シーネラルのお仕事

 空間が揺らめいた。重苦しい気分になって黙っていた皆がそちらを見たが、武夫だけはしょんぼりしたまま、何の反応も示さない。
「誰だろ……。」
 ペテルが呟くと、穴からトゥーリナが出てきた。少しは生気のある顔になっている。彼は武夫の側へ行くと、武夫を抱きかかえて座り込んだ。
「ちっとは元気出さないとと思って、えおから血を貰おうと思ったら、いないんだもんなー。吃驚して探したぞ。」
「う。」
「何だぁ? 陰気な顔して。んー、今回はまだ一回も殴られてないみたいだな。」
 トゥーリナは、武夫のあごに手を掛け顔を眺め回したり、体に軽く触れたりして、何処にも損傷がないか確認すると言った。
「見るのも嫌だとよ。死んだ息子だとかほざきやがった。」
 険悪な表情のザンが吐き捨てるように言った。「あの悪魔、どーにかできんのか。」
「ダーク・デーモンかぁ……。面倒だな……。」
 シーネラルはザンとトゥーリナを見た。
「何の話っすか?」
「タルートリーの肩の上にいる奴。あれ、ダーク・デーモンっていう名の悪魔大王の第一王子なんだ。帝王学の一環だとかで人間界に来てる。で、何の因果かあいつにとりついちまってるのさ。シーネラルにも見えただろ。」
「確かに見えましたが、そんな凄い奴とは……。」
 シーネラルは驚いていた。変なのがこちらを睨んでいるなとは思っていたが、闇に囚われている人間には大抵悪魔がついているので、気にしていなかった。
「まー、タルートリーの場合、悪魔がいなくてもえおを愛さないと思うけどな……。」
 トゥーリナはふぅっと息を吐いた。
「そうかなあ? あたしは、あいつさえいなければ、タルートリーはまともになると思うんだけど。」
 怒りが去ったのか、ザンは口調が元に戻った。
「無理だな。だって、お前、あいつはお前が死んだ後、えおを睨みつけたって言ってたじゃないか。それは悪魔にとりつかれる前だったとも言ってたぞ。」
「……まあ、そうなんだけどさ……。」
 ちぇっとザンは舌打ちした。

「第一者まで来たから、ザンが大分濃くなったね。」
 ペテルが言った。その言葉に、武夫は母親に手を伸ばしたが、さすがに触れなかった。
「でも、まだ普通の人間には見えない。でも、リトゥナなら。」
「シーネラル、俺の息子がどうしたって?」
「あ……。うーん、えおの父親はえおがザンを殺しただの、ザンの幽霊が実在するならなどと言っていたんす。けれど、奴がザンの姿を見ることが出来たら、えおに対する態度も変わるのではないかと、俺は思うんすよ。それで、妖力の強いリトゥナ様もここに来てくれれば、普通の人間でもザンが見えるのでは、と……。」
 シーネラルはトゥーリナを見た。「リトゥナ様を連れて来ても良いっすか?」
「ほんと!? あたしさあ、あいつに言いたいことが山ほどあるんだよね。ねー、トゥーリナ。あたしからも頼むよ。リトゥナをここに来させて。」
「リトゥナが嫌がらなきゃ、別に俺は構わんが……。ダーク・デーモンは祓えないぞ。」
「いいよ、別に。どうせ弱いタルートリーのことだから、わたしの姿が見えて会話したぐらいじゃ、悪魔を追い出す力なんて出せないって。」
 ザンはニコニコ笑うと、シーネラルを見た。「じゃ、シーネラル、お願いねー。」
 シーネラルは頷き、立ち上がると、界間移動の呪文を唱えた。彼は、武夫のことをそれ程好きではない。しかし、実の親が居るのに、子供が不幸だなんて許せないのであった。

 妖魔界へ戻ったシーネラルは、第一者の仕事部屋へ向かった。何処にいるか分からないリトゥナを当てもなく探すより、第一者の1番目の部下であるターランに訊いた方が早いと思ったのだ。
「失礼します。」
 ノックをして中へ入ると、ターランが書類を眺めていた。
「トゥーリナなら居ませんよ。えおを探しに人間界へ行ったみたいです。」
「そのえおの為に、リトゥナ様にも人間界へ来て頂きたいんす。」
「何の話なんですか?」
 ターランは眉をひそめた。シーネラルは簡単に事情を説明する。「よく分かりました。それなら、放送をかけましょう。」

 放送を聞いたリトゥナがやってきた。
「どうしました?」
 シーネラルは、ターランの仕事の邪魔にならないように、リトゥナを促して廊下へ出た。それから、また簡単に事情を説明した。聞き終わったリトゥナは俯く。「僕、えおくんのお父さん好きじゃない……。いきなり怒鳴ったりするし……、ちょっと怖いな。」
「えおのことは嫌いっすか?」
「大好きだよ。いい子だから。それに、おっきいのに赤ちゃんみたいで面白い。」
「そのえおの為に、少しだけあのお父さんを我慢して欲しいんすよ。」
 シーネラルの言葉に、リトゥナは考え込む。シーネラルは黙って待っていた。リトゥナが顔を上げた。
「お父さんに愛されたら、えおくんは嬉しいよね……。えおくんが嬉しいなら、僕も嬉しいかな。」
 リトゥナは頷いた。「うん。えおくんの為に、あのおっかないお父さんを我慢してみる。シーネラルさん、僕も人間界へ行きます。」
「有難う御座います。リトゥナ様。」

 シーネラルがリトゥナを連れて人間界へ戻ってくると、第一者がえおの手首から血を吸っていた。
「人間の感覚だと、吸血鬼は血を首から吸うのに……。トゥーリナは違うんだよね。」
 ザンが言った。トゥーリナが顔を上げる。
「それは人間の創作だろ。それに、吸血族は悪魔だが十字架なんぞ怖がらない。それに、そもそも俺は吸血族じゃない。吸血蝙蝠と蛇と鬼だ。」
「へーっ、吸血鬼……族?……は、妖怪じゃないんだ? 妖怪と悪魔ってどう違うんだろ。」
 ザンは感心している。「そういや、あんた鬼だけど角はないよね。何でだろうね。」
「俺に聞かれてもな……。遺伝子とやらなら知ってるんじゃないか。」
「妖怪にも遺伝子あるのー?」
 ザンは面白そうに言った。
「なかったら、親と子供は似ないんじゃないのか。」
「うーん。確かに。」
「なんか難しそうなお話ししてるんだね。」
 リトゥナが口を挟んだ。
「あ、リトゥナ。来てくれたんだ。有難うね。えお、わたしに触れるか試してみてよ。」
「あい。」
 えおは母に手を伸ばした。「……う。」
「触れないね…。もうちょっとって感じだけど。」
「駄目だったのか。いい考えだと思ったんだが……。」
 シーネラルは俯いた。本当なら、タルートリーを妖魔界に連れて行くのが一番だが、ザン曰く、「信じる前に気が狂う。」そうなので、無理なのだ。
「ザンはリトゥナの側に行け。その方が妖力の影響を受けられる。」
 トゥーリナが言った。
「やった。今度は触れたよ。妖魔界に居る時ほどじゃないけど、多分これなら、あの馬鹿にも見えるはず。」
 ザンは小躍りした。「よーし、言いたいことは山ほどあるからな。覚悟しとけよ、タルートリーめ。」
「……妻が夫に言う言葉じゃないよな。」
 トゥーリナが呟き、ペテルとシーネラルは頷いた。
「なーに、ぶつぶつ言ってんの。さっさとあの馬鹿のところへ行くわよ。えお、リトゥナ、行くぞー。」
 いきなりやる気満々になった幽霊のザンは、生きている誰よりも輝いていた。
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