妖魔界

12 ネスクリ

 過去ザンのお城は、フェルとジオルクの二人が必死になって働いて何とかもっていた。しかし、ネスクリが来てからザンのお城は住みやすくなった。今回のお話の主役は、生意気で嫌われているけれど、ザンに第二者としての仕事をやらせていた優秀な部下ネスクリである。

「お父さん、いってきまーすっ。」

 ネスクリは父へ言った。

「ああ、行っておいで。先生の言うことを良く聞いて、ちゃんと勉強するんだぞ。」

「はーいっ。」

 ネスクリは良い子の返事をすると、学校へ向かって駆け出した。

 彼は普通の家の子供だった。母が死ぬまでは、町で店を出している父の手伝いをしていた。母や兄弟は盗賊に殺された。父を含む店をやっている男達が、店の品物の仕入れに出掛けている間に盗賊が町を襲い、何人も殺された。ネスクリは、父と二人きりになってしまった。それから、父は変わった。彼はネスクリに学校へ行けと言い出した。学校はお金持ちの子供が通う所で、とてもお金がかかるのに。彼は、良く分からないまま、言う通りにした。

 

「おはよう御座います。」

「ああ。」

 ネスクリの挨拶に教師が冷たく返事をする。普通の家の子供であるネスクリは、皆から嫌われていた。でも、彼は馬鹿にされないようにと必死に勉強していたので、成績はとても良かった。

 

「中学校へ進んだらどうだ?お前なら、一番難しい科学者か医者コースにだって進めるだろう。…ただし学費が払えればだが。」

 小学校卒業が間近になり、進路を決める時期が来た。ネスクリは、出来れば父の手伝いに戻りたいと思っていた。店は繁盛しているので、学費は払えるかもしれないけれど、もう父に負担をかけるのが嫌だった。

 

「お父さん、ただいま。」

「お帰り。これを棚に並べてくれ。足りなくなりそうなんだ。」

「はい。」

 ネスクリはしばし、父の手伝いに励む。普段は勉強ばかりであまり手伝えないので、こういう時間がとても好きだ。でも、滅多に出来ないので、失敗もある。

「ネスクリっ!それは違うだろうっ。」

 びしっ。お尻に手が飛んできて、ネスクリは飛び上がった。

「えっ?…あっ!ごめんなさいっ。」

 慌てて直す。それが良くなかった。手がぶつかり、棚の物を落としてしまった。彼は青ざめたが、急いで片付け始める。幸い壊れ物ではなかった。父が無言でやって来て手伝ってくれたが、ネスクリの頭の中は、これからされるであろうお仕置きで一杯になった。

 

 びしっ、びしっ。閉店した後、父の膝の上に横たえられた。ズボンの上から叩かれる。それは酷くされるのを意味していた為、ネスクリは必死で謝った。びしっ、びしっ。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。」

「いくら勉強漬けだからって、あれくらいの事も出来ないなんてっ。」

 びしっ、びしっ。ネスクリは手を握り締め、歯を食いしばって堪えた。何度も打たれた後、やっとズボンを下ろされる。びしっ、びしっ。また平手が振り下ろされ始める。びしっ、びしっ。

「お父さんっ、ごめんなさいっ。」

「しかも、父さんが手伝ってやったのに、礼の1つも言わないで。そんな悪い子に育てた覚えは無いぞ。」

 びしっ、びしっ。お父さんがとても怒っているのは、物を落とした事だけではないと今分かった。びしっ、びしっ、びしっ。いつもならもう許してもらえるくらい叩かれた後、やっとパンツを下ろされた。

「いたっ、お仕置きされるって事で頭が一杯になっちゃって…。うっ、痛いっ。ごめんなさいっ。」

 びしゃっ、びしゃっ。叩き方が強くなる。びしゃっ、びしゃっ。『なんて痛いんだろう…。普段はいい子で頑張ってあんまりお仕置きされないから、辛いんだろうか…。』びしゃっ、びしゃっ。

 

「ちゃんと手をついてろ。」

 血が滲んでいるじゃないかという位の平手によるお尻叩きを受けた後、父が鞭を構える。ネスクリは目をきつく閉じた。びゅんっ。空を切る音に身を竦めると、バチーンッと鞭がはじけた。あまりの痛みに声すら出ない。逃げ出したいのを堪えて、なんとかそこにいた。2打目が飛んで来る…。

 

 鞭でもだいぶ叩かれて酷く痛むお尻をそっと撫でながら、ネスクリは、中学校へ進学するのを勧められたと父に話した。

「そうか…。」

「僕はお父さんの仕事を手伝いたいと思ってるんだ。学校での勉強も楽しかったけど…。」

「それじゃあ、何の為に小学校へ通わせたか分からないじゃないか。…お前は、科学者になるんだ。そうして、警備の薄い町の人間が安心して暮らせるような発明をしろ。…そうすれば、母さん達のような悲しい人達を減らせるだろう?」

 父はネスクリを抱き寄せ、撫でながら言った。「それに、お前は店屋には向いていないさ。」

「今日は、慣れないから失敗しちゃったけれど、すぐ上手く出来るようになるよ。」

「お前は、父さんの命令に背くつもりか?」

 ネスクリはびくっとする。思わず痛いお尻に手をやる。

「わ・分かりました…。」

 

 数百年後。

「ザン様っ。部下になりたいって人が来ましたよっ。結構強そうです。」

 ザンのお城。フェルがザンに言う。

「おお、そうか。久しぶりだなあ。最近城も寂しいからな。…今度の奴は根性あるといいがな。」

 ザンはそう言いながら、応接室に向かうのに、部屋を出て行った。

「ザン様、何で部下が辞めていくか分かってないのかな…。」

 フェルは呟いた。

「分かってたら、ああいうことを言わないと思うよ。」

「ペテルさん。」

 フェルは振り向く。蝶々のペテルが部屋に入ってきた。10年くらい前に部下になり、あっという間に二者の地位まで上り詰めた男だ。可愛いものが好きというのが口癖の変人である。

「その子さ、可愛かった?僕好みかな?」

「…頭が良くて、高飛車なので嫌いだと思います。」

「そっか。残念だなあ…。やっぱり僕には君だけだね。」

 ペテルに頭を撫でられたフェルは、ため息をついた。この人は子供を可愛がるようにしか接しないので、危険ではないのだけど。

 

「初めまして、ザン様。俺は、ネスクリと言います。」

 ザンが部屋に入ってきたので、立ち上がって挨拶をした。TVで見るよりずっと美しい彼女に、ネスクリは心臓が高鳴った。

「おう。…力はいいな。将来性もある。いい所まで行けるだろう。…自己紹介しろ。」

「はい。俺は、商人の子として生まれましたが、ある事情で中学まで卒業しました。科学者・医者・軍事・経済コースを選択し、科学者を極めました。選択コースが多すぎてそれしかきちんと出来ませんでした。」

「…そ・それにしても、すげーエリートじゃねえか。何で俺の部下になりたいんだ?勿体ねえぞ。」

 ザンの驚いた顔をネスクリは楽しんだ。こう言って驚かない人はいないのだが、ザンのような凄い人に驚かれるのはなんと心地良い事か。

「父が仕入れに行っている最中に、俺の住む町が襲われ、俺以外の家族を含むかなりの人が殺されました。俺はその時悪さをして、地下室に放り込まれていたので、助かりました。…その後父は、自分のような家族を失う悲しみを減らす為に、俺に学校に行って科学者になれと言いました。俺は父の期待に答える為に頑張りました。…しかし、俺が中学を卒業して数年後に、仕入先から帰る最中に盗賊に襲われて死にました。」

 ネスクリは息をつく。「俺は、科学者なんかになるよりも、体を鍛える方がよっぽど役に立つと思い、力を上げる方の盗賊になりました。」

「…ふ〜ん。…しかし、お前みたいな優秀な奴はまずいないだろうーな。俺なんかは格闘に関してはスペシャリストと言っていいだろうが、頭の方はからきし駄目でな。いつも仕事を片付けるのに苦労する。お前が参謀として活躍してくれたら、俺の城は妖魔界一になれるだろう。」

 ザンは嬉しさがこみあげてきたようで、豪快に笑いながら言った。「よしっ、今日からお前は俺の部下だっ。…お前はまだ弱いが、頭の良さを買って、特別に二者付きにしてやる。二者ペテルにくっついて、仕事を手伝ってくれ。強くなったら、二者に昇格してやる。」

「あ・有難う御座いますっ。」

 ネスクリは叫んだ。

 

「な・なんですか、これ…?」

 足の踏み場も無い程の書類の山に埋もれたザンの仕事部屋を見たネスクリは、絶句してしまった。

「ザン様に片付けてもらわなきゃいけない書類だよ。僕達ではどうしようもない物なんだ。」

 ペテルが言う。フェルと喋り方が似ているけど、彼の場合は生来のものだ。

「…。」

 ネスクリは、ザンの仕事に関して言った言葉を過小評価していた。しかし、ザンは控えめに言ったのだと悟った。屈み込んで一枚拾ってみた。新しい書類と色が違ってしまっている。妖魔界は日の出ていない時に活動するので、日に焼けるのにはどれだけの時間がかかったことやら…。

「それ見たってザン様じゃないと分からないと思うけど。」

「俺は、中学校で軍事・経済コースを勉強しました。最後までは時間が足りなかったんですけど、ある程度は分かります。」

「…自慢する子は可愛くない。」

「…?」

 ネスクリは意味が分からずに顔をしかめたが、それよりもと、書類に目を落とす。勉強なんて教会でしかやった事のない男達が作った物だから、改良しなければとても使えない代物だった。しかも、もう既に役に立たない物もそのまま放置されているようだ。

「あのさ、君そういうことに詳しいって言ったね。本当は僕の仕事なんて手伝いはいらないもんなんだから、君、それを片付けてよ。」

「分かりました。」

 ネスクリは座り込んだ。ペテルはネスクリを一人そこに残して、去って行った。

 それから暫くは、そこにこもった。使えない物を片付け、書類を直す。ザンでなくても分かりそうな項目を探し、ペテルやジオルク、フェルに訊いた。全てを終わらせるのに莫大な時間を使った。しかし、それに見合うだけの物が出来上がった。

 

「久しぶりだな、お前。」

 ザンに声をかけられた。「暫く見ねえうちに、痩せちまったな。」

「体は殆ど動かさなかったので…。せっかく鍛えたのが無駄になりました。」

「大丈夫だ。また鍛えればいい。お前のお陰で城が住みやすくなって、部下が増えた。褒美として、俺が直々に鍛えてやる。」

「有難いです。ザン様。しかし、勿体無いお言葉ですよ。」

「俺としても嬉しいんだ。仕事がぐっと減った。」

「貴女様の為になればと思い、必死でした。…なんて、嘘です。飯がまともに食えるようにする為です。」

「はははっ。お前、面白い奴だ。気に入った。ずっと側にいろ。」

「…はいっ。」

 ネスクリは頬を上気させた。

 これが良くなかった。ネスクリは、すっかり天狗になってしまったのだ。頭が良いのも手伝って、まわりの部下たちに見下した態度をとるようになり、嫌われ者になった。ザンが鍛えたので彼はとても強くなった。ザンのお尻を叩いて仕事をさせるやり方を発見した彼は、後はぺテルさえ追い越せば、俺の天下だと思い始めていた。まだフェルにもジオルクにも勝っていなかったが、時間の問題だった。

 

 そして…。…ネスクリは運命の女神に愛されていたらしい。運も実力のうちと言うけれども…。

「ザン様っ、危ないっ。」

 ザシュッ。嫌な音が響いた。庇ったぺテルがうめきながら倒れた。

 

 第一者に従わないある国を滅ぼすと決まり、城を守れるだけの数人を残し、部下を引き連れたザンが旅をしていた時だった。強固な城の守りがないからと第二者に挑んできた盗賊達がいた。ザンは戦いが好きである。これまでの道中でも、いくつかの盗賊団を滅ぼしてきた。もちろん、力をつける方は挑んでこない限りは、放っておいた。

 戦ってばかりの日々にザンは高揚していた。どうせ第二者様には敵わない雑魚ばかりとたかをくくっていた。防御がおろそかになっていた。それが仇となった。

 

「ペテルっ。」

 矢が頭を貫いていた。妖怪なのでそのくらいでは死なない筈なのだが、ペテルは立ち上がらない。ネスクリが走ってきた。ザンは医術の心得がある彼が来てくれたので、とりあえず盗賊達を片付けようと走っていく。

 ネスクリはペテルを抱え上げると、移動医務室である装甲車に飛び込んだ。医者は外から見ていたようで、準備が出来ていた。

「麻痺してる。鬼のザン様を狙ったことから考えると、多分…だろう。」

 ネスクリは矢に塗られた毒の名を医者に告げた。鬼は即死するが、蝶には麻酔薬になる成分である。ただし、鬼相手の致死量を考えると…。

「…目覚めない可能性は低いです。しかし、脳がかなり損傷しています。蝶々は、この部分を自己修復出来ません。かなりの障害が出る恐れが…。」

「分かった。ザン様に伝えてくる。」

 ネスクリは外に出た。チャンスだとは思わなかった。今は無理でもいずれ戦って勝つ自信があったから。

 戦闘は終わっていた。ザンが呆然と立ち尽くしていた。雑魚だからと油断して、部下一人が廃人になるかもしれないのだから。ザンの気持ちを考えると、ネスクリは伝えたくなかった。でも、仕方ない。

 「ザン様…。」

 ザンがびくっとする。

 「ペテルの容態ですけど…。…。」

 語るうちにザンの顔が歪んできた。

 

 ペテルはザン以外の生き物を殺すようになった。矢を受ける寸前に敵からザンを守らなきゃと思ったせいで、それだけが頭に残ったらしい。そうと分かる前に何人かの部下と医者が犠牲になった。きちんと設備が整った場所で手術すれば治ると分かったが、ザン以外の者を襲うのでそれは不可能だった。寝ている隙にと近づいた医者は殺されそうになった。寝ている時にも気配に気付かなければ、野宿は出来ない。医者の考えが甘かった。

 ペテルはザンが地下牢に閉じ込めた。そうする以外の解決策が見つからなかった。そしてペテルは封印され、ネスクリの時代がやってきた。トゥーリナ達がやって来て、ターランが力をつけるまでは。

 

 ヒュッ。妖気で硬度を増した弓なりの剣がネスクリを切り裂いた。

「いつまでも、でかい口叩いてんじゃねえよ。うるせえんだ、てめえは。」

 ザハランが言った。ネスクリの言葉に腹を立て、彼を切り殺してしまった。彼は、廊下にネスクリの遺体を残したまま、立ち去った。

 ユラッ。ネスクリの霊体が立ち上ってきた。

「くそっ、こうもりめ…。…仕方ない…。こうなったら…。」

 ネスクリの霊体が光り出す。

「おい、馬鹿っ、止めろっ。」

 監視室のモニターで一部始終を見たザンがやって来た。危ないと分かった時にはもう飛び出していたのだが、場所が遠かった。間に合わなかった。

「あっ、ザン様…。…嫌です。俺にはまだ寿命があるんです。」

「駄目だっ、止めろっ。下手すりゃ転生出来なくなるんだぞっ。」

 ネスクリは目を伏せた。目を開けていられない程の光が溢れ出す。

「ザン様に質の良い餌の提供をしますから。期待して下さいね。」

 ネスクリは消えた。

「馬鹿野郎っ…。なんでそんなことを…。」

 ザンはくずおれた。

 

 ネスクリは寄生妖怪になった。天国か地獄に連れて行かれる前の霊体の時に、あることをすると、人間の心に憑依して生きていく寄生妖怪になる。寄生された人間は妖怪の意のままになる。ただし、ザンの言っていたようにそれは罪が重く、地獄で罪を償うことすら許されなくなる場合が多い。善行をすれば別だけど…。

 

「くくくく…。武(たける)…。憎いだろう?辛かったろ?…なあ。」

 ネスクリは憑依した少年に語り掛ける。誰にしようかと迷っていた時に、この少年が苛められているのを見付けたのだった。これはいいとネスクリはその少年の心に入り込んだ。

 ネスクリに語り掛けられた少年の表情が別人のように醜く歪む。苛めていた5人は不審そうな表情を浮かべる。そして…。

 

「あっ、こんな所に5匹も…。暴力団の抗争とかいう奴か…?」

 ザンの部下の食料調達係の部下が、人間には姿が見えないように降り立った。「なんにしても、大漁だ。」

 嬉しそうに飛んで行くその男を武は物陰から覗いていた。『ザン様、これからも貴女様の為に…。』ネスクリは笑った。

 

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