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私釈三国志 104 七擒七縦 〜孟獲とユカイな仲間たち〜

Y「……マジでやるか、この阿呆は」
F「孔明の南征に関する正史の記述は、割と少ない。でも、孔明による南蛮攻撃は行われ、ある程度の勝利が収められたことは確かだ。もっとも、それによる南蛮の死者がどれほどの規模だったのかは、想像するしかないが……」
A「孟獲って、正史ではどんな扱いなんだ?」
F「話の腰を折られるのはアレだが、先にそれを確認した方がいいか。手元にある、ちくま学芸文庫版正史三国志の、8巻巻末の人名索引から、孟獲の項を引用する」

 孟獲 D124、258

A「……えーっと?」
F「5巻の124ページおよび258ページにしか名が挙がっていないンだ。5巻はもちろん蜀書で、前者は諸葛亮伝、後者は馬良伝に付属された馬謖伝でのもの。いずれも注釈による記載であることからも、実際にはそれほどの大物でなかったのがうかがえる。南中での蜂起は、やはり雍闓がメインだったようでな」
A「……まぁ、『真・恋姫』では猫だか象だか判らん小娘になってるくらいだしなぁ」
F「猫は嫌いなんだが」
Y「じゃぁ、何で羅貫中は、演義であんなバカ騒ぎを起こさせたンだ?」
F「いや、正史にも『七たび擒らえて七たび縦す』という記述はあるンだ。ンで、すっかり参った孟獲が『アニキには敵わねェ! 二度と逆らわねェよ!』と心服した……とある。その『七擒七縦』を書こうとしたら、筆が乗ってやりすぎたンだと思う」
Y「筆が乗ったって……いくら調子が良くても、こんだけ書くか?」
F「物書きにはあるンだよ。気がついたら依頼されてた分量よりたっぷり書いちゃうってのが」
A「添削というより掘削だモン、誰かさんのテキスト量って……」
F「やかましいわ。さて、話を少し戻すが、蜀の事実上の支配者たる孔明が自ら南中に攻め入り、叛乱を平定すると云いだすと、当然だが宮廷内で反対の声が上がった。正史でも演義でもその筆頭は王連という塩田の責任者で『蜀にふたりといない丞相自ら行かれるなど……』と反対したンだけど、ハラの底が読めている孔明はその意見を退けた」
A「ハラの底?」
F「3回……先、になるな。そこでやる。魏は第二次洞口攻めの痛手から立ち直っておらず、馬超を残して防ぐ。呉とは友好が回復したばかりだし、動いたとしても陸遜に引けを取らない李厳を白帝城に配している。万が一に備えて関興・張苞を残しておいたので、留守でも安心していろ、と劉禅を丸めこんで出陣した」
A「とりあえず雍闓だね」
F「うむ。まず高定と一戦交え、魏延・王平・張翼を使って高定の副将を捕らえると、雍闓の悪口を吹きこんで釈放し、高定と雍闓の仲を裂こうとした。高定・雍闓の軍勢から得た捕虜に『雍闓は高定・朱褒を殺して降伏すると云っているが、そんな奴は信用ならん』と吹き込んだモンだから、ついにキレた高定は雍闓の首を挙げて降伏した」
Y「えげつねェ」
F「えげつないのはこれからだ。ところが孔明は、高定を『ブっ殺せ!』と命じる。朱褒が『雍闓と高定は親友だから、オイラひとり除け者扱いです……』と内通を申し出てきていたのね。高定が蜀に帰順するためには、もはや朱褒も殺すしかなかった。かくて高定の手で南中は制され、高定が三郡を統治することとなった」
A「ちなみに、朱褒は完全に濡れ衣でした」
F「さて、呂凱と合流した孔明は、そのまま南蛮の地へと侵攻しようとする。そこへ成都から、喪服姿の馬謖が送られてきた。演義では夷陵で死ななかった馬良が身罷ったので、喪服で慰問に来たのね。孔明は馬謖を高く買っていたから『南蛮に攻め入るにあたって考えがあったら聞こう』と云えば、したり顔で応えた」

 距離と要害を頼み、長らく服従しなかった者を従えるのは容易ではありません。ひとたび降っても明日にはまた叛くでしょう。兵を差し向け降したところで、丞相が魏に攻め入ったと知ればまた叛逆するはず。かといって皆殺しにするのは仁君の行いではありません。
 そもそも用兵の道は、心を攻めるを上策とし、城を攻めるのは下策。心を屈服させるのが上策で、武器を用いるのは下策です。このたびは、彼らの心を屈服させるのがよろしいでしょう。

Y「正史にもある台詞だったな、確か」
F「つまり羅貫中が正史から採用したってことだ。云ってることは比較的マトモなんだが、呂凱が聞いたら『お前が云うな!』と怒鳴られたかもしれない。それはともかく、孔明は呂凱・馬謖を参謀に任命して、南蛮の地へと攻め入った」
A「迎え討つ南蛮王・孟獲は、みっつの洞(集落)からそれぞれの族長を招集。金環三結・董茶那・阿会喃に『孔明に勝った奴を三洞のヘッドにしてやる』とけしかけ、兵を出した」
F「三洞が動いたと聞いた孔明は、大将格の趙雲・魏延ではなく王平・馬忠・張嶷・張翼を迎撃にあてると、ふたりの前で云いだした。面白くない趙雲が愚痴をこぼすと、魏延が抜け駆けを誘う。南蛮の偵察部隊を襲って捕虜を得ると、三洞の軍の配置を聞きだし、夜襲をしかけた」
A「もちろん孔明さんは、ふたりを奮起させようとわざとそんなことを云いだしたワケだ♪」
F「いつか黄忠を奮起させたみたいなモンだな。というわけで、中央に位置した金環三結の陣は趙雲・魏延に攻められ壊滅、本人は趙雲に斬られた。魏延が董茶那の、趙雲は阿会喃の陣に攻め入るけど、それぞれ王平・馬忠がすでに攻撃をしかけている。これが陣の前から攻めていたので、後ろに回って挟み撃ちにしたところあっさり壊走。それぞれの族長は何とか逃げたけど、山道に伏兵していた張嶷・張翼に捕らえられる」
A「孔明の読み通りに捕らえられた董茶那・阿会喃は『二度と逆らいません!』と平伏して立ち去った」
F「三洞の軍が総崩れしたと聞いた孟獲は、自ら兵を率いて出陣。孔明と対陣した。まず忙牙長(忙牙隊長?)を出すと、王平が迎撃に出てすぐに逃げる。それを見た孟獲は全軍に攻撃を命じ、二十里も追撃した。そこへ張嶷・張翼が退路をふさぎ、王平・関索が引き返して攻撃をしかけてきたから、孟獲の直属軍は押し潰されて、命からがら逃げ出した」
A「でも、山道には趙雲が控えていて、わずかな配下たちも散り散りに。何とか逃げ延びようとした孟獲だったけど、さらに伏せっていた魏延についに捕らえられた」
Y「1度めー」
F「孔明は捕虜たちを歓待して『もう孟獲にだまされるなよ』と解放する。一方で孟獲には『先帝の恩を忘れたか?』と責めるけど『もともと南蛮はオレたちのモンだ、横取りしておいて何ほざく!』と強気の態度を崩さない。降伏しないならとっとと帰れ、と追い出した」
Y「ホントに逃がすかね……」
F「逃がされた孟獲は、諸部族を招集して急流に陣を構えた。孔明は川から下がって陣を敷く。そこへ食料の補給に馬岱がやってきたので、下流から対岸に渡らせて補給路を断たせた。炎天下に孔明が参って兵を引くのを待つ策だったのに、自分たちが飢えては話にならない。忙牙長に兵を与えて馬岱に向かわせるもののあっさり敗走、本人は死亡。続いて董茶那を出したら『この恩知らず!』と一喝されて撤退」
A「で、孟獲は董茶那を裏切り者として始末しようとする。さすがに他の族長たちのフォローで殺されなかったものの、棒刑を受けた董茶那は、夜中に孟獲を縛りあげ、孔明に突き出した。しかもこの夜、孟獲のテントを守っていたのは、孔明に解放されたことのある兵士だったモンだから、止めるどころか協力する始末だ」
Y「2度めー」
F「部下は大事にしないとねぇ。ところが孟獲は『董茶那に裏切られたのであって、お前に負けたワケじゃない!』と豪語。仕方ないなぁと溜め息吐いた孔明は、孟獲を連れて蜀軍の陣を歩き、豊富な物資や精強な兵を見せつけ『お前が降伏するなら、南蛮の王位は保証してやるぞ』と申し出た」
A「考え直した孟獲が『他の族長を説得してくるよ』と云いだしたから釈放したけど、陣に戻った孟獲が最初にやったのは(もちろん)董茶那と阿会喃の処刑だった。で、弟の孟優を、財宝を持たせて蜀軍の中に送りこみ、夜になったら内外呼応して攻撃する準備を整える」
F「それと読んだ馬謖が、孟優にしびれ酒を呑ませて放置し、攻撃をしかけた孟獲もだまそうとしてだまされたと理解した。王平・魏延・趙雲に攻められ、何とか小舟に乗って川を越えようとしたけど、その舟にいたのは馬岱の部下。またしても捕らえられたのだった」
Y「3度めー」
F「今度の云いワケは『アホの弟が足を引っ張ったからじゃ!』とやや苦しい。解放されて弟を連れ、川を越えた陣地に戻ろうとすれば、そこはすでに馬岱が収容している。自分の砦に行ってみれば趙雲がいる。山道には魏延が張っている。ほとんど泣きながら孟獲兄弟は、本陣の銀坑洞に逃げ込んだ」
A「で、数十万の蛮兵を集めて、蜀軍に立ち向かってきた」
F「対して孔明は、緩やかな川の手前に陣を敷き、川に浮橋をかけた。さすがに懲りた孟獲が手を出しかねていたある日、突然蜀の陣がすっからかんになってしまっている。孟優は警戒するンだけど、孟獲は『いや、魏か呉が本国に攻め入ったのかもしれん』と、蜀の陣を収容して置き去りの物資を奪った」
Y「懲りない奴」
F「というわけで、夜半すぎに三方から攻撃を受けた孟獲の蛮軍は総崩れ。やむなく残る東方に逃れると、孔明がニヤニヤしながら待っていた。怒り狂った孟獲が襲いかかれば、足下に落とし穴が掘ってあって、あっさり落ちる」
Y「4度めー」
A「さすがに今度は云いワケはしなかったな。曰く『ペテンに負けたら悔しくて、降服なんてできるかい!』と」
F「そこで孟獲が頼ったのは、南蛮で"は"知恵者と名高い朶思大王だった。朶思大王の住まう集落に至る道はふたつしかなく、一方を閉鎖してしまえば、毒の泉が続く地獄道しかなく、かつて前漢の馬援が通ってから誰ひとり近づこうとしない。これで連中も生きて帰れまい、と」
A「ところが、その道を進んでバタバタ兵が倒れ、困り果てた孔明が、ふと見つけた馬援の祠に祈りを捧げていると、山神の遣いが現れた。近くの山に住む隠者なら、毒泉にやられた兵を治すことができましょう、と。祠に捧げものをして隠者を訪ねたところ、兵は何とか持ち直した」
Y「何者だ」
A「孟獲の兄」
Y「……は?」
F「孟獲は3人きょうだいだったンだけどね、下ふたりがあまりに粗野で、嫌気がさした孟節兄は世捨て人になっちゃったンだよ。それなら南蛮の王にしてやろう、という孔明の申し出も拒んで、兵たちを治してくれた礼さえも受け取らなかった」
Y「やはり、いちばん上は出来がいいのか」
F「うちとは違ってな」
A(……どっちのこと云ってるかな?)
Y(だから俺もツッコめん)
F「かくて呑み水は雨乞でまかないながら、蜀軍は朶思大王の本拠へと到達した。驚き慌てた孟獲たちだが、ここに至っては腹をくくるしかない。ところが、そこへやってきたのが西方の豪族・楊鋒。たくましい5人の息子と3万の兵を引き連れて来てくれたモンだから、孟獲も朶思大王も大喜びで、歓迎の酒宴を催す」
A「酒が入ると楊鋒が『酒はいいが色気がない。女の子も連れてきたから、呼ぼう!』と女性兵を宴の場に集め、剣の舞を披露させる」
F「ほとんどストリップだと演義にはあるな。孟獲たちが大喜びしたのは云うまでもない」
A「……男って奴は」
F「そんなご機嫌な孟獲を、楊鋒の号令で息子たちが取り押さえた。慌てる朶思大王や孟優は、女性兵が剣を突きつけて押さえこむ。楊鋒は、先の戦いで孔明に生かして返してもらった恩があったから、ひと芝居打ったわけだ」
A「横山三国志だと、孔明の謀略だったンだけどな」
F「アレだと馬援の遣いだって出ないだろうが(孟節は出る)。またしても捕まった孟獲だったけど『仲間割れで捕まったのは数に入らん!』と意地を張り、孟優・朶思大王ともども解放された」
Y「……5度めー。一瞬判らなくなった」
F「今度こそ追い詰められた孟獲は、地元の銀坑洞で対策を練る。まず、義弟の帯来洞主の進言で、西南の木鹿大王を呼ぶことは決定したンだけど、三江城が陥落して朶思大王が討ち死にすると、銀坑洞は大混乱。誰が迎撃に出るのかで揉めていたところ、名乗り出たのは帯来洞主の姉、つまり孟獲の妻、祝融夫人だった」
A「えーっと、南蛮族の火の神の末裔で、投げナイフの名手。兵を率いて出陣すると、あっさりと張嶷・馬忠を負傷させ捕獲してしまう」
F「早速首を刎ねようとする祝融夫人だけど、孟獲が『オレが5回も解放されてるンだから、すぐに斬首ってのは……』と、意外と義理堅いことを云っていさめる。翌日、今度は趙雲・魏延が罵声を浴びせながら退却すると、あっさり引っかかった祝融夫人は追いかけていき、馬岱に捕らえられた。張嶷・馬忠との人質交換に使われたのでしたー」
Y「あっけない嫁だな」
F「とりあえず祝融が戻ってきてほっとした孟獲に、さらなる朗報がもたらされた。ついに木鹿大王が到着したのね」
A「待ってましたー!」
Y「何で喜ぶのか判らんが」
A「白象にまたがる木鹿大王は、金銀珠玉で飾り立てた戦装束に、大振りの太刀を二本ブラ下げ、虎だの豹だの狼だの毒蛇だのを引きつれて乗り込んできた。ケダモノたちはエサをしばらく与えられていなくて、ヒトを見ても襲いかかる始末だ。これなら孔明に勝てる、と孟獲は大喜び」
Y「……どこのサファリパークだ?」
F「迎撃に出た趙雲・魏延も『ワシらも長いこと戦場に出ているが、こんな軍は初めて見るぞ』と半ば以上呆れてぼやく。陣頭の白象の背中で木鹿大王が呪文を唱えれば、突風が吹き荒れ砂や石が飛び交い、ひるんだ蜀軍に、オリから放たれた猛獣が襲いかかったモンだから、たまらず孔明の本陣に逃げ帰った」
Y「もはや戦争じゃないな……」
F「しかし孔明慌てない。成都から後生大事に引いてきた車櫃が20あるンだけど、そのうちの赤いのを10、戦場に駆り出した。中に入っていたのは木彫りの獅子で、兵が中に入って操縦でき、口から火薬で火も吐ける」
Y「誰かツッコんでやれー」
A「ヤスの役割じゃない?」
F「肝心の突風も、孔明が例の白羽扇をひと振りすれば、翻って木鹿大王に吹きつける始末だ。ケダモノたちは木獣におびえて逃げ惑い、蛮軍を蹴散らす。飛び出した関索が大王を討ち取り、銀坑洞は風前の灯火と化した」
A「惜しいヒトを亡くしましたねっ!」
Y「禰衡と何が違うのか、俺には判らん」
A「一緒にするンじゃありません!」
F「いや、今回は泰永に賛成。さて、銀坑洞が包囲された翌日、突然帯来洞主が降伏を申し出てきた。孟獲・祝融・その他一族を捕らえたのでお目にかけたい、と」
Y「6度めー」
F「泰永、まだ早い。実は謀略で、毎度のパターンで孟獲が裏切られれば孔明は油断するだろう、そこを狙って隠し持った武器で暴れ出す算段だった。ところが孔明はそれを見破っていて、帯来洞主ともども全員、兵に命じて取り押さえ、武器も取り上げる」
Y「早いことないじゃないか、俺」
F「……そーだな。そして、この時の孟獲の云いワケが奮っていた」

 オレは自分で出てきたンだ、お前に捕まった覚えはない!(此是我等自來送死 非汝之能也)

Y「……どこまで面白いンだ、この男は?」
A「そんなこんなで解放された孟獲が向かったのは、東北の烏戈国を治める兀突骨のところー」
F「南中から東北に向かったら成都につくような気がするンだが、南蛮の誇る最終ヒト型決戦兵器・兀突骨は、身の丈4メートル近く、身体には鱗が生えていて矢も刃も通らない。普段から生で蛇や獣を喰っていると云う」
Y「ヒト型じゃねェよ!」
F「えくせれんと。率いる兵たちも只者ではなく、特殊な藤を編んだ鎧――藤甲を着込んでいる。コレは、藤のつるを油につけて加工したもので、刀も矢も通らないほど頑丈なのに、着たまま水を泳げる逸品。烏戈国に進軍した蜀軍は、とりあえず魏延を出してみるけど、藤甲軍になすすべもなく斬り散らされて逃げ帰ってくる始末だった」
Y「逃げ上手だな」
A「黙ってやられる孔明じゃないぞ。ちゃんと迎撃の策を弄している」
F「うむ。馬岱に命じて、山道に残る黒い車櫃10両を配置し、趙雲には山道を封鎖する準備を整えさせる。そして魏延に、15日に渡って負け続けさせ、7つの陣地を放棄させた。最初のうちは孟獲の慎重論に従っていた兀突骨だったけど、それだけ快進撃を続けると、もはや蜀軍弱しとしか思えない。3万の軍勢を駆って魏延を追いまくった」
A「で、馬岱が罠をしかけていた山道に踏み込んでしまう。黒い車を放って魏延を追うと、どんどん道は狭くなる」
F「山道の先は、魏延が通過してから趙雲が封鎖した。退路も別動隊がふさいで、進退きわまった藤甲軍に火が放たれる。何しろ油をしみこませた藤のつるだけに、火には弱い。おまけに黒櫃の中身は爆薬で、地面にも細い竹を使った導火線が敷設してあった。劫火の中で3万の兵は、兀突骨もろとも全員焼死した」
Y「……非道ェ」
F「さしもの孔明もこれには涙して『国のためとはいえここまで殺っては、私も長生きはできないだろう』とのたまう」
A「対して趙雲がフォローを……」
F「それはない」
A「あやっ」
F「ここでフォローが入っては、孔明が長生きできなかった悲劇性が薄まるンだ。周大荒サンは判っていたが、横山氏はそれを見抜けなかった。だからあんないらんフォローを数ページも続けた……という、割と笑えないオハナシ」
A「……むぅ」
F「因果応報って奴だ。さて、吉報を待ちわびる孟獲のところに、蛮兵(に偽装した蜀兵)が駆け込んできた。兀突骨が、例の山道に孔明を追い込んだ、と。喜び勇んで出陣した孟獲だったけど、火の海と焼けただれた死体の山に、まただまされたことに気づく。慌てて逃げようとしたところ、いつぞやの仕返しとばかりに張嶷・馬忠が襲いかかってきた」
A「何とか孟獲は逃げるけど、兵の大半は討たれるか捕らえられる。本陣も王平・張翼が襲撃し、留守居の祝融夫人や一族がことごとく捕らえられた」
F「そしてひとり逃げる孟獲の前に、ひょっこり孔明が顔を出す。すでに弱気になっていた孟獲は、襲いかからずに逃げた。でも、馬岱に取り押さえられる」
Y「7度めー」
F「今度という今度こそ疲れ果てた孟獲一族が食事をしていると、孔明からの使者が来て『逃がしてやるからまたおいで』と、まぁ凄まじいことをのたまった。7回も捕らえられたのに7回も許すと云うのは聞いたことがない、と孟獲は涙して『蛮人でも礼はわきまえている!』と、孔明のところに乗りこんで、ついに平伏してこれまでのことを詫びた」
A「そこで孔明は、孟獲や従っていた将兵には何の罪もない、と明言し、これまでの地位を確約。占領してきた土地も残らず返すと云う。感動した孟獲は、孔明の恩を子々孫々に及ぶまで忘れないと号泣した……と」
Y「何のために戦争したのか判らんな。敵は許して土地も返すなんて」
F「孔明本人の自供がある。まず、太守をおく場合、ある程度の軍もおかねばならんので、食糧の手配が困難だ。兵をおかない場合は太守がどうなるか判ったモンじゃない。どっちにせよこれだけの戦闘の後では、太守を信用するはずがない。だったら、地元民のモラルに任せるのがいいだろう、と」
A「孔明の大人物ぶりが判る発言ですなっ♪」
F「正史でも採用されてる台詞だぞ、泰永? それこそ諸葛亮伝の、孟獲に関する注でだ」
Y「綺麗に忘れてたな、そんなモン」
F「この野郎。……まぁ、正史ではそんな甘ったれた理屈が通じるはずもなくて、南征後も叛乱が頻発する。で、馬忠や呂凱が奮闘して、蜀の裏門を守り続けていたのに、表門では敗戦が続くワケだ」
A「云うな!」
F「かくて南征は果たされ、孔明は兵を魏に向ける……と、前回と同じことを云おう。後顧の憂いを亡くし領土と収入を得た孔明は、北伐の体制を整えた」
Y「しかし、羅貫中もお前も、どーしてこんな与太話を長々と続ける?」
F「民間伝承では、割と古い時代のものにも七擒七縦の故事が見られるからね。全体的に物語性を重視している演義の中でも、ひときわコミカルに展開される南征は、あるいは、事実、こーいう戦闘が繰り広げられていたのかもしれない」
A「南蛮テーマパークみたいな戦場だな。まぁ、木鹿大王や兀突骨たちには気の毒なことをしたけど」
F「……ところで」
A「やるのかよ!?」
F「初めの方でちらっと云ったことを確認しておく。馬謖が南征について『心を攻めるのがいいでしょう』なんぞとしたり顔で云ったら、現場で2年近く、実際に奮闘していた呂凱は怒る。怒らんでも鼻で笑う」
A「あぁ、そーいえば云ってたな、ンなこと。何でだ?」
F「高定が叛乱を起こした郡の太守だったのが、余人ならぬ馬謖そのひとだ」
A「……えーっと」
F「全部までは云わんよ。だがな、この叛乱の原因の、半分くらいは馬謖に責任があるンじゃなかろうか。何しろ、呉に通じていた雍闓とは違って、高定は自分の意思で叛乱を起こしたのだから」
A「……何が起こったの、現地で? 馬謖は何をしたワケ?」
F「正史に割と笑えない話が書いてあったよ」

 ――孔明は益州の民を残虐に扱ったので、高定ら(との関係)は瓦解し、彼らは孔明の仇敵となった。

F「100回のラストで見た『益州人民への降服勧告文書』の一説だが、これが事実に近いものだというのは、ここまでで長々と見てきたよな。漢人にも蛮人にも慕われている(と、正史にもある)孟獲を、猫が獲物のネズミをいたぶるように長々と弄んだンだ。繰り返そう。『あるいは、事実、こーいう戦闘が繰り広げられていたのかもしれない』と」
A「これが、実際にあった……と?」
F「ひときわコミカルに描かれているせいで意識しない場合が多いが、この南征で死んだ南蛮人は数知れん。だからこそ、この後も蜀への叛乱は続いてた。最初に云おうと思ったことを、いま改めて云おう。孔明による南蛮攻撃は行われ、ある程度の勝利が収められたことは確かだ。もっとも、それによる南蛮の死者がどれほどの規模だったのかは、想像するしかないが……演義より多かった可能性は否定できない」
A「……どれくらいだ」
F「演義では最小でも10万近い数字だ。最大なら30万近くに膨れ上がるが」
Y「民衆にまで手を出していれば充分に出せる数字だな。民間人を殺しておきながら『敵兵を討ちました』と申告するのは、士気や手柄のためにはよく使われる手段だ。現に董卓もやっていた」
A「一緒にされたくはないが……兀突骨たち3万人まとめて焼き殺したのは事実だな」
F「いつかアキラが云っていたことを確認しよう。民衆に手を出すのは、僕でもフォローはできん」
Y「……猫は嫌い、だったな」
F「続きは次回の講釈で」
A「……なんで、こんなに沈んだ雰囲気なんでしょ?」
Y「孔明のせいだ」

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