9 トゥーリナとターラン9
最初、第一者である事が嬉しかった。第一者様と呼ばれ、尊敬の眼差しを向けられる。こんなに気持ちいいことを父親が嫌がったのは何故なのか、まるで分からなかった。でも、リトゥナが22歳を少し過ぎた頃、トゥーリナは、なんだか第一者でいるのに空しさを覚えてきた。『第一者を目指す奴等の中で、第一者になった後をきちんと考えている奴は、一体どれだけいるんだろう…。…それとも俺だけなんだろうか…?第一者になる事だけが目的だったのは。』
「俺、村にでも引っ込もうかと思ってる。」
「……え?」
ターランはぽかんとした。百合恵達は意味が分からないという顔をしている。
「第一者になって何がしたいってなかったんだ。今、俺には目的がねえ。…見果てぬ夢が果てたって奴だな。」
「な・何言ってるんだよっ?第一者を止めちゃうって言うのかいっ!?」
「ああ…。親父もこんな所に閉じ込められているより、田舎で楽にした方がいいような気がするんだ。親父の記憶を調べたんだが、親父も村で暮らしてた。…どうせ不治の病なんだ。実験台扱いされて色んな薬を飲まされているより、寿命は縮むかも知れねえが、いいと思う。」
「…俺は嫌だっ。俺はそんなの絶対に認めないからなっ。」
ターランは叫ぶと部屋を飛び出して行った。皆吃驚して呆然となった。
「あ・あいつ…男っぽい言葉遣い出来るんだな…。」
混乱したトゥーリナは変な事を言った。
「冗談を言うなよ。お前が第一者を止めちまったら、俺が第一者になっちまうじゃねえか。誰が面倒な書類を片付けるんだ。俺の夢はどうなる?」
ザンはトゥーリナに言った。
「知らねえよ。自分の夢は自分で叶えろ。人に頼るな。」
「誰のせいで、俺がめちゃくちゃ困ってると思ってんだっ!!」
「ああ?何言ってる?」
「てめえがネスクリを殺しちまったから、俺は優秀で、なくてはならない部下を一人失ったんだっ!あいつは中学まで出ていたんだぞっ。あいつのおかけで俺の城は上手く動いていたのにっ。てめえが壊したんだっ。」
ザンは物凄い剣幕で、トゥーリナを怒鳴りつけた。
「うっ。そ・それは悪かったと思ってる。で・でもあいつは、いつも憎たらしいことばかり言いやがって、すげー腹が立って、それで…。…あいつがそれほど使える奴だなんて、知らなかったし…。」
「だからてめえは俺の言う通りに第一者をやってりゃいいんだ。どうしても止めたいなら、俺を殺せっ。」
「無茶を言うな…。」
「じゃあ、俺が第一者をやってやるから、留まって仕事をしろ。お前は第二者になって第一者の仕事をやればいい。それが嫌なら、ネスクリみたいに強くて頭のいい奴を連れて来いっ。」
「分かったよ…。…あ、そうだ。いい奴がいるぞ。」
「誰だ?」
ザンは勢い込んで訊く。
「ターラン。あいつは、結構頭がい…。」
言っている最中に、ザンに殴られた。トゥーリナの体は吹っ飛んで、壁に激突した。
「あいつはお前以外には使えないだろっ。それに中学校を出ていない。真面目に考えろっ。」
「いででで…。俺を殺す気かよっ。…あのなあ、中学校を出る程の頭のいい奴が力をつけようとすると思うか?文武両道なんて、この妖魔界じゃ有り得ねえよ。ネスクリが特別だったんだ。」
「俺だって、それが分かっているから、困ってるんだ。…とりあえず、ギンライの二者をよこせ。今までギンライの代わりに第一者の仕事をしていたから、少しは使えるだろ。」
「それは本人に言え。俺は奴隷商人じゃないんだぞ。はい、そうですかと物みたいに渡せるか。そいつはギンライを慕って部下になったんだから、言われた通りにお前の所に素直に行くかどうかなんて、俺には分からん。」
「…それもそうだな。仕方ない、ここに呼べ。」
ザンはため息をついた。トゥーリナは、俺の方がため息をつきたいと思いつつ、机にあるスピーカーのスイッチを押し、ギンライの二者を呼んだ。
数週間後。ターランとトゥーリナは、荒野に立っていた。ターランが戦いを申し込んできたのだ。帰って来たターランへ、どうしていたんだと問い掛けると、「俺と戦え。」としか言わない。別人の様に冷たい表情に、トゥーリナは戸惑いながらも承知した。2人は強い。城の中で戦えば、城が壊れてしまう可能性があった。それで、誰にも何処にも迷惑がかからない荒野に来たのだった。
「なんで俺とお前が戦わなきゃいけないんだ?」
「黙れ。」
ターランは冷たい声で言った。そして、氷の様に冷たい瞳。
「なんだよ、お前。久しぶりに帰ってきたと思ったら、性格が変わっちまったんじゃないか?」
「五月蝿い。」
ターランはそう一言だけ言うと、殴りかかってきた。軽くかわそうとしたトゥーリナは、その攻撃が思っていたより、ずっと鋭いのに気が付いた。頬が切れて、血が流れた。かわしきれなかったのだ。
「お前、何処へ行っていた?」
訊くまでもないと思った。短い期間で急にこんなに強くなれるのは…。「知っている奴がいたんだな?」
権力争いに興味を持たないが、第一者に軽くなれるだけの力を持つ男。ターランは、そいつに稽古をしてもらったのだろうと思えた。でなければ、いくら才能があったって…。
「言う必要はない。」
ターランの攻撃は激しかった。『俺は勝てないかも知れない…。ザンはどちらが強くなるとは言わなかったが、…これは…どう考えてもターランだな。』
「君は、俺の為に生きるんだ。前に自分で言ってただろ。“俺より下だったことが今までで一度でもあったか”って。君が勝手に思っていたんなら、俺はそうさせてもらう。君は俺の掌で踊るんだ。…第一者を続けろ。分かったか?」
トゥーリナは、ターランに組み敷かれていた。読みは当たっていた。勝てなかった…。
「それは無理だ。もう俺は第一者じゃないんだ。TVを見ていなかったんだな。」
「!?」
「ザンが第一者になった。ザンが俺を倒したんだ。あいつは自分の夢の為に、第一者になると決めた。前の戦いはどちらが勝ってもおかしくないものだったから、今回はあの女の気力に負けちまったのかもな。仕事だけは、あの女が嫌がるから、俺が第一者の分までしなきゃならない。まあ、第二者は第一者の命令を聞かなきゃならないから、仕方ないさ。」
本当はトゥーリナはザンに勝てずに第一者になったのだけど、それは妖魔界のきまりに反する。だから、それは絶対に誰にも言えないザンとトゥーリナの秘密なのだ。だから、ザンとトゥーリナの試合は、僅差でトゥーリナが勝ったことになっていた。そしてギンライにも勝ったことになっている。ギンライが戦える状態ではないと知っているのはごく一部の者だけだったので、ギンライにトゥーリナが勝って第一者になったのではないと知っているのはほんの数人だった。
「君はもう第一者でいたくなかったから、わざと負けたんだろ?」
「…違う。あの女は本気を出すと、とても強いんだ。お前、嘘だと思うなら、あいつと戦ってみろよ。」
「じゃ、そうする。」
ターランはそれだけ言うと、トゥーリナを抱えあげたが、すぐにくずおれた。ターランのダメージも重かったようだ。
「今ここに盗賊どもが現れたら、俺達あっさりと殺されそうだな…。」
動けないので、二人して寝転んだまま、トゥーリナは言った。
「はははっ。本当だね。俺達、誰よりも強いのに。」
ターランは笑い声をあげた。笑い止むと彼は、トゥーリナを見た。その瞳はいつもの明るさを取り戻していた。「…僕、君にかっこいい第一者でいて欲しかったんだよ。君は僕の憧れだもの。うんと酷い目に合わされていたのに、君はいつも強い瞳をしていたよね。普通なら、怯えて震えていると思うのに。」
「小さい頃は怯えてたけどな。もう少し大きくなってからは、憎しみしか感じていなかった。」
「そこが君の強い所だと思うんだ。僕は君が大切なんだ。自分がどうなっても、君には…。」
「そうだったよな。俺に殺されてもいいと思ったから、あの時もああしたんだよな。お前を憎む気持ちが俺にやる気を出させるならと思って。…お前の楽しみは俺か。俺が先に死んだら、お前はどうなっちまうんだろな。…ギンライみたいに壊れちまうのかもな。親父も一人の女を想い続けて…。」
「そうだね。そうかも知れない。」
ターランは切なげに笑った。
二人は、心配して見に来たリトゥナやギンライの部下達に助けられた。その後、ターランは、ザンに会ってトゥーリナがザンに負けたのが本当だと悟った。トゥーリナを追い越すだけの実力を身につけて初めて、ザンの強さが理解出来たのだ。
数日後。
「隠していないで教えろよ。」
「絶対に教えません。」
「ずりーぞ。お前だけそんな楽しい思いをしやがって。俺だって思う存分戦いてえ。」
ザンは、ターランを鍛えた男を知りたがり、戦いのダメージから完全回復し、仕事に飛び回っている彼の後をつけ回していた。
「だったら、俺達の仕事を減らして下さい。そうしたら教えてあげます。」
「嫌だっ。面倒だ。」
「じゃあ、教えません。俺だって苦労して探し出したんですからね。そう簡単に教える程、俺の心は広くありませんよ、ザン様。…そうだ。貴女様はお暇を持て余しておられるのですから、ご自分でお探しになられたらいかがですか?」
「…お前、生意気さだけなら、ネスクリに負けねえな。」
「俺は、トゥーと違って、甘やかされて尻叩きすらされずに育ったんです。この妖魔界で、ですよ。そんな俺が、なんの利益もなく他人に親切にする訳ないでしょう?」
ターランは冷たい顔でザンに笑いかける。「…分かったら、帰って仕事をして下さい。ジャディナーさんに怒られますよ?」
「…。」
ザンはターランを睨みつけたが、何も言わずに去っていった。ターランはくすくす笑う。トゥーを第一者から引き摺り下ろした女に、ささやかだけど復讐できたのが嬉しかった。
「お前は、子供のくせに父親に従わないなんてっ。普通の子供は、父親を第一に考えて、従うもんなんだっ。これだから、人間の女は。女のくせに子育てするから、子供がこうなるんだよっ。」
ばしっ、ばしっ。ターランは、仕事をしなければならないから遊べないと言われて、喚いて暴れてトゥーリナを困らせていたリトゥナのお尻を叩いていた。ばしっ、ばしっ。
「あーんっ。」
リトゥナは痛みで泣き喚く。ばしっ、ばしっ。小さなお尻にターランの3本指の跡が赤くついていく。
「わたしの育て方が悪いなんて、どうしてあなたに分かるんですかっ。トゥーリナに横恋慕しているからって、わたしが元人間だからって、子供もいない人が偉そうに言わないで下さいっ。」
ターランは、手を離してリトゥナを落とした。そして百合恵を睨みつけた。リトゥナはお尻を撫でながら、百合恵に抱きついた。お母さんは怒ると怖いけど、ターランよりましだから。
「横恋慕って何だよっ、後から割り込んできたのはお前なんだっ。俺とトゥーはずっと2人でやってきたのにっ。」
「それは、親友としてでしょう?トゥーリナもあなたを愛していたのなら、わたしと結婚する筈ないわ。貴方は、トゥーリナにはなんとも思われていないのよっ。…うっ。」
百合恵は口を塞がれて、続きを言えなくなった。見上げると、トゥーリナだった。
「ターラン、この馬鹿は俺が引っぱたくから、お前はリトゥナのケツを叩いてくれよ。」
命を奪ってしまいそうな程、強い殺気を発しようとしていたターランは、その言葉で落ち着いた。そして、百合恵を殺したら、トゥーリナは決して自分を許さないだろうと思い当たり、止めてくれたトゥーリナに感謝した。「…こいつが言ったことを気にするなよ。俺はお前が大事なんだから。」
「分かったよ、トゥー。…さ、リトゥナ、こっちへ来るんだ。お仕置きの続きだ。」
ターランは、逃げようとしていたリトゥナを捕まえ、またお尻を叩き出した。ばしっ、ばしっ。
「あーんっ、ごめんなさあいっ。」
トゥーリナは百合恵の口を押さえたまま、自分の仕事部屋まで彼女を引き摺って来た。
「お前は命知らずだなっ。なんでターランを挑発するんだっ。俺が止めなきゃあいつに殺されてたぞっ。」
部屋に入ると、彼は百合恵を怒鳴りつけた。
「だって、あの人はいつもわたしを馬鹿にするのよ。わたしは無理矢理あの人から、貴方を奪ったわけじゃないのに。どうしてわたしが責められるのよ。」
「んなの俺に言われたって、どうしようもない。人の心は、他人がどうにか出来るもんじゃないだろ?」
「…。」
百合恵は不満一杯の顔をしている。トゥーリナは、深いため息をつきながら言う。
「いいか、あいつに何を言われても、我慢しろ。ターランは人間が嫌いなんだ。だから余計にお前を憎むんだ。」
トゥーリナは百合恵の瞳に視線を合わせる。「…俺にとってあいつは大事な親友なんだ。今回のことで俺の心は変わった。俺にとってあいつはなくてはならない存在だ。かなり自分勝手にだが、あいつなりに俺を想ってる。俺はその想いに応えたい。」
「わたしを愛しているって言ったじゃない。わたし達を大切にすると言ったわ。」
「あいつも同じように大事なんだ。俺は今まで愛されたことなんてなかった。あんなに愛してくれるあいつを切り捨てるなんて俺には出来ない。…そりゃあ、あいつの気持ちが、友としてだったらどんなにいいかと思うけど。」
「…分かったわよ。わたしが、この世に存在するよりずっと前から、一緒にいた人だものね。我慢するわ。」
「そうか、分かってくれて嬉しい。」
トゥーリナはほっとした顔をすると、百合恵を抱き寄せた。「…じゃ、仕置きだ。」
「えっ?」
「決まってるだろ?ターランを怒らせて、お前は殺される所だったんだ。あの位置なら、リトゥナまで巻き添え食ってたぞ。だからだ。」
「…。」
トゥーリナは、百合恵を抱き寄せた。彼女がもがく。トゥーリナは、彼女の下着を下ろす。膝の上に寝かせながら、言葉を続ける。
「お前には危機感がないんだ。平和な場所で、平和に生きてきたから。だから、俺がいくら殺すと言っても分かってないだろ?さっき、どれだけ危なかったと思ってる?…俺はお前を失いたくない。もっと言葉に気をつけろ。じゃなきゃターランからも、お前からも目が離せなくなるじゃないかっ…!」
スカートを捲り上げ、とても強く平手を振り下ろす。ばしいっ。「頼むから、大人しくしていてくれっ。」
ばしいっ、ばしいっ。物凄く痛くて、いつもの様に、子供じゃないんだからなどと言っている余裕はなかった。ばしいっ、ばしいっ。平手がお尻を叩き潰す様に飛んでくる。百合恵は、ターランではなくトゥーリナに殺されるんじゃないかと思った。
「トゥーは忙しくて大変なんだ。仕事の邪魔をしたら、かえって一緒にいられる時間が短くなっちゃうんだ。」
ターランは、真っ赤なお尻になったリトゥナを膝に座らせて抱いていた。「お父さんが優しくなってくれて嬉しいだろ?前みたいに怖いお父さんは嫌だろ?」
「うん…。…あっ。」
リトゥナのお尻がびしゃっと鳴った。「…はい。」
「お前が悪い子にしていたら、トゥーは怖くなるんだ。悪い子には厳しくしなきゃいけないから。お父さんと楽しく過ごしたかったら、良い子にしてるんだ。今の所、トゥーはお前をぶっていないんだから。」
「はい。」
ターランは涙でぐちゃぐちゃのリトゥナの顔を少し乱暴に拭った。『俺は今まで自分の我が侭を通してきた。トゥーはトゥーなりに応えてくれた。もう、いい加減に俺は前みたいにトゥーに従わなきゃ。いつのまにか俺はトゥーより偉くなったように気になってる…。』
リトゥナがこちらを見ていた。女の子にしか見えない可愛い顔で。ギンライがつい女の子の名前を付けてしまった、赤ん坊のトゥーリナもこうだったんだろうか。『トゥーの大切なもの。本当にトゥーを愛しているなら、俺はトゥーの全てを受け入れなきゃ。これも百合恵も…。』
こうしてトゥーリナとターランは、現在に至る。彼等の関係は、強固になった。これからはもう何があっても揺らがないだろう。ソーシャルが生まれて、少々ターランの心が乱れても。