妖魔界

24 トゥーリナがリトゥナをお仕置き2

 マントも飾りも無しで、平民の服に身を包んだトゥーリナは、ぼんやりとお城から少し遠い町の中を歩いていた。仕事の終わったお父さんと子供達の姿が見えた。思ったよりも変装に時間がかかって、こんな時間になった。でも、早い時間だと、村に行かない限りお父さん達は仕事をしているので、かえって良い結果だった。

 お父さんと走り回る男の子。お父さんの肩に乗せられて微笑む女の子。優しく微笑むお母さんもいる。ここまでは日本でも見られるが、妖魔界らしい所もあった。

 ぴしゃっ、ぱしんっと可愛らしい裸のお尻をぶたれる子…。肝心の一場面に、トゥーリナの瞳は釘付けになる。お尻を叩いているお父さんの顔は、怒りだけでなく、愛情が浮かんでいるように見えた。妖魔界の人達にとって子は宝。他人の子でも本気で叱るし、親もそれを喜んで受け入れる。トゥーリナにはなかった経験だが、奴隷は別扱いを受けるので、それは仕方ない。

 トゥーリナにはリトゥナに対する愛情はある。なければ変わろうと考えもしない。愛しているからリトゥナを守りたい。それはどうすればいいのか。トゥーリナにはまだ分からなかった。

 お父さんは叩き終わった子供を優しく抱いた。声を張り上げて泣いている子供の背中を優しく撫でている。それを見たトゥーリナは、初めて父にお仕置きされた日を思い出した。

 

「死んじまった奴なんかどうでもいいだろ。」

 トゥーリナがそう言った瞬間、うつろな瞳でキシーユを呼んでいたギンライが正気に戻った。トゥーリナは全く気づかずに続けた。「それよりも俺や生きてる奴の…うわっ!?」

 腕をぐいっと引っ張られて、トゥーリナは声を上げた。バランスを崩して、ベッドに座っていた父の膝に横たわった。

「何だ、帰ってきたのか?…何すんだよ?」

 体を起こそうとすると、背中を押さえつけられた。「何すんだって言ってるだろ!」

 しかし、父は何も言わない。腰を抱え込まれて、トゥーリナは心臓がどくんと鳴るのを感じた。『え、これってまさか…?』そのまさか。いつの間にやらズボンも下着も下ろされてしまっていた。さすがは元第一者、吃驚している間にこれだけの作業を終えていた。

 感心している間に、お仕置きが始まってしまった。ばしいっ、びしいっ。かつてターランにぶたれた時と違って、今の自分は遥かに父より強い。それなのに、何て痛いんだろう。幼い頃、散々鞭でぶたれて鍛えられた筈のお尻は、悲鳴を上げていた。

「お前にとっちゃただの過去の妖怪でも、俺にとっては誰よりも大事な女なんだ!」

「そ・そりゃ考え無しな言葉だったけどよ、何もケツ叩かなくてもいいだろ?いてっ。いてっ。」

 ばしんっ、ばしんっ。3ケタとはいえ、もう大人なのにお尻をぶたれている事実に耐えられなくて、トゥーリナは叫んだ。

 女性と違って男性は大人になれば、お仕置きされる回数は激減する。しかし、仕事を覚えるまでは、上司にぶたれるし、大人になってもお父さんはお仕置きをするので、全くされなくなるなんてことはないが…。但し、フェルみたいにしょっちゅうぶたれるのは、流石に子供っぽいので呆れられる。

「俺は親父でお前は息子だろ?」

「いっ、いてっ。そうだけどっ。俺は、もう大人…。ひっ。」

「立派な大人はあんな発言しない。」

 ばちんっ、ばちんっ。息子のお尻に平手を叩きつけながら、ギンライは言った。「心配すんな。コーナーは、皆に見えない所でさせるから。第一者様が人前で赤い尻晒したくないだろ?」

「コーナータイムまでっ!?」

 仰天したトゥーリナはお尻の痛みが吹っ飛んでしまう。「冗談じゃねえよっ。」

「俺はお前の親父であるのを一度は放棄した。でも、今は違う。俺にはお前を躾る義務がある。」

「そんなのなくていいっ。…いてえっ。今の思いっ切りだろ。」

「俺はお前が可愛いんだ。子供達の中でお前だけが俺を慕ってくれるからな…。」

「他の奴は死んだんだろ。」

「奴隷となってるのもいるし、何十人かは復讐に来た。」

「!」

「お前だけなんだ…。」

 言葉は優しいのに、お仕置きはちっとも優しくない。いくつ叩かれたか分からないが、お尻は酷く痛む。しかもまだ続くようだ。

「その愛しい息子をいつまで叩く気だよ。」

「お前、仕置きされた経験がないのか?反省するまでに決まってるだろ?ご都合主義的に、発作は起きないみたいだしな。」

 『そういや、とっくに発作の時間…。起きなくてもいいけどよ…。』発作の間ギンライは酷く苦しむ。数時間の発作の後に10分程の安静の時間が来るが、それが過ぎればまた数時間の発作。毎日それの繰り返し。そう、拷問のような病気…。だから、発作がなければ無い方が嬉しいのだが、よりによってお仕置きされている時に…。

 そうやって多分非常識な数になるくらい叩かれた後、トゥーリナはやっと許してもらえた。お尻の色が青紫に変わっていた。本当に悪かったと思い謝ったのに、泣きながら言わなきゃ駄目だなんて言われたのだ。それはプライドが許さず、結局こっぴどく叩かれてしまったのだった。

「悪い子だな…。ちっとも反省しなかった。」

「子じゃねえよ。それに反省した。あんたが許してくれなかったんじゃないか。大人が泣くかよ。」

「親にとってはいつまでも子供は子供さ。それに、泣きながら謝るのが普通だ。」

「ガキは、だろ。」

「3ケタはガキだ。」

「っ。」

 トゥーリナは何も言えなくなった。そんな彼にギンライは厳しく言う。

「ちゃんと、前を向いて立ってろ。じゃないとターランが迎えに来るまで立たせるぞ。」

「!」

 親父には敵わない。トゥーリナは強く思った。そして、そう思っている自分が嬉しかった。親子であると思えて…。

 その初めてのお仕置きの後から、お仕置きされるのが当たり前になってしまい、今でも時々お尻を叩かれる。だからこそ、逃げるのを止めて、リトゥナをちゃんと叱りたいと思えるようになったのかもしれない。

 

 許してもらえた子供は、父に頬を押しつけて甘えていた。しっかり愛されている子が恐れるのは、お尻叩きの痛みよりも、親の愛を失うこと。嫌われちゃったらどうしよう…。その気持ちがトゥーリナには良く分かる。まだ愛されていると信じていた頃、鞭が飛んでくるとそう思っていたから。

 『俺がリトゥナを愛していると怒っている時もちゃんと心の何処かで忘れなければ、傷つけずに叱れるかもしれない。』トゥーリナはそう思った。そして少しだけ自信がついた。

 

 お城へ戻ると、百合恵が迎えてくれた。

「晴れ晴れした顔をしているわ。」

「大丈夫かなと思えてくるようになったから…。」

「頼りないわねえ…。」

 百合恵が苦笑する。

「まだ怒ってみたわけじゃないからな。」

「まだ不安?」

「実際の悪さを見つけて尻をぴっぱたくまでは、なんとも言えんな。」

「そうねえ…。」

 百合恵は夫を見ながら、自分はリトゥナをちゃんと叱っているのかしらと思い始めた。気分で怒ったり、八つ当たりみたいになっていないか、急に不安になってきた。夫がこれだけリトゥナを愛しているのに、自分はどうなのだろうか。

「お父さん、お帰りなさい!」

 いつものへそだしルックのリトゥナが駆けて来た。リトゥナはトゥーリナに憧れていて、リトゥナらしいアレンジはいれつつも、父と似た服を着ている。へそだしはアレンジの一つだ。

「ただいま、リトゥナ。」

 トゥーリナは息子を抱きしめた後、疑問に思っていたことを訊いてみた。「お前が腹出しているのを見ていつも思うんだが、腹は痛くならないか?」

「なんともないよ。」

「そうか。」

 お父さんが納得したので、今度はリトゥナが質問する。

「ねえ、お父さん。」

「ん?」

「どうして変な髪にしてるの?僕は、いつもの方がいいと思うんだけど。」

「ああ、これはただ、俺と気づかれないで、外に行きたかったからしてるだけだ。」

 くしゃくしゃと掻き回した後、手櫛で元に戻しました。

「服もいつものと違うんだね。」

「髪形変えたって、マントやら何やらつけてたらばれるだろ。」

「そうだね。」

 トゥーリナはリトゥナを抱き上げました。

「他に何か質問は?」

「なんにもない。」

「そうか。」

 ぎゅっと抱くとリトゥナは嬉しそうな表情を浮かべた。顔も性格も女の子みたいだけど、トゥーリナは息子を愛していた。第一者になった頃はまだ怯えていたけれど、今ではすっかり懐いているので、より愛情が沸く。トゥーリナは、ちゃんとした父になりたいと改めて強く思った。

 リトゥナを片手で抱きながら、トゥーリナは腰の鞭に触れた。父親が身に付ける物だからとターランに教えられ、ろくに選びもせずに買った物だった。しかし、今のところこの鞭はトゥーリナのお尻にしか使われていない。子供用の鞭なので、手で叩かれる方が痛かったが、ギンライは鞭を使うのに意義があると考えているようだった。その感覚もトゥーリナには分からない。妖魔界のお尻を叩くお仕置きについての知識は百合恵と殆ど変わらないのだ。周りがそうしているからそうしたではいけない。ちゃんと理解できなければ、リトゥナを正しく叱ってやれないと思った。

「どうして鞭を触ってるの?僕、何かぶたれることしちゃった?」

 不安そうな息子の声に、トゥーリナは我に返った。

「いや、ターランに言われたからこれを買ってきたけど、何でこんな物いるのかなと思って。」

「フェルさんが言ってたけど…。」

「それ前に聞いたし、本で読んだけど…。お前は納得してるか?」

「いいえ、ちっとも。わたし、フェルさんがリトゥナのお尻を鞭で打った時に怖かったから、実験したの。フェルさんにぶってもらったの。」

「それで。」

 俺の女のケツを見たのかと、フェルに対する怒りが沸いた。しかし、百合恵が頼んだのに、彼を怒るのは筋違いなので、それを押さえ込みながら、トゥーリナは訊いた。

「その頃は、まだ痛みよりも鞭でぶたれる恐怖を…って年だから、痛みは酷くないって言われたの。その通りだったわ。」

「そうか。」

「それでね、それならいらないと思ったの。お尻を叩かれる痛みと恐怖だけで十分だと思ったわ。大きくなって痛みが必要になってからで十分だわ。」

「…そうだよな。俺達は鞭を使わなくてもいいよな。」

「リトゥナがあなたを愛していられるお仕置きなら、あなたが思う通りでいいと思うわ。」

「分かってる。」

 二人の会話を黙って聞いていられなくなったリトゥナは、恐る恐る口を挟む。

「…やっぱりお父さんも、僕をお仕置きするようになるの?」

「お前を叱ったり、ケツ叩いたり、普通の親父が当たり前にしていることをお前にしたいと思ってる。ただ撫でるだけなら、赤の他人でも出来る。父親としてお前に接したい。今までのように逃げたくはないんだ。」

「…僕、今のお父さんでも好きだよ。」

「俺が怒ったり、叩いたりするようになったら、嫌いになるのか?」

「だって、皆怒る人になったら嫌なんだもん。」

「ターランには止めさせる。俺はあいつにお前を任せていたけど、あいつは親父じゃないし、お前は俺の物だからな。」

「物?」

「ああ。大切な息子だ。」

「本当?すっごく嬉しい。それならお父さんが怒るようになってもいいな。今よりもっと好きになってもらえるんでしょ?」

「たぶんな。父親としての責任が重くなる分、もっと良くなるさ。」

 それでも、それでも、まだ怖いトゥーリナでした。でも、やらなければ始まりもないのだと思い直した。

 何もしなければ当然叱る必要もないので、それから数日は何事もなく過ぎた。トゥーリナは忙しさに、リトゥナへのお仕置きについて考えなくなっていた。

 ある日、リトゥナは悪さをしてしまった。お父さんはどんな風にするのかなと怖がっていると、お母さんがやってきた。

「リトゥナったら…。皆で沢山悪戯したって聞いたわよ。」

「だって、面白かったんだもん。」

 悪いなとは思っているのだけど、余り反省していないような言葉が出た。お母さんが怖い顔で言う。

「他の子達は、お父さんから鞭でぶたれるのよ。」

「…僕も?」

 リトゥナが不安そうな顔したので、百合恵はいつもの顔に戻った。

「お父さんは、鞭は使いたくないって言ってたわ。覚えてるでしょ?」

「うん…。ねえ、お母さんはぶたないの?」

「前にお父さんは、あなたを叱りたいって言ってたわ。お父さんらしくなりたいって。」

 百合恵は優しく言った。「リトゥナはどう思う?」

「そうだったね。お父さんはいいお父さんになりたいって言ってた。」

 うつむいていたリトゥナは顔を上げた。「僕、怖いけど、お父さんの所に行って来る。」

「そう。一人で行ける?」

「うん、大丈夫。」

 リトゥナはお父さんの仕事部屋へ向かうのに、部屋を出た。

 

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