シーネラルのお仕事

「それぐらいで許してやってよ。」
 ザンが言った。「もう、お尻真っ赤じゃん。えおちゃんも反省したよ。」
「こういうのは、真っ赤とは言わない。甘やかすとちゃんとした大人にならない。」
「そう言わずに……。」
「五月蝿い。」
 シーネラルは無視して、武夫のお尻を叩く。武夫は泣き喚いているが、それも無視。
「いい加減にして!」
 シーネラルはまたペテルに突き飛ばされた。彼は転んだが、ペテルは武夫が一緒に転ばないように確保した。「えおは、見境なく攻撃なんてしないよ。相手が俺だから、ああしたんだ。」
 シーネラルは立ち上がると、ペテルを睨んだ。
「お前はどうして暴力に訴えるんだ。口で言え。」
 怒りながらも、こうも簡単に不意をつかれてしまうのなら、ペテルが暴走しても、俺は止められないのではないかと心配になった。1度だけならともかく、2度も無様に突き飛ばされては……。
「だって……。ザンが言っても無視したじゃん。」
 今のペテルは幼児化しているので、シーネラルに怒られて、怖がっている。俺はお前の尻なんて叩かないとシーネラルは言いたくなった。
 武夫がペテルの腕の中でもがいていた。界間移動用の通路への穴が、誰も入らないからなのか閉じようとしているので、不安になったようだ。
「とりあえず、それが消える前に、人間界へ行こうよ。」
 暴れ始めた武夫を見ながら、ザンが言った。ペテルが驚いた。
「えっ!? だって……。俺は嫌だよ……。」
「もう抑えられないでしょ? 今度は、本気で暴走するかも。」
 ペテルが武夫の顔を見たので、シーネラルも見てみた。武夫は、自分を押さえつけているペテルに激しい怒りを感じているようだった。ほんの少し前まで、シーネラルに叩かれたお尻を撫でながら泣いていたのに。穴が完全に消えたら、今度はペテルを吹き飛ばすだけではすまなそうな顔だった。
 ペテルが大げさに溜息をつき、武夫を抱いたまま、穴にもぐりこんだ。ザンも続いたので、シーネラルも中へ入った。放置してもいいような気がしたが、どうしてザンとペテルが武夫と父親を会わせたくないのか、気になったのだ。

 穴に入った途端、武夫の周りで蠢いていた強い殺気が、あっという間に消え失せた。そんなものがあったとは思えないくらい、消えるのが速かった。いつもの顔に戻った彼の周りを柔らかな霊気がふわふわと漂っていた。
「……。」
 ただの幼い子供だと思っていたのに。一体何なんだろうと、シーネラルは思った。それでも、子供達の遊びにつき合わされるよりは、かなりましだった。

 穴を抜けて、武夫の家に着いた。高級住宅街にある大きな洋館。それがこの子供の家だった。
「俺の周りは金持ちばかりだ。」
 シーネラルが呟くと、ペテルが彼を見た。
「俺は、お金ないよ。今、働いてないし!」
「あたしも死んでるから、お金はないわ。武夫だって持ってないよ。」
「……そういう意味じゃ……。」
 かつての仲間のジオルクはいい地位にいるし、武夫はお坊ちゃま。自分は第一者のお城に住んでいる。長い間旅人をしていた彼は、急に世界が変わった気がしただけなのだ。

 時間も考えずに人間界へ来たので、まだ3時だった。平日なので、武夫の父親は仕事中。父親が帰ってくるまで、武夫の部屋で待つことにした。会社へ行くと言うかと思ったが、武夫は、父親が帰ってくるのを待つそうだ。彼は、人間界に来られただけで満足らしい。
 ペテルは時々この家に来ていたらしく、どんどん進んでいくが、シーネラルは家の中をゆっくりと見て回った。城を見慣れた目には少し劣るとはいえ、この家には金がかかっていた。ザンに訊いたら、夫の祖父が一代で財を築き上げたので、由緒ある家系ではないそうだ。が、この家は成金趣味とはかけ離れた上品さがあると思われた。詳しい人が見たら何処かにぼろがあるのかもしれないが、シーネラルを含めた普通の人には分からないのでいいのだ。

 メイド達が頭を下げて通り過ぎていく。妖怪を見ても驚かないのは、ペテルで慣れたからなんだろうなとシーネラルは思った。触覚とアゲハの羽さえなければ、髪を水色に染めた黒人にしか見えないペテルよりも、耳が尖っている自分の方が怖いかもしれないが……。人間から見れば、どっちもどっちなのかもしれない。

 武夫の部屋で、いつものようにお喋りして過ごしていたら、あっという間に父親の帰宅時間になった。
「あー、そろそろあいつが帰ってくるかも……。」
 ザンが嫌そうに呟いた。武夫は目を輝かせた。

 数分後。広い家で、帰って来た物音など聞こえない筈なのに、武夫が急に立ち上がった。
「お父ちゃま、にた(訳=来た)!」
 人間界に来た途端、武夫の霊力は弱まり、ザンの存在が希薄になった。それなのに、武夫には父親の帰宅が分かるのだ。シーネラルは、武夫は犬なんじゃないかと思った。
 武夫は部屋を出て、父親の部屋へ急ぐ。いつもは、のたのたと歩き始めたばかりの赤ん坊みたいなのろさなのに、別人のように早い。
 そして、武夫の父親が現れた。
「第一者!」
 シーネラルは思わず叫んでいた。
「……何言ってんのよぉ。トゥーリナとは似ても似つかないじゃん。」
「いや……、2代前だ。」
「あー、そういえば、タルートリーに似てるね。」
 シーネラルの答えに、ペテルが言った。
「名前まで一緒なわけ? その、昔の第一者様は。」
 ザンが嫌そうな顔をした。
「また物の怪が増えとる! どうしてお前は余計な者ばかり、我が家に持ち込むのだ!」
 武夫の父親……純粋な日本人なのに凄い名前を持つ男、タルートリーが怒鳴った。
「話し方まで一緒か。」
 そう言えば隣で夫をにらんでいるザンも、妖怪のザンと顔がそっくりだ。「……ということは……、俺と同じ名前の人間もいるのか……、あるいは居た、それともこれから生まれる?」
「俺も居るかなあ。会いたいかも。」
 ペテルは笑った。まあ、自分は金髪碧眼だから人間でも違和感はないが、水色の髪の人間は居ないだろうなとシーネラルは思った。染めているならともかく。
「俺は会いたいような、会いたくないような……。」

 シーネラル達の会話をよそに、タルートリーはなおも息子を怒鳴りつける。
「お前はそのまま、物の怪どもと住んでおれば良いであろう? お前が殺したザンとともに! 本当にザンの幽霊とやらが存在するのならな。……お前の姿など、二度と再び目にせぬ方が、どれだけわたしは心穏やかに過ごせるか。さっさと戻れ。そして二度と戻ってくるでない。お前は、もう死んだ息子だ。」
 彼はそれだけ言うと、息子を押しのけて部屋に入ってしまった。
「…う。お父ちゃま…。」
 武夫は泣きながら、自分の部屋へ歩いていく。

「あれが父親の態度か!」
 シーネラルは怒鳴った。「久しぶりに息子に会ったのに……。」
 自分を捨てた母親以外の親は、皆良い親の筈だった。シーネラルは酷く傷つけられた気がして、誰にでもなく怒鳴っていた。人間が自分たち妖怪の存在を受け入れがたいのは分かる。だから、父親の最初の言葉は聞き流した。しかし、病気で弱っていたのに無理して武夫を生んだザンが、どうして武夫に殺されたことになるのか。
 いつもは何事も面倒そうにしているシーネラルが熱くなっているので、ザンとペテルはぽかんとしていた。
「どうしちゃったの?」
「さあ……。」
「二人とも、何なんだ。どうして、そう冷静でいられる?」
「今に始まったことじゃないし……。つーか、ああいう態度に出るのが目に見えているから、ここに来たくなかったのよ。それをあんたが邪魔したんじゃない。」
 シーネラルが眉を吊り上げた。
「俺が何度も訊いたのに、無視したのはお前らだ。あんな父親だと分かっていたら、俺だって連れてくる気になるか!」
「だって、しょーがないじゃん。父親が虐待する男だって言おうもんなら、武夫が暴れるんだもん。武夫は認めたくないんだよ。お父ちゃまがそんな人間だなんて。実際武夫の体には消えない傷だってあるのに、それでもなお認めたくないの。あたしは死んでるし、武夫にとっては大事な父親なんだよ……。あんなんでも。」
「……。」
 事情は分かったが……。来るんじゃなかった。シーネラルは心からそう思った。
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