霊的観点から見た肉食の間違い〈2〉

神が与えた動物の生存権を奪い取る

コラムNo.56

前回は、「肉食は、神の摂理から逸脱した間違った行為である」ことを述べ、2つの霊的な理由を取り上げました。今回は、その理由の一つである「肉食は、神が与えた動物の生存権を奪い取る」ということについて、具体的に見ていきます。

私たち人間の生命は、私たちが地球上で生きるために「神から与えられたもの」であり、自分自身でつくったものではありません。「生命は神のもの」であり、勝手にそれを断つことは許されません。自分の生命は自分のもののように思っている人がいるかもしれませんが、本当は、生命は私たち人間の所有物ではないのです。そして同様のことが、動物の生命についても言えるのです。動物にも、神によって人間と等しい“霊的価値”が与えられています。

人間には生命を造る力はありません。その生命が顕現する他の動物たちの身体を破壊する資格もありません。当然、人間が他の動物たちの生命を奪うことは許されません。人間が他の動物を殺すのは間違いであり、「神の摂理」に背くことになります。動物を殺せば、人殺しと同じ“霊的罪”を犯すことになるのです。

殺した動物の肉を食料として食べることが、何の罪意識も心の痛みもなく当たり前のように行われていますが、それは現在の地球人類の霊的進化のレベル(スピリチュアリティー)が、いかに低いものであるかを如実に示しています。人類の霊性の低さは、肉食という“悪”が堂々と行われているところに端的に現れています。

肉食の間違いは、「動物の生存権を奪う」という神の摂理を犯すところにあります。霊性が極めて低い地球であっても、長い人類の歴史にともなう進化の結果、他の人間を殺すのは間違いであることに気がつくようになりました。人間はお互いの生命を尊重しなければならない、すべての人間に等しい生存権を認めなければならないという神の摂理が、地球人類の常識になりつつあります。

人間社会の中で最も嫌われる存在は独裁者ですが、それはこの“生存権”という神の摂理を平気で犯すからです。人間に対する生存権が等しく尊重されるようになったということは、地球人類における一つの進歩です。人間がお互いに殺し合うこと(戦争)は間違いであるとの共通認識を持てるようになったことは、地球人類の霊的進歩を示しています。

しかし、現在の地球は、まだ動物に対する生存権を認める段階にまでは至っていません。「動物に対する生存権の尊重」は、人間の生存権の尊重と同様、神の摂理に一致したあり方なのです。生存権は人間だけでなく、動物に対しても認められなければなりません。それなのに人間は自らを“万物の霊長”などと勝手に間違った優越心を持ち、平気で他の動物を殺しています。

しかも、その残虐さは目を覆うばかりです。動物たちにも、神から人間と同じ生存権が与えられている事実に全く気がついていません。現代人は、人間としての権利を盛んに主張しますが、動物の持っている権利を平気で犯しているのです。人間は地球上で最も偉大で大切な存在であると錯覚し、動物の生命を奪っても許されると思い込んでいます。しかし、それは霊的に見たとき明らかに間違っているのです。

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