妖魔界

23 トゥーリナがリトゥナをお仕置き1

 忙しい仕事の合間の休息。トゥーリナは、忙しくてあんまり構ってやれない百合恵を軽く抱いていた。リトゥナは彼の膝に乗っている。

「ねーねー。」

「んー?」

「あなたって、わたししかぶたないけど、リトゥナはどうして叱らないの?」

「んー…。」

 トゥーリナは唸った。「俺の前で何もしないから。」

「わたしが言っても何だかんだ言って、ぶたないじゃない。」

「いや…。あ、そろそろ仕事に戻らねえと。」

 トゥーリナはそう言うと、そそくさと行ってしまった。

「もう!逃げるなんてずるいわよ!」

 百合恵は叫んだが、もうトゥーリナの姿はない。

「ターランさんは苛めだから嫌なのよね。リトゥナだって、お父さんに叱られる方がいいでしょ。」

「…うん。」

 お父さんも怒るようになったら、怒る人が3人に増えてしまう。普通の子ならお父さんだけなのに。でも、そう言ったらお母さんが怒る気がして、リトゥナは叱られない方がいいんだけど…とは言えなかった。

 

 トゥーリナの仕事部屋。仕事が一段落して、一休みしているトゥーリナへターランが声をかけた。

「僕も疑問に思ってたけど。」

「うーん?」

「百合恵が言ったこと。」

「あー…。…いや、俺さ、仕置きなんて受けてなかったから、怖いんだよなー…。」

「虐待しそうなのかい?でも、百合恵には普通にしてたよ。」

「百合恵は女だし…。」

「うーん…。」

 ターランも唸った。「百合恵みたいにすればいいんだよ。」

「でも、怖いんだ。」

「じゃ、かるーく怒る所からはじめてみたら?」

「成る程。」

「大丈夫だよ。ね。愛してるんならさ。」

 ターランが微笑んだ。トゥーリナは少し胸が痛くなった。ターランの心を思うと…。

「わりぃな。」

 感謝しているトゥーリナへ、ターランがさらりと言う。

「ギンライさんに怒られるのもいいかもね。」

「人が素直に感謝してるのに…。」

 トゥーリナはムカッと来て、ターランの頬の突起物を引っ張った。

「いたたたた…。何故怒るのさ。ギンライさんなら、普通に怒ってくれると思ったから言ったのに…。」

「あ。」

「ま、嫌味っぽかったかもしれないけどね。」

 ターランは素っ気無く言った。

 

 ギンライと一緒に暮らすようになってから、トゥーリナは何回か叱られていた。だから、父に叱り方を伝授してもらおうと思った。しかし、それを何と伝えればいいか分からず、30分も父の部屋の前をうろうろしていた。

「うるせえな…。」

 扉が開き、車椅子に乗ったギンライが出てきた。

「親父!」

「さっきから何なんだ?」

「いや…。別に大した用はねえんだけどよ、ただ。」

 トゥーリナは父の顔を見た。…その瞳が正気を保っているうちに…。「ただ、あんたと話をしようかな…と思ってな。」

「ならすぐに入ればいいだろう?」

「あんたが苦しんでいたり、俺が誰だか分からなかったら…。」

「第二者の癖に肝っ玉が小さいな。」

 父の言葉にトゥーリナはかっとなります。

「…あんたには分からねえよ!普通に愛されて育ったあんたには。」

 トゥーリナの言葉にギンライの表情がとても暗くなった。その変化にトゥーリナは、言い過ぎたと思った。

「…そうか。…俺はお前を受け入れるから。俺が無事な時は…。だから恐れるな。」

 トゥーリナの頬がかっと赤くなる。なんて恥ずかしい言葉だろう。でも、とても嬉しかったのだった…。

父の座っている車椅子を押しながら、彼の部屋へ入った。

「悩みがあるんだ。」

「おう、何でも言え。俺に答えられるものなら、何でも教えてやる。」

 その言葉に嬉しくなりながら、トゥーリナは続けた。

「俺、リトゥナを叱れないんだ。」

「どうしてだ?腹立ったりするだろ。」

「そりゃするさ。めすみたいな性格だしな。情けなくって。」

「怒るのと叱るは違うって奴か?」

「いーや、違う。怒ってると酷い言葉を投げつけちまうんじゃないか、叩いたらやりすぎちまうんじゃないかって怖くなる。」

 トゥーリナは父を寂しげに見た。「俺は虐待されてたから、そのやり方しか知らねぇ。」

「…。」

「俺、前に親父に凄く怒られたよな。なんて言っちまったか忘れたけど、そんな口のきき方してって。…ケツが痛かった。」

 ちょっと照れながら笑うと、トゥーリナは言いました。「あんな風に出来たらいいのにって思う。最近、誉めるのは出来るんだ。ずっとして欲しかったから。その気持ちを思い出してきて。百合恵に甘いんじゃないかって言われるけど。」

「息子の前に、お前は正常な親子関係を知るべきなのかもな。」

「本は読むんだ。色々。」

「本の虫って悪いこともあるから、止めろ。」

「じゃあ、どうすんだよ。忙しいのに。」

「本読むのだって、一緒じゃないか。…仕事はターランに任せて、外をぶらぶら歩けばいい。ただし、名もない男としてだ。」

「ザハランに?」

「第二者トゥーリナ様じゃあ、皆が気を使ってしまって、普段の生活を見られないからな。」

「うーん。」

「それと、俺の所にもっと来い。俺がまともじゃない時と発作の最中はいなくていいから。俺は最低だが、それでもお前の親父だからな。」

 ギンライは自嘲気味に笑った。「お前の言う通り、普通に育ってるから、親父が息子にどう振舞うか知ってる。」

「そうしてみる。」

「妻に何と言われてもいいから、息子とは会話しておけ。お前が親父らしくなれても、嫌われていたら話にならないだろ?」

「ああ、そうだな。」

 トゥーリナは父に微笑んだ。

 同じ助言なのに、どうしてターランとは違う気がするのだろう。トゥーリナには不思議だっ。父親になりたい自分、父親を求める自分。トゥーリナはどちらも得られる気がしてきた。権力が甘い汁でなくなった今、彼の欲しい物は暖かい場所だったから。

 

 次の日の朝。目が覚めると隣にターランがいた。

「何してんだよ。」

「お早うって言いたかっただけ。」

「聞いたからもう行け。」

「うん。」

 ターランは、冷たいトゥーリナに微笑みかけると、部屋を出ようと歩いて行く。

「あ、ターラン。」

「なあに、トゥー。」

 戸に手をかけたところで呼びかけられ、ターランは振り返った。

「今日、俺さ、仕事はしねえって言ったよな?」

「だから挨拶に来たんだよ。僕、暫く君に会えなくなるからさ。」

「そうか。」

 ターランは片手をあげると、今度こそ出て行った。『今日はやけに素直だな。』トゥーリナは不思議だった。

 

 『まずこの特徴的な前髪を…。うーんと。』鏡台の前で髪を梳かしている夫に、百合恵が声をかけた。

「何やってるの?ターランさんにやってもらえばいいのに。」

「いいじゃないか、別に。」

 百合恵は側にやって来た。

「あら、前髪を下ろすと別人みたいね。若くなっちゃった。」

「今も若い。」

「そうだけど…。わたし、あなたが髪形を変えたのを初めて見たけど、どういう心境の変化なの?」

「ちょっとな。」

「夫婦に隠し事なんて、必要ないわ。」

「お忍びで町に行くんだ。親父に言われた。」

 百合恵がしつこいので、諦めたトゥーリナは、父に言われたことを実行しようとしていると説明した。

「リトゥナを虐待しそうって話と関係あるのね?」

「ターランの奴…。」

「隠す必要ないじゃないの。あなたの心は素晴らしいわ。」

「?」

「自分がされて辛かったと語りながら、全く同じ虐待を子供に繰り返す人もいるのよ。あなたは多分癒されてきているのね。治ろうと足掻くから、リトゥナを思いやれるのよ。」

「…。」

「頑張ってね、トゥーリナ。暖かい場所はきっとすぐそこよ。」

 百合恵は優しく微笑んだ。

 

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