中学生ザンの物語

13 喧嘩大好き!

「ふんふんー♪」

 鼻歌を歌いながら、ザンは家への帰り道をスキップする。春樹が帰ってきたので、3人でご飯を食べた。春樹が誉めてくれて気分が良かった。タルートリーとアトルの子供になってから、やたらお尻を叩かれる様になったけど、良いことも一杯あるなと思う。『昔はねー…、なんてね。』少し前までを思い出す。『今は平和になったよねー。』

 T字路に差し掛かった時、空気が変わった。立ち止まる。周りはもう真っ暗で、街灯が無ければ、少し離れた通行人の顔も分からない。『3人…。誰だろ。』

「探したぜ、大川。まさかちょっと会わねえ間に、養子になってたなんてな。今はお嬢様だって?てめえのどこをどうしたらお嬢様になんてなれんだよ?」

「神代か…。今のあたしは、遅坂ってんだ。もうその名で呼ぶなよ。それと、あたしがお嬢様かどうかなんて、あんたに関係無いだろ?今更、何の用なんだよ?」

 ザンは呟く。彼女がいた施設の子で親の無い子は、施設の名である大川姓を名乗っていた。

「男がてめえに用あるったら1つしかないだろ?」

「あんた、つくづく暇人だね。他にすることないのかよ?」

「五月蝿い。女に負けたままじゃ終われねえんだ。」

「何度やったって無駄だよ。…ま、新顔連れて来たみたいだし、この所、喧嘩をしてなくてうずうずしてんだ。少し行った先に、人気の無い寂れた公園があるんだ。そこでやろうぜ。」

 ザンはそう言うと、ぱっと走り出した。男の子3人は急いでその後を追いかけた。

 

「誰から来るの?新兵器から?」

 ザンは言った。気配に気付いた時から、準備は進めていた。「こっちの用意はとっくに出来てるよ。」

「知ってるさ、恐ろしい女だよ。声をかける前に、もうそのポシェットに手を突っ込んだもんな。お嬢様になっても忘れないんだな。」

「大人になってからそう言われるなら嬉しいけどね。まだ忘れるほどの時間は経っていないし、多分一生止められないと思うよ。麻薬みたいな習慣性があるから、喧嘩には。」

 ザンはにっこりと微笑む。会話が聞こえなかったら、可愛い笑みなのに。

「男に生まれてくりゃ良かったんだよ。何十年か前に。」

「それか戦国時代にでもね。わたしもそう思うよ。…で、誰から?」

「俺と、矢島はもうやるだけ無駄だって知ってるだろ?川上、頼むぜ。」

「こんなちっこいのをか?もっとごついのを想像してたぜ。気がすすまねえなあ…。」

「見た目に惑わされるな。そいつは、切れたら凄いんだ。」

「分かったよ。…でもさ、別の遊びをしたくなるよな…。良かったら、どうだ?その可愛い顔に傷をつけたくないだろ?」

「わたしには彼氏がいる。情けない奴だけど、あんたとは比べもんにならないくらいいい男だよ。少なくとも顔はね。わたし面食いだから、醜男は眼中に無いんだ。」

「可愛い顔してきついな。」

「そうでしょ。」

 川上がえいっと殴りかかってくる。ザンは後ろに飛んでかわした。彼女の顔に笑みが浮かぶ。今の一撃に満足したらしい。川上の方はちょっとだけだが、驚いた顔をした。

「小さいだけあって身が軽いな。」

「デブででかいから、打たれ強そうだね。怒らないとやばいかな。」

 ザンと川上は構えた。ザンの両手には男性用の時計が巻かれ、指には装飾用とは思えないごつごつした指輪がはめられている。神代が言った用意とはこれだ。強いと言ったって女の子なので、力不足を補う為にこういった物を着用して喧嘩をするのだ。

 

 しばらく後。ザンは、倒れた3人を肩で息をしながら、見つめていた。川上以外は、見に来ただけらしいのだが、「友達だけにやらせて、自分らは高みの見物って訳にはいかないだろ?」と言って、襲った。

「ふぅ。疲れた。久々に思いっきり暴れたよ。ノブを苛めてた奴や無抵抗の春樹じゃ物足りなかったからね。」

 ザンは疲労回復の為に座り込み、汚れてしまった指輪や時計を磨き出した。

 

「ただいまー。」

「随分と遅かったんですのね。水島先生から家を出たと電話が来てから、時間がかかりすぎているような気がしますけど?」

 玄関を開けたアトルは、そこまで言ってからザンを見た。「…な・なんですの!?血だらけではありませんか?いったい何があったんです!!」

 アトルはザンを抱き締めた。事故かそれとも…。『ああ、何てことですの…。』

「そう騒ぎなさんなって。ちょっと3人ばかり、のして来ただけだから。あ、心配は要らないよ。売られた喧嘩を買っただけだから。」

「なんですって!?あなたって子は、また喧嘩しましたの?あんなにお仕置きしましたのに。」

「売られた喧嘩を買わないなんて、ザンの名が泣くよ。」

「…。」

「お母様ったら、なんか、呆れて物も言えないって顔だね。」

「その通りですわ…。…ああ、タルートリー様…。早く帰って来て下さらないと、私、どうにかなってしまいそうですわ…。」

「体が疼いて…。一人寝は寂しいんですの。」

 ザンがアトルの口真似をした。

「中学生が何を言ってますの!?」

「だってそういうことじゃないの?子供が出来なくても、することはするんでしょ?」

「することって何をですの?私、ザン程頭が良くないから分かりませんわ。お母様に分かるように教えて下さいな。」

「えっ、そりゃおしべとめしべがですね、蜂などを媒体にして、受粉しまして。」

「へーっ、そうですの。…そうやって私を誤魔化して、お仕置きを逃れようったって、そうはいきませんわよ。昨日みたいな情けない態度はもうしませんわ。少なくとも、今のザンにはうんと厳しい態度でもよさそうですし。」

「そんなに怒んなくたって。…わたし、寂しいな。親が出来たら、うんと可愛がって貰えるって思ってたのに。怒られたり、お尻叩かれたりばっかりで、愛されてるって実感が無いな。」

 「ザンがその邪魔をしてるのではありませんの。私だって、せっかく娘が出来たのですから、もっと楽しくお話をしたり、娘ならでは出来るいろいろな楽しみを考えていましたのよ。お裁縫やお買い物、編物なんかも良いですわ。お料理だって…。水島先生から、ザンのお料理の上手さを聞いた時には、とても感動して、教えあえたらと思っていましたのに。それなのに、あなたって子は…。お仕置きが必要なことしかしないんですから。」

「売られた喧嘩を買うのは常識じゃん。尻尾を巻いて逃げろと?」

「…。…女の子に喧嘩を売るなんて、いったいどんな人ですの?」

「前の学校で何回も叩きのめした奴が、復讐しに来たんだよ。返り討ちにしてやったけど。」

「何でそんなことを。」

「女の子にやられたのが悔しいってさ。」

「そうではありませんわ。私は、あなたのことを訊いてますの。」

「苛めをしてたから…。」

「前もそう言ってましたわね。あなたの理由はいつも正しいとは思いますわ。でも、女の子がするべきことではないでしょう?」

「…そうだね。もうしないよ。」

 そんなことないと心では思ったが、口に出してアトルを怒らせても仕方ないと、ザンはそう言った。

「分かってくれてよかったですわ。もうこんな心配はしたくありませんからね。お仕置きしますから、お部屋へ行きましょう。」

「はい。」

 

 アトルの部屋へ入り、彼女がソファに腰掛ける。ザンはパンツを下ろされ、母の膝に横たえられた。アトルは、ザンのスカートを捲り上げて、軽くお尻を叩きながら言った。

「あなたのお尻の状態はあまり良くないので、20回だけ叩きます。残りはタルートリー様にしてもらいますわ。」

「えーっ。お父様のお尻叩きって凄く痛いのにぃー…。」

「喧嘩なんていけないことですから、痛い方がいいのですわ。」

「酷いこと言う…。」

「では、今、沢山叩きますか?タルートリー様に叩かれるのなら、お尻が良くなってから受けられますけど、私からがいいのでしたら、今のお尻で受けなくてはいけませんわよ。どちらでもいいですのよ。」

「…今沢山ぶたれる方が辛そうだから、お父様からにします…。」

「賢い選択ですわ。では、始めます。」

 ぱん、ぱん。なるべく酷くなさそうな所を選んで叩いてくれているらしいが、それでも痛い。ザンは打たれる度にうめいた。

「うっ、いたっ、いたっ。痛いっ。」

 ぱん、ぱん。ザンが足をばたばたさせた。アトルは叩き辛くなって、叩くのを一旦止めた。

「後たった9回ですから、我慢なさい。」

「だって痛いんだもん。」

「痛いように叩いているのですから、仕方ないですわ。」

「そりゃそうなんだけど…。あー、痛いっ痛いっ。」

「13、14、15……18、19、これで最後ですわ。」

 ぱあんっ。最後は強く叩かれた。「さ、起きて下さいな。」

「うー、痛いよお…。」

 アトルはお尻をさすっているザンを抱き寄せると、背中を撫でながら言った。

「もう、喧嘩なんて恐ろしいことは、止めて下さいね。」

「はあ〜…い。」

「ちゃんと返事をなさい。」

「はい。もうしませんです。」

「もう、すぐふざけるんですから。」

 アトルは苦笑する。ザンがへへっと笑う。アトルは微笑んでその様子を見ていたが、不意に厳しい表情を作ると、ザンに言った。「ザン、わたしがいいと言うまで、お尻を出したまま、あそこの壁を向いて立っていなさいな。」

「なんで?」

「それも罰の一つですのよ。」

「何の意味があるわけ?」

「反省するためですわ。」

「お尻は仕舞ってもいい気がするけど…。」

「恥ずかしいのも罰のうちですから。」

「ふーん…。」

 ザンは良く分からないという顔をしたが、大人しく壁に向かって歩いていき、スカートが落ちて来ないように腰に挟むと、気を付けの姿勢で立った。アトルは、ザンが立っているのを黙って見ていたが、ふと、ザンに傷の手当てをしてやらなければと思いつき、救急箱を取りに、部屋を出た。

「ザン、そのお仕置きがすんだら、あなたの傷の手当てをするのに、わたしは薬を取りに行きますけど、その姿勢から動いてはいけませんよ。」

「はい、お母様。」

「動いていたら、またお尻を叩きますからね。」

「もうぶたれるのは嫌だよ。動かないから、安心して。」

「分かりましたわ。」

 アトルはそう言うと、部屋を出て行った。

 

 救急箱を取ってきてから、10分程立たせた後、アトルはザンの傷に薬を塗り始めた。

「しみるよぉ…。う〜。」

「喧嘩をしている時は、殴られても痛くないのでしょう?それに比べればこんなの大した痛みではない筈ですわ。」

「そうだけどぉ…。喧嘩の時は違うんだよ。ほら、ご飯の後、お腹一杯っていいながら、甘いものは別腹ってあるでしょ。あんな風で…。」

「例えが奇抜ですけど、言いたいことはなんとなく伝わりましたわ。」

 アトルは言いながら、傷薬を擦り込む。「この若々しくて綺麗な体が自ら傷つくのを望むのですわね…。」

「気持ち悪いこと言わないでよ。自傷行為にのめり込んでいるわけじゃないんだから。」

「似たようなものですわ。」

「まるきり違うっ!俺は変態じゃねえし、心を病んでもいねえよっ!!」

「何もそんなに怒らなくてもいいではありませんの。」

 ザンは怒りの四つ角を額にいくつも浮かべながら、ふんっと顔を背けた。

 

 次の日の朝。ザンが外へ出ると、明美が自転車にまたがっている所だった。武志がしゃがみこんで明美の膝に、怪我防止のプロテクターを付けている。明美が自分で付けると言うと、お尻を叩くらしい。ザンはつくづく武志は我が侭な親だと思う。『ほんとは、スカートの中でもこっそり覗く気なんじゃあ…?…やだやだ。』

「おはよ。」

 ザンは明美に言った。その声に明美は振り返り、吃驚した表情を浮かべた。

「どうしたの…、ザンちゃん?一杯怪我しちゃって…。うんと鞭でお仕置きされたの?」

「こんなになるまで鞭で殴るような親だったら、水島先生なんて目じゃないくらい酷い仕返ししてるよ。…そうじゃなくて、昨日前の学校の奴らと喧嘩したの。そいつら結構強くてね。ま、相手の方がもっと酷く怪我してると思うけどさ。」

「そんなおっかない女の子がいるの…?」

「相手は男の子3人だよ。あたしは、同性に手を上げるのは好きじゃないんでね。」

「下らない嘘を吐く。」

 武志が口を挟む。

「なんだと、てめえの体で嘘かどうか実験してみるか、ええ?」

 ザンが武志の傍まで行き、彼の襟をつかんで引き寄せ、睨みあげた。

「ざ・ザンちゃん!」

 明美は慌てて止めた。「お父様と喧嘩しなくてもいいでしょ?」

「本来なら尻を手酷く引っぱたいてやるんだが、お前みたいな小娘に触れると手が穢れる。許してやるから、有難く思え。」

「ふざけるなっ!!」

 怒鳴るザンの手にはすでに時計が巻かれている。「こっちはてめえを殴った位で穢れるようなお上品な手をしちゃいねえから、思う存分殴ってやるよ。」

「ザンちゃんったら、冗談でしょう?お父様、何でザンちゃんをあおるんですか?」

 明美は先日、目前で繰り広げられた、ザンVSタルートリー戦を思い出して青くなった。あの時、怖くなってすぐに逃げ出したけれど、ザンが何の躊躇いもなく叔父を殴ったのは、はっきり覚えていた。

「明美、学校に遅刻するぞ。」

「そうですけど…。わたし嫌ですから。学校から帰ってきたら、お父様が入院してたなんて。」

「わたしがこんな小娘に負けると思っているのか、お前は。」

「じゃあお父様は、自分より弱い女の子を平気で殴るって言うんですか?お父様はそんなに酷い人だったんですか?」

「大丈夫だよ。今のわたしは最高に怒っているからね。この状態のわたしに勝てる奴なんて、そういないよ。喧嘩慣れしてる奴なら別だけどね?元おぼっちゃま。お上品なあんたには、そんな経験はないだろ?」

「弱い犬は良く吼えるんだ。」

「挑発してる場合かよ?娘の尊敬か信頼を失いたくなかったら、さっさと自分の非を認めるべきじゃないの?わたしが勝っても、あんたが勝っても、明美ちゃんのあんたに対する気持ちは、今日で変わるよ。」

「それはそうだが…。思い上がってる馬鹿な子供の鼻をへし折ってやるのも躾だ。考えが変わったから、お前がまっすぐに育つように、手を貸してやる。」

「お父様あっ。」

「いいか、明美。尻を叩くだけが躾じゃない。お前の友達には、もっときついやり方が似合うようだ。」

「そういう言葉は勝ってから、吐くんだよっ。」

 ザンが仕掛けた。明美は顔を覆う。あの日、謝りに来ていたザンと連れて来たタルートリーは、沢山の怪我をしていたが、明らかにザンの方の怪我が少なかった。明美の脳裏に、酷く殴られた父の姿が浮かんだ。

 嫌な音が聞こえ始める。高級住宅街の朝に似合わない光景が繰り広げられていた。

「嫌…。止めて、お父様…、ザンちゃん。」

「まあ、なにしてるの?」

 泣きながらしゃがみ込んだ明美の耳に、母の声が聞こえた。

「お母様っ、助けてっ。止めて、二人。」

 物事を普通の人とは違う受け止め方をする千里も、さすがにこれは異常事態だと思ったらしい。彼女は、叫びながら、ザンの住む方の遅坂家へと駆け出していく。

「アトルちゃーんっ、アトルちゃんっ。大変よっ。」

 武志はその声で正気に返ったらしく、攻撃の手を止めた。しかし、ザンは隙ありっと武志にアッパーカットを食らわせようとしたが、武志に逃げられた。すかさず次の攻撃をしようとした途端、武志に、

「アトルが来るぞ。」

 と言われ、慌てて手を止めた。

「えっ?!やばいよっ。お母様が来たら、また叩かれちゃうじゃんっ。」

 ザンは言うなり凄い勢いで走り出した。学校までの2.6キロの道のりを明美は自転車で通っているが、ザンは体が鈍ると言って歩いていた。それで捕まる前に逃げ出してしまった。

「ザンちゃんったら、怪我の手当てもしないでっ。」

 明美が言ったが、ザンの姿はすでに小さくなっていた。

「つい大人気ないことを…。…明美、今から自転車で行っても間に合わない。わたしの車にファーストエイドセットがあるから、車でザンに追いつこう。」

「分かりました、お父様。」

「行くぞ。」

「でも、お母様に状況を…。」

「帰ってきてからわたしがする。遅刻は許さないぞ。」

「わ・分かりました…。」

 父の厳しい言い方に、明美はごくっと唾を飲み込み、返事をした。なんたってとても怖い父なのだ。つい口答えをしてしまったのを悔やむ。しかし、武志は、ザンと本気で殴り合ってしまった自分の幼さに腹を立てていて、娘の口答えには気づいていなかった。明美を遅刻させてはいけないという思いしかない。

 武志は家に行き、車の鍵を持って来ると、車庫の前で待っていた明美と一緒に車へ乗り込んだ。

 

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