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2014
5 18

◎5月18日は「里山の日」です。千葉県は平成15年5月18日里山条例を施行しました。それを記念してできたのが里山の日です。古くから人々の生活と深く関わってきた里山がずっと残っていくことを望んでいます。

『五月雨には、まだ早い?』
◎広辞苑によると五月雨(さみだれ)とは、陰暦5月ごろに降る長雨と出ていました。陰暦5月は、今年の場合5月29日から6月26日となっています。とするとまだ五月雨には少し早いですが、連日不安定な天気が続きます。プレ五月雨か? 

・里山の斜面林ではガマズミやスイカズラの花、草地ではキキョウソウやミヤコグサが可憐な花を咲かせていました。T大学グランド脇の道を南下し斜面林の中に続く細道に入るとひんやりとした空気を感じました。
しきりに鳴いているのはシジュウカラやメジロ、ウグイスの大きく美しい声も聞こえています。路傍には春の初めに咲きだしたハルジオンに続き、最近咲きだしてきたヒメジョオンの白花が目立ちます。斜面林を抜けると集落に出ました。谷津田はほとんどが放棄され一面のアシ、ガマなどの植物群が目立ちました。一部は畑となっているところもありました。


里山の日…平成15年5月18日に第54回全国植樹祭を千葉県で開催しました。里山条例はこれと併せて施行しましたが、これを記念し、毎年5月18日を「里山の日」とすることとしました。千葉県里山条例2条、条例の概要より抜粋


・この時季だと上空に渡りのタカが舞うので気をつけながら歩きましたが今回は空振りでした。車道に出るとそこから南側は水田でした。きれいに植えられた苗が薫風になびき気持ちのよい光景でした。やはり水田は日本の宝、自然の姿だと思えました。ただ、気になったことは鳥を初め虫たちなど生き物の数がとても少ないことでした。
 このあと坂を上って、台地上に造られている宗像神社に寄ってから散策を終了しました。

 
※雨上がりに見つけたアカツメクサの花にできた水滴(露)
   
  駅前のグリーンベルトで撮影。(虫班のSさん撮影)
2014
6  4

◎5月後半から9日間ほど九州に行っておりました。
  家内の友人が熊本に引っ越したので訪問がてら球磨川の源流近くや天草を訪れました。
  5回に分けて【谷津田だより・番外編 ~熊本・天草編~」を作成しましたので こちら
  クリックしてご覧ください。

  
2014
6  17

◎何回か熊本紀行のたよりを送付しましたが、一段落しましたのでまた普段通りの谷津田だよりに戻ります。
明後日、6月19日は、太宰の桜桃忌です。入水地の三鷹市や生誕の地金木村(現五所川原市)では盛大に行われるのでしょう。しかし、居住地であった船橋市では何か行われるのでしょうか

『環境フェスタ終了』
◎先日皆さんにご案内しましたいんざい環境フェスタが無事終了いたしました。本イベントはいつも雨模様とか強風とかあまり天候に恵まれないことが多いのですが今回は“梅雨の間の晴れ”に恵まれました。
千葉ニュータウン中央駅から徒歩5分ほどのスーパーの広場にテントが沢山並んでいました。私たちは昨年に続き中央の大型テント(イベント広場)を独占することになりました。会場の中央での公演にちょっと緊張しながら準備をしました。

・今回の私たちのイベント内容は、市民に対する環境の関心を高めてもらう一環として温暖化問題、環境家計簿の啓発、自然に対する関心を持ってもらうことです。この活動の一環として子供向けの紙芝居を通して何か市民に訴えることができたらというものでした。
 朝9時に仲間と広場に集まり準備をしました。まず、紙芝居の舞台準備、椅子並べや景品のもったいないぞう君の袋詰めなど小一時間かかり準備が終わりました。
 10時30分、11時30分、13時、14時の4回の公演です。人が集まるか心配でしたが各回とも椅子の数を上回る30~40人が来てくれました。


桜桃忌…小説家太宰治の忌日1948年6月19日。
 太宰は6月13日、東京三鷹市の玉川上水に入水、19日に遺体発見される。墓所は禅林寺、桜桃は太宰の作品名。季語夏。



 ゲームやスマホ時代に紙芝居というアナログの出し物も一味あるのかなあと思いました。又、スタッフのiさんから頂いたアンパンマンのぬいぐるみの効果もあったのか3、4歳から小学3年位の子たちを中心に集まってくれました。またそれらの子たちの両親や祖父祖母たちの暖かい声援に支えられ、4公演が終了できました。
子らの画面を見つめる熱い眼差しと終わった後の満足げな笑顔に準備の大変さの苦労も一瞬で吹っ飛ぶ思いがしました。
   


・公演の途中、市のキャラクターの“いんザイ君”が登場し、子らの握手攻めにあっていました。
本イベントには、市内の環境にかかわる団体がいくつも参加しておりました。市民の啓発だけでなく私たち環境に関する団体の思いを共有する場でもあります。毎年行われております。これからもぶらりとご参加ください。

2014
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◎ユネスコ世界遺産委員会において「富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)」が、世界遺産登録に決定しました。登録は日本の絹産業の歴史を永久に伝えていくこととして素晴らしいものと思います。ただ、この産業を支えていたのは、細井和喜蔵「女工哀史」や山本茂実「あゝ野麦峠」に代表される女子労働者の過酷な労働だったことも忘れてはならないものと思います。

『ZEPHYRUS』
◎昆蟲つれづれ草(手塚治蟲著 岩本敏発行)に、コミック『ゼフィルス』が出ていました。
41ページに渡るページを埋めていた漫画は「週刊少年サンデー昭和46年5月23日」掲載分を再構成し取り入れたものでした。タイトル「zephyrus」ゼフィルスとは、樹上性のシジミチョウの一群を指すそうで、日本には25種が生息しているといいます。
 内容は、主人公の少年が戦火に怯える時代の中でも美しい蝶ゼフィルスを追い求める物語でした。手塚の少年時代の戦争の悲惨さに対する思いと故郷の森の中で追った憧れの蝶への思いが如実に出ている漫画だと思いました。
    
   
 手塚の著書「昆蟲つれづれ草」表紙の写真
・手塚治虫が漫画の中で追っていたゼフィルスは、めったに見られないウラジロミドリシジミでした。ここまで珍しくはないのかもしれませんが、先日私もハンノキの茂みでゼフィルスの中では一番一般的なミドリシジミの乱舞を見てきました。夕方に飛ぶといいますが、何頭(蝶は1頭、2頭と数える)もが乱れ飛ぶ様が目前に見られました。


 わずか2センチほどの小さな体、雄の翅に金属的な光沢をもった鮮やかな金緑色の美しい姿が印象的でした。
 成虫は年1回6月から8月初旬に発生するといいます。幻想的な小さな蝶、ゼフィルスの姿を見ていますと、手塚の子ども時代の一部を垣間見たような気がしました。


   
      ミドリシジミ

   
      アカシジミ(これもゼフィルス)

ミドリシジミ…ゼフィルスと呼ばれる一群の一種。緑色に輝く翅をもつシジミチョウ(ゼフィルス)の中では、一番ふつうに見られる。
 ハンノキの生える湿地、田の畔などにすみ、平地の雑木林でも見られる。
 雄は夕方5~6時頃さかんに飛ぶ。
   (ヤマケイポケットガイド「チョウ・ガ」参照)


2014
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◎雨の中、公園や庭先に咲くアジサイがとても美しいです。葉先にカタツムリがゆっくりと這っている姿が見られるかもしれません。

 でんでんむしむし かたつむり
     お前のめだまは どこにある… 

『かたつむり』は、明治44年に「尋常小学校唱歌」に掲載された日本の童謡・唱歌です。今日7月1日は童謡の日です。大正8(1918)年のこの日、多くの名作童話、童謡を生み出した日本初の児童文芸誌「赤い鳥」が創刊された日です。

『里山で気になること』
◎市の地図を8等分して毎月順々に歩いています。基本は市街地を出発し、里山を巡りまた市街地に戻ってくる。ぶらりと大体3~4時間位歩き、午後は見たこと、気づいたことを話し合い、記録する。そんなのんびりとした活動です。

・コース沿いにある谷津田の様子や、生き物の種類、植物の種類、またお寺や神社、公園や公民館、コミセンなど何でも気づいたことをメモしながら歩きます。田んぼの様子も毎月刻々と変わっています。木々の様子、草たちの様子も同様です。
 今は里山の林の緑がとても美しいです。緑も黄緑から深緑まで千差万別で言葉には言い表せないほど変化があります。

・歩いていると野鳥に出会ったり、真っ赤なトンボが止まっていたり、足元に咲くピンクのネジバナの花に見とれたりと飽きることがありません。

 しかし、里山歩きで見かける風景は全てがいいとは限りません。昨年訪れた美しい水田が、放棄されていたり、残土置き場になっていたり、広大なメガソーラの設置場所に変わっていたりします。
 そしていつも気になるのが斜面林(雑木林)や竹林の荒れです。手を入れていない林や竹林は密集し倒れ、人どころか鳥も入れないほど荒れ放題です。またそういう荒れが目立つ林の道沿いにたくさんのゴミが捨てられていました。家電あり、ふとんやマットレス、時には車まで捨てられていました。
 i市では、廃棄物処理法や歩行喫煙、ポイ捨て等防止条例でゴミの投棄が禁じられていますが、法律以前の里山にたいする基本的考え方が理解されていないのでしょうか。毎回考えさせられます。


   

   

   

◆i市 廃棄物の処理及び清掃に関する法律では、「何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない」とし、違反した者には5年以下の懲役もしくは1千万円以下の罰金、またはその両方を科すとされており、・・・(後略)。とにかく残念なことです。

2014
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◎今日7月7日は七夕です。
 童謡「たなばたさま」ささの葉さらさらのきばにゆれる お星さまきらきら 金銀すなご・・・を口ずさみ、笹に飾りを付け短冊に願いを書く。
 今でも全国的に続く行事です。
 この日は、また電気を消してスローな夜を送るとして定着した「100万人のキャンドルナイト」でもあります。
夏至と冬至そして七夕の夜の8時から9時の2時間、みんなで一斉に電気を消して、ある人は省エネ、ある人は平和を願う日です。
 部屋の戸棚や引き出しからローソクを探して「100万人のキャンドルナイト」に参加してみませんか。

『七夕空襲…千葉空襲』
◎7月7日は、千葉市中心市街地の大部分を焼き尽くした千葉市空襲の被災日でもあります。
 昭和20(1945)年7月7日、午前1時39分から3時5分までの攻撃で「七夕空襲」とも呼ばれています。

・米軍第58航空団(テニアン西飛行場)を飛び立った129機のB29が千葉市市街地を目標に焼夷弾888.5トンを落とした攻撃でした。
 被害の惨状は、中心市街の大部分が焼きつくされ、死の街と化するほどの惨状だったといいます。
被害を受けた主な施設は、次の通り。
 千葉地方裁判所
 千葉郵便局
 千葉鉄道管理部
 省線千葉駅
 同本千葉駅
 京成千葉駅
 鉄道第一聯隊(椿森)
 気球聯隊・歩兵学校(作草部町)
 千葉陸軍高射学校(小仲台)
などの軍事施設。資料に載っていませんでしたが、その他民間施設など数多くの被害が出た模様です。

・千葉市は、6月10日の空襲とこの七夕空襲を合わせ、死傷者1595人、被災戸数8904戸、被災面積231ヘクタールに及ぶ壊滅の被害となったのです。

現在のJR千葉駅から千葉中央博物館(現青葉の森公園)の辺りまでの一帯と、及び蘇我駅から海側の工場地帯が焼野原になったのです。
 全国津々浦々に戦争の悲惨な状況は起こっていたのです。戦争の辛い思いや戦争遺跡の持つ意味を引き継いでいくことは、平和を願う仕事の一つと考えます。現在の社会・国内、国際情勢には、きな臭さを感じます。一人一人が平和を願うしっかりとした考えを持つ事が大切だと思います。
【参照 千葉空襲写真誌、千葉市の戦跡めぐりパンフ(どちらも千葉市発行)】


   

   

   

千葉市の戦争遺跡の一つの旧鉄道第一聯隊の演習用トンネルと架橋演習用橋脚、及びB29編隊の写真。
 尚、B29編隊の写真はパネル展の写真パンフからコピーさせていただきました。

   ◆千葉市空襲写真パネル展…戦争の悲惨さを伝えるパネル展。
      日時 7/2~7/13 9:00~19:00
      場所 千葉市 キボール広場
 (1階アトリウム)
      主催 千葉市
   ★パネル展の詳細は下記のHPを見て下さい。 場所を変えて8/15までやっています。
    http://www.city.chiba.jp/shimin/seikatsubunka/danjo/newpanelten.html

2014
 7 14 

◎以前「たより」で話題に出ていました船橋大神宮子ども相撲出身の力士「若荒雄(わかこうゆう)」は、残念ながら今場所から幕下に陥落しました。押して引くという単調な試合運びが皆に覚えられ、小結を一場所経験した後、(野球賭博問題などもあり)番付が徐々に下がりついに十両から陥落してしまいました。ネットには引退の声も多々出ていましたが、幕下3枚目で現在1勝0敗で頑張っています。

『小川の生き物たち』
◎谷津田に下りると稲の緑が目に飛び込んできました。今回の調査地は、放棄された田も見られず里山の景観が美しいと感じました。
 斜面林下の小川をよく見ると、あちこちから水が湧いているのが確認できました。水辺に生えるセリやスゲなどの水辺の植物や小川の岸を覆う木々の実を観察したり、のんびりと自然を楽しみながら移動しました。特にコウゾの赤い実、ゴンズイの紫色の実、イヌザクラの赤色の実などが目立ちました。
 ・ふと、小川の脇に生える草たちに目を向けると、ツユクサの葉にぶら下がるトンボの姿を見つけました。大きくて腹が黄色と黒の縞々、すぐにオニヤンマと分かりました。ただ、色が薄く羽を閉じたままで普段見るオニヤンマと雰囲気が大分違いました。トンボの後方にヤゴの抜け殻が見られ、羽化直後の個体ということが分かりました。
 まだ翅が伸びきっておらず体の色も薄く、ここの小川を生活の場にしているオニヤンマの誕生です。
 このあと、この個体以外にも羽化直後の個体を2匹見つけました。どの個体も無事飛び立つことを願います。

・湧水が集まった小川は水が澄んできれいでした。川底には巻貝(カワニナ)の這い跡が沢山見られ、まさに曲線美の芸術そのものでした。
 川の中や脇に生える草たちや上を覆う木々などを観察しながら歩くと、川底に何か動くものを見つけました。
 清流に棲むカニ、サワガニでした。私たちの気配を感じ、木の葉の下に隠れてしまいましたが、しばらくしてまた出てきました。サワガニは最近特に減少していて、久しぶりの対面でした。一緒に行った仲間たちもサワガニとの出会いに感激してカメラのシャッターを押していました。
 この後、上空を舞う猛禽を見たりし、谷津から斜面林を抜けて台地上に出て、次の調査地に向かいました。


   
   
 オニヤンマ 後ろに抜け殻が下がっていた

   
   
サワガニ  この後、落ち葉の下に隠れた 

サワガニ…十脚目サワガニ科の淡水に棲むカニ。
 幼生も海に下らず、淡水でくらす。甲幅2.4㎝ 雑食性
 レッドデーターブック:
  千葉県カテゴリーC 要保護生物
  (山と渓谷社ポケットガイド淡水魚


2014
 7 22
 

◎今日7月22日は下駄の日です。7は下駄の寸法を表わすのに「七寸七分」というように7がよく使われるから。
 22は下駄の跡が「二二」に見えることから全国木製はきもの協会がこの日を制定したといいます。
 下駄と言えば「下駄ばきマンション」を知っていますか。マンションの一階部分が店舗になっているのを指すそうです。近くの駅前にマンション群がどんどん出来てきています。きっと下駄ばき式になるのかと思っています。

『風力発電施設見学』
◎NT駅西側に位置するTDU大学のキャンパスには風力発電施設があります。電車の中からも見えますが実際に見学に訪れる方はほとんどありません。

・このTDU大学の風力発電施設見学を先日実施しました。
 平成18年に完成した施設は、三菱重工製ブレード(羽)3枚、ローター(回転子)直径15メートル、ハブ(回転軸部分)の高さ21メートル、定格出力40キロワットです。
 いつも遠くから眺めていると低く感じましたが風車の真下から見上げる施設はとても巨大に見えました。
 東京千住キャンパスからわざわざ二人の先生が見学案内のために来ていました。
 大学の風力発電に関する研究の取り組み、施設の概要、そして国内外における最新の自然エネルギー源についてなどの話を分かり易く解説していただきました。
 風車内部に入ったり計器を見たり、プロジェクターの映像をもとにした解説を聞いたりと1時間半余りに渡り案内をしていただきました。

 参加者の中には大変詳しい人も数人おりましたが、殆どの人は見学も初めて、説明を受けるのも初めての人でした。しかし、二人の先生方が初めての方でも分かるよう解説をしていただけたので最後まで熱心に聞いていました。

・今、日本の研究の中心は安定的な風が供給のできる洋上発電と複数台連系運転方式の風力発電システムの開発だそうです。
 複数台連系システムが将来洋上発電システムに展開するだろうということでした。
 一基では数千~1万キロ程度で出力は小さいが、100とか200基とかを連系することにより原発一基に匹敵する出力が確保されるといいます。
 ここでの研究が日本の地球環境に貢献できることを願っています。
 見学後は学生食堂を利用させていただき、久しぶりの学食の味を堪能していました。私はカレーライス(340円?)をいただきました。


   風力発電施設 遠景
   
   風車タワーで解説 
   
    風力発電コントロールルームで解説
   

  ◆TDU大学ニュータウンキャンパス…キャンパスは、広々とした芝生に建物が点在。
   敷地中央には修景池もあり欧米の大学のようです。(中略)
   TDUマークが目立つように刻まれた風力発電システムは、研究のために設置されました。(中略)
   地域交流や産官学連携による起業支援を行うなど、地域と密接に結びついています。
   (TDU学校案内冊子2015年版より抜粋)


 
2014
 8  4

◎先日谷津田に出かけた時、稲の花が咲いていました。 ネットで調べると花が咲いているの時間は、天気の良い日の午前中のほんの2時間ほどと載っていました。運が良かったのですね。ちょっと儲かった気がしました。

『セミの羽化観察』
◎夏の虫といえば、セミを思い浮かべる人は多いと思います。私の居住するi市では、ニイニイゼミ・ヒグラシ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクボウシなどの声が聞かれます。
それに数年前から本来東京以西に見られる大型のセミ「クマゼミ」のシャワシャワというけたたましい声も聞こえるようになりました。

・先日、近くの公園で夜のセミの羽化観察会を行いました。20名程の親子が集まり、最初は室内でセミについての基礎知識の学びました。

 

その後、暗くなった野外に出て緑道沿いを羽化途中のセミを探しながら歩きました。中には、穴から出てきても羽化に適する木に行きあたらず、道路の上でさまよっている個体もありました。
「さまよいゼミ」を見つけると子供たちが、つまんで近くの木まで運びます。これが「幼虫救出作戦」です。何匹か救出しながら歩いていましたら「いたよー」とか「見つけたよ」の声があちこちからあがりました。木の幹を必死に登って行く個体、殻から体が半分出て逆さにぶら下がっている個体、すでに殻から完全に抜けて翅を少しずつ伸ばしている個体等、色々な段階の個体が間近に見られました。
羽化の最大の難関と思われる逆立ち段階から体を起こし、腹の先端を完全に抜く場面に出くわした子もありました。セミの必死の思いが伝わってくる場面に子どもも大人も食い入るように見入っていました。無事殻から抜けた固体は縮んでいた羽を少しずつ伸ばしていました。爪を固定してから羽が完全に伸びるまで、およそ90分位だそうです。
・ただ、羽化の途中かそれとも木につかまる力が弱かったのか分かりませんが、かなりの数の個体が失敗し、アリの餌食になっているものが見られました。可哀そうですが、これも生き物たちのつながりののサイクルの一つなのです。観察終了後、感想を聞いたりし終わりにしました。命の営みを間近に感じ、子どもたちは少し興奮気味でした。


◆アブラゼミ…セミ科の普通に見られる32から40ミリ位のセミ。
 体は主に黒で前後翅ともに茶褐色不透明。鳴き声 ジーーー、ジリジリジリ・・。鳴くのは♂のみ。
産卵されて7年目に成虫が羽化。1年目は木の幹や枝(枯れた部分)で卵で越冬し、梅雨時に孵化し地中に潜る。(参照 保育社「セミ・バッタ」)

 
・セミの羽化
 …羽化の過程の難関の一つ。
   逆さにぶら下がっていた姿勢から ぐっと 立ち
  上がり腹部を殻から引き抜きます。
   

・セミの羽化
  …羽化成功。伸びきった翅はエメラルド
   グリーンでとても美しい。
   明日は飛び立てるだろう
   
          ※写真撮影:スタッフのiさん


 
   ◆ 穴の中で「出」を待っている幼虫を見つけました。(撮影:スタッフのS.Aさん)
   
     見つけたぞ!              そろそろ出番!                アップ!

 
2014
 8 10

◎広島、長崎原爆の日から69年目。反核・平和祈念式典が終了しました。長崎市長は特に「ノーモア・ナガサキ」とともに「ノーモア・ウオー」を強調していました。平和に対する不安が広がっていることへの懸念から出たことと思われました。

「私の先祖は『お茶作り』」
◎前に八街の創設者といわれる開墾会社の頭取西村郡司について書いたことがありました。その開墾地(八街)で私の先祖はお茶を作っていたことが分かりました。

・維新後、佐倉藩の藩士は皆失業してしまいました。その数は2000人にも上ったといます。そこで旧佐倉藩が考えたのが開墾地内(柳沢牧)での製茶業でした。元家老職の倉次亨を中心に同志22名ほどで立ち上げた「佐倉同協社」でした。明治5年3月、上勝田村の飛び地・外山(後に富山になる)=現八街市八街ろで製茶園の開墾に着手しました。立ち上げ時には元藩主堀田正倫も篤志社員として名を連ねていたそうです。其の後同社は苦労に苦労を重ね、製茶業を成功させたのでした。

・盛んな時には佐倉順天堂・佐藤尚中の長男でニューヨーク在住の貿易商・佐藤百太郎を介し同協社の茶の輸出も行っていました。「JAPAN TEA SAKURA」、日本語で『佐倉茶』と書かれていたということです。社員も多い時には50人にもなったといいます。



 其の後、風水害や火災などの災害を何度も受け資金集めに奔走しながら茶製作りに尽力を尽くしたのでした。明治22年には茶業に加え補助事業に牧牛も始めたのです。明治38年に倉次亨が逝去し、大正6年10月に佐倉同協社は解散しました。

 私の父方の先祖は、立ち上げ時ではなくその後に入った社員の一人のようですが、記録資料では確認されていません。ただ、私の叔父(故人)が旧佐倉同協社のメンバーの集まりの会(名称不明)の世話役の一員でしたので間違いはないと思っています。また何か分かりましたらいずれ、続きを書こうと思います。
※写真下は「千葉縣佐倉同協社全圖」(西村郡司生誕200年記念展示にて、お断りをして撮影したものです。

◆同協社社長 倉次亨(くらなみとおる)…1829年~1905年
 幕末の天狗党の乱の際には鎮圧の総指揮官としてこれを撃退。藩解体後窮乏した藩士の為に八街の地で製茶業を始める。
 褒賞「藍綬褒賞」の奉勅には、現在朝ドラ「花子とアン」にも出ている柳原白蓮の兄で伯爵柳原前光の名が出ていました。
 
      


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