にゅういんにっき〜11月後半


11月17日・手術前夜

夜A先生が様子を見に来てくれた。
メスの入れ方で、先生は傷が目立たなくしてあげたいけど
それは、手術時の判断に任せて欲しいといった。
命優先でお願いします!と答えたら、そんなことは言わなくて
良いよというように肩をポンポンとたたいた。
それから、「お腹は大丈夫だね」「ハイ、お肉はたっぷりあります」
なんて笑いあった。先生は、不安を取りさってくれる感じがする。
先生に任せれば、大丈夫!
明日、手術が終わったら体は不自由になるかもしれないけど
とにかく無事終わって、治療をがんばる!

ヒヨ、ミーちゃんへ
小さいあなた達に、寂しい思いをさせてしまってゴメンネ。
思いがけずガンという病気になってしまい、ママも正直
こわくてこわくて、泣いてばかりです。
まだまだ、二人と一緒にいたい。いっぱいだっこして
おいしいものを食べさせて、笑ってる顔も、怒っている顔も
泣いている顔もずーっと見ていたい。
同じ女性として、これから教えてあげたいことも
たくさん、たくさんあります。
だから。ママはまだ死んでしまうわけにはいかないんだよ。
手術が終わって、ヒヨとミーの可愛いお顔を見るのが楽しみです。
大好きだよ。
ママのところに生まれてきてくれてありがとう。
11月18日

朝、イソジンシャワーと言うのがあって、いそじん?うがいの?
イソジンがジャーって出てくるのかと思ったら、液体石鹸みたいな
イソジンで、手術箇所を洗うだけだった。
A先生+5人の先生がやってきて、手術箇所に印を書いていった。
いつもの調子でやり取り。
帰りがけに「リンパ腺1個とらせてね」といわれた。
リンパ腺とるんだ…。でも1個ってことは複数あるものなの??

手術服に着替えると、もうすっかり手術患者さん!
8:30出発予定  行ってきます。
11月18日手術後(24日に書いています)
手術時のことを、思い出して書いておきます。
18日。眠くなる筋肉注射を左腕にして、しばらくはぺらぺらと
お喋りをしていた。手術室に入るときは手を振っていた。看護士さん
の問にもきちんと答えた、らしい。記憶がまったくない。
記憶があるのは、手術後。急に大勢の人の話し声がきこえて
手術室特有の丸い電器が見えた。あれ、夢かな?と思ったとたん
気持ちが悪くなって吐いた。そこでまた記憶がない。
次に気づいたのは、病室。また気持ちが悪くなって目が覚めた。
腕が痛くて泣いた。
アユ(妹)の「かわいそう」と言う声と、心配そうな夫の顔だけ
覚えている。
夜は痛みで何度もナースコールをしてしまう。
痛み止めの注射はしてもらったけど、お腹がいたい。
尿意があるといったら、チューブから自然に出ているからと言われた。
でも、どうしてもと訴えたらチューブを少し動かしてくれた。
そうしたら、自分でも出ているのがわかった。
溜まってて苦しかったね、といわれた。
11月19日(24日に書いています)

朝、酸素マスクと、背中の麻酔チューブ、尿チューブが抜けた。
歩いてトイレに行かなければならず、つらい。
胸とお腹の傷よりも、横っ腹が痛い。陣痛のようにキューっと
来る感じ。お昼・夜は食べることもできず、泣いてばかり。
トイレにも行かれず、看護婦さんにポータブルトイレを提案されたが
断った。自分で行きたい。
夜9時頃、先生に連絡してもらい痛み止めの注射。
意識がふらふら。そのまま少し眠る。
外科の先生がピンチヒッターでお腹のドレーンの位置を変えてくれた。
深夜、A先生が様子を見に来てくれた。
どうしてそんなにいたいのかな?まあ、こんなもんだよ!と
いつもの肩ポンポンで帰っていった。
時々キューっと来る傷みで一睡もできない。
11月20日

食欲はない。
でも歩くのはだいぶ楽に。一日でこんなに違うものか。
トイレにも歩いていかれる。うれしい。
肺炎を防ぐため、せきをしなさいと言われたが、怖くてできない。
くしゃみをしたら、お腹がブチッっといった。
11月21日

昨夜、38、8℃発熱。
今朝は37、6℃。寒気がしたので寝ていた。
髪を洗ってくれることになったが、躊躇していたら
起きなければいけないという。
風邪でも引いたのかと寝ているのは間違えで、肺炎の一歩手前
まできているので肺機能を上げるためにリハビリか4千円くらいの
筒を買って深呼吸の練習をしなければと言う説明。
少し息苦しいのもそのためか。
ガーゼ交換の際、先生はどうしてそんなにお腹が痛いのかなーと
不思議がっていたけど、私にもわからないよ。
もう一人生まれそうだったよ!
11月22日

昨日は肺炎になっているかも?と言うことで、レントゲンを撮ったが
肺はきれいで、看護士さんも首をかしげていた。
リハビリの先生に深呼吸の仕方、体を左右に倒す運動を教わった。
熱は相変わらず38,5℃と高いが、元気。
なるべく体を動かす。
腰が痛くて横になれない。
採血の結果、熱は感染によるものらしい。
貧血がひどい。抗生剤を使うことに。
ガーゼ交換の際、ドコから感染したのかなと不思議がっていた。
看護士さんが点滴を持って登場!
抗生剤と、造血剤って薬を飲むくらいかと思っていたのにガーン。
術後も貧血ひどかったのよ、と教えてくれた。
まったく能天気な私。
最初は傷の痛みとの戦いで、あまり考えなかったけど
私には見えないからだの中で、必死に細胞が戦っているんだと
あらためて実感しました。
11月23日

久しぶりに熱が下がり36、9℃。点滴のおかげ?
朝の回診で、また先生が何でだろうね、抗生剤が効いたのかな
と言っていた。
頭の中で、なんでだろーなんでだろー
の歌が流れていたよ。
きょうも点滴。
2本終わるのに5時間半もかかった。動くとすぐに詰まってしまうので
しんどかった。
夫は毎日お見舞いに来てくれる。
ヒヨ・ミーは元気かな。あいたいな。
明日、先生の話を聞く時、姉妹に来てもらうかで悩んでいる。
姉妹は来たいと言っている。
私は、来て欲しくない気持ち。一緒には聞きたくない。
何でそんなにこだわるのか自分でもわからない。
電話でも、話し合った。この気持ちはどうしても分かり合えないでしょう。
仕方ないよ。
お互いの立場は、同じにはなれないのだから。
でも、これからのことを考え一緒に聞いてもらうことに。
とにかくこれから先が、頑張りどころです。
11月24日

夫、姉妹と一緒に先生の話をきいた。
残念ながら、良いとはいえないけど。
明日明後日死んでしまうわけじゃない!
ヒヨちゃん、みーちゃん。
ママは頑張ります。色々とつらい思いや迷惑をかけます。
ほかのお友達のような楽しいことは少し減ってしまうけど
今まで以上に仲良く暮らそうね。
なみちゃん(夫)
本当にゴメンネ。
健康で家のこと普通にやって、オジィとオバアになったら
車で旅に出ようね。(キャンピングカーで暮らす夢)
今、なみちゃんとヒヨとミーがいてくれて、ママは本当に幸せ。
ありがとう。
11月25日

パパが昨夜泊まってくれたので、リラックスできた夜でした。
相変わらず腰が痛くて眠れない。
でも、昨夜メソメソ過ごさなかったおかげで、とても前向きな気持ち。
もーどんな気持ちでもやってやろうじゃないの!
あとは、リハビリをして手を上げられるようにして、熱を下げて
放射線と抗癌剤に突っ走る!
ヒヨ、ミー待っててね。もうすぐだよ。
昼、お腹のドレーンが1つになった。おへその抜糸。
ものすごいでべそ。アンパンみたいです。
こころで泣く。

昨日の私の病状について自分なりに整理。
ガンの性質や進行度、もっと詳しい内容もあるのだろう。
でも今はこれで十分。あとはその時々で先生に聞こう。
全てを知ってしまった上で、元気に立ち向かっていける強さが
ないから。
自分の病気を知って、理解し、その上で治療にあたるというのは
あたりまえなのかも。
でも、あまりにも希望が見えない状態でつらい治療や不安に
打ち勝つというより、先は少しぼやっとしているけど
今できることをしっかりやって、先につなげよう。そういうやり方のほうが
私には合っている。
手術をしてもらった、この強運を持ち続けよう。
11月26日

シャンプー台を借りて、サーっと髪を流してみた。
思うようには行かないけど、気分はすっきり。
少しずつ、できることから始めよう。
4人で、普段通りの生活が待っているよ。
11月27日

一日、一日。体が回復しているのがわかります。
呼吸も歩くのも、楽。食事も残さず。
なのに、まだこの体のどこかにガン細胞があるんだ…。
朝の回診で、早く抗癌剤を入れたいから、ドレーンを取っちゃおう!と
いわれた。いよいよか!でもこのまま退院できなかったらどうしよう。
カツラ買いに行きたい。
吐くのなら個室にいたい。こわい。

ドレーンがとれ、今日からリハビリ。
看護士さんは、抗癌剤って行っても、テレビのように点滴している
そばからゲロゲロもしないし、髪もすぐ抜けるわけじゃないよと
なぐさめてくれた。
みなさんは入院中、帽子やバンダナでカバーしているそう。
カツラしてる人はあまりいないそう。

リハビリがはじまった。腕を伸ばすのに、頭で考えないと動かない。
どうやって動かすのか、どこまで動くのか考えながら必死。
でも、久しぶりに動かせて嬉しい。
気持ちが良かった。
11月28日

朝7時過ぎまでぐっすり眠った。
昨日リハビリで体を動かしたからかな?
そのためか、今朝はすがすがしい気分。
病気のこともひっくるめて、生きていこう!
生きているだけで、みんなといられるだけで、幸せだと
心から思う。
リハビリの後は、胸の上部にズキズキした痛みがある。
すぐに治まる。
夫は毎日お見舞いに来てくれる。
子供たちにはもう10日も会っていない。
2人のにおいが懐かしいな。
11月29日

朝の回診は、ぞろぞろと5〜6人の先生が来る。
なにやら、専門用語で話している。
そろそろマッサージを始めようといわれた。
そして、来週あたりから抗癌剤を始めようかと。
キターって感じ。
正直、副作用はこわいけど早くガンをたたいてもらって
お家に帰る!つわりだと思って耐える!こわい!
看護婦長さんが、様子を見に来てくれた。
もう自分で、おっぱい見た?ときかれた。術後の心のケア。
私は、胸を失ったけど形だけは残っている。
『ない』という所は見ていないのでショックは小さいのかな
11月30日

お昼過ぎ、両親と子供たちがきてくれました。
2人ともとっても元気でよかった。2週間と言えども、なんだか
少し大きくなった気がします。
毎日当たり前に一緒にいて、怒ってばかりのママでした。
もしかしたら、ママは他のママみたいな事してあげられないかも
しれない。でも、いっぱいいっぱい愛してるよ。
ずっと一緒にいようね。もうすぐ帰るよ。待っててね。
ヒヨにインフルエンザにならないよう予防注射の話をしたら
「じゃあ、乳がんにならないやつもしよう!」と言ったのでビックリ。
病気の意味はわからなくても、大人達の会話から覚えた様子。
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