シーネラルのお仕事

「おとうちゃま、しょくどにる(訳=食堂に居る)。」
 武夫の言葉に、夫の部屋へ向かおうとしていたザンは、慌てて止まった。
「あ、そっか。仕事から帰ってきたんだから、夕ご飯を食べてるよね。武夫ちゃん、よく気づいたね。」
「う……? おとうちゃま、ちょくどいう(訳=上に同じ)。」
「???」
 どうして2回も言うのかが分からなくて、皆がぽかんとする。ちょっと考えて、シーネラルは分かった。
「えおは気づいたわけではなく、タルー……第一者みたいだな……父親が食堂に居るのを感じ取ったんだろう。」
 成る程。皆は、武夫の言いたいことが分かった。
「えおの言葉って難しいねぇ。」
 ペテルが苦笑した。
「えおってほんと凄いね。僕、そういうの出来ないよ。」
 リトゥナは武夫を尊敬の眼差しで見つめた。
「ちょ? ……りなちゃ、そあ、とべう。すごねー(訳=そう? リトゥナちゃんは空を飛べる。凄いねー)。」
「有難う。」
 リトゥナは照れた顔をした。

 ペテルが食堂の扉を開けた。大人数が座れる長いテーブルに、タルートリーが一人で座って食事をしていた。
「いつ見ても寂しいね。」
 ペテルは言った。
「まあねー。武志(武夫の祖父)は死んでるし、千里ママ(武夫の祖母)は介護が必要だし、メイドさん達や執事さんなんかは別棟で食べるから。奴は一人っ子だから、他に誰も居ないのよー。」
 タルートリーが顔を上げた。
「今、ザンの声がせんかったか……?」
 ザンは手を叩いた。
「やった、やっぱり普通の人間にも、あたしが認識できてる! シーネラル、有難う。」
 シーネラルは頷いた。
「ザン、ザンは何処だ。今、お前はザンの声に向かって反応したであろう?」
 シーネラルに向かって、タルートリーが歩いてきた。シーネラルは彼に揺さぶられた。「隠すと為にならんぞ。物の怪。」
「それは、人に物を頼む態度じゃない。」
「物の怪ごときが、このわたしへ頭を下げろと言うのか!」
 タルートリーが怒鳴った。
「本当に五月蝿い奴だな。ザン、いい加減リトゥナの側へ行けよ。」
 トゥーリナがうんざりした顔で言った。
「ま、そうだね。」
「リトゥナとはその子供だったの。」
 タルートリーは、リトゥナの方を見た。リトゥナは吃驚して、父の影へ隠れた。トゥーリナは呆れた顔をすると、息子を前に押し出した。
「物の怪、物の怪って、馬鹿にしてる割に、俺達の名前をちゃんと覚えてるんだねぇ。ちょっと吃驚したかも。」
 ペテルは笑ったが、タルートリーは聞いていなかった。ザンの姿が見えたからだ。
「おおっ、ザン……。会いたかったぞ……。」
 タルートリーの両目から涙が零れた。震える手をザンに伸ばす。「わたしはどれ程お前に会いたかったか……。」
「わたしも会いたかった。……まあ、会ってはいたけど、会話したかったよ、ほんと。」
 タルートリーは、感動に打ち震えた後、武夫をチラッと眺めた。
「お前の、ザンと会話をしていたかのような振る舞いは、本当であったというわけか。どうしてお前のような子供にザンが見えて、わたしには見えなかったのか……。わたしの方がザンを愛しているはずなのに。」
「愛は何の関係もねえな。」
 ザンが切り捨てるように言った。「愛はとても大切なものだけど、万能じゃない。あんたぐらい年をとれば、そんなの分かりきってるだろ。」
「……何だ? どうして、そんなに素っ気無いのだ……? お前もわたしと会話したかったのであろう?」
 当惑しているタルートリー。ザンは笑い出した。
「お目出度い奴。何? わたしもあんたと愛を語りたいと思ってた……なんて言うとでも思ってたわけぇ? 馬鹿じゃねえの。」
 ザンは夫を睨みつけた。「あんたには見えなかったろうけど、わたしはずっと武夫といたって言ってんだよ。……その意味が分からねえのかよ?」
「だから、わたしと会話が出来なくてもどかし……。……っ!」
 タルートリーは青ざめた。「つまり、全て見ていたと?」
「やっと分かったのかよ。年をとると、血の巡りが悪くなるのかねぇ。あー、やだやだ。18歳で死んで良かったことが一つあったよ。」
 ザンはふっと笑った。それから、氷のように冷たい顔になる。「…そうだよ。あんたが、死に逝くわたしの願いなんか、まるで無視したのをずっと見てきたって言ってんだよ!!」
 タルートリーはよろけると、膝を突いた。
「…信じてたのに…。あたしは、あんたを信じてたのに。ちゃんと、この子を愛してって言ったのに…。」
 ザンは武夫を優しく抱いた。「あたしが命を懸けて生んだこの子を、愛してくれるって、信じていたのに…。」

 『いたたまれないっていうのは、こういうことを言うんだろうな…。』
 タルートリーにザンの姿を見せる為にこの場から去ることも出来ず、居心地の悪いシーネラルはそう思った。『でも、俺はともかく、まだ子供のリトゥナが可哀想だな…。』
 おどおどしているリトゥナを眺め、ちょっと頭を撫でてやりたくなったシーネラルであった。

「ごちゃごちゃ五月蝿い。お前は死んだんだ。大人しく天国にでも行っていればいい。」
 タルートリーがぎょっとした。
「こんな時にまで悪魔の声が…? わ・わたしはザンに対して、こんなことを考えるようになってしまったのか…? …それにしても、今日はずいぶんと鮮明に聞こえるの…。」
「それ、あんたの声じゃねーじゃん。まー、知らなかったんだから、仕方ないけどさー。」
「お前は何を言っとるのだ?」
 当惑しているタルートリーに、ザンがため息をつく。
「あたしの姿が見えるんだから、肩の“それ”も見えると思うけど。」
「誰が“それ”だ。死人の分際で、この俺を物扱いするな。」
「なっ…。何だ…、わたしの肩の上に物の怪がっ…。」
 タルートリーが呆然となった。
「俺をあんな低劣な生き物どもと一緒にするな。未来の悪魔大王だぞ。」
 タルートリーの肩の上にいるダーク・デーモンが、シーネラル達へ侮蔑の視線を投げかけてきた。
「誰が低劣だっ。肝っ玉の小さい奴に7年もとりついて、子供を虐待させるしか脳がねー癖に。」
 トゥーリナが反応した。
 『挑発するなんて、情けない…。』
 シーネラルは呆れて、トゥーリナを眺めた。生ける屍よりはましだが、第一者の品位が…。
「無礼な。」
 ダーク・デーモンがトゥーリナを睨んだ。「一介の妖怪ごときがこの俺にそんな口を利いて、許されるとでも思っているのか?」
「一介じゃねえよ。現・第一者だ。王子ごときが気安く口を聞ける相手じゃない。」
「お前みたいなのが第一者だと…。…これだから妖魔界は嫌なんだ。野蛮な魑魅魍魎どもには、王者たる資格などないな。」
 ダーク・デーモンが大げさに溜息をつく。トゥーリナの眉がつり上がる。
「何だとっ!?」
「お父さん、落ち着いて!!」
 リトゥナが慌てた。シーネラルは自分も溜息をつきたくなった。どう見ても、トゥーリナの分が悪い。
「ここまで馬鹿にされて落ち着けるか。…いいだろう。第一者の名が伊達じゃないのを見せてやるぜ。」
 トゥーリナが不敵に笑って見せたので、兄のラルスのことはもう吹っ切ったんだろうかとシーネラルは思った。
「とぅーちゃん…。ろろす(訳=殺す)、だめよ。」
「えおとリトゥナの前で、そんなことするわけないだろ?」
 トゥーリナが二人を安心させるように、今度は爽やかな笑顔になった。
「殺すしか能のない単純な野蛮人が、何を見せてくれるって言うんだ?」
「第一者には、第一者しか持てない力っていうもんがあってな…。」
 トゥーリナが自分の右手を見た。「なった途端、そいつを授かるんだ。神や閻魔大王との謁見の権利つー、必要だけど別に嬉しくもないものから、こういう便利なものもあるんだ。」
 ぶうん。界間移動の穴が開いた。
「そんなのは、人間以外なら誰でも使える力じゃないか。違うのは、呪文の詠唱が要らないくらいか。第一者の力とは安いものだな。」
 ダーク・デーモンは笑った。見下した態度とはいえ、せせら笑ったりしないのところが、王子たる気品なんだろうかとシーネラルは思う。
 『俺達とは、育ちが違うんだな…。』
 それから、妻に責められている最中に、突然怖そうな化け物達が喧嘩を始めそうな雰囲気になったので、呆然としているタルートリーを見た。『妖怪のタルートリーには王者たる風格があった…。こっちにもありそうだが、状況が状況だから、確かめる暇がないな。』
「当たり前の力を得意げに見せるわけないだろ。」
 トゥーリナが言った。「この穴の普通と違うところは…。」
「うわっ。」
 ダーク・デーモンがタルートリーの肩から離れた。彼の体が穴に引き寄せられているのを見て、シーネラルは驚いた。ペテルやリトゥナ、ザンと武夫も同様の反応だ。
「凄いだろ? ただの通路が、意思を持つんだぜ。」
 トゥーリナはにっと笑った。「じゃあな、王子様。」
 ダーク・デーモンが吸い込まれて消えると、穴はふっと消えた。
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