽の衣服を奪った姚賓は、赤兎馬を奪って呉に逃げる。翌朝になって事態を察した関羽は、手分けして姚賓を探し求めた」
Y「赤兎馬がほしかったのか。……ん? なぁ、呉に逃げるなら、正面から花関索に会わんか?」
F「うむ。関羽の衣服を着て赤兎馬にまたがるご立派な武将は、花関索御一行に出くわした。そこで姚賓、一計を案じ『ワタクシ関羽は劉備を見限り、孫権サマにお味方します!』と宣言。花関索に同道するよう命じた」
Y「顔も知らん親でも、云うことは従うモンかな」
F「ところが、顔を知っている女がいた。胡夫人が前に出て『こんなひと関羽様じゃありません!』と云いきる。どういうことよと動揺する一同の前に、姚賓を追ってきた張飛が顔を出し、事の次第が発覚。姚賓は花関索に討ち取られる」
Y「いたのか、母親……で、感動の再会か?」
F「いや、何が起こっているのか判らん事態が発生する。『姚賓を探して西に向かった関羽が曹操軍に包囲される』という、まるで判らん状況になってな」
Y「……すまん、俺の悪い頭にも判るように説明してくれるか?」
F「いや、そうとしか書いてないンだ。呉に逃げた武将を探して蜀から西に行ったら曹操軍がいた、以上。そこへ張飛・趙雲・関平・花関索が駆けつけて、曹操軍を退けるンだけど、関羽は花関索を『こんな息子知らん!』と突っぱねた」
Y「姚賓のことで疑い深くなっていたのかね」
F「そんなところだろう。怒った花関索は、このまま曹操軍に寝返ってくれると云いだし、張飛・胡夫人のフォローで何とか和解し、親子関係が確立された。それと聞いた劉備は喜び、孔明・龐統・姜維ら群臣を集めて宴会を開く。そこへ押しかけて来たのは、亡き廉康の弟の廉旬だった」
Y「何しに来たンだ……って、兄貴の仇討ちか」
F「とりあえず張飛が出て話を聞くと、兄が殺された戦闘で『殺したのは蜀の関なり』と書き残されていたらしい。そこで相手が関羽だと思い込み、挑戦してきたとのこと」
Y「命知らずだな」
F「ところが、出た関羽が廉旬に敵わず逃げ帰ってくる」
Y「……なにがあった?」
F「廉旬の乗っているのが、馬じゃなくて魔獣でな。馬が怯えて動かないンだ。ために、姚賓は関羽から赤兎馬を奪ったワケだが、逃げてきた関羽の代わりに花関索が、責任とって出ることになったけど、やはり馬が動かない。そこで、そーいえば取り戻されていた赤兎馬を姜維の計略で拝借し、きちんと廉旬を討ち取った」
Y「どこからツッコんでいいのやら……」
F「歓迎に戦勝が加わった宴会に、今度は曹操からの使者がやってきた。よりにもよって落鳳坡で宴会を開くから劉備もおいでという、どっかで聞いたような書状だ」
Y「だから、どれだけのツッコミがほしいンだ、この話は?」
F「だが、この話の孔明は、張飛の時より凄まじい。劉備に花関索・姜維をつけて、むしろ行かせるくらいだからな。いちおうは張飛に兵をつけて出した辺り、例の小噺を意識していたようにも思える」
Y「うーん」
F「というわけで宴席において、もちろん剣の舞が披露される。舞うのは、呂布の息子で呂高」
Y「最近『龍狼伝』にも出てきたな」
F「名前は違うがな。牧童に扮した花関索が責任もって刺し殺すと、張琳参謀が頭を出す。呂高が花関索に討ち取られたと聞いて大いに怒り、花関索と云い争う……ところで、後集も終了」
Y「やっと半分か」
F「割と長いなぁ。では続集に入る。馬にまたがって剣を交わす花関索と張琳だったが、張琳の頭には剣が通じない」
Y「マントラでも唱えてか?」
F「いや、鉄でできてるンだ。ために花関索は、張琳の首をひねって殺した」
Y「あっけないし、どこか参謀だ」
F「怒るタイミングがずれている気もするが、この段階で曹操が動いた。劉備を捕らえようとするけど、花関索の活躍で脱出。追手の包囲を突破して張飛と合流し、曹操と交戦して包囲下に置いた」
Y「手際がいいな」
F「やむなく曹操は、荊州を劉備に割譲するのを条件に撤退を許される。劉備たちは兵を差し向けて、糜竺・糜芳から荊州を収容した」
Y「なぁ、ツッコまなくていいところを教えてくれるか? その方がたぶん圧倒的に早いはずだぞ」
F「あはは……。さて、孔明の進言で関羽親子を荊州に残し、劉備軍団は蜀の奥地へ侵攻した。ところが、王志なる武将に、空城の中に包囲され、討って出た張飛が王志に敗れるという苦境に立たされる。援軍を求めるため姜維が荊州に送られたが、途中で呂凱に捕らえられ、背中に関羽への挑戦状を書かれて解放された」
Y「それにしても、正史でも演義でも見ない名前がけっこう出るな」
F「南征後に南中に送られて死んだ官僚に王士というのがいるが、関連は判らん。ともあれ、おいてけボリにされてムカついていた関羽だったけど、姜維の背中の挑戦状を見て激怒。蜀へと攻め入った。ほとんど鎧袖一触に薙ぎ倒し、生け捕った呂凱を殺そうとするけど、花関索が『これほどの男を殺すのは……』と、自分の兄弟分とすることで助命し、以後関三凱と名乗らせる」
Y「弟にしたのはいいが、二男はどうした」
F「兵を進めて降伏させた、王志を関志と改名させたンだ」
Y「関羽とは違って、自分が長男に納まったか」
F「さて、西へと進んだ劉備軍団だったが、途中山賊の周覇に足止めされる。火鬚刀というダンビラを振り回すこの男に、龐統(戦死)・張飛が相次いで敗れたモンだから、一同ツラつきあわせて対策を協議していると、突然『きゃはははははっ♪』と笑いながら婦人が現れ、空を飛んで逃げ出す」
Y「射ち落ちせ」
F「花関索が射ち落としたところ、死体はどこにもなく、ただ『三尺掘ってね♪』と書かれた石だけが残っていた。不審に思いながら掘ってみると、そこには石櫃が埋まっていて、中にはひと振りの大斧があり『アタシに祈れば火は消えるよん♪』と書かれていた」
Y「埋めちまえ……とは云えないわけな」
F「この斧で火鬚刀を無力化した花関索が周覇を討ち取り、火鬚刀を奪う。思わぬ足止めを喰ったものの劉備軍団は、最終目的地である成都を包囲した」
Y「さてはお前が今回ほしかったのは、相方じゃなくてツッコミ役だろ」
F「無視して話を進めるが、成都の大元帥・周倉を前に、先陣となった姜維が敗退。続いた花関索が激戦の末に周倉を降伏させ、成都は開城したのだった。続集、完」
Y「全部終わってから云おうと思っていたが、もはや我慢ならん。云わせろ。バカか?」
F「えーっと……どう応えていいものやら。とりあえず、別集行くよ。1年後、すったもんだの末に関羽一家は荊州に戻った。そこへ劉封がやってきたンだけど、宴席で花関索が、先に関平に酒を注いだのを怒った劉封と口論になる」
Y「よく口論するな、このボン」
F「関羽が劉封と花関索を、劉備のところに送って裁いてもらうと、劉封は上庸、花関索は雲南に送られることになった。父に別れを告げて、義弟たちや妻たちを率いて、花関索は任地に向かう。それから間もなく、孫権が関羽のところに、娘を息子の嫁に欲しいと申し入れてきたけど、関羽は(もちろん)これを拒絶し、怒った孫権が兵を挙げた」
Y「その辺は史実に準じたワケか」
F「陸遜に敗れた関羽は、劉備に援軍を求める使者を出すけど、途中で劉封に使者が殺され、書状は破り捨てられる。次々と、都合13人の使者が立てられたものの、そのことごとくが劉封に斬られた。やむなく関平が使者に立った直後、糜竺・糜芳の裏切りで荊州は陥落した」
Y「正史に目覚めたのか?」
F「うーん、どうなのやら。玉泉山に逃げ込んだ関羽一行だったが、食糧がない。周倉が自分の足の肉を喰わせその場は取り繕ったが、その傷がもとで周倉は死ぬ。やがて関羽も死に、赤兎馬は青龍偃月刀を背負って入水した」
Y「周倉より先に、赤兎を喰うべきじゃないのかね」
F「関羽の亡霊は、殺された13人の死者や、同じころ張達に殺された張飛の亡霊とともに、成都の劉備のところに化けて出た。事情を孔明に説明していると、関平・張益(張飛の息子)がやってきて、親の死を伝える」
Y「この辺は演義じみたな……というか、演義が準じたのか」
F「王位を譲ると偽って劉封を呼び出し、これをむごたらしく処刑。姜維を送って花関索を呼ぼうとしたけど、あいにく花関索は病に伏せっていた。そこへ颯爽と現れたのは花岳道士。仙薬を与えると、花関索はあっさり快復した」
Y「……あぁ、育ての師匠な。うん、綺麗に忘れてた」
F「お前な。さて、平癒した花関索は関羽の死を知り激怒。劉備に拝謁して、全軍を率いて呉に侵攻し、陸遜を破る」
Y「で、陸遜は持久戦に?」
F「いや、孫権が呉随一の強者・曾霄を出した。七星旗を使う曾霄の前に花関索でも打ち破られ、関平・張益が戦死。大敗した戦況に意識を失った花関索のもとに関羽が化けて出て、玉泉山の泉に沈んだ青龍偃月刀でなければ曾霄には勝てない……と遺言した」
Y「最後は結局親頼みか」
F「そこで関志が泉にもぐって、青龍偃月刀を引き揚げてきた。花関索は父の霊前に祈り、偃月刀を手に出陣。呉軍を打ち破って陸遜を捕らえ、曾霄を殺す。呂蒙も捕らえて荊州城を奪い返すと、堂々と成都に凱旋した」
Y「勝っちまったか」
F「糜竺・糜芳・陸遜・呂蒙を処刑して関羽・張飛を弔うが、心労から劉備は病を得て身罷った。すると孔明も『龐統も殿も死んだいま、私の居場所は残っていない』と臥竜山に隠棲する。落胆した花関索も病気になって、看護の甲斐なく世を去った。義弟や三人の妻、配下の者たちは蜀に留まることをせず、それぞれの古巣へと帰っていき、結局劉備軍団……蜀は滅び去ったという」
Y「ぶはははははははっ! いい! オチだけはさいこーだ、このバカ話!」
F「そこまで笑うかな……? ともあれ、蜀が滅んで『花関索伝』は幕を閉じる」
Y「めでたし、めでたし……はいいが、曹操も孫権もほったらかしか?」
F「うむ、まったく言及されない。コレの作者は花関索しか興味がなかったようで、他の面子は死ぬか退場するかで終わっている。ほとんど水滸伝みたいなラストでな」
Y「態度としてはどうなんだとは思うが……こんなバカ話で曹操がやられても癪だしなぁ」
F「加えて、宝貝に近いものを使う周覇や曾霄の下りなんか、ほとんど封神演義だとゆーのに、最終兵器が青龍偃月刀という辺りが、花関索の限界なんだろうな」
Y「関羽には敵わない……か。まぁ、関羽に敵う武将がそもそも存在しないからな」
F「あえて挙げるなら岳飛か鄭成功くらいだ。それくらい、漢民族にとっての関羽、正確には三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君は偉大な存在だったということだな。だから、羅貫中は関索を出さなかったンだろう。人もあろうか関帝聖君が、張飛の家族を斬殺し、周倉の死体を喰い尽くした挙げ句飢え死にするようなオハナシを無視したのは、アキラの台詞を借りれば、気持ちと理屈は判る」
Y「まぁ……無視もしたいか」
F「ところで……」
Y「おう」
F「初めに提示したように、こと関索に限って見るなら三国志演義は3通りに分かれる。つまり、出さないか、益州入りで使うか、南征で使うかだ。現在では、時期的には最後に成立した、南征で使うパターンAが主流になっている」
Y「荊州から南征まで使い続けるワケにはいかんのか?」
F「それはできんだろうね。どこかのタイミングで退場させなきゃダメなんだ。パターンAでないと困った事態になりかねないのが、判ってきたンだと思う」
Y「お前だけが判ったつもりになっている、というわけではなくてか?」
F「そうしなければ関羽の子孫が途絶える。登場した時点で子供がいたならついてくるだろうから、途中で退場して鮑家荘に行かないといかんのだ」
Y「関羽の血縁者は蜀の滅亡に際して、従軍していた龐徳の息子に皆殺しにされてるぞ」
F「では、関勝は誰の子孫だ?」
Y「……む?」
F「誤解しているひとが多いが、関勝は実在の人物だ。正史では宋江の部下ではないが、それはさておいて。蜀の外にも関羽の子種は必要なんだよ。滅亡までに蜀を離れ、殉じなかった血筋が。確かに関羽の家系は龐徳の息子によって殺し尽くされたけど、鮑家荘に子供がいたなら、関勝を含む関羽の子孫が存在できる。そして、している」
Y「正史であれ野史であれ、関羽の子孫は……いる」
F「蜀が滅んでどれだけ経とうが、関羽の子孫がどこかに生き残っていると知ったら、龐徳の子孫は黙っていない。草の根分けてでも探し出そうとする。だが、陳寿が故意に正史に記述しなかったら?」
Y「蜀の出身である陳寿が、関羽ほどの武将の子孫について書き落とすワケがない……つまり、蜀の外に関羽の子孫はいない、と判断せざるを得ない」
F「関羽の子孫を残すために、陳寿はそんなトラップをしかけたのではなかろうか。いま云おう。演義Aパターンで関索は、鮑家荘で6年近く何をしていたか。子育てだろう」
Y「だからこそ、梁山泊には関平でも関興でもなく、関索の綽名をもつ者がいた……と?」
F「えくせれんと。関索ないし花関索がいたという証拠の事物ならいくらでもある。どんな武将だったのかはともかく、関索はいた。そして、それを隠すために陳寿はあえて正史には書かなかった……というのはどうだろう」
Y「……否定はしにくいな。正史三国志は晋代に編纂されただけに、魏が正統と判っているが、記述の端々から劉備と蜀への同情にも似た好意が見てとれる。関羽にそこまで好意的であってもおかしくはないか」
F「孔明への記述がやや手厳しいから、そうと思えないこともあるけどね。羅貫中が何を考え、水滸伝にヒントだけ散りばめて演義には出さなかったのかは判ったモンじゃない。でも僕は、関索は実在したと考えている」
Y「……陳寿は関帝信仰の大恩人だった、ということか」
F「続きは次回の講釈で」

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