妖魔界

20 フェルとカタエルと学校

 エッセルの家。畑仕事が済んで、子供達は外へ遊びに行き、大人達は家にいて、思い思いに過ごしていた。エッセルは仕事道具を磨き、ルティーは洗濯物をたたみ、フェルとカタエルは話しをする。その時。

 ぴろぴろぴろ…。突然、機械音が響いた。エッセルとルティーが耳を塞いでうめいた。

「何なんだ、この音はー!?うるせー、耳がおかしくなるっ。」

「何これ…。」

「うわあ、電話だあ。何百年ぶりだろ?」

 フェルは立ちあがると自分達の寝室へ向かった。

「電話ってなんだ?」

「さあ…。」

 エッセルとルティーが顔を見合わせる。不思議そうな二人を見て、カタエルは可笑しくなった。

「くすくす…。あのー、電話っていうのは、遠く離れた人とお話が出来る道具なんです。」

「何で、あんなうるせー音がすんだ?もう止まったがよ。」

「電話がかかってきたと知らせるためです。」

 説明不足なのか、二人とも霧がかかったような顔をしている。『どうやって説明しようかしら?』カタエルは思った。

 

 フェルは、寝室に置いてある、お城から持ってきた袋の底から電話を取り出し、ボタンを押した。ぶうん。小さな音がして、ザンの立体映像が出た。映像は半透明で、大きさは30センチくらいだ。

「ザン様、やっと学校が出来たんですかあ?学校を作るって言ってから、千年くらい経ってますよー。」

 フェルの言葉にザンは顔をしかめた。

「おめえ、いつからそんな皮肉屋になったんだ?正確には、791年だ。しょうがねえだろ?妖魔界中に建物を建てるのに、200年近くかかってんだぞ。教師の育成だって、思ったより時間がかかったしよ。」

「先生を育てるのに、600年かかったんですね。」

「おめえなあ…。なあ、村でなんか嫌な事でもあったのか?いつでも戻ってきていいんだぞ。退職金とかいうやつだって返さなくていいし。正直言ってよ、お前がいなくなって、戦力ががた落ちなんだ。帰ってきたら優遇するぞ。なあ?」

「戻りたくないです。こっちの方が面白いから。ザン様はえり好みし過ぎなんですよ。ちょっと位顔が悪くても強い人がいるでしょう?」

「見られねえ顔ばっかりだからなあ。…おっと、関係ねえ話で、本題を忘れる所だったぜ。お前の言う通り、学校が出来たんだ。で、頼みがあんだよ。」

「僕が、近辺の町や村なんかに学校の事を“確実に”知らせてきますけど、他になにか?」

「察しがいいな。頼むぞ。なんせ小さな村なんかいくつあるかわかんねえからな。少しでも、手間を減らしたいんだ。あ、そうだ。あんまりカタエルを泣かせるなよ。」

「はい、ザン様。ディザナちゃんとジャディナーさんによろしく。」

 

 寝室から戻ってきたフェルは、カタエルの方に歩いていく。

「フェル、電話、何だったの?」

「学校が出来たって。後、近辺の村なんかに知らせてきてくれって頼まれたから、2・3日留守にするよ。それとねぇ…。ふふっ。」

 フェルの変な笑い方に、カタエルは思わず身構えた。

「ザン様が、カタエルを泣かせるなだってー。誰も分かってくれないな。僕がカタエルに意地悪するのは愛情の裏返しなんだってこと。ねえ、後でまた苛めてあげるから、心配しないでね。」

「…ええ…。…もう行っちゃうの?お弁当作るから、待ってて。」

「いらなーい。そこら辺の木の実でも食べるよ。」

 フェルは、両親へも声をかけてから、外へ出ていく。カタエルは、安堵の息を吐き出した。フェルは楽しそうだが、自分はちっとも楽しくない。ケルフィーが怒っていたのも正当な理由だ。ただ、彼女は逃げ出したくなるような意地悪をされても、フェルを嫌いにはならなかった。

 

 一週間後。

「なあ、ルティー、カタエル、フェルの奴は、確か2・3日で帰るとか言ってたよなあ?もう一週間も経つのに、何してやがんだ?」

 エッセルは、妻と嫁に問い掛けた。「盗賊にやられたなんて事はねえだろうし…。」

「そうよねえ…。」

「学校の説明に手間取っているんじゃないですか?うちの村の人達にだって女の子が学校へ行くのを納得させるまでにしばらくかかりましたもの。男の子だけが行くものと決め込んでいて…。」

 カタエルは言った。考えを言うというより、自分に言い聞かせているカタエルだった。夫が帰ってこないのは、不安であり寂しいのである。

「まー、確かになあ…。」

 エッセルはうなずく。彼自身、学校がどういう所なのか、はっきり分かっている訳ではないのだ。

「そうなんだよねー。女の子が勉強をして何か役に立つのかとかさあ、酷いこと言う人も一杯いて、ザン様の気持ちが凄く良く分かっちゃったよぉ。」

「「「フェル!!」」」

 いきなり後ろから聞こえてきた声に、三人は仰天した。

「ごめんねー、遅くなっちゃって。こんなにかかるなんて思わなかったぁ。ああ、カタエルちゃんのお尻を1週間も叩けなかったなんて、寂しいし、手がうずいて仕方なかったよ。」

 フェルは妻の体をぎゅうっと抱き締めた。「僕がいない間、お尻をぶってくれる人がいなくて、悪い子だったでしょ?一杯お仕置きしてあげるからね。」

「お父さんに1回ぶたれたわ。」

「どんな悪いことしたのかなあ?僕以外の人にお尻を見せるなんていけない子には、うんとお仕置きしないとね。ね、カタエル?」

「ごめんなさい、フェル。お願い、あまり酷くしないで。」

「鞭は使わないでおいてあげる。」

「あーん。」

 寂しかった気持ちはどこかへ吹き飛び、カタエルは泣きたくなった。

 

「お願い、許して。もう決して、あなた以外の人に叱られることなんてしない、と誓うわ。」

 フェルに寝室に連れて来られたカタエルは、夫の手で下着を下ろされながら言った。

「許すも何も、何をしてぶたれたか聞いてないんだよねえ。心配しなくても、君がして欲しいと思っている以上にたっぷりお尻をぶってあげるから。」

 半泣きになっている妻を膝に横たえながら、フェルは言う。

「お尻をぶたれたいなんて思っていないわ。あなたの帰るのが遅くて寂しいし、心配だったから、失敗しちゃっただけ。洗濯物を川に流しそうになったの。お父さんが来てくれなければ、あなたの服が1枚なくなるところだったわ。」

 スカートを捲くられながら、カタエルは必死になって言った。フェルの右手が丸出しのお尻に乗せられて、彼女は身を竦めた。どうしても許してもらえないのか。

「ふ〜ん。」

「お父さんが拾ってきてくれて、その後、裸のお尻を嫌って言うほどぶたれちゃった。決して、わざとではなかったわ。あなたの事を考えて泣きたくなっちゃって、手に持っている物にまで、気がまわらなかったの。」

「言い訳としては立派だよ、カタエル。じ〜んとしちゃった。詐欺師になれるね。」

「そんな酷い…。わたしは本当に…。」

「言い過ぎた、ごめんね。だって、悔しいんだよ。僕が一所懸命に村や町の人達に説明している間に、カタエルは浮気をしていたんだからね。しかも、僕のお父さんと。」

「お尻をぶたれるのが、浮気なの?わたしは、痛くて泣いていただけだわ。きゃっ、痛い!」

 ばちーんっ。フェルに力いっぱいお尻をぶたれ、カタエルは悲鳴を上げる。

「少なくても僕にとってはそうだよ。この可愛いお尻と泣き顔は僕だけのものだ。なんかだんだん腹が立ってきた。今日は、優しく出来ないよ。」

 ばちーんっばちーんっ。力をこめて、カタエルのお尻に手を振り下ろしながら、フェルは言う。ばちーんっ。

 夫の言葉にいつもみたいな気軽さがなくなり、カタエルは青ざめた。本気で怒っている。怖い。でも、何でこんなことで?その疑問も、激しいお尻の痛みの中に埋もれてしまう。痛い。力強い叩き方にカタエルの恐怖は倍増した。

 痛みと恐怖の涙でぐちゃぐちゃになっているカタエルの顔を見たフェルは、笑いを堪えるのに必死だった。最初の数発を強く叩き、ほんのちょっと冷たい言葉を言っただけで、こんなになってしまうカタエル。何て可愛いのだろう。これだから、苛めるのを止められないんだよねとフェルは思った。しかし…、ちょっと可哀相になってきた。

「カタエルったら。それくらいの事で、本気になって怒るわけないでしょ、この僕が。面白くないのは事実だから、これ以上赤くならなくなるまで、お尻をぶつけどね。それだけだよ。」

 ぱしんぱしん。叩き方を緩めながら、フェルは言った。「可愛いカタエル。冷静になってよ。」

 本気の言葉じゃないと分かって、彼女は安心した。フェルの意地悪は、いつまで経っても慣れない。

 

「うーん。いい色だね。1週間も我慢した甲斐があるよ。」

 カタエルの真っ赤になったお尻を見ながらフェルは言った。今度は痛みだけで泣いているカタエルの苦痛を堪える表情を見る。

「いい顔だよ。君の笑顔の次に好きなのがこの顔なんだ。お尻が痛い?」

「ええ、痛いわ…。ごめんなさい、フェル。」

 フェルはカタエルの頭を撫でた。愛しい。彼は、ハンカチで妻の額と顔を拭う。「抱いて、フェル。」

「次は、男の子がいいな。」

「違うわ、ただ抱っこして欲しいだけよ。まだ赤ちゃんが2人もいるのに。」

 フェルは妻の細い体を抱く。ぺろぺろ。フェルはカタエルの顔を舐めた。こういう所に動物である部分が出る。

「16人目の子供も娘だもんねー。ケルフィーちゃんなんか、2人目の子供も男の子なのに。お尻を叩きたくなっちゃった。」

「ケルフィーのせいじゃないでしょ。」

「そうだけどさあ…。うちの子が女の子ばかりだったら、村中が僕の血を引いた子って事になっちゃわないかなあ?」

「ありえそうで怖いわね…。」

 

 夕食後。フェルは、エッセルの子供達も含めて、子供達へ学校について説明していた。村の人達には、カタエル達が説明をしてくれていたと聞いていた。

「あのねー、学校は、女の子も行くんだよ。男の子は、女の子を守ってあげないといけないよ。学校は、隣町にあるからね。ちょっと遠いけど、僕がついていくし、先生達も迎えに来てくれる事になっている筈だから、心配する必要はないけれど、念の為にね。ザン様が忘れていなかったらだけど。その話をしたのって、お城を辞めるずっと前だから、変わっているかも知れないんだ。」

 フェルは微笑む。ザンに戻ってこいと誘われた事。フェルは惜しまれながら、城を辞めた。戻る気はまるでないけれど、必要とされている事は嬉しかった。あの頃も今も楽しい。どちらがいいとは言えない。

「学校は勉強だけじゃなくて、沢山の人と仲良く過ごせるようになる為に行くんだよ。色んな子がいるけど、僕みたいに苛めちゃ駄目だよ。カタエルと僕は分かっててやっているんだからね。普通は苛められたりすると悲しくなるよ。それと、もしかしたらお金持ちの子が馬鹿にしたりするかもしれないけど、気にしちゃ駄目だし、駄目だって言うんだよ。意地悪されたら、黙って我慢しない事。」

 今までの私立学校を廃止して、全て公立になるので、お金持ちの子がいる事も考えられた。特権意識を持ってしまった悲しい子もいるだろう。

「先生の言う事を良く聞いていい子にするんだよ。お金持ちの子ばかり可愛がる悪い先生がいたら、僕に教えて。多分大丈夫だと思うけどね。」

 教師はお金持ちでないとなれなかった。神父もそうだ。身分による制限はなかったが、技能を身につけるための中学校も私立の為、大変なお金が必要で、結局はお金がある人でないと通えなかった。だから、差別をする教師がいる可能性もあった。

「先生もお父さん達のようにお尻を叩くと思うけれど、お父さん達が、君達の事を思ってお仕置きするのと同じだから、素直にお尻をぶってもらって、ごめんなさいを言うんだよ。怖がる事はないからね。先生も他の大人達と一緒なんだから。」

 フェルは息をつき、「皆、大人しく聞けたね。いい子だよ。僕の長いお話はこれでおしまい。」

 にっこり微笑んだフェルに、子供達は、これから始まる学校生活について、希望と不安に胸を膨らませた。

 

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