中学生ザンの物語

14 桃川学院という所

「どうでもいいよ、そんなの。」

 車で追いつかれたザンは、武志に言った。

「でも、ザンちゃん。怪我の手当てをしないのは良くないわ。」

「いいって言ってるでしょ?あたしはそんなにやわじゃないよ。」

 そう言ってさっさと歩き出そうとしたザンは、武志に抱え上げられた。「なにすんだっ。」

 ザンは、肘鉄を食らわそうとしたが、武志にひょいっとかわされた。彼女は彼の肩に担ぎ上げられ、お尻をいくつか打たれた。痛むお尻を叩かれたので、彼女はうめいて大人しくなった。武志は、明美が差し出した救急セットを受け取ると、不貞腐れたザンの手当てを始めた。

 

 無理矢理車に乗せられて、学校についた。ザンは、明美と2人で教室に入る。

「おはようザンちゃん。」

 舞は普通に声をかけてくる。しかし、ザンが春樹を殴ったのが知れ渡っているので、舞、絵実、明美以外の子は、ザンが通ると恐れたように道を開ける。

「おはよう、舞ちゃん、絵実。」

「おはよう、ザン。あなた、皆から注目されてるわ、水島先生のことで。」

「今更だよ。どうだっていいさ。」

「ねえ、ザンちゃん、どうしたの?そんなに包帯やばんそうこうだらけで。」

「舞ちゃん、これは名誉の負傷よ。ザン兵は立派に戦ったのであります。」

「?」

「襲いかかる復讐、そして疑いの悪の男。ザン兵は決して挫けず…。」

「??」

 混乱している舞とふざけているザンへ、明美が言った。

「その悪の男って、わたしのお父様ね?」

「そうだよ。あんたには腹立たしいかも知れないけれど、わたしは初対面の時の侮辱を忘れた訳じゃないからね。」

「そのザン兵って、何の話なのよ?」

 絵実が言った。

 「要するに、前の学校でやっつけた馬鹿男どもが、助っ人を連れて復讐しに来たから返り討ちにしてやって、その時の怪我についてを明美ちゃんに説明してやっていたら、明美ちゃんのくそ親父が男3人との戦いに勝利したのを疑りやがって、馬鹿な小娘は躾てやるって言い出したから、これまた戦ったわけよ。決着がつく前に理性を取り戻しちゃって、わたしの強さを証明してやれなかったのが、返す返すも残念だわ。」

「そんなものつかなくて良かったの。」

 明美は、ザンを睨んだ。ザンは外人の様に両手を挙げ、肩をすくめ、首を振った。まあそう怒るなと言いたげである。

「あの…。」

 ザンは振り返った。車椅子の子がザンを見上げていた。

 

 桃川学院は、目が見えない子以外の身体障碍者のみ、格安の授業料で受け入れている。体の障碍だけなら、勉強に支障がないからだ。障碍者に対する差別は、普通に生きていたら彼らと接する機会が少ない故におこってくるものだと経営者は考えた。この学院はそのことと、ごく当たり前にお尻叩きの体罰があることと、生徒のレベルが高いので有名である。

 この学院の授業料は所得によって違うが、身体障碍の子の親が金持ちではない場合にかぎり、公立の学校よりも少しだけ高い学費でここへ通える。校内は、健常者の生徒が入室を許されている場所なら、何処へでも同じように行ける設備が完備しており、普段から厳しく躾を受けている生徒達は差別もしない。アトルの様に幼稚園から通っていた子なら、特別視することもなく普通に過ごしている。社会へ出て初めて、差別を知る子もいるくらいだ。

 お尻を叩かれるのは嫌だが、ザンはそこをとても気に入っていた。施設育ちと言われ、差別される辛さを知っていたから。お高くとまっていない金持ちがいるものだと嬉しくなった。

 

「通れなかった?」

「ううん…、水島先生のことを聞きたくて…。」

 興味津々という顔で、その子は言った。他のクラスメートが、命知らずだという顔でその子を見ている。

「何で殴ったかって?決まってんじゃん、転校してきたその日に、わたしのお尻を馬を叩く鞭で叩きのめしたんだよ、あいつは。動物扱いされて喜ぶ人間は、マゾだよ。あたしはちょっとサドかも知れないけど、ノーマルだもん。」

「えーっ、ザンちゃん、サドなの?」

 舞が吃驚した顔をする。

「殴られる時、そいつが恐怖の表情を浮かべるのが好きで、喧嘩をやってるから。」

 ザンは暢久にしたのと同じ説明をした。

「ちょっとじゃないでしょ、それ。」

 絵実が呆れて言った。舞は何処まで本気にしたのか、楽しそうに言う。

「そういうのって、真性って言うんだよね?」

「それなら誰でも彼でも殴りたくなるんじゃないの?例えば、あんたでもいいよね…?ま・い・ちゃん…。」

 恐ろしい表情を作るザンに、キャーと舞が半分本気で悲鳴を上げる。ザンは舞を殴る真似をした後、くすくす笑う。絵実は半分馬鹿にした表情をし、父のことで怒っていた明美は、怒りが薄れて笑い出した。

「水島先生はやり過ぎだったかもしれないけれど、それだけで殴るなんて…。あなたってそんな人には見えないんだけど。だって、苛められていた高等部の人を助けたんでしょう。」

「わたしはプライドが高いの。だからああしたのよ。そんで、高等部の奴はわたしの彼氏なの。彼女が彼氏を助けるのは当然でしょ。ちなみにそいつは水島先生の息子だから、わたしはお咎め無しなのよ。」

「…そう。有難う。」

 あんまり信じていない顔でその子はお礼を言った。

「別にお礼を言われることでもないよ。」

 

 お昼休み。舞が携帯電話を振り回し、ザンに言った。

「ザンちゃんは、ケータイ持ってる?」

「スネかじりのガキが何言ってんだか。」

「どういう意味?」

 舞が不思議そうに言った。

「ザン、きついわよ。」

「あたし、舞みたいなタイプ嫌い。」

 ザンは絵実の方を向く。絵実は、

「そうかも知れないけど…。」

 と言ったが、ザンは知らないふりをした。

「ザンちゃんたら、お友達なんだから、仲良くしましょう。」

 焦った明美が取り繕うとする。ザンは明美を見たが無言だ。

「ねえ、ザンちゃんは、持ってんの?」

 舞本人はあんまり堪えていないようで、もう一回訊いた。ザンはこういう性格だと認識しているらしい。

「ねえよ、んなもん。」

「ザンちゃん、男の子みたい。」

 舞はふうと息をつく。「わたし達のグループって皆ケータイないね。つまんない。メール交換したいのに。」

「ここ校則厳しいのに、そんなもん持ってきて、お尻をぶたれないわけ?」

「見つかればね。」

「あたしが密告してやろうか?」

「ザンちゃん!」

 明美が怒った。

「なんでそんな意地悪を言うの?」

「だってあんたMなんでしょ?」

 ザンは舞へ言う。

「ちがーうっ。わたしはママとパパには叱られたいけど、先生は嫌だよ。」

「先生だろうが親だろうが、お尻を叩かれるのに変わりはないわよ?…あ、そうだ。」

 ザンは、にまっと笑った。不思議そうにしている舞の腕を引っ張り、ザンは彼女を膝に横たえた。「あたしが変わりに叩いてやるよ。感謝してよね。」

 吃驚している舞のスカートを捲り上げた。パンツに手をかけたが、さすがにそれは止めた。

「違うってば、わたしは、お尻を叩かれたいんじゃなくて…。やだあっ、痛い、ザンちゃん、止めてよっ。」

 ぱんっ、ぱんっ。舞は暴れたが、ザンは構わずにパンツの上からお尻を叩いた。ぱんっ、ぱんっ。

「あーあ。もうザンちゃんたら…。」

「ほっときなさい。」

 止めようとする明美に絵実は呆れて言った。「舞だって、校則違反したんだから。」

「やあっ、痛いぃー。絵実ちゃん、明美ちゃん、助けてぇーっ。痛いっ、ザンちゃん、止めてよぉっ。」

 ぱんっ、ぱんっとお尻を叩く音に、クラスの子達がざわめき出した。

「なんで泣くのよ?嬉しくないわけ?」

 ザンはそう言うと叩くのを止めた。舞の緑色のパンツをTバックにする。お尻は桃色になっていた。「あ、お尻が可愛い色になったわよ。」

「ザンちゃんの馬鹿ーっ。」

 舞はお尻を撫でながら叫んだ。

「天才のわたしを馬鹿呼ばわりしないでよ。お尻を叩いてあげたのに。」

「ザンちゃんなんか大嫌いっ。」

 舞は絵実に泣きついた。ザンは、外人のように両手を上げて不思議そうにすると明美を見た。明美は困惑の表情を浮かべた。

 

 学校から帰ると、屋敷の前に3人のおばさんとアトルが立っていた。最初は世間話かと思ったけど、どうもおばさん達はアトルを責めているらしい。ザンはぴんと来た。おばさんたちの顔は、ノブを苛めていた奴等と似ていたから。『わたしに殴られたのを調べたわけね。』ザンはそう思いながら、母へ声をかける。

「ただいま帰りましたわ、お母様。」

 アトルがぎょっとした。ザンをそれを無視して続ける。「あの、何かありましたの?」

「あなたのお姉さんか妹さんか知らないけど、その子がうちの息子に暴力を振るったのよ。」

 ザンの豹変振りに吃驚して何も答えられないアトルの変わりに、おばさんの一人が答えた。

「まあ。」

「ある男の子とちょっと喧嘩みたいになっていたら、割り込んできたって言うじゃない。とんでもない女の子よね。」

 別のおばさんも言う。

「うちの子なんて可哀想に顔が張れ上がっちゃって…。」

「変ですわね。」

「え?」

「だって、普通、男の方は女に負けたなんて、口に出せないと思いますもの。ましてやそれをお母様に言って、その負けた女の子の家族に注意してもらうなんて、プライドが許すはずはありませんわ。」

「…。」

「たぶん、そのご学友と喧嘩したのをお母様に叱られたくなくて、冗談で言ったのではないかしら。」

「…。」

「私、そう思いますの。」

 ザンは目を伏せた。「では、失礼させて頂きますわ。」

 おばさん達とアトルは、ザンが玄関へ入っていく姿を無言で見送った。

 

「金持ちの坊ちゃんに、そんなプライドがあるわけねえよな。」

 自分の部屋。ザンはお上品なお嬢様からいつもの自分に戻って、呟いた。まあ、おばさん達があれで納得出来るかと言えば、たぶん無理だろう。「そこまで純情じゃないだろうな。」

 制服を脱いで着替えていると、アトルが入ってきた。アトルは、基本的にノックしてから入ってくるのに珍しい。

「さ・さっきの態度はなんですの?私があれだけ叱ってもちっとも何も変わらなかったのに…。」

「だって、手前の息子を殴ったガキが堂々と目の前を通ったら、馬鹿な母親は怒り狂うだろうよ。」

「そんな言葉遣いしてっ!」

「はい、はい。ごめんなさい、お母様。」

「どうしてあなたって子はそうですの?…私、疲れてしまいますわ。」

 アトルは眉間に手をやった。

「若くないんだから、もうちょっと落ち着けばいいのに…。いたっ。…うー、痛い…。」

 お尻を押さえてうめくザンをアトルは睨んだ。

「誰のせいですの!」

「すぐ叩くんだからぁ。」

「お膝に乗せてお仕置きしてもいいんですのよ。」

「そんな怒ってばかりいると、皺が出来るよ。」

 アトルがまたザンのお尻を打とうとしたので、彼女は慌てて逃げた。「怒り虫〜。…そんなことよりさ、あのおばさん達はどうしたの?」

「…あなたの心にもない言葉にのせられて、恥ずかしそうに私に謝った後、帰っていきましたわよ。」

 アトルはため息をつくと言った。

「そりゃ良かった。」

「何がいいんですの?本当はあなたが悪いのに、騙したりして…。」

「騙しちゃあいないよ。根性のないお坊ちゃまはともかく、普通なら恥ずかしくて言えないわよ。高校生の男が中学生の小娘に、手も足も出せなかったなんてね。」

「…。」

「そ・れ・にだよ。元々あいつ等は一方的にノブを苛めてた。それを“ちょっと喧嘩みたいになっていた”なんてふざけんなってんだよ。母親を騙したのはあたしじゃなくて、あの馬鹿息子共じゃないか。」

「それはそうですけど…。」

 アトルの言葉にザンはにこっと微笑んだ。

「じゃ、いいじゃん。…さあさ、あたしはまだ着替えてる途中なんだから、もう出てよ。」

 アトルは納得いかない顔をしていたが、何も言わずに出て行った。

 

 家庭教師の時間。ザンは明美といた。

「そこはそうじゃないよ。」

「あ、そうね。」

 武夫はもうこっそり覗いたりしないで、姉の部屋で大人しく二人を見ていた。覗きがばれた武夫は武志に酷くお仕置きされた。二度と椅子に座れないのではないかと思ったとは本人の言葉だ。勿論そんなことはないし、お尻には傷もない。

「ねーえ、ザンお姉ちゃん。」

「何?」

「僕にも、英語、教えて。」

「まだ早いじゃん。それとも何、英語を喋る奴が近くにいるの?」

「いないけど…。」

「じゃあ、教えられないね。」

「何で?意地悪しないで、教えて。」

「言葉は生き物よ。使わないと死ぬの。」

「…。」

 武夫は目を大きくしてザンを見た。

「忘れちゃうって意味よ。おびえないの。」

「…はい。」

 武夫はホッとすると、姉の部屋を出ながら言う。「じゃあね、ザンお姉ちゃん。」

「ばいばい。」

 明美は手を振るザンを見ていた。ザンはそんな彼女を見るとボソッと言う。「…相変わらずだね、あんたの弟。」

「人はそう簡単には変わらないわ。」

「知ってるけどね。…ま、いいや。続けよう。」

「ええ。」

 

 次の日。またおねしょをしなくて、アトルと笑いあった後、学校に行くと、ザンが舞にしたお仕置きを春樹が知っていて、休み時間に二人は職員室に呼ばれた。

「お前はどうして、次から次へと問題を起こすんだ?」

 春樹はザンを見ると、ため息をついた。

「この学校は、障碍がある子も受け入れています。だったら、友達の特殊な部分も受け入れるべきです。」

 ザンは続ける。「舞ちゃんは、お尻を叩かれたいという願望を抱いています。わたしはその願いを叶えてあげたまでです。」

「パパとママからでないお仕置きなんかいらない。」

「よーは、お尻の痛みが欲しいんでしょ?」

「違うよ!もしそうだったら、ちょっと悪い子になれば、先生がぶってくれるじゃない。」

「だから、ケータイとかいうガキには過ぎたもんをわざわざ見せびらかしたんでしょ?おじょーさま。」

「今、小学生だって持ってるわ。自慢する物じゃないもん。」

「校則違反だけどな。」

 春樹の言葉に舞はしょぼんとなる。舞はそのことで朝の会の始めに、皆の前で丸出しのお尻を春樹にぶたれた。20回の平手の後、中学生の教室の道具・30cmの竹の物差しで10回だった。しかも、最近他のクラスだけど、授業中に着信音を鳴らした子がいた為に、朝の会が終わるまで、皆に赤く染まったお尻を晒す羽目になった。

「ザンちゃんが持ってたら、メル友になれるかと思って…。ごめんなさい、水島先生…。」

「もう反省したようだから、その件はいい。…しかし、ザン、これは苛めだぞ。」

 ザンの眉がぴくっとした。春樹は思わず立ち上がり、後ずさった。舞は吃驚して春樹とザンを見比べた。

「どうしたんですか…?」

「…。」

 春樹は額の汗を拭っている。ザンは無表情だった。しかしそれが逆に怖い。今度は背筋が寒くなった。

「ザンちゃん、どうしたの?」

「…別に。」

 舞は不思議だったが、春樹を見ると、静かに言った。

「わたし、ザンちゃんに苛められたって思ってません。最初は吃驚して傷ついたけど、ザンちゃんは誤解してわたしを叩いたんだし…。」

「そ・そうか。な・なら、いい。ふ・二人とも教室へ戻りなさい。」

「水島先生、どもってますよ。」

「いいから。」

 春樹は一刻も早くザンに去って欲しいように言った。舞はますます不思議になったが、眺めていても二人とも何も言わないので、ザンの背中を押すと、挨拶をして職員室を出た。

 

「で、水島先生ったら、とっても変なんだ。別にザンちゃんは何も言わないのに、何だか怖がってるみたいだったよ。」

「ふーん。」

 絵実がザンを見た。ザンは窓の外を見ている。別に変わりなく、いつもの素っ気無いザンに見えた。

「ザンちゃん、どうかしたの?」

 明美はなるべく普通に聞こえるように気を使いながら言った。

「何もないわよ。水島先生は、後ろめたいことがあるのよ。苛めについてね。」

「前にも言ったと思うけど、水島先生はとても立派な先生なのよ。」

「表裏のない人間なんていないよ。でも、教師としては明美ちゃんの言う通り、ご立派なんでしょうから、気にする必要はないわ。」

「何、それ。」

「水島先生って、厳しいけど、いい先生よぉ。お尻とっても痛かったけど、悪いのわたしだから仕方ない。」

「知らなくてもいいこともあるのよ。」

 ザンは立ち上がると絵実と舞に言った。「どうでもいいじゃない。立派ないい先生なんでしょ?」

「水島先生のクラスになりたいって子もいるのよ。」

 明美は言った。実際に春樹は人気のある先生だ。

「女子校ならあるよね。冴えない奴が憧れの対象になったり。」

「水島先生は素敵よ…?」

「例えだって。」

 ザンは面倒そうに言った。「もうそろそろ授業だから、わたしは屋上へ行くね。」

 ザンが行った後、明美達3人はひそひそ話し合う。

「ザンちゃんって、何を隠しているのかな。」

「水島先生を殴ったのと関係あったりして。」

「聞いても教えてくれないのよね。」

 その時チャイムが鳴り、3人は慌てて授業の準備を始めた。

 

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