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2014
 8 19

◎新聞折り込みで配布されるi市の議会だよりの一面に載っていた榎の写真に見覚えがありました。
実は見覚えではなく「見てみたい榎(エノキ)」でした。今NHKTVで放映されている「花子とアン」の別れの場面に出てくる樹木の榎でした。TVでは、甲府の田舎という設定ですが、実はi市の里山に立つ樹木だったのです。たよりには、写真の説明は一切載っていませんが、私にはすぐに分かりました。
   
(i市議会だより・第169号平成26年8月号の1面)

『また、一人逝く』
◎生きることや死ぬこと、人間の生活は世界・現実で行うことである。人間生活は世界的な存在である…。人間は死のへの存在…(ハイデガー)。
 だれも若き時代に「人間とは」とか「自己の存在は」などと朋友と語り合ったことがあると思います。
 ・昭和40年代の日本経済が右肩上がりの頃、巷で「人間疎外」などという言葉が賑わっていました。


 その頃、社会人になってまだ5、6年目の青二才の私が出会ったのが日本における「哲学者ハイデガー研究」の第一人者木田元でした。
 特別、友人とかという関係ではなく何度か遅くまで二人で酒を飲みながら語り合ったのでしたが、その後の私の生き方に幾つかの指針をもたらしてくれたと人と思っています。その木田元が、亡くなったと8月18日版のA紙に載っていました。そして翌日の1面のコラム「天声人語」にも載っていました。
 ※下段に8月19日朝刊の「コラム」コピーを添付。

 コラムでは、戦後テキ屋の手伝いや米の闇屋もやっていた。それが、人間的にも学問的にも幅の広さをもたらしたのだろうと出ていました。
・また、18日付には、西洋には自然を「人間によって利用されるものとみなす」などの独特な思想があり、それに抗する「反哲学」に注目を促した。それから、「技術は人間が理性でコントロールできる」という技術観を批判する立場から、原発問題にも発言したと出ていました。

・語り合ったのは全部で3,4回ほどしかなかったと記憶しておりますが、その重みはずっと残っている私の宝物でした。もうお会いすることができないと考えると人間の儚さとともに優しくてユーモアいっぱいの木田元さんの顔が浮かんできます。合掌!

◆木田 元(きだげん)…
 1928年9月7日~2014年8月16日
 日本の哲学者、専攻は現象学の研究、中央大学名誉教授。モーリス・メルロー=ボンティ等の現代・西洋哲学の主要な著作を平易な日本語に翻訳した。
 マルティン・ハイデガー、エドモンド・フッサールの研究でも知られる。新潟市生まれ、船橋市の病院で肺炎のため逝去、85歳没。ウキペディア・フリー事典より転記



   
2014
 8 25

◎広島市で起こった土砂災害で8月24日、ついに死者が58人になったと新聞記事にありました。
このところの天候はどこもかしこも変です。
犠牲になられた方々のご冥福と未だ行方不明になられている方々の救出をお祈り申し上げます。

『里山歩きで』
◎市の北東部の里山を歩いてきました。i市とS町との境を流れる将監川の南側の水田地帯から歩き出しました。稲穂が垂れ、そろそろ稲刈りの時期のようでした。農家の男性に聞くと「作柄はまずまずで今月中に刈取りだ!」と言っていました。水田地区を過ぎ、緩やかな坂を上ると集落に着きました。旧道でしょうか、曲がりくねった道を進んで行くと小林鳥見神社の屋根が見えてきました。市内のいくつかの鳥見神社に行ったことがありますが、ここはそれらより境内がはるかに広く建物も立派でした。境内にはイチョウを初めクスノキやスダジイなどの巨木がたくさん見られました。

・社務所に入りかけた女性(宮司さんの奥さんか?)が私たちに気づいて声をかけてくれました。
女性に神社の読み方を聞くと、鳥見神社と書いて“とみ神社”と呼ぶとのことでした。市内の鳥見神社の大半は(とりみ)と読むのですが、いくつかは(とみ)と読むそうでした。創建が古いものを「とみ」と呼ぶ説もあるということでした。また、この神社が市内外に点在する18の鳥見神社の総社という説もあるそうですが、はっきりとはしていないということでした。その後、開いていた拝殿の奥に祀られていた鏡を見ていましたら、子ども2人とおばあちゃんの3人連れがお参りにきました。お参りの後社務所に入って行ったので先ほどの女性の家族だと思いました。(鳥見神社についてはYさんから頂いた資料も参考にしました)

・神社を後にし車道を進むと右手に古墳(道作古墳)群が見えてきました。この古墳群は前方後円墳7基、円墳14基、方墳1基から構成され、市内では現存する数少ない古墳群の一つとされ、古墳群を生かした整備が計画されているといいます。
・この後、小林牧場の中の南北に通る道を南下して、古刹龍水寺に着きました。このお寺には県有形文化財指定の梵鐘や木造金剛力士立像があり見応えがありました。また、大きなゲージの中には駝鳥や孔雀、フラミンゴ、インコ類など珍しい鳥が見られました。このお寺には鳥を見に来る子どもたちも多いそうです。

・お寺の脇を通る坂を下り始めると、あちこちに湧水が見られ、まだ自然がたくさん残っている地域だと思いました。

キツネノカミソリ…ヒガンバナ科の多年草(狐の剃刀)。7月から8月に、葉が枯れた後花茎が伸びて濃いオレンジ色の花が咲く。名の由来は春先に伸び出す白みがかった葉を剃刀に例えたものという。



   
   小林鳥見(とみ)神社

   
   境内に咲いていたキツネノカミソリ

   
   道作古墳群の中で一番大きな1号墳
    (前方後円墳)


2014
 8 30

◎この所、中世の城の話を聞く機会が何度かありました。先日の講演の講師は千葉県に中世の城は1000個もあったと話していました。そういえば私の住むi市にもあちこちにあると聞いています。小林城、竜崖城、師戸城、そして大森陣屋などがそうです。それと、これはK市になりますが、佐津間城というこれも中世の城跡があります。
魅力がいっぱいの城跡には、11月の散策会で訪れる予定です。関心のある方ご一緒しましょう。

『谷津田だよりの読者からのメール紹介』
◎いつも「たより」を読んでいただいている船橋在住のNさんから8月25日の返信メールが届きました。街中(まちなか)のちょっとした記事ですが自然を愛する気持ちが出ているニュースですので、ご本人の了解を頂き紹介いたします。下記が、Nさんのメールです。
              記
・いつも、楽しいメールを有難うございます。
・「狐の剃刀(キツネノカミソリ)」と同じような花で夏水仙(ナツズイセン)がありますよね。家にある夏水仙は、ここ何年も咲いてくれませんでした。でも、人に差し上げたのは大きな花が咲きびっくりしたと言われました。やはり鉢植えではだめなのかなー?
・船橋市古和釜で最近まで何十というつばめが乱舞し、しかも畑に降りて何かついばんでいました。地面に降り立ったつばめは初めて見ました。
・自宅は芝山で団地に面している遊水池があります。池は小さいですが、結構大きな魚が飛び跳ね、それを狙ってコサギやアオサギが縄張り争いをしていました。また、その池にはカイツブリが居ついて小さな雛を五羽連れていたんですが、いまは3羽になってます。
親鳥も小さいけど雛は、ほんとに小さくかわいいですね。去年の冬は、カモやカワウが何十羽も日向ぼっこをしていたのに、今年は少ないようです。人が入れないからやって来るんでしょうね。水深は浅いのですが、ガマの穂が茂ってます。鳥の正式名称がよく分からないので、伝えにくいですが散歩の途中の楽しみになっています。
・ツバメについては、駅に近いこの辺にとびっくりしますが電線によく止まっています。以上とりとめの無い事を書きました。
 どうぞ暑いのでお体気を付けてお過ごしください。 
    2014.8.25   船橋市在住M.N
(※一部文を付け足したり、変更したところがありますことをご了解ください)

※右欄にカイツブリの写真を貼ります。(残念ながら文中のカイツブリの写真ではありません)


   

   

   


カイツブリ…カイツブリ科全長26センチのカイツブリ類中最小の種。全国の池、湖沼等で繁殖するが減っている。水面に浮巣を作る。古名を鳰(にお)といい、その巣を「鳰の浮巣(におのうきす)」と言われていた。

2014
 9  6

◎シャワシャワ…。これはクマゼミの鳴き声です。
窓からしきりに鳴く声が聞こえてきました。
 昨年のクマゼミの聞き納めは9月17日でした。今年はどうでしょうか。

『佐倉ゆかりの画家 浅井忠』
◎友人のSさんから「浅井忠展いいですよ」と勧められましたので、佐倉市立美術館に行って来ました。
 最終日の前日そして土曜日とあってそれなりに賑わっていました。
   
       
美術館の建物わきにある浅井忠の銅像

・浅井忠は、安政3年江戸の佐倉藩邸で生まれ、父の死去により7歳で家禄を継ぎ佐倉に移住しました。
 武術や漢籍を学び、その後絵の才能を認められ画家の道を進んだのでした。
 明治20~23年頃の農夫を描いた作品は印象派の作家ミレーの「落穂ひろい」を連想するような素晴らしい作品ばかりでした。
 明治27~28年の作品は日清戦争時事通信員として従軍した時の水彩画が中心、32~35年にかけてはパリ万博の臨時監査官としてフランス留学した際の作品が中心でこれまた素晴らしい作品でした。
 また、ヨーロッパ歴訪後に取り組んだ図案(漆器のデザインなど)も興味深いもので、久しぶりにゆったりとした気持ちになれて来てよかったと思いました。
 なお、図録の年譜に明治5年に佐倉藩の士族授産を目的として創設された佐倉同協社の社員となると出ていました。
 私の父方の先祖がやはり同協社の社員だったようですのでびっくりし、改めて「見に来てよかった」と思いました。

・帰りに美術館の近くにある老舗の和菓子屋木村屋(創業明治5年)に立ち寄り、佐倉名物の蔵六餅(藩主堀田家に伝えられている亀の甲に似た石があり、それを蔵六石と呼んだという)を買って帰りました。


   
    
浅井忠作≪農夫帰路≫…浅井忠展のチラシ


    蔵六餅
   
   画像をクリックすると、過去ログページにリンクします

浅井忠(あさいちゅう)(1856-1907)洋画家
 江戸生まれ。佐倉藩の画家黒沼槐山について日本画を学ぶ。1898年東京美術学校教授、1900年渡仏、1902年帰国後京都工芸高校の教授。




印西ウエットランドガイドパネル展のお知らせ
日時 9月30日(火)~10月13日(月)
    9:00~17:00  第2水曜休館
場所 千葉県立北総花の丘公園第1展示室
    (千葉NT中央駅より徒歩10分)


2014
9 14

◎明日9月15日は、敬老の日です。国民の祝日に関する法律によると「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」となっているそうです。
 が、お題目だけで老人が大切にされていない気がします。

『稲刈り機とサギ』
◎里山に広がる水田では、ほとんど稲刈りが終了しているようでした。でも、田によってはまだこれからの所も残っていてちらほら、稲刈り作業の様子が見られました。
 i市中根地区でバスを待つ間、ずっと目の前に広がる水田で行われていた稲刈りを見ていました。
 赤と白のツートンカラー、箱型の稲刈り機(コンバイン)は、アルマジロ(北アメリカに生息、堅い甲板でおおわれている動物)のような動きでどんどん稲穂を飲み込んでいるようでした。
 巨大な直方体に見える田んぼの稲は反時計回りに進んでいくアルマジロコンバイン(?)によってどんどん小さくなっていきました。
 最後は1本の細い羊羹形になり、それも見る見るうちに消えてしまいました。

 その様子をずっと見守っていたのは、実は私以外にもおりました。コンバインが刈り取った後には、全部で12羽のサギ(チュウサギ?)がいました。直線的に動くコンバインをじっと見つめていました。
 時折、首を伸ばし餌をとっているようでした。器械に追われて飛び出したバッタなどの小動物をついばんでいるのでしょうか。作業をしている間ずっとコンバインの通る場所から離れませんでした。

・現在見られるコンバインは自脱型コンバインといって、刈り取った穀桿【こくかん?…茎と茎の上の部分=藁(ワラ)】の穂先部分だけを脱穀装置にかけて脱穀し、普通型コンバイン(刈り取った穀桿の全てを機械内部で脱穀する)に比べて籾の損傷が少ないとのことでした。
 作業の途中で2度ほど、農道に止めてあったトラックの荷台に車から伸ばした象の鼻のようなノズルの先から大量の籾をはき出していました。後は、持ち帰って乾燥機に入れて終わりなのでしょうか。

 

 サギたちは何を見ていたのかはっきり分かりませんが、私には機械の仕組みが不思議でなりませんでした。手作業の稲刈りとは、比べ物にならない機械の力に驚くばかりでした。もっとも、田起こしや田植えなどに使うトラクターや今回見たコンバインそれに乾燥機など一式揃えると1千万円を超すよ(帰りのバスの運ちゃん情報)と聞き、またまたびっくりの一日でした。
   
    
稲刈り作業を見守るサギ達の写真

   
 
今でもやっている稲の天日干し(おだがけと呼ばれる)
 ~ iさん撮影~


…イネ科の一年生作物。日本への伝来経由は諸説あるが、縄文末期までに伝来されたらしい(もう少し前という説も)。(中略)
 秋に熟する果実を米といい、食用。水田に栽培する水稲と畑地に栽培する陸稲がある。 広辞苑より

 
2014
9 21

◎マンション入り口のエレベーター脇の壁(正確には床と壁の境目)に木の葉らしきものが落ちていました。念の為、靴先でそっと触れてみました。するとわずかに動いた気がして目を近づけてみると、やっぱり蛾でした。枯葉そっくりの個体でした。どなたか、蛾の名前がわかりましたら教えて下さい。
   
【追記】9/24 ~たよりを読んでいられるiさんからオビガ科「オビガ」と教えていただきました。この幼虫の食草はスイカズラ科の植物だそうです。

『朝の連ドラ【花子とアン】に出てくる別れの榎(エノキ)』
◎朝の連ドラ「花子とアン」の視聴率が25パーセント(首都圏)を越えたとネットに出ていました。あと6回で最終回となります。
 ストーリーも気になりますが、私のもう一つの興味は花子の故郷甲府の田舎の大エノキがもう一度出てくるかどうかです。今までも主人公の花子やその妹たちが故郷を離れる際に村はずれに立つエノキが画面いっぱいに出てきていました。

・実は、このエノキは甲府の田舎ではなく千葉県i市の里山にあるのです。先日、里山巡りのついでにこのエノキの木を見てきました。下り坂の田舎道をどんどん歩いて行くと両側から覆いかぶさりトンネルのように見える先にその木はありました。
 遠くから見ても根元から大きく斜め横にねじれるように立ち上がる姿ですぐに分かりました。
 くねった幹から大枝を四方に張り出す様は、まるで小龍が地上を這い、空に舞いあがろうとする姿にも見えました。木は湧水の豊富な谷津田と鬱蒼とした斜面林の隙間を通る細道の際に立っていました。


 近くの台地に古い寺院が幾つもある所ですので、きっと昔から旅人が疲れを癒し、道の標(しるべ)になっていた木かもしれません。
 聞くところによると台風で大枝が落ち随分小さくなってしまったといいますが、それでも十分に存在感があり年代を感じる様相でした。
 捻じれた幹には、真中に穴が開き坂道側から見ると青空が覗いていました。写真を撮ったり、周囲をぐるりと回って観察したり、刈り取られたばかりの田んぼをぼんやりと眺めたりし先に進みました。
 そういえば、TVのスクリーンに映っていた樹木の左下にあった宮付きのお地蔵さまはNHKの美術さんが作ったもので、今は勿論ありませんでした。代わりに(?)近くに農機具が無造作に置いてありました。皆さんもこの榎を見に出かけませんか。

   
      
花子とアンの榎(エノキ)
  HPのたより71ページに出ているi市議会だより
  の木とは撮影の向きが逆ですが、今回の写真
  がドラマの画像と同じ向きです。

◆榎(エノキ)…ニレ科の落葉高木。昔、街道に一里ごとに植えられ、旅人の休息のために茶屋などがあったという。
 今もその名残りの大木を見ることがある。ケヤキに似ているが樹皮が黒い灰褐色で、裂け目がなくざらつき、枝が低い所から太く分かれるなど、見分けやすい。(参考「ヤマケイポケットガイド」山と渓谷社)

2014
9 30

◎9月30日から10月13日まで千葉県立北総花の丘公園第1展示室で、印西ウエットランドガイド主催の自然パネル展「第5回北総の自然アルバム」をやっています。お時間がとれましたら見に来て下さい。
★「パネル展」の概要は、下記ページをご参照ください。
 http://kamagaya-sanpo.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html

『宗像大社国宝展』
◎今年度から私たちは市を八等分して順番に自然や文化などを調べながら歩いていおります。歩いていて気が付いたことですが、本市に集中して二つの神社が見られることです。それは、鳥見神社と宗像神社です。 ネットの資料を見ますと鳥見神社はi市を中心にk市やS市を含めて21社、宗像神社はS市を含め13社あるようです。 今までに行ったのは鳥見神社6か所、宗像神社5か所ほどですがこれからも回るつもりです。・友人から宗像大社国宝展のお誘いを受けまして、ちょうど良い機会でしたので先日行って来ました。新橋駅からしばらく歩き、展覧会の場所、出光美術館に到着しました。帝劇ビル9階にある美術館に専用エレベーターを乗り、会場に着くと土曜日のせいもあるのか大勢の人で賑わっていました。

・宗像神社は、古来より日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝の地、玄界灘に浮かぶ沖ノ島、大島、それと福岡県宗像市の3ヵ所に3女神を祀った沖津宮、中津宮、辺津宮の三つの宮からなるものだそうです。展示は朝鮮・中国、さらに遠く古代ペルシャの工芸品を含むことから「海の正倉院」とも呼ばれる沖ノ島祭祀遺跡出土品(すべて国宝)に、中・近世の貴重な資料などを厳選した107件の作品からなっています。
 どの展示品も大社の悠久の歴史を感じる大変素晴らしいものばかりでした。私はその中でも古墳時代沖ノ島から出土した銅鏡類、朝鮮・新羅時代の金製指輪、そしてこれも古墳時代沖ノ島出土遺跡のガラス製玉・真珠玉・滑石製勾玉、管玉などが印象に残りました。 特に沖ノ島は島そのものが御神体であり、島には厳しい禁忌があり、現在に至るまで厳格に守られているといいます。


 館内の放映ビデオでも解説していましたが、島で見聞きしたことは口外してはいけないという「不言様(おいわずさま)」、上陸するには海中で穢れを払う「禊(みそぎ)」、女性は入島禁止「女人禁制」、島から一木一草たりとも持ち出してはいけない等の禁忌があるといい、現在も変わらずに信仰の対象であり続けるのだと会場においてあった小冊子に出ていました。

【国宝展】10月13日まで 出光美術館
 東京メトロ有楽町駅、三田線日比谷駅 どちらも徒歩3分
 ・参考文献…
●沖ノ島―守り、伝える。― 発行「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議、月刊出光2014年8月号p66・67、
●海辺の民俗学 石井忠 新潮選書(1992)、
●インターネットブログ 
   
 写真上は、本文に出ている小冊子に出ていた 沖ノ島の
 写真ページ(最終ページ)の複写です。


宗像神社…福岡県宗像市にある元官幣大社。祭神は三女神で、玄界灘にある沖津宮、大島の中津宮、内陸の玄海町にある辺津宮の三宮に祀る。宗像大社とも。

2014
10 5

◎非常に強いと言われている台風18号が近づいています。噴火から1週間になる御嶽山の捜索も台風接近により一旦中止だそうです。安否不明者の一日でも早い発見を祈るのみです。

『危険動物に指定、でも重要保護生物にも指定?』
◎今回はヘビ嫌いの人には申し訳ありませんが、里山でのリスクマネージメントとして大事だと思いますので書きました。
・最近、里山でヘビに出会うことが多いようです。遭遇するヘビにも色々な種類がいます。

 普通に見られるのがアオダイショウ、ヤマカガシ、シマヘビ、ヒバカリ。珍しいのは夜行性でトカゲやヘビを襲うというシロマダラヘビ(死体)にも会いました。そして今回話題の「ニホンマムシ」です。
 マムシは、ここ数回の里山歩きで死体を2回、生体を1回見ました。特に2回目に見た死体は胴も太く大きさは全長50センチ以上もある大物でした。
 そして前回の歩きで見た個体は神社の石段の上にのんびりと休んでいる生体でした。いろは坂のカーブのようにくねっていて長さは分かりませんでしたが全長30~35センチ位でしょうか。胴の太さは細く前述の個体の半分以下でした。
 
 マムシは毒蛇の代表のように言われていますが図鑑によると実際にはおとなしく、一方的に人に向かってくることはないようです。ただ、藪や林道、田畑などで気が付かずにニアミスし、かまれてしまう事故はあるようです。
 毒の量こそ少ないのですが、毒性は強く出血毒により死亡するケースもありますので注意を要します(致死率は、1パーセント以下)。

・怒らせない限り咬みついてこない。怒らせると最初は体を平たくし、体を大きく見せ威嚇し、その効果が無いと攻撃してくると図鑑に出ていました。
 石段で見た個体も最初は体をS字状で平べったい感じでしたが、同行した人が数分後に撮影した写真を見ると、首を少し浮かして首下あたりをきゅっと曲げて見えました。
 明らかに最初と形が少し変わっていました。きっと何人かが撮影をしたことによりストレスが加わり、徐々に攻撃態勢に移行したのかと思います。
  このことは、写真撮影は野生動物にとって大きなストレスであり、ヘビだけに限らず、今後の里山歩きの基本そして危険生物へのリスク面での反省点としたいと思います。


   
  石段にいたマムシの写真をご覧いただくには
  イラストをクリックしてください。ダブルクリック
  で元に戻ります。
 ※上面の銭形紋が、アオダイショウの幼蛇の梯子紋に似ており、しばしば間違えられます。
 見分けは、尾が短く急に細くなっていることが分かり易い。

◆ニホンマムシ…クサリヘビ科マムシ属全長40~65㎝、背面は褐色または赤褐色の地に銭形紋が特徴。
 全体的に太短く、尾が短くて急にくびれている。目と鼻の間には感覚器である1対のピット器官があり、赤外線を感知して反応する。胎生で8月~10月に5~6匹の仔ヘビを産む。仔ヘビは生まれた時から毒を備えている。
●千葉県レッドデーターブック カテゴリー Bランク(重要保護生物)
 参考文献 日本の両性爬虫類(平凡社)、
 日本の爬虫類157(文一総合出版)、
 千葉県の保護上重要な野生生物(千葉県環境生活部自然保護課出版)

◇広島市災害義援金→ウエットランドガイドの散策会等で募金しました土砂災害の義援金(13,000円)を広島市役所義援金受け付け係に振り込みました。皆様ご協力ありがとうございました。


2014
10 13

◎恒例になりました「どんぐりワークショップ」が終わりました。
12日、13日の二日間でしたが、訪れてくれた方の人数はおよそ400人になりました。スタッフの皆さん疲れたと思いますが、自分で作ったどんぐりクッキーを食べたり、笛を吹いたり、コマを回し目を丸くしている子どもたちの笑顔を見ていると体の疲れもとれてくるようでした。

『バードストライク』
◎バードストライクとは、航空機や鉄道、ビル、車などに鳥が衝突する事故をいうそうです。特に空港では大きな事故につながるので神経を尖らしていて、色々な対策を打っているようです。
ただ、バードストライクは空港などの施設だけでなくごく普通の住宅地でも数多く起こっています。それは、野鳥が住宅地を飛んでいる時に住宅のガラス窓やマンションの大きなガラスに映る樹木などの景色を本物と間違い、激突してしまうようです。大きなものではオオタカなどの猛禽類からカワラヒワやスズメなど小さな小鳥まで種類は様々です。聞いた話ですが、激突するのはどちらかというと若い個体が多いようです。それはどうも経験不足から激突してしますようです。そういえば、私の見ているバードストライク個体はやはり若い個体が圧倒的に多かったです。

・F市にお住いのNさんから自宅の窓ガラスに小鳥がぶつかったという(バードストライクの)メールを頂きましたので掲載させて頂きます。
 『昨日すごい音で何かが部屋の窓ガラスにぶつかったんです。外を見るとなんと(メジロ?)でしょうか、ベランダに落ちていました。脳震盪を起こしたのか口を開けて痙攣していました。もうダメかなと思ったんですが、起こしてやると足は閉じたままでしたが2、30分程して仲間の鳴き声がすぐそばで聞こえたら、急に飛び立って合流しました。 びっくりしたり、安心したり、とにかく死ななくて良かったです。』

 

・ほんとに脳震盪だけで良かったですね。Nさんの小鳥に対する優しさが出ているメール文ですね。

※写真下は、Nさんから本文と一緒に送っていただいたバードストライクのメジロの写真。
   

バードストライク…英語:bird strikeとは、鳥が構造物に衝突する事故をいう。
 主に航空機と鳥が衝突する事例を指すことが多い。この他、鉄道、自動車、風力発電の風力原動機、送電線や送電鉄塔、ビル、灯台などにおいても起きている。Wikipediaより


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